上手いこといって結局追い出したいだけ
「喜べミッシェル! お前は王太子殿下に見初められたようだぞ!」
わたし達母娘が公爵家の屋敷に連れてこられてから一年が経とうとするある日、貴族様がとんでもないことを口走ってきた。ミッシェルすら目を見開いてしばらく反応出来なかったあたり、彼女にとってもこの事態は想定外だったようだ。
「はい?」
「何を呆けている。お前は王太子殿下の婚約者に選ばれたのだ! 実にめでたい!」
「お父様。お忘れかもしれませんが私は――」
「近日中に国王陛下より正式な書面を賜る予定だ。国王陛下のお言葉は全てに優先される。この国の貴族の一員として、拒否など許されんぞ」
重ねて言うが公爵家の跡取りはミッシェルだ。貴族様は女公爵の夫だっただけで正式には公爵ではない。ミッシェルが成人するまでの間の代理に過ぎない。貴族様や母が何をどう画策したり情報操作したところでこの事実は揺るぎやしない。
しかし例外が存在する。それがこの王国を統治する国王より王命が下った場合だ。公爵家という立場ならばよほどの事情でもなければ正当性の無い命令は断れるかもしれない。が、この場合はそれに当てはまりづらい。
「どうして私が選ばれたのですか?」
「この前大規模な夜会が開かれただろう。多くの貴族が子供を連れてきたアレだ」
「ジュリーから教わりましたが、王国市民はああいうのを婚活パーティと呼ぶそうですよ。貴族の子息息女の交流が目的で開かれたそうですが、実質的には王太子殿下の婚約者選びの席だったようですし」
「どうでもいい! とにかく、そこでミッシェルは王太子殿下に気に入られたのだ。数多の娘がいる中での名誉だぞ。もっと誇らんか!」
一応わたしも参加していたのでこの間の夜会とやらを思い出す。
付け焼き刃だったわたしが会場の片隅で息を潜めて大人しくする中、ミッシェルは多くの人と言葉を交わした。後でミッシェル本人に聞いたら、概ね愛人とその娘を受け入れざるを得なくなった境遇に同情されたそうな。楽しくやっている、と答えたそうだが。
で、ミッシェルは同性だけじゃなく異性の殿方とも多く接した。その中には別の公爵家の嫡男だったり辺境伯の後継ぎだったりいたのだけれど、一番目立っていたのは何と言ってもやっぱり王太子だった。
教会にあった絵本に描かれた王子様が飛び出したようだった。格好良くて礼儀正しくて紳士的で、わたしには星を散りばめたように輝いて見えた。まあ、同時に住む世界が違うな、と冷めた感想もあってちっとも憧れなかったが。
王太子とミッシェルが踊った際は「素敵な男女でとてもお似合いだ」との声が所々から聞こえてきた。ミッシェルはいずれ公爵になるのだから王太子妃に選ばれることはありえない、と都度補足はされたが、称賛は止まなかった。
踊った後、ミッシェルが離れていくのを王太子は名残惜しそうに眺める姿がなぜだか強烈に目に焼き付いている。
「我が家の事情は国王陛下方もご存知かと思いましたが、それを踏まえてはいただけなかったのですか?」
「お前に言われるまでもなく国王陛下は存じている。しかし王太子殿下から熱望されて最終的に折れざるを得なかったそうだぞ。王太子殿下は陛下が制止するまでお前の魅力を語り続けたと聞いている」
「次期国王として相応しい風格を備えた方だとお見受けしましたのに、愛などという私情に流されるとは……些か失望しました」
「お前がどう思おうが決定は覆らん。お前は王太子妃となるのだ、分かったな?」
既に王国内で盤石な地位を築いている公爵家が今更王家と血縁関係になったからってさして旨味が無い。むしろこれ以上力を増せば要らない敵を作りかねない。公爵家、王家共に利益が無いのに王太子の願いを叶えるとは。
貴族様と母の様子を窺うに、二人はこの婚約に前向きのようだ。それはそうだろう、何せ女公爵の血を引く次期公爵である娘を追い出すまたとない機会だ。大方この婚約が成立したのは貴族様達の賛同もあってだろう。その証拠に貴族様も母も気持ち悪いぐらい終始嬉しそうににこにこ笑いっぱなしだ。
「では私が王太子妃になった場合、公爵になる者がいなくなってしまいますが、その辺りはどうのようにお考えですか?」
「私が引き継げば問題なかろう」
「大有りです。分家筋が納得するとはとても思えません。かと言って分家より養子を迎え入れる気は無いのでしょう?」
「当たり前だ! ごうつくばり共なんぞに公爵の地位を乗っ取られてたまるか!」
既に女公爵から半ば乗っ取ってるくせに何言ってるんだか。
まあ、ここで口にするほど空気読めなくはないので黙っておくけれど。
「お前が心配せずとも良い。公爵の座はポーラ達に明け渡せばいいだろう」
「分家からの反感を受けて立つ覚悟があるのでしたら構いませんが、それよりももっと良い手があります」
「何だ、言ってみろ」
「私が後継者として認めればよろしいかと。いずれ王太子妃になる身です。後ろ盾にはなれましょう」
「よし、その手で行こう。なら後継者は誰にする? ポーラか? フレディか?」
……猛烈に嫌な予感がしてきた。
逃げたい衝動に駆られるものの、もう今更どうしようもない。
せめてもの抵抗とばかりにミッシェルに恨みを込めて睨むものの、ミッシェルは微笑を湛えてこちらに視線を送るだけ。どうやらわたしにはちょっとした仕草で人を惑わす才能はこれっぽっちも無いらしい。
「ジュリーを指名します。勤勉なお姉様なら様々な逆境を乗り越えて国を任せるに相応しい公爵になることでしょう」
「う、むう……」
色々なしがらみが発生する公爵なんざこちらから願い下げなんだけど、ミッシェルが王太子妃を押し付けられた以上、妹や弟に任せるわけにはいかないし、受け入れざるを得ない。だからって納得するかって言われたら出来ないけれど。
一方の貴族様、どうやら受け入れ難い様子。というのもわたしは彼の言う生意気な女に該当するらしい。慈しむ女を男が守る、的に考えているようで、勉強三昧で自立しようとするわたしの姿は女公爵を彷彿とさせる、と使用人から噂で聞いた。
「フレディはまだ幼い。今からでも後継者教育を施せば……」
「この屋敷にやってきてからの彼の生活の様子から察するに、責任を伴う立場は難しいでしょう」
「ならポーラはどうだ? あの子を支えるしっかりとした婿を迎え入れれば……」
「そのご提案は実際にお目に叶う婚約者を用意した段階でしてください」
妹のポーラは公爵令嬢として贅沢三昧しているわりにはそれに見合う責任を果たそうとしない。いかに人の気を引くか、そしていかに自分の欲を満たすか、を磨いているためか、真面目に学ぼうとしない。公爵家の娘として必要な教養は無駄が多い、とは本人談な辺り、矯正も難しいだろう。
弟のフレディはこれまでの抑圧された貧乏生活の鬱憤を晴らすようにかなり生意気になった。まだ悪ふざけに収まっているし事あるごとにわたしが叱っているのでまだマシだけど、アイツが頂点に立ったらどんな我儘三昧になるか想像もしたくない。ミッシェルもこの短期間で屈折した弟に見切りを付けたようだ。
「お父様、返事はいかに?」
「……いいだろう。ミッシェルの提案を飲む。だが教育の方針は私が決めるからな」
「いえ、それにも及びません。まずは私が肩代わりしていた代行役執務の引き継ぎをし、同時にお姉様の教育を進めますので。心配なさらずとも先生方は皆さん王家より太鼓判を押された一流揃い。問題はないでしょう」
「勝手な真似を……!」
勝手な真似をしたのはどっちだって話だ。ミッシェルから公爵の座を無断で奪ったのは貴族様の方だろう。どうやら彼は自分の非は棚上げする、または都合の悪いことは頭から飛ぶ性質らしい。
顔を真っ赤にした貴族様は大股でミッシェルへと近寄り、大きく手を振りかぶった。暴力に訴えるつもりか、と慌ててミッシェルに駆け寄って立ちはだかろうとするも、その前に貴族様は歯を食いしばりながらも手を降ろす。
「いいだろう。ただしポーラやフレディが次期公爵にふさわしく成長したらそちらに座を明け渡す、と証文には追記しろ」
「勿論ですわ。私の提案はあくまで現時点のもの。正式に王太子妃になった際に相応しい能力を持った方に譲れれば構いません」
この後、むすっと不機嫌な顔をした貴族様とミッシェルとの間に証文が作成された。要約すればミッシェルが公爵家から籍が外れることがあった場合に備え、わたし、ポーラ、フレディのいずれかを次の公爵として指名する、まずはわたしに後継者教育を施す、的に書かれていた。
肝心の選定方法について書かれていなかったのでミッシェルに聞いたら、「公爵位にもなれば国王陛下から直々に許可と任命を受けなければいけないの。後継者として相応しくなければ下手すれば幽閉や国外追放もありえるわ」と答えてくれた。
「巻き込んでくれちゃって……恨むからな、ミッシェル」
「頑張って頂戴ね、ジュリー」
しかし、この簡単にまとめた一枚の紙切れが後ほど波乱を生むことになる……みたいな展開だけは勘弁してほしいものだ。