立ち上がる影
門から離れた路地を、アリアは数名の騎士を伴って歩いていた。
王都に足を踏み入れてから、すでに一時間ほどが経過している。
瓦礫と煙に覆われた街の空気は、なおも重苦しい。呆然と立ち尽くす人々、嘆きに沈む人々。
泣き叫ぶ声は少なくなっていたが、失ったものを数えるようにすすり泣く声が、そこかしこから聞こえていた。
――この状態が続けば、やがて必ず火事場泥棒や暴徒が出る。
今は人々が絶望に縛られているから沈んでいるが、飢えと怒りが広がれば、混乱はさらに深まるだろう。
アリアは胸の奥に冷たいものを抱えながら、路地を進んだ。
そのとき――。
「だれか……! 誰か助けてくれ!」
切羽詰まった叫びが耳を打った。
アリアは顔を上げ、声のした方角へ駆け出す。騎士たちも即座に従った。
崩れた家屋の瓦礫の山。その中心で、ひとりの青年が必死に梁を押し上げていた。
腕は震え、全身に汗が滲んでいる。梁の下には、身動きの取れない人影があった。
「動くな! すぐ助ける!」
青年は声を張り上げるが、その表情には限界の色が濃い。
「任せなさい!」
アリアが叫び、騎士たちが駆け寄る。数人がかりで梁を押し上げ、辛うじて隙間を広げる。
そこからアリアが手を差し伸べ、埋もれていた男を引きずり出した。
「……生きている!」
騎士の声に、安堵の吐息が広がる。
男は軽傷で済んでいたらしく、ふらつきながらも歩けた。駆け寄ってきた家族と抱き合う姿に、周囲の空気がわずかに和らぐ。
その場に崩れ落ちるように座り込んだ青年へ、アリアの視線が向いた。
煤にまみれた黒髪、精悍な輪郭。そして――左の頬を走る、鋭い傷跡。
その特徴は、以前から聞き及んでいた人物像と一致していた。
「……あなた、カインですね?」
思わず名を口にすると、青年は驚いたように目を見開き、アリアを見返した。
「……俺のことを……知っているのか?」
アリアは息を整え、胸に手を当てて名乗った。
「私はアリア・ノーザン。ノーザン公爵家の娘です。……あなた方に食料を届けていた者の一人です」
その言葉に、カインの瞳が揺れる。
しばしの沈黙のあと、彼は力なくも真摯な声音で答えた。
「……そうか。あれは……お前たちが。……あの時の食料で、どれだけの仲間が命をつなげたか……。感謝してもしきれない」
顔を伏せ、深々と頭を下げるカインの姿に、アリアは小さく微笑んだ。
――強い眼差しをしている。噂に聞いた通り、ただの反逆者ではない。
この男は、民を背負って立とうとする者だ。
そのとき、背後から低く響く声が届いた。
「ここで立ち話をしている暇はないぞ」
振り返ると、煤にまみれた鎧姿の公爵が、部下を率いて現れた。
その眼差しは鋭く、青年を真正面から射抜く。
「アリア……そして――レジスタンスのカイン。
その名は、私も耳にしている。王都の地下で動いてきたお前たちの存在を、軽んじるつもりはない」
一瞬、場の空気が張りつめた。
カインは驚きに眉を動かしたが、公爵の声音には揶揄も嘲りもなく、むしろ確かな重みがあった。
「今は互いの素性を探る時ではない。
公爵領、ノーザン領、第三騎士団、そしてレジスタンス――。
それぞれの代表を集め、今後の行動を協議すべき時だ」
アリアはすぐに頷いた。カインも逡巡ののち、静かに同意する。
――間もなく、崩れた街の広場に、彼らは集まった。
公爵領の騎士、ノーザン領の兵、第三騎士団、レジスタンスの代表。
それぞれ疲労の色を濃く滲ませながらも、互いに視線を交わす。
「この国を守るはずの王族が、民を見捨てた……」
「腐敗した貴族に従う理由は、もはやない」
声が重なり、空気が熱を帯びていく。
「――王族と腐敗貴族を廃すべき」
その言葉は、次第に揺るぎない共通認識へと変わっていった。
だがその時だった。
――ドォンッ!
大地を揺るがす衝撃音が轟いた。
広場にいた全員が一斉に顔を上げる。王城の方角に、土煙が立ちのぼっていた。
風に乗って届く悲鳴。遠目に見えるのは、崩れかけた城壁の影。
「……今の音は……」
「まさか、王城で……!」
緊張が走る。何が起きたかは分からない。だがただ事ではない。
アリアは立ち上がり、迷わず声を張った。
「――部隊を整えて、王城へ急ぎます!」
兵たちが一斉に武器を握り直す。
王城の方角に、さらなる闇と戦いが待ち受けていることを、誰もが悟っていた。




