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レイフォード・エルスワースが◯◯した日

お待たせしました、

レイフォード君視点の番外編です。


レイフォード君はだらだら思考するタイプ。

「僕、結構前からあなたを知ってたんですよ」


硬く焼いた素朴なクッキーをパリッとやる恋人は、


「えぇー?そうなの?」


とちょっと間抜けな顔をした。




本日はふたり揃ってお休み。

朝早くからケイナのアパルトメントに潜り込み、一日特に予定もなくゆったりと過ごす予定である。


レイフォードが道すがら買ってきた焼き立てパンと腸詰めとサラダの朝食を摂り、レイフォードは読書、ケイナは何やら書き物をして各々自由に過ごしていた。



ちょっと休憩ーっと、

クッキーとミルクティーをぼそぼそ食んでいる恋人の顔を見ていたら、ちょっと思い出話がしたくなった。



「結構前っていつから?」


「あなたがこの世界に来て、王城に保護されたすぐ後くらい」


「えっすっごい最初じゃん」


「ええ。

 王城で、異世界人であるかを確認するための聴取があったでしょう?」


「あった、何日もかけたやつ」


「あの時僕、聴取団の中にいました」


「ええー!そうなの!」


「もしかしたら当家が身元引受人になる可能性もありましたからね。父の名代で参加していたんです」


「ごめん全然覚えてないや…」


「それはそうでしょう、あの状況では」



レイフォードが初めて見たケイナは、

今よりずっと蒼い顔をして、

身を固く縮めていた。


異世界から来たらしい、突然現れた若い女性。


憲兵に連れられ、身元不明の女性として数日拘束されていたという。


異世界人か、記憶喪失か、はたまた狂人か。


それを見極める聴取は憲兵から始まり、王城事務官、学者、裁判官と続き、いよいよ異世界人の可能性が高いとなって、貴族も立ち合う大仰なものとなる。



何度も何度も同じような質問を繰り返され、徐々に聴取団の人数が増え、矛盾した答えは徹底的に掘り下げられ、レイフォードの目の前に現れたケイナは憔悴しきっていた。



こちらの衣服を着づらそうに引き摺り、頬はやつれ(聞けばほとんど食事を摂っていなかったそう)、目は不安そうに左右に泳ぎ、唇は乾いていた。




この世界において異世界人は非常に珍しいが、

例がないという訳では無い。

頻度にして数十年に一度程度。


どこからともなく現れ、

中には特別な知識や技術を持つもの、

見目麗しいものがいるという。


そういうものは貴族が我こそはと名乗りを上げ、

身元引受人として養子に迎え、

その家のサポートを受けながら貴族として己の才を生かすことが多かった。


残念ながらそういった身元引受人の手が上がらなかった場合、つまり売れ残ってしまった場合は、

王家が保証をして平民の身分となり、

住居や職などの当面の生活の面倒を見てもらう決まりであった。



そう。

ケイナは見事売れ残ってしまったのである。



「ドラフトか…オーディションか…」

「なんて意味です?」

「いや、気にしなくていいわよ」



そしてその、

ケイナの売れ残りが決定してしまった場の席に、

レイフォードはいた。



最後までどの家にも迎えられることなく退室していったケイナは、背中を丸めた痩せた猫のようだった。



「あの日、手を挙げようか結構迷ったんですよねえ」

「それはなぜ?」

「あまりにあなたが可哀想で」

「むむむ」

「あと興味ですね、単に」

「興味」

「異世界人なんて滅多にお目にかかれませんから。

 …でも、結果的に手を挙げなくて良かったですよ」

「なんで?」

「だって、うちに来るとなったら僕のきょうだいになる訳ですよ。きょうだいは結婚できませんし」

「な…なるほど…」



にっこりレイフォードと、

たじたじのケイナ。



「そっかー、私貴族になった可能性もあったわけか」

「まぁ、そうですね。

 でも一応言っておくと、

 王城事務官たちはあなたが貴族に拾われないことを祈っていたようですよ。

 『あの字の綺麗な子をウチに!』って。

 平民であっても生活は保証しますし、

 貴族よりずっと気楽かもしれませんしね」


「へえ、そうやって言ってくれたのは嬉しいかも。

 というか、そうね、私も平民で良かったよ。

 前の世界では私は平民だし、

 自由にさせてくれて感謝してる」



レイフォードはちょっと苦笑いをした。


いずれ貴族になってもらう予定なんだけどなー、

と心の中で呟いた。



「ってことはさ」



ケイナが唐突に、

低い声で眉根を寄せてレイフォードのほうを見た。

なんだ、怒られるか?

僕なんかしたか?

まって愛しい人、嫌わないでどうしよう。



「レイフォード君にとって、

 その時点の私って珍獣の一種みたいなもんでしょう?

 よく追っかける気になったね」



追っかける、とは、

彼女を手に入れるに至った一連の出来事を指すんだろうが。

実はそれに関して僕は現在猛省中なのである。

詳細は割愛。

しゅん。



「それについては下地がありまして」

「下地」


「確かに、

 聴取の席にいたときは完全に物見遊山でしたし、

 捨てられた猫を拾う感覚で手を挙げようか迷ったくらいのものでした。

 でも」


「でも」


「その後時々、

 あなたの名を王城で見るようになったんですよ」


「それはお仕事で?」


「そう。あなた優秀だから」


「あら」


「ああ、この文書いいなー、

 と思うとあなたの名前がある。

 美しくて丁寧で、読み手への配慮に溢れていて」


レイフォードはケイナの右手の人差し指を軽く握る。


「あんなに怯えて震えていたあのひとが、  

 いったいどんな様子で仕事しているのか、

 気になってきちゃいまして」



ーーーー


レイフォードはその日のことを割と覚えている。


「ケイナ嬢ですか?

 …ああ、あそこですよ。

 今は何かの清書中のようですね。

 彼女は集中すると長いですから、

 可能でしたら日を改めて頂けますと」


「ああ、いえ、忙しい時にすみません。

 彼女に是非頼みたい仕事があったもので…」



普段、他部署との接点はあまりないのだが、

非常に珍しいことにその日レイフォードはいくつかの部署に寄る必要があった。


そのうちの一つの窓口で、そんな話が聞こえてきたのである。



ケイナ。

あぁ、あの可哀想な痩せ猫…


なんて失礼なことを考えながら、

ちらり、と盗み見ると、


そこには確かに見覚えのある異世界人が座っていた。


あの時より随分顔色も良くなったようだ。

頬も少し丸みが出ただろうか?



先程の、上官らしき事務官がケイナの書の切れ目を見計らい、声を掛ける。依頼しに来た事務官も丁寧に挨拶し、何かの文書と参考文献なのか書物をケイナに渡す。


「承りました」


と遠くから聞こえる声も、

もうあの時のような震えたか細い声では無かった。




うまくやってるじゃないか。



レイフォードは何となく安堵した。

これで周りから敬遠されていたりこき使われたりしていたら、こっちは夢見が悪い。



しかし、見知らぬ土地で、

良い仕事をして評判を勝ち得るとは。


なかなか大したものじゃないか。


やはり異世界人、

ちょっと縁を持っておくのも悪くなかったかもしれない。



ーーーー


「へえ、そんな風に思ってたの」


「…はい。

 どうぞ、言っていいですよ」


「お貴族様だなあと」


「やっぱり…」



ーーーー


「この議事録は誰が?

 何とも見事じゃないか」


「ケイナ嬢ですよ、あの異世界人の」


「おお!あの評判の!

 確かにこりゃ素晴らしい」


「まったくです、可能ならうちに囲い込みたい」


「それはライバルが多そうですなあ」



またケイナの評判が聞こえてくる。

かくいうレイフォードも、すっかり彼女の仕事のファンになってしまっていた。


決して派手ではないが、実直で細やかで、それでいて筆者自身の自己顕示とかそういう湿っぽいもののない、カラッとして気持ちのいい文書。



レイフォードの元にも廻ってきたそのケイナの書を眺め、


「相変わらず惚れ惚れするいい仕事だ」


と鼻息をふんす、とやった。




この世界には既に印刷技術があるが、

専用の工場へ出向く必要があり、しかもかなり時間がかかる。早くても数日単位の時間を見ておかないといけない。


そういうこともあり、迅速な回覧が必要な議事録や通達、柔軟な変更が必要な契約書類などの作成には、祐筆の存在が不可欠だ。



レイフォードはこれまで、

多少字が綺麗なら、祐筆なぞ誰がやってもそう差はない、

と考えていた。



まったく間違いだった、と己の認識を改めるほどに、彼女の仕事を評価していたのだ。





ーーその日は特別寒い日だった。



レイフォードは結構なグルメである。

侯爵家で食べる食事も好きだが、

街に出て食事を取ったり、気に入りのものをテイクアウトして好きに食べるのも好きだ。

そういう時には侍従と馬車は少し離れた場所で待機していてもらう。



寒い日には、

街のパン屋が固く焼いたパンの中身をくり抜き、その中に白いシチュウを入れてチーズを削り掛け、窯でちょっと炙ってくれるのだ。

しかもそれを店内でアツアツのまま食べられるという最高のサービスデーなのであった。



レイフォードはそれを楽しみに業務を終え、

算段通りシチュウパンにありつき、腹もホカホカのまま気分良く馬車へ戻るところだった。



大通りに面した大衆酒場のカウンターに、

ひとりの女性が座っているのがふと目に留まる。



「あれは…異世界人の」


ケイナである。


清書中のしゃんと伸びた背筋は今は気怠く丸くなり、

カウンターに頬杖ついて無防備に顎を上げ、

だらしなくグラスの酒を口に含んでいた。



晒された首筋が妙に…



だらしないな。



あれはどうかもと思うが何となく無視する気にもならない…



ちょっと離れたところで見ている侍従に、

ジェスチャーで

『僕、ここ、入る』

と合図し、ケイナの席にそっと近付いた。


気付いた店主は、ひとり呑んでいる女性に近付くレイフォードに警戒の素振りを見せたが、

「職場の同僚で」

と言いながらちらりと懐中時計(実家の紋入り)を見せると、渋々ながら同席を許してくれたのだった。



ーーーー


「あの店いい店ね…」

「ええ、お客さんを守ろうとするいい店でした」

「それで?」




で、僕はちょっとドキドキしながら、

あなたの隣に座った訳です。


あの時

『ちょっと顔見知りくらいになっておいて、

 いずれ優先的に依頼を受けてもらおう』

なんて考えていましたが、

内心は謂わばファンの作家に会いに行くような心境でした。



どんなサッパリとした、気持ちのいい人なんだろうか、って期待してドキドキして。



そしたらどうです?


あなた僕の顔をじーーーっと見て第一声、


「お兄さん甘くて美味しそうねえ」


って言ったんですよ。

え?

覚えてない?

そんな馬鹿な。


あんなにコケティッシュだったのに?

僕の中のあなたのイメージ、一瞬でひっくり返ったのに?


僕の髪を一房摘んで、


「ほら、ミルクティーみたい」


って可愛らしく笑ったのも?


じゃなんで僕がミルクティーを好んで飲んでるかも全然分かってないんですか?

本当に?


…なんて人だ!

ひどい!抗議する!


――――


ごめんごめんと謝る恋人をジト目で見ながら、

お詫びに昼食はちょっと手の込んだものを作ってくれと要求した。


わかったよー仕込みするよー、

とキッチンに向かっていく背中を見ながら、

レイフォードは頬杖をつき直す。



『僕の中のあなたのイメージ、一瞬でひっくり返ったのに?』


まぁ、なんとなく生真面目そうだなあ、と思っていた人がなかなか魅惑的だったというギャップもそうであるが。


あの日レイフォードがケイナの隣で受けた衝撃は、

もっと別のところだった。



「ずいぶん遠いところから来たんだよねぇ」

と笑っていた。


知っていた、

遠いなどとは言えないくらい遠いところから来たことは。


「みんな優しくてさ、何の不満もないんだけど、

 時々分かんなくなるんだよね」



ねえ、お兄さん、私のこと見えてる?

ていうかお兄さん実体ある?

あ、あるね、触れる。

ねぇ私が触ってるの分かる?



レイフォードは最初、

何を言っているのか分からなかった。


いやどう見ても彼女は存在しているし、

こんなに積極的に僕に身を寄せてくる。


なんだ新手のアプローチかとちょっと身構えると、


「そっかそっか、私いるのか」


私いるのか。


なんだそれは?と聞くと、


「いや、目が覚めたら全然知らない場所にいるし、

 今まで私が持ってたものぜーんぶ消えてるし、

 大切だった人たちも誰もいないし、

 もはや自分が分かんなくってさ」


知ってた?

自分の形って、周りの人や持ってる役割で作られてるとこも多いんだよ。

誰々の娘、どこそこで暮らしてこんな仕事してる。

これが好きでよく買い求めてる。

あぁ、この人はそういう形、ってね。

パズルみたいに。


それがなーんにもなくなったら、自分の形が全然定まんないの。

私。

それだけ。


…それがこんなに怖いとは、思わなかった。




レイフォードは衝撃を受けた。

恐らくケイナは酔っていて、

独り言のように心情を吐露しただけなのだろうが。




ああ、この人はちゃんと人間なのだ。


自分がこれまで、ケイナをただの「異世界人」としか見ていなかったことを恥じた。


エルスワース侯爵令息。

王城事務官。

両親の息子で、侍従の主人で、誰それの友人。

食べ歩きが好きで、あそこのパン屋がお気に入り。



当たり前にレイフォードの手の中にはあるそれらを、

この人は一度に失ったのだ。



あの聴取の日、青褪めて震えていた彼女は、

未だに変わることなくここで震えていたのだ。



―そしてケイナはレイフォードを見て、

ニッと歯を見せて笑った。



「まぁ、失くなっちゃったものは仕方ないしね。

 少しずつ、ここでの『私の形』を、

 作っていこうと思ってるよ」



―――その笑みが、

あまりに哀しくて、でも綺麗で。

諦めと強さが一緒にいるその表情に、



レイフォードは恋をした。



このひとの、この世界での形をつくる要素に、

自分がなりたい。

このひとの世界に入れてほしい。



『レイフォード・エルスワースの何か』に、なってくれないだろうか。

恋人なんか、妻なんかいいんじゃないだろうか。



―――己の恋を自覚したレイフォードは決意した。



万全万端の準備を整え、


この人を手に入れると。




―――決意したその日に、

計画が狂うと思わなかったが。



僕はあの日、

あんな風に彼女と寝るつもりじゃなかったんだ!



もっと大事にして、無事婚姻していざ、

が理想的な流れだったのに!



どれもこれも、魅力的な彼女が悪い!!






―――これが、僕が彼女にとっ捕まった日の話。





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