結局、予定通りの出張
昨夜、ティアンナ嬢はケイナの部屋でワインを一本飲みきってから帰っていった。
見かけによらずなかなかの酒豪である。
今朝の予定はゆっくりだ。
ご丁寧に朝食も自室に届けてもらえたため、ケイナは知らない大貴族の屋敷にも関わらず自室のようにくつろいでいた。
会心の出来の契約書類は二部、既に朝早くにレイフォード君の侍従に渡してある。
控のためにあと二部鞄の中にあるが、まぁ滅多なことはないだろう。
コンコン、とノックの音が響く。
どうぞ、と声を掛けると、
ドアから屋敷の侍女が顔を出した。
「失礼致します、契約は無事締結されました。
本日の出立ですが、
中継の街まで当家の馬車でも護送させて頂きます」
「それはありがとうございます」
「つきましては、
ケイナ様には当家の馬車にご乗車頂きたく」
「はあ」
それはいいが、何でだ?
その疑問は簡単に晴れた。
門まで屋敷の主人の見送りを受け、
こちらです、とケイナが馬車に案内されると、やや急いだ様子で扉が閉められる。
車窓からは王城の公用馬車に乗り込んだレイフォード君…に続いて、両親に押し込まれるように同乗するティアンナ嬢が見えた。
夫人はこちらをちらりと見て、ふん、と鼻で笑ったように見えた。
あ…あの夫婦、ぜんぜん諦めてなかった……!!
むしろティアンナ嬢かわいそう!
あんなに深酒した翌朝に狭い馬車に詰め込まれるなんて!!
色々気になるだろうに!!
馬車は無情にも動き出し、
可哀想なティアンナ嬢は酒の名残を残したまま憧れの君とロングドライブとなってしまった。
同情する。
ケイナはこの旅始まって以来の、ひとりの移動時間を味わっていた。
「あー、これから、どうしようかなー…」
独りごちても返答はない。
これから、とは、今日の予定でなくずっと先の未来のことである。
久しぶりにあからさまな悪意に触れたからか、
なんとなく生存本能が刺激されたというか、
生きていかないといけないんだなあ、
と思い知らされたというか。
異世界に飛ばされ、帰れる見込みは全くない。
とすると、この地に骨を埋める覚悟をしなければならないだろう。
誰かと、家庭を築いたりするのだろうか。
こんな異分子と共に歩んでくれる人なんかいるんだろうか。
レイフォード君の熱かった身体を思い出す。
あんな風に、抱き締めてくれる人がまた現れるのだろうか。
彼は相応しい奥方を迎え、家を継ぎ、見かけることすら無くなっていくのだろうに。
自分だけ、どの世界からも弾かれているような気がした。
いっそ全て、夢なんじゃないのか。
自分だけが存在しているつもりで、本当は全部全部、幻なんじゃないのか。
「…いけない」
これはアレだ。発作だ。
最近なかったというのに、どれもこれもレイフォード君が半年も前の話を蒸し返すからだ。
気が付くと、馬車の屋根を雨が打つ音がしていた。
あっという間に大降りになり、前を走っていた公用馬車とエルスワース侯爵家の馬車は視界から消えている。
コツコツ、と窓を叩く音がする。
馬車を繰ってくれていた屋敷の御者が声をかけてくれる。
「いけねえや、道が泥濘み始めてる。
こっちの道を逸れたところに小さい街がある。
この馬車が行けるのはそこまでだ。
お嬢さん、悪いが今日はそこで宿を取ったほうがいい。
雨が上がれば辻馬車も出る。
うちの御屋形様のツケでいいから、自力で移動してくれねえか」
そう言われてはこちとらしがない事務職員だ、否やはない。
ツケに使うように、と屋敷の主の証文をもらう。
「あの、前の馬車は大丈夫でしょうか」
「ああ、あの2台は大丈夫だ。
この馬車より車輪が立派だし、特に前の馬車はどうしても中継の街まで着かないといけない理由があるからな」
「理由」
「ああ、あそこの街で御屋形様お抱えの新聞記者が待ち構えてるのさ。
あの綺麗なご令息とうちのお嬢様が一緒な馬車から出てきたって記事を、うちの御屋形様はどうしても書かせたいのさ」
「えええ、ゴシップ記事じゃないですか…」
「そういうこと、あのご令息も可哀想なもんだな、
うちの御屋形様に目をつけられて、
外堀埋められてさ」
お貴族様も大変だな、と笑いながら、
御者は席へ戻っていった。
……レイフォード君は、良いのだろうか。
いや良かないだろう。
彼には想い人がいて、残念ながらティアンナ嬢ではなさそうだった。
こんな形で嵌められるようにして、
優しい優しい彼の恋は踏みつけられてしまうのだろうか。
悔しさも怒りも感じるが、
ケイナには何の力もなく、なすすべなく小さな街に放り出されてしまう。
雨に打たれながら、
去っていく馬車の後ろ姿を見遣り、
ああどうしようか、
と思った。
雨は冷たく、身体は冷えていく。
寒い。
宿が取れたら、久しぶりにひとりで飲みにいこうか。
運が良ければまた誰か、
素敵な誰かをお持ち帰りできるかもしれない。
しばらくはその人の温もりの思い出で、
この虚無感を埋めることができるかもしれない。
その前に着替えもずぶ濡れかもなー、
と自嘲しつつ小さな街の目抜き通りを歩く。
道は泥濘み、足元に濡れたスカートが纏わりつく。
…………と、
雨に紛れて蹄の音がする。
足元に落とした視界の端に、逞しい馬の脚が見える。
「…こんなに濡れて」
近付いてきた革靴の持ち主を、
ケイナが間違うはずがなかった。
「…エルスワース侯爵令息」
「…どうか、」
どうか、レイと。
頭ごとその胸元に抱え込まれ、
降ってきた声は掠れていた。
「どうして」
「だって、寒くなるとあなたは探しに行ってしまう」
僕以外の男を。
「だめなの?」
「駄目に決まっているでしょう。
僕はこの旅であなたを手に入れると決めていた」
ええ?そうなの?
ええ、そうです。
雨にかき消されそうな小さなやり取りは、ケイナの心
に小さな火を灯し温めた。
「これから僕は、この街で宿を取ります」
「はい」
「ただし一部屋のみです」
「…はい」
「今度は僕が、あなたを部屋に引き込みたい」
「仕返しですか?」
「ええ、あの夜はあんな風に寝るつもりじゃなかった。
握られた主導権を、返してもらいます」
そういった彼のいい笑顔を、
ケイナは生涯忘れないだろう、と思った。
それから。
濡れネズミになったふたりと馬(侯爵家の馬車の交代要員に鞍を付けさせたそう)を小さな街の宿屋の主人は大層案じてくれ、丁重にもてなしてくれた。
台帳には家名は書かなかった。
ただのレイとケイナとして、ふたりはやり直した。
「あなたを愛している」
の言葉は思ったよりケイナの胸にストンと落ち、
返答の代わりに彼の背にすがりつき、
彼の名を何度も呼んだ。
その日はひとときも離れず温め合い、
翌朝、レイと馬に乗り中継の街の馬車に合流した。
可哀想なティアンナ嬢は昨日、街に入る前にレイにほっぽり出され、侯爵家の馬車に乗り換え屋敷までトンボ帰りさせられたらしい。
おかげで新聞記者は書くネタもなく待ちぼうけ、
代わりのネタにと翌朝街にやってきたレイとケイナに突撃してきたが、
「恋人ですが何か問題でも?」
とイイ笑顔のレイに引き下がった。
そんなの書けるわけがない。
ーーーー
こうしてレイフォード君からすると「想定外ばっかり」だった一連の出張は幕を閉じた訳だが、
公用馬車から軽やかにケイナをエスコートするレイフォード君を見て、同僚たちが乾いた拍手をしてきたのには驚いた。
やれ
「やっと捕まえたか」
だの
「牽制こわかった」
だの
「もう無茶振りしないでよ」
だの……
レイフォード君なにしたの?
と視線で問うと、
「なにも?」
とまたイイ笑顔で返された。
ちょっと怒った筆頭事務官によると、
あのワンナイトのあと、
ケイナを捕まえるためにわざわざ自分も配置換えを望みまんまと同じ部署に潜り込み、
周りの男共をガッツリ牽制しながら自分の職務にケイナが関わるよう仕向け、
今回の出張も本来もっと人数を割いて赴くところを強引にふたりきりにさせ、
出張が決まってからは「今夜キメる」系のハウツー本を読み漁って完璧に準備をし、
「こうこうこう、こうしてこの流れで告白」みたいなやつをシミュレーションしまくっていたらしい。
いや仕事。
最も衝撃的だったのは、
あの大貴族の屋敷での晩餐会にケイナをエスコートして出席するつもりだったらしく、ケイナ用のドレスを仕立てて持ってきていたらしい。
ああ、あのショール!!
私のだったのか!!!
「え、サイズは?」
「抱きしめたときの感覚で…これくらい、って針子に指示して…」
これにはさすがのケイナも引いた。
さらに
「え、それ何のためのドレスだって言ってオーダーしたの?」
「妻に迎える女性のドレスだと」
「街のテーラーで?」
「いえ、侯爵家お抱えのお針子にオーダーを」
「ご…ご両親は……どこまでご存知なの……」
「すべて」
「すべてってどこまで!!」
「あなたが異界人で、平民で、書が美しいところも」
あぁ、と思い出したように、
「あの夜のことはヒミツです」
といたずらに美貌のウインクを飛ばしてくるが……
ケイナは叫んだ。
いや激重!!!!!!
と。
【完】
おわりました。
可哀想なティアンナ嬢。
そのうちティアンナ嬢とレイフォード君視点の番外編を書きたいなっと。