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王なき玉座

 王城へ向かう道は、もはや地獄のようであった。

 瓦礫が崩れ落ちた建物から黒煙が立ちのぼり、焼け焦げた臭いが鼻を刺す。泣き叫ぶ声、呻き、すすり泣き。家族を探して名前を呼び続ける者もいれば、うずくまって空を見上げるだけの者もいた。


 アリアは何度も足を止めかけた。倒れ込む子供に水を与えたい、泣き叫ぶ女を抱きしめたい。けれど今は立ち止まることができない。

 ――王城を抑えねば、この混乱は終わらない。

 胸に冷たい刃のような思いを抱きながら、前を見据え続けた。


 やがて城門が見えてくる。

 「……崩れている」

 誰かが呟いた。かつて堅牢を誇った王城の門は、半ば崩壊し、焦げた破片と血がこびりついていた。魔獣が城へ侵入した痕跡は明らかだった。


 騎士たちの緊張が肌を刺す。誰もが剣を握り締め、視線を鋭く前に向けた。

 ――退くことはできない。



 玄関ホールに足を踏み入れた瞬間だった。


 「グオオオオオッ!!」


 耳をつんざく咆哮。

 振り向く間もなく、巨大な影が迫った。


 黒い甲殻に覆われた大型魔獣。獣とも虫ともつかぬ異形で、血走った両眼が侵入者を捕らえている。

 その口から滴る涎が石床に落ち、じゅっと音を立てて煙を上げた。腐食性を帯びているのだ。


 「構えろっ!」

 カインの声が響く。

 盾を構える者、魔法の詠唱に入る者、それぞれが死を覚悟して位置についた。


 魔獣の爪が振り下ろされ、床が砕けた。石の破片が飛び散り、盾が軋む。踏ん張った騎士が後退しかけたところを、別の兵が支える。

 「持ちこたえろ!」


 アリアは杖を掲げ、風の刃を放つ。刃は魔獣の眼をかすめ、怯んだ隙を突いて槍が突き込まれる。しかし分厚い甲殻に弾かれ、浅い傷を残すにとどまった。


 「効かねえだと……!?」

 「怯むな! 繋げ!」

 カインが声を張る。


 公爵の騎士が背後から斬り込み、第三騎士団が足を狙う。アリアの風が再び魔獣の動きを鈍らせる。攻撃が連携し、徐々に隙が生まれていった。


 「今だ――!」

 カインの号令と同時に、カイトが踏み込み、全身の力を剣に込める。

 仲間たちの援護がその一瞬を生み出し、渾身の一撃が魔獣の首筋を断ち切った。


 巨体が絶叫と共に崩れ落ち、石床が震える。

 荒い息が混じる静寂の中、全員が生き残ったことを確認し、ようやく安堵の吐息が漏れた。



 彼らは玉座の間へと向かった。

 しかし――王の姿は、そこにはなかった。


 荒れ果てた広間。倒れた兵と散乱した文書、赤黒い血の痕跡だけが残っている。

 「王はどこだ……?」

 苛立ちと不安が混じる声が漏れたその時――。


 「守れっ! 早く私を守れ! こいつも……ついででいい、守れ!」

 錯乱した叫びが響き、視線が集まる。


 そこに立っていたのは王太子だった。

 顔は蒼白で、震える手で聖女を前に突き出すようにして、必死に命令を叫んでいる。


 「私は王太子だぞ! 私を守ればすべて解決するのだ! さっさと働け!」


 聖女もまた、瞳を虚ろに見開き、狂ったように叫び続けていた。

 「なんで、なんでなんでなんでなんで……! どうしてこんなことになるの! こんなのはおかしい、おかしいおかしいおかしい!!」

 髪を振り乱し、爪で自らの腕を掻きむしりながら喚き散らす姿は、聖なる象徴とは程遠い。


 アリアは冷ややかに二人を見据えた。

 「……ふざけるな」

 その声に場が静まり返る。

 「国を見捨てたのは、あなたたちだ。守るべきものを取り違えている」


 王太子は青ざめ、なおも喚いた。

 「黙れ! 私を誰だと思っている! 私こそ未来の王――」


 「殿下……ご無礼を」

 その瞬間、ひとりの上位騎士が進み出た。

 次の瞬間、手刀が王太子の首筋を打ち抜き、ぐらりと体が崩れ落ちた。聖女もまた錯乱のあまり力尽き、泣き崩れて気を失った。


 気絶した二人は、比較的安全な部屋へと運ばれていった。



 一行はさらに進み、王の私室へと向かう。

 豪奢だったはずの部屋は荒れ果て、床に血が広がっていた。


 「……っ」

 そこに横たわっていたのは、王妃の亡骸だった。

 美しい衣を血で染め、胸元に深い斬撃が刻まれている。すでに事切れて久しい。


 アリアは唇を噛みしめた。

 ――王が、ここで何をしたかは明白だった。


 そして、亡骸の奥。

 大きな肖像画の背後に、隠し通路が口を開けていた。石壁が半ば崩れかけ、暗い闇がその先へと続いている。


 「……王は、ここから逃げたのだな」

 カインが低く呟く。


 アリアは強く頷いた。

 「必ず見つけ出す。そして、この惨劇を終わらせる」


 その瞳には迷いも怯えもなく、ただ強い決意だけが宿っていた。

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