ずるいのはアンタでしょう
「ずるいずるい! お姉様ばかりずるいわ!」
ずる賢い。それがわたしから見た実の妹であるポーラの印象だ。
妹は美しい母の血を濃く受け継いでいてとても可愛らしい。けれどそれ以上に彼女は自分の可愛さを最大限理解し、そして有効活用する術に長けていた。どんな仕草をすれば人の心を惹きつけるか、どんな言葉で相手が喜ぶか、相手を観察して最適解を導き出す、そうして甘え上手な彼女は見た目以上に魅力的な存在になった。
貧民街で過ごしていた頃、妹は近所の悪ガキに取り入っていたから暴力は振るわれなかったしカツアゲにもあわなかった。ちょっとでも気に入らない奴がいたら「怖~い」的な感想をつぶやき、次の日にソイツはあざとタンコブだらけで路地裏に転がっていた、なんてこともあった。
わたしが母不在の間の家事に追われる一方、妹はやがて貧民街を仕切る反社会的集団の大人たちに気に入られ、綺麗な洋服だの甘いお菓子だのを施されるようになった。そのうち痛い目を見るから止めるよう何度も叱っても聞く耳を持たない。貢がれることは己の才能だと言わんばかりに自分の行いを誇らしげに語る始末。
しかし、そんな天使のような小悪魔に天罰が落ちるようなことはなかった。
むしろ神が微笑んでいるのか、と疑うぐらい彼女の都合よく物事は転がった。
貴族様に引き取られた後、妹は実の父に甘えることで真っ先に居場所を確保した。鼻の下を伸ばした貴族様はここぞとばかりに妹の欲を満たしていった。物を買い与え、好きな所に連れて行き、美味しい料理を食べさせた。幸せ、恵まれている、って表現はこの時の妹を指しているんだ、と実感したものだ。
ただ、あまりに目に余ったので、ある日わたしの我慢が爆発してしまった。
「ポーラ! そんなわがままばっか言って、少しはわきまえて!」
「どうして? 別にあたしはお父様に強要はしてないよ。おねだりしてるだけ。甘やかされるのは娘の特権でしょう?」
「同じことじゃないか! ポーラが一日に浪費する分で一体どれぐらいの日数昔の私達が生活出来たことか……!」
「お姉ちゃんったらまだそんなケチくさい事言ってる。あたし達はもう貧乏人じゃないのよ。使えるなら使わないともったいないじゃない」
貴族様も妹もちっとも気にする様子がなかったので、わたしは密かに妹に費やされた金を勘定していた。すると思わず目玉が飛び出るぐらいの凄まじい金額だったものだから、咎めたくもなる。
なぜ少し前まで貧民に過ぎなかったわたしが金回りに携われたか、それは貴族様が公爵としての執務をいい加減にこなしているからだ。執事が去った今、ミッシェルが書類一式の再確認と修正を行っている。公爵家の財政が健全なのは彼女のおかげだ。
母はいい。自己研磨に費やす際、亡き女公爵の私物を処分して公爵夫人として毎月充てがわれる分から捻出して足が出ないようにしているから。苦労を重ねてきただけあって現状に浮かれずに常識の範囲内に収まっていると言えよう。
わたしも許容範囲らしい。正直いきなり公爵令嬢にされたからと宝石とか服とかは興味無いものだから、ミッシェルの助言を踏まえて必要最低限だけ揃えるようにしている。強いて言うなら知識を得るための本、教材、家庭教師の授業料ぐらいか。
「そもそも、お姉ちゃんがそんな心配する必要なんて無いって。お父様がいいって言ってるんだし」
「その閣下の仕事は下から上がってくる書類に判子押すだけ、って聞いたけれど? 洋服だって宝飾品だって買ったっきりで使っていないよね」
「これから夜会で引っ張りだこなんだから数は揃えておいた方が選択肢が増えるわ。公爵家のご令嬢ここにあり、ってみんなに見せつけなきゃ」
問題はポーラだ。彼女の散財は目に余る。一回やってみたかったから店の端から端まで全部注文してきたと聞かされた時はめまいがしたものだ。ポーラが公爵家の娘として与えられているお小遣いなんてとっくに使い切っていて、赤字をわたしやミッシェルの節制分で補填している始末だ。
「逆にお姉ちゃんこそせっかく公爵令嬢になったのにつまらなくない? 勉強ばっかで肩凝るでしょう」
「自分に投資して何が悪い? 物欲なんてどうせ時間を置けば和らぐものだ」
「ふーん。お姉ちゃんが使わないからあたしが有効活用してあげてるんじゃん」
「分かってるなら無駄遣いするな! わたしだってたまには自分へのご褒美が欲しいんだから!」
「それにお姉様もお姉様よね。生粋の公爵令嬢っていうからにはもっと豪華な暮らししてるかと思ってたのに」
「ポーラだって家計簿を付け始めたら嫌でも分かるよ」
信じられないことにポーラからすればミッシェルの日常は慎ましいと感じるらしい。ミッシェルだって社交界で侮られない程度には己を着飾っているというのに。見栄だけでなくきちんと自分の損得を考えての取捨選択がポーラには窮屈に見えるのだろうか。
「もったいない。お姉様も色々と持て余すならあたしが使ってあげなきゃ」
「ん? 何か言った?」
「ううん、何でもないよ。それで、小言はそれぐらい?」
「……ある程度反省したら少しは自重してよ」
ポーラは自分の爪を入念に磨くのに集中して、結局わたしを見ようともしなかった。貴族様と母が許容している以上、ポーラの物欲が一過性のもので、そのうち飽きて落ち着いてくるだろうと祈る他わたしに出来ることはない。
「ところでポーラ」
「なあに、まだ何かあるの?」
「ここに来る前までにポーラが親しくしてた人達だけど、自分の評判を落としたくなかったら早めに縁を切った方がいいよ」
「あぁ、アイツ等? 字が読めるかは知らないけれどお別れの手紙は送ったわよ」
「そうじゃなくて、過去を蒸し返されて脅されでもしたら……」
「お姉ちゃんったら情報古いのね」
何を、と言い返そうとして言葉が止まった。ポーラはやすりを机に置いてこちらを見据えてくる。その微笑みはあどけなく、可愛らしく、そして恐ろしさを感じてしまう。彼女は机に散らばるつい先程まで身体の一部だった切った爪を手で掃いてゴミ箱へと落とした。
「あの地域、治安改善活動の一環で役人が大規模に取り締まったらしいよ」
「……は?」
「恐喝、強盗、違法薬物もあったし、真っ黒なアイツ等はどっか辺境の地に飛ばされてるんじゃない? もう心配要らないよ」
「……そう」
貧民街の治安を改善する正義感にあふれる人が現れた? それともどこぞの貴族が気まぐれでも起こしたか?
そんな馬鹿な。犯罪こそ横行して夜一人じゃ出歩けないぐらい危険だったけれど、一定の秩序はあった。少なくとも市民街に影響を及ぼす真似はしてこなかった筈。だからと長年に渡って捨て置かれた混沌渦巻く地区だったのに。
調べるまでもない。おそらく貴族様の仕業だ。尤もらしい綺麗事を並べて国を動かしたに違いない。そしてそうさせる要因は今更善行に目覚めたわけではなく、十中八九わたし達……いえ、ポーラにお願いされたからだろう。
公爵令嬢になった自分には邪魔になったから片付けた。
わたしにはそう言っているように思えてならなかった。
「ねえお姉様ぁ。ポーラにそれ頂戴? 新しいの買えばいいんだし、いいでしょう?」
そんなポーラはあろうことかミッシェルの私物に目を付けた。
欲しいものは何でも買えるようになったポーラはそれでは飽き足らなくなった。そこで妹はあろうことか人のものを奪うことで欲求を満たそうとしたわけだ。服、装飾品に始まって化粧品や筆記具の日用品にまで妹の魔の手は伸びた。
「そうだな。ミッシェルはお姉さんなんだから妹に譲るべきだろう」
「ミッシェルはポーラが可愛くないの? やっぱり私達を公爵家の一員と認めてくれないのね」
貴族様や母は完全にポーラの味方になってポーラに譲るようミッシェルに強要する。その有様はあまりに醜くて頭に血が上ってしまい、怒鳴り声をあげようとした直前だった。
「はい。大切に使ってきたから大切に使ってあげてね」
ミッシェルは何のためらいもなくポーラが欲しいとねだった物を差し出した。
これにはわたしや母達はおろか、言い出したポーラすら驚くしかなかった。
決して強がりではない。ミッシェルは何の未練もなくソレを手放したのだ。
「他にも何か欲しかったら言って頂戴。私も持て余していた私物が沢山あるもの」
「本当? 嬉しい! じゃあアレとアレとアレは?」
「ええ。いいわよ。後でポーラの部屋に運ばせるわね」
「やったぁ、大好きお姉様!」
ポーラは喜びのあまりにはしゃいでミッシェルに抱きつく。けれどわたしには分かる。入手までの過程にケチが付いた目的の物なんて魅力は半減する。今は欲しい物が手に入った喜びこそ先行しているけれど、色褪せるまでにそう時間は要らないだろう。
わたしの予想は正しく、ミッシェルから譲られてから飽きるまでは早く、結局おざなりにされたソレ等はクローゼットで深い眠りに就く前に回収され、結局はミッシェルの手元に戻った。「あら、もう代わりは揃えたのに」とはミッシェルの弁だったが。
……しかし、そんなミッシェルは彼女の存在意義を奪われることとなる。