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王城の空白

 王城の内部には、外の喧噪とは異なる、不気味な静けさが漂っていた。

 街並みは炎と瓦礫に沈み、民は嘆きの声を上げている。だが分厚い壁に囲まれた城の中では、それらが遠い幻のように扱われ、代わりに不安と怯えだけが人々の心を支配していた。


 「王族の避難を最優先せよ!」

 玉座の間に響く国王の声は震えていた。

 兵らに命じる言葉の端々からは、民を顧みる余地はなく、自らの退路を固めようとする意志しか感じられない。

 家臣たちはその命に従い、右往左往しては互いに怒鳴り、混乱をさらに広げるばかりであった。


 そのとき――。

 廊下の奥から、甲高い悲鳴が走った。

 「ま、魔獣だっ!」


 駆けつけた第一騎士団の兵たちの前に現れたのは、鼠ほどの小さな魔獣にすぎなかった。だが兵らの動きは鈍く、緊張で剣を握る手が震えていた。

 「囲め! 逃がすな!」

 「ひるむな、斬れ!」


 五人がかりでの必死の攻防。金属の軋む音が響き、狭い廊下を剣閃が往復する。小さな魔獣は素早く床を駆け回り、鋭い爪で兵の足を裂いた。

 「ぐっ……!」

 「おのれ、この――!」


 ようやく仕留めたのは数分後のことだった。

 石畳に転がる小さな死骸を見下ろしながら、兵たちは肩で息をしていた。


 「はぁ、はぁ……こ、これで……」

「大丈夫だろう……」


 その場にいた誰もが、自分たちの勝利を大きなもののように思い込み、束の間の安堵に縋りついた。だが――。


 裏庭の塀の一角が、ひび割れ、今にも崩れ落ちようとしていることに気づく者は一人もいなかった。

 小さな魔獣の侵入は、より大きな災厄の前触れにすぎなかったのだ。


 ◇


 同じころ、聖女の居室には異様な音が満ちていた。

 「なんで……なんで、なんで、なんで!」

 少女の絶叫が繰り返され、壁を震わせる。


 豪奢な寝室は、すでに見る影もなかった。

 投げつけられた枕は床に散乱し、引き裂かれたシーツは無惨に垂れ下がる。机の上の聖典は乱暴に放り出され、ページは破れ、床に散らばっていた。

 その中心で、聖女は爪を噛みながら膝を抱え、泣き叫んでいた。


 祈りは届かない。

 昨日も、その前も。何度も天に縋ったが、光は降りてこなかった。

 王都が炎に沈む今日もまた、同じ。


 「どうして……どうして応えてくれないの……」

 「私は……選ばれし聖女なのに……!」


 叫びは誰にも届かず、ただ室内で虚しく反響する。


 扉の外では、王太子が立ち尽くしていた。

 「頼む……祈ってくれ。聖女よ、祈りを……!」

 声は震え、切実でありながら、その言葉に民を想う響きはなかった。

 ただ、自らの立場を守りたい一心から絞り出される懇願にすぎなかった。


 「祈れば……すべてが……!」

 彼はそう繰り返すが、室内から返るのは荒い呼吸と嗚咽だけ。


 散乱した寝具の上で、聖女はうずくまった。

 「なんで……なんで……」

 その呟きは、もはや祈りではなかった。


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