王なき玉座
王城へ向かう道は、もはや地獄のようであった。
瓦礫が崩れ落ちた建物から黒煙が立ちのぼり、焼け焦げた臭いが鼻を刺す。泣き叫ぶ声、呻き、すすり泣き。家族を探して名前を呼び続ける者もいれば、うずくまって空を見上げるだけの者もいた。
アリアは何度も足を止めかけた。倒れ込む子供に水を与えたい、泣き叫ぶ女を抱きしめたい。けれど今は立ち止まることができない。
――王城を抑えねば、この混乱は終わらない。
胸に冷たい刃のような思いを抱きながら、前を見据え続けた。
やがて城門が見えてくる。
「……崩れている」
誰かが呟いた。かつて堅牢を誇った王城の門は、半ば崩壊し、焦げた破片と血がこびりついていた。魔獣が城へ侵入した痕跡は明らかだった。
騎士たちの緊張が肌を刺す。誰もが剣を握り締め、視線を鋭く前に向けた。
――退くことはできない。
◆
玄関ホールに足を踏み入れた瞬間だった。
「グオオオオオッ!!」
耳をつんざく咆哮。
振り向く間もなく、巨大な影が迫った。
黒い甲殻に覆われた大型魔獣。獣とも虫ともつかぬ異形で、血走った両眼が侵入者を捕らえている。
その口から滴る涎が石床に落ち、じゅっと音を立てて煙を上げた。腐食性を帯びているのだ。
「構えろっ!」
カインの声が響く。
盾を構える者、魔法の詠唱に入る者、それぞれが死を覚悟して位置についた。
魔獣の爪が振り下ろされ、床が砕けた。石の破片が飛び散り、盾が軋む。踏ん張った騎士が後退しかけたところを、別の兵が支える。
「持ちこたえろ!」
アリアは杖を掲げ、風の刃を放つ。刃は魔獣の眼をかすめ、怯んだ隙を突いて槍が突き込まれる。しかし分厚い甲殻に弾かれ、浅い傷を残すにとどまった。
「効かねえだと……!?」
「怯むな! 繋げ!」
カインが声を張る。
公爵の騎士が背後から斬り込み、第三騎士団が足を狙う。アリアの風が再び魔獣の動きを鈍らせる。攻撃が連携し、徐々に隙が生まれていった。
「今だ――!」
カインの号令と同時に、カイトが踏み込み、全身の力を剣に込める。
仲間たちの援護がその一瞬を生み出し、渾身の一撃が魔獣の首筋を断ち切った。
巨体が絶叫と共に崩れ落ち、石床が震える。
荒い息が混じる静寂の中、全員が生き残ったことを確認し、ようやく安堵の吐息が漏れた。
◆
彼らは玉座の間へと向かった。
しかし――王の姿は、そこにはなかった。
荒れ果てた広間。倒れた兵と散乱した文書、赤黒い血の痕跡だけが残っている。
「王はどこだ……?」
苛立ちと不安が混じる声が漏れたその時――。
「守れっ! 早く私を守れ! こいつも……ついででいい、守れ!」
錯乱した叫びが響き、視線が集まる。
そこに立っていたのは王太子だった。
顔は蒼白で、震える手で聖女を前に突き出すようにして、必死に命令を叫んでいる。
「私は王太子だぞ! 私を守ればすべて解決するのだ! さっさと働け!」
聖女もまた、瞳を虚ろに見開き、狂ったように叫び続けていた。
「なんで、なんでなんでなんでなんで……! どうしてこんなことになるの! こんなのはおかしい、おかしいおかしいおかしい!!」
髪を振り乱し、爪で自らの腕を掻きむしりながら喚き散らす姿は、聖なる象徴とは程遠い。
アリアは冷ややかに二人を見据えた。
「……ふざけるな」
その声に場が静まり返る。
「国を見捨てたのは、あなたたちだ。守るべきものを取り違えている」
王太子は青ざめ、なおも喚いた。
「黙れ! 私を誰だと思っている! 私こそ未来の王――」
「殿下……ご無礼を」
その瞬間、ひとりの上位騎士が進み出た。
次の瞬間、手刀が王太子の首筋を打ち抜き、ぐらりと体が崩れ落ちた。聖女もまた錯乱のあまり力尽き、泣き崩れて気を失った。
気絶した二人は、比較的安全な部屋へと運ばれていった。
◆
一行はさらに進み、王の私室へと向かう。
豪奢だったはずの部屋は荒れ果て、床に血が広がっていた。
「……っ」
そこに横たわっていたのは、王妃の亡骸だった。
美しい衣を血で染め、胸元に深い斬撃が刻まれている。すでに事切れて久しい。
アリアは唇を噛みしめた。
――王が、ここで何をしたかは明白だった。
そして、亡骸の奥。
大きな肖像画の背後に、隠し通路が口を開けていた。石壁が半ば崩れかけ、暗い闇がその先へと続いている。
「……王は、ここから逃げたのだな」
カインが低く呟く。
アリアは強く頷いた。
「必ず見つけ出す。そして、この惨劇を終わらせる」
その瞳には迷いも怯えもなく、ただ強い決意だけが宿っていた。




