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崩れる玉座

 王城内部は、すでに修羅場と化していた。

 煌びやかな廊下を、怒号と悲鳴が埋め尽くす。

 王の言葉に盲従してきた貴族たちは、先を争うように逃げ惑い、護衛に侍女や下働きの者を押しつけて盾にする始末だった。


 「どけ! 私を誰だと思っている!」

 「ひっ、やめてください……!」


 命乞いする侍女を突き飛ばし、その背を押し出して自分は身を翻す貴族。だが、飛び出した彼女はあえなく魔獣に捕まり、廊下に赤い痕を残して崩れ落ちる。


 一方、第一騎士団は歯が立たず、次々と退けられていった。誇り高き近衛のはずが、王城の守りを担うには力不足だったのだ。

 なんとか持ちこたえているのは、第二騎士団の一部の部隊だけだった。必死に剣を振るい、命を削るように魔獣の足を止めているが、それも時間の問題だと誰の目にも明らかだった。


 そのさなか――。


 「うわああっ!」


 ひとりの宰相補佐が転倒した。三十代半ば、まだ若いといえる年齢だが、彼の頭上から飛んだものは、あまりに無情であった。

 床を滑ったカツラは宙を舞い、よりにもよって魔獣の頭にぴたりと張り付く。


 「――グルルァッ!」


 毛髪に視界を奪われた魔獣が暴れ狂い、壁を裂き、兵士を爪で薙ぎ払おうとする。咄嗟に伏せた兵は辛うじて命拾いした。


 「今だ、押せッ!」

 第二騎士団の剣がその隙を突き、魔獣を仕留める。


 巨体が崩れ落ち、安堵の吐息が洩れるが――同時に、床に転がったカツラに視線が集まる。

 「……あれ、宰相補佐殿の……?」

 「ぶっ……!」

 笑いを堪えきれず吹き出す声が続き、戦場に似つかわしくない失笑が広がる。


 顔を赤く染めた宰相補佐は、禿げ上がった頭を両手で覆いながら、恥を振り払うように駆け去った。

 ――その背に敬意を払う者は、もはや誰ひとりいなかった。



 同じ頃、玉座の間。

 王はなおも「余を守れ! 早くせぬか!」と喚き散らしていた。

 蒼白な顔をした廷臣たちはただひれ伏すばかりで、誰一人として立ち向かおうとしない。


 やがて――。

 「ゴゴゴゴォン!」

 轟音と共に石壁が震え、巨大な魔獣が城内に侵入したことを告げる報が舞い込んだ。


 「な、何事だ……!? 城は堅牢のはずでは……!」

 王の声は震え、声量だけが虚しく空間に響く。

 「陛下、第一騎士団はすでに……! このままでは――」

 「黙れ! 余を守れと申しておるのだ!」


 護衛騎士が血を吐いて倒れるのを見た王は、椅子から転げ落ちそうになりながら立ち上がった。

 そして、慌ただしく自室へ逃げ込む。


 そこには誰も知らぬはずの秘密の通路が隠されていた。

 古い肖像画を押しのけると、冷たい石壁が軋みを上げて開く。

 「ふ、ふはは……余には退路があるのだ。玉座など失っても、余が生きておれば王国は続く……!」

 強がりの独白は、裏返った声で震えていた。


 「陛下! 私も……どうかお連れください!」

 駆け寄った王妃が必死に裾を掴む。

 しかし王は振り払うように剣を抜き、震える手で王妃の肩を斬りつけた。


 「ここで奴らを引きつけろ! それがお前の務めだ!」


 「陛下っ……!? 私は……っ」

 王妃は声にならぬ呻きを漏らし、その場に崩れ落ちた。


 血が広がっていく床を一瞥すらせず、王は暗闇へと消えていく。

 玉座を守れと喚き散らした王が、玉座を捨て、妻をも見捨て、ただ己の命だけを抱えて逃げていった。



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