死者は勝利者にあらず
女公爵を慕う旧使用人達を排除した公爵家では比較的穏やかに時間が流れていた。けれどそれは母や妹達が公爵家に順応する期間が必要だっただけの話で、やがて高貴なる貴族としての雰囲気に慣れだすと、次第に増長していった。
あからさまだったのは母だ。邪魔者がいなくなるといよいよ母は女主人として屋敷内で威張り散らした。少しでも前の女を感じさせる品物は片っ端から売り払い、自分の好みの調度品に変えていった。質実剛健を形にしたような感じだったのが、華やかで屋敷全体を明るくするようなものに。話によく聞く成金が揃えるみたいな悪趣味な派手派手しいものじゃないのはさすが母といったところか。
ミッシェルを含めて誰も反対せず、貴族様から褒めちぎられる母は有頂天になり、今度はミッシェルの扱いを相対的に悪化させる検討をし始めた、とわたし付きの侍女から又聞きした。何でも女公爵として相応しくあるよう厳しく教育するため、今後贅沢をさせないつもりらしい。
「駄目だよ母さん。公爵の位を継いだのはミッシェルで旦那様はその後見人。気に入らないからってミッシェルを虐げてみなよ。ミッシェルが一筆書いて現状を知らせたら、分家とかの一族総出で袋叩きにされちゃうかもしれないでしょう」
あまりに身の程知らずな虐待とかされるとわたしまでとばっちりを食いそうだったので、母には釘を刺す。おかげで露骨に食事を貧相にしたり離れに追いやったり暴力を振るう愚かな真似はしないでくれた。さすがの母も娘のわたしの意見には耳を傾ける気があるらしい。
それでも母は事ある度にミッシェルにネチネチと小言を言うものだから、わたしの方が頭にきてしまった。正直傍から聞いてるだけでも胸糞が悪い。貴族様や妹みたいに全面的に母に賛成なんか出来やしない。
「母さんはどうしてミッシェルを目の敵にするのさ? 彼女に気に入られれば将来どころか老後だって安泰なのにさ。女公爵様の娘だから?」
「当たり前じゃないの。どうして私の血が一滴も流れてない小娘を可愛がらなきゃいけないのよ。この屋敷に残してもらえるだけありがたいと思ってほしいぐらいだわ」
「立場的にはわたし達の方が居候でしょうよ。彼女の堪忍袋の緒が切れたら貴族様もろとも貧民街に戻されちゃうかもしれないんだよ」
「気に入らないけれど節度は保つわよ。私達の今の生活が保証されるまでは、ね」
「この際別に本当の親子関係にならなくたっていいよ。でも同じ屋根の下で過ごすんだから、同居人として歩み寄れないの?」
「アンタは知らないのよ! この私がどれだけあのブス女に見下されてきたか!」
問い詰めたわたしに怒りを爆発させた母は、過去の屈辱を暴露する。
母が貴族様に見初められたのは母が夜の街で働きだしてまだ年月が経っていない頃。貴族様は友人達と夜の街を練り歩いて豪遊した。その際に母は貴族様に見初められたんだそうだ。
貴族様が酔っ払いながらこぼしたぐちによれば、自分は可愛げのない次期公爵になる令嬢の供物にされた、婚約者になった令嬢から毎日のように叱られる、それでいて学問も剣術も彼女に及ばない、などと劣等感に支配されてきたんだとか。夜の街に来たのも不満を発散させるためらしい。
貴族様のご贔屓になった母は彼の癒しになった。次第に店で指名するばかりでなく、昼も母を連れて遊ぶようになったそうな。ただ父や親戚から叱られたくなかったので最低限令嬢とも交流を深めていったあたり、単なる馬鹿でもなかったようだ。
「そのうち旦那様以外からは抱かれなくなったわ。その分旦那様はお金を出してくれたもの。他の客を相手する場合は若い子の応援に留まったり、うまく立ち回ったのよ」
で、いよいよ貴族様と令嬢が結婚するって頃、「義務だから」と言い切った令嬢に腹を立てた貴族様を母は慰めた。そして二人はあの女こと未来の女公爵より先に子を作ってしまおう、などと思い至ったらしい。母は避妊しなくなって、やがてわたしを宿すことになる。
これまた貴族様の愚痴によれば、女公爵との夜は非常に素っ気ないものだったとか何とか。優しくしようが激しくしようが女公爵はあえぐどころか表情筋が死んだかのように全く反応を示さなかった。確かに貴族令嬢としては最上位の女体だったがマグロではあまりにも萎えてしまい、母を抱く妄想を膨らませて何とか行為に及んだんだそうな。しかもいわゆる子宝が出来やすい日を計算してその日しか夜の営みをしない始末。
「ええ、身分や才知はともかく、私は確かにあのブス女に女として勝っていたのよ。なのにあのブス女は鼻で笑ってきたのよ! 分かる、この屈辱が!?」
母は女としての武器を最大限磨いて貴族様に取り入って寵愛を得た。けれど女公爵はそんなものに頼らずとも己を示された。義務として後継者を育み、社交界で存在を示す、以外に女である自分を誇示しなかった。優秀すぎるが故に女としての魅力が感じられず、貴族様は嫌悪して母は憎悪した。
そんなある日、ちょうど母が妹を身ごもった頃だったか。母のもとに女公爵がやってきたらしい。そして母に問いただしてきた。「愛人としてあの人に取り入るつもり?」、と。母はすぐさま頭を沸騰させて色々と口走ったそうな。女公爵の護衛が手打ちにしようと剣の柄に手を伸ばしたけれど、女公爵は手を少し上げるだけで抑え込む。
「愛、ねえ。婚姻も夜伽も所詮は貴族と貴族とが結ぶ契約に過ぎないわ。それ以上の価値を見出そうとする貴女やあの人は否定しないけれど、私には縁が無さそうね」
女公爵は母の誇りを、貴族様の不満を、一笑に付した。
「これからもあの人に抱かれようと構わなくてよ。天地がひっくり返ろうと我が公爵家が貴女達を認知することは無い、とだけ言っておくわ。そして己を弁える貴女達には施しを与えてあげる」
女公爵は笑いながら金貨を何枚か床へと放り捨てた。母が何年もかけて汗水垂らして働いてようやく得られるだろう金額を、女公爵は哀れみを込めて母の目の前に放ったのだ。「拾いなさい、這いつくばるのが貴女にはお似合いよ」と言われるようだった、と母はつばを飛ばしながら説明した。
結局のところ母は貴族様の愛人ではあったけれど、かといって貴族様が密かに匿って裕福に過ごす、みたいな生活は送れなかった。女公爵に財布を握られてしまい、お小遣い程度ではたまに夜の街に足を運び、母を贔屓に指名して稼がせるのが精一杯だったんだとか何とか。
しかし、その邪魔だった女公爵はもういない。
辛酸を嘗めながら我慢していた母が勝利者になったのだ。
「あのブス女が死んだと聞かされた時、私は天に感謝したわ。そしてあのムカつくブス女の足跡なんて残してやるもんか、と誓ったのよ」
「それがミッシェルを冷遇する理由なのか?」
「ええ。ああ、彼女本人は何も悪くないわよ。恨むならあのブス女を母に持つ自分を恨んで欲しいものね」
「勝手な……。子は母親を選べないのに」
思わず漏れた愚痴は果たしてミッシェルに向けられたものか、それともわたし自身に向けられたものだったか。
「母さんがどう思おうと次の公爵はミッシェルだ。下手な真似はしないでよね」
「ええ、そうね。あの娘は正当な後継者なんだもの。今はせいぜい不満をぶつける程度で済ませておいてあげる」
母の口ぶりは気になったけれど、結局のところ母のミッシェルいびりはそこまで加速していかなかった。というのも母自身が多くの家庭教師を雇って自分の再教育に時間を費やしたからだ。ミッシェルが大人しくしている限りは目障りではないようで、特にこれといって揉め事は起こしていない。
立場にふさわしくあるべし、という母の信念が垣間見えて、そこはわたしも尊敬しているし、見習うべきだと考えている。
「なんか拍子抜けね。ジュリーの母親ったら思いの外真面目じゃないの。どれだけいびられるかって想像を膨らませていたのに。ほら、屋根裏部屋に押し込められるとか、腐った匂いのするスープを飲まされるとか。色々とあるじゃないの」
「さすがに保身と天秤にかけたら馬鹿な真似は出来ないって」
「成り上がろうとする姿勢は私好みよ」
「わたしとしてはこっちを巻き込まない限りは幸せになって欲しいな。だって母さんはすごく頑張ってきたんだからさ。少しぐらい報われたっていいよね」
「流石にそれは私には叶えられないわ。今後を占うのはあの人の立ち回り次第だもの」
ミッシェルにとって母の変化は喜ばしいらしい。正妻の娘と愛人って関係で出会わなければもっと意気投合出来たでしょうに、と惜しむぐらいに。わたしとしてはミッシェルと母が犬猿の仲にならなかったことは胸を撫で下ろしたいところだ。
「それで、母さんの努力は報われるのかな?」
「夜の街上がりの後妻って出自は社交界ではあの人の足を引っ張るでしょう。けれど、要はそれを跳ね返せるほどの結果を示せばいいのよ。己の気品が元娼婦にも劣る、と突き付けられれば屈辱に耐えながらも黙らざるを得ないわ」
「ならいいんだ。徒党を組んで母さんを排除してこないか心配で」
「まがりなりにも公爵夫人という肩書があるんだもの。その心配は杞憂よ」
それなら母は問題ない。この先も公爵家でうまくやっていけるだろう。
問題なのは……、
「なあ、ミッシェル」
「なあに、ジュリー?」
「その、何だ? 妹と弟が迷惑じゃない?」
「ん? あの二人? 気に障らないと言えば嘘になるけれど、ちゃんと私の意に沿っているから問題無いわ」
「……アレで?」
「そう、アレで」
調子に乗ってる妹と弟だろう。
おそらく今後暫くの間はわたしの頭痛の種になること必至だ。