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新たな風

関所に詰めていた兵からの報告を受け、アリアは訓練場から急ぎ駆けつけた。

「見慣れぬ荷を積んだ商人が到着しました。その随行に、どうやらただの護衛とは思えぬ者たちもおります」


関所の広場には、荷馬車とともに人々が集まっていた。

先頭に立つのは、まだ年若い商人。朗らかな表情ながらも緊張を隠しきれぬ面持ちで周囲を見回している。

その背後には、数名の人物が並んでいた。旅装の商人とは異なり、落ち着いた色合いながら上質な布地の衣をまとい、いかにも格式を感じさせる。彼らは言葉少なに視線を交わし、若き商人の一挙手一投足を見守っていた。


(……ただの行商ではなさそうですね)

アリアは彼らを一瞥し、すぐに若き商人へと目を戻す。


「遠路はるばる、ノーザン領へようこそ。わたくしはこの地を預かるアリア・フォン・レイナルトと申します」


商人は深く頭を下げ、緊張を含んだ声で応じた。

「お初にお目にかかります、アリア様。わたしはベリシア公国より参りました商人、カリムと申します」


その名を聞き、周囲がざわめく。

ベリシア公国――アルメリア王国と交易を結ぶことなど、これまで不可能とされてきた小国である。

彼の言葉に続き、背後に控えていた年配の人物が一歩前へ進み出た。


「アリア様、どうかお察しください。我らはベリシア公国の使節として、このたびカリム殿に同行いたしました」


声は穏やかであったが、その響きには長きにわたる閉ざされた歴史と、今こそ打開を求める切実さが宿っていた。


アリアは小さく頷く。

(やはり、そうでしたか。……これは一商人の訪問に留まらない、大きな節目になるかもしれません)


「詳しいお話は、場を改めて伺いましょう。交渉の席を設けますので、準備が整う明日午後、屋敷にお越しくださいませ。それまでの間は、どうぞこのノーザン領でおくつろぎください」


カリムと使節団の面々は、胸に手を当て深々と頭を下げた。

その瞬間、ノーザン領の空気に、新たな風が吹き込んだように思えた。



翌日――。

アリアは屋敷の大広間にて、控える家臣たちと共に交渉の場を整えていた。

円卓の上には茶器と簡素な菓子が並べられている。派手さはないが、ノーザン領で用意できる精一杯のもてなしだ。


「アリア様、準備整いました」

エリーが静かに告げると、アリアは頷き、深呼吸を一つ。

(これは一度きりの好機……この取引をものにできれば、領の未来はさらに拓けるはず)


やがて、案内されてきたのはカリムと、昨日見た使節団の一行であった。年配の代表格が一歩前へ進み、深く礼をする。


「改めてご挨拶を。わたくしはベリシア公国より参りました使節、ラウルと申します。このたびの会談の席を設けていただき、心より感謝いたします」


「ようこそお越しくださいました、ラウル殿。こちらこそ、ご縁に恵まれましたことを喜ばしく思います」

アリアは柔らかな笑みを浮かべ、席へと促した。



ラウルは口を開き、静かに国の事情を語り始めた。

「我らがベリシアは、国土こそ小さいものの、海に面した地にございます。近隣の海は魚も豊かに獲れるのですが……」

彼は言葉を切り、重苦しい表情を浮かべる。

「そこには多くの魔獣が棲みついております。船を出せば命がけ。ゆえに海産物は豊富にありながら、他国へ輸送することは難しく……」


アリアは思わず息を呑む。海にまで魔獣が蔓延るなど、想像もしていなかった。

ラウルは続ける。

「陸路を通じた交易も、長きにわたりヴァルトリア王国に阻まれておりました。高額な通行税ゆえ、我らの品は他国へ届かぬまま……。しかし、そのヴァルトリアが崩れた今こそ、新たな道を切り開きたく存じます」


「……なるほど」

アリアは小さく頷いた。

(小国ゆえに埋もれてきたのですね。だが、海の恵みを持つ国……その潜在力は大きいはず)



「アリア様におかれましては、我らの品をこのノーザン領を通じてアルメリア全土へと届ける道をお開きいただきたいのです。そのために、我らは――」


ラウルが示したのは、魚の干物、海藻、そして塩漬けにされた保存食の数々だった。

その香りに兵たちがざわめく。これまで山の獲物や保存用の穀物ばかりに頼ってきた彼らにとって、海の味覚は珍しいものだった。


「ただし……通行の保障や市の安全を守ることは、領にとっても大きな負担となるでしょう。ゆえに我らは通行料の一部を銀貨で納め、さらに一定量の海産物を領に贈与することをお約束いたします」


提示された条件に、場が静まる。

アリアは指先で顎を押さえながら考え込んだ。

(負担はある……だが、これは領にとっても大きな利益になる。なにより、民が豊かな食を得られるのは何にも代えがたい)


「承知いたしました」

やがてアリアは口を開いた。

「交易の道は歓迎いたします。ただし、安全を守るのは双方の責務。魔獣討伐に慣れた貴国の戦士を、こちらの部隊に加えていただけますか?」


ラウルは目を見開き、やがて笑みを浮かべた。

「……なるほど。互いの利益のために手を取り合うのですね。よろしいでしょう。帰国の上、正式に戦士たちを派遣いたします」


交渉の場に、和やかな空気が流れた。



その日の夕刻、領内の広場ではさっそく小さな市が開かれた。

使節団が持ち込んだ干物や塩漬けの魚が並ぶと、領民たちは目を輝かせた。


「見たことのない食べ物だ……!」

「海の香りがする!」


子どもたちが目を丸くして魚を眺め、母親たちは保存性の高さに歓声を上げる。

やがて炙られた干物が振る舞われると、香ばしい匂いがあたりに広がった。

「……うまい!」

「これが海の味か!」


その喜びの声に、アリアは胸が温かくなるのを感じた。

(領民が笑顔になる……それが、わたしにとって何よりの報酬)


ノーザン領に吹き込んだ新たな風は、確かに人々の暮らしを変え始めていた。

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