こうして私は異母妹と結託する
「私は自分が無能で、無価値で、無意味であることを証明したいのです。協力してくれますよね?」
一体何を言ってるんだコイツ? そう言い返さなかった自分を褒めてやりたい。
ミッシェルが無能で無価値で無意味? ちょっと話しただけでも私なんかより遥かに頭の回転が早くて気品もあって可愛い彼女が? もしそれが事実だったらこの世の大半の人間が生きてる意味なんか無いに違いない。
「何故?」
「まだ動機までは明かせないわ。ただ、そうね……ある人の思い通りにさせたくない、が一番の理由かしら」
「成程。よく分からんけど、馬鹿に出来ないような理由があるとだけ理解しとく」
「そう、今はそれでいいわ」
貴族令嬢の考えることはよく分からない、と今日からその仲間入りした事実を棚上げしつつ呆れてしまった。けれどそれ以上にミッシェルの思惑が掴めず、その手を取ったら最後、地獄の底まで引きずり込まれるような不安がよぎる。本当にミッシェルの企てに乗っていいのか、それとも拒絶して我関せずを貫くべきか、迷う。
「その本音、貴族様は知ってるのか?」
「知るわけないでしょう。あの人には最後まで俗物でいてもらわないと」
「母さんや妹は巻き込むのか?」
「冗談。彼女達は何も知らぬまま踊ってもらいましょう」
「この屋敷の使用人達は女公爵様に忠誠を誓ってるみたいだけど、ミッシェルの思うがままに動くのか?」
「ああ、彼女達は邪魔だから、少ししたらお引取り願うつもりよ」
暫くの間考え込む。その間ミッシェルは皿に盛られた菓子を摘んで口に運んだ。ちびちびとかじる様子はわたしからすればじれったいんだけれど、同時に気品とかも感じる。これで無能になりたいとか冗談としか思えないんだが……腹は決まった。
「いいよ。共犯になってあげるさ」
「あら、本当? 別に断ってくれてもいいのよ」
「考え足らずっぽい貴族様とか目先しか見えてなさげな母さんとかより、ミッシェルに協力した方がよっぽどマシそうだ。それじゃあ理由として不足か?」
「……いえ、充分よ」
女公爵を亡くしてすぐに愛人を連れ込むのは当然として、わたしの方がミッシェルより少し早く生まれたってことは、だ。貴族様は女公爵そっちのけで浮気してたってことでしょうよ。入婿の分際でよくそんな真似が出来るものだ。最低としか言いようがない。
そして貴族様の寵愛を受けるってだけで公爵夫人が務まると楽観視してる母も母だ。わたしは貴族社会がどんな様子なのか全く知らないけれど、アレだ。知識とか礼儀作法とか貧民には想像も出来ないがんじがらめな作法があるに違いない。母や妹は持ち前の成り上がり志向で乗り切るかもしれないけれど、別に望んじゃいないわたしを巻き込まないでほしい。
一世一代の大博打。わたしはミッシェルに賭けると決めた。
「それじゃあジュリー。暫くの間よろしくお願いするわね」
「ええ。よろしく。くれぐれもわたしを捨て駒にはしないでよね」
「さあ? それはジュリーの頑張り次第じゃないかしら?」
「勘弁してくれ……。わたしは幸せに生きたいだけなんだ」
わたしはミッシェルと握手を交わす。彼女の手は思いの外温かく感じた。
□□□
「ね~え、旦那様ぁ。このお屋敷の中、少々臭うんじゃありませんか?」
「臭う? お前達を迎えるにあたって徹底的に掃除させた筈なんだがなぁ」
「いいえ、まだ強烈に残っていますわ。あの不細工な堅物の残り香が」
「ああ、成程な。確かに目障りだな。高い賃金を出してやってるのに公爵夫人になったお前を敬おうともせん」
「露骨に態度には出していませんから我慢していますけれど、頭を下げたくない相手に従うのって結構疲れると思うんです」
「そうだな。いっそお前達を迎え入れたのをきっかけに心機一転、総入れ替えするか!」
わたし達が公爵家に招かれてから少し経ったある日、母が貴族様に大きな胸を押し付けつつすりより、耳元で甘く囁いた。母曰く、こうすると男の脳と股間に直撃するんだとか何とか。出来る限り艶っぽく、吐息がかかるほどに身体を密着させると効果的らしい。
朝っぱらから鼻の下を伸ばす貴族様は無表情で淡々と業務をこなす使用人達を一瞥し、顎を撫でる。そして母に誑かされた貴族様はさぞ名案とばかりに使用人達の解雇宣言を行ったのだった。
さすがの公爵家に忠実な使用人達も動揺を隠しきれていない様子で、中にはミッシェルに視線を向ける人もいた。とうのミッシェル本人は我関せずと黙々と朝食を取り続けていたのだけれど。
それに気づいてか気づかなかったかは分からないけれど、貴族様が面白くなさげにミッシェルを睨みつける。異論は許さん、とでも言いたげだったけれど、これにもミッシェルは反応を示さなかった。
「なんだミッシェル。何か言いたいことでもあるのか?」
「いえ、お父様」
「今日は気分がいい。言いたいことがあれば言ってみろ」
「長年公爵家に忠誠を誓ってくれた者達です。それに見合った退職金と、次の就職に役立てる紹介状を準備していただければ」
ミッシェル、あっさりと女公爵に従ってきた者達を見捨てる。
これには貴族様もご満悦。
前者はまさか女公爵の実子であるミッシェルから用無し扱いされるとは夢にも思っちゃいなかっただろうし、後者はミッシェルが生意気にも反対してくるとか考えていたのかもしれない。
「勿論だとも。私とてケチではない。なあに、アレだけアイツに重宝されたんだ。すぐに新しい仕事に就けるさ!」
とまあ、こんな感じの朝食を終えた後、使用人達は一斉に執事や家政婦長の元へと直談判しに行ったらしい。
ただし現時点では貴族様が公爵家の実権を握っている以上、最後には彼の一言が全て物を言う、ということでクビは免れないらしい。それならせめてミッシェルから貴族様に嘆願出来ないか、と何人か言い出したそうだけど、これもまたミッシェルの立場を悪化させるだけだからと自制を求めた。
結局彼らは悔しさと憤りを飲み込んで屋敷から去る決断を下したのだった。
それから旧使用人達が離れる準備を進める期間中、ほとんどの者がミッシェルへお別れの挨拶に訪れたらしい。「残念です」やら「また戻ってきますから」やら「お側にいられずとも私共は貴女様に忠誠を誓っております」みたいに言われたらしいけれど、後からミッシェルに聞いたら大して頭の中に残ってない、とはっきり言われた。もう二度と会わない人間のことを覚えていても仕方がないのだそうだ。
そして、旧使用人達はミッシェルだけに見送られて屋敷を離れていった。
――その後、何が待ち受けているかも知らずに。
「本当に引き止めなかったな」
「ええ。もう彼女達は私には必要無いもの」
わたしとミッシェルは不定期に意見を交換している。女公爵に忠誠を誓って自分を可愛がってくれた使用人達が一掃されてもミッシェルは何ら悲しむ様子を見せなかった。それどころかまるでせいせいしたかのように晴れやかな表情を浮かべている。
「侍女さんはあれだけ献身的に身の回りの世話をしてくれてたじゃないか。まだ短くしかこの屋敷にいないわたしにだって分かったんだけど」
「ええ。彼女は物心ついた頃から私の傍にいたわ。姉と言っても過言じゃなかった。けれど彼女がいなくても別に困らないのよ」
「執事さんだって結構貴族様の執務を手伝ってたって聞いてたけれど」
「彼が忠誠を誓っていたのは公爵家、つまりお母様と私よ。私が成人するまで自分が支えるつもりだったみたいね。その分、彼は贔屓をする」
「料理長さんの食事は美味しかったなぁ。頬がとろけ落ちるってアレを言うんだな」
「彼もお母様が気に入って引き抜いてきたのよ。影では愛人にうつつを抜かしてたお父様に不満たらたらだったみたいね」
結局のところ、ミッシェルは使用人達に何の情も湧いていなかった。彼らの思いはミッシェルに届いていなかったのだ。一旦受け止めて拒絶したのか、貴族様に虐げられないよう自分を押し殺しているのか、それとも単純に感じ取れなかったのか、わたしには分かりかねた。
貴族様はミッシェルのお願いを聞き届けた。解雇する使用人達にはそれぞれに莫大な退職金と紹介状を準備したのだ。尤も、入婿風情の貴族様が記した紹介状の効力なんてたかが知れてる。後でミッシェルも独自に紹介状を渡して回ったんだとか。
「へえ、やるじゃん。彼ら喜んでたでしょう」
「あら、過度に期待してもらったら困るわ。一切の情を捨てて勤務態度を評価した結果を事務的に記しただけだもの。紹介状というより成績表ね。ああ、ちなみに自分では見るなと伝えてあるから、面接の時に封を開けてのお楽しみね」
「……想像以上に悪趣味だなぁ」
「尤も、アレの出番が来る人達が何人出るかは分からないけれど、ね」
最後に視線をそらしつつ呟いた小声はわたしには聞き取れなかった。
新しく雇われた使用人達は最初こそ戸惑うばかりで仕事が捗らなかったけれど、次第に順応していった。一応世間一般に出回る噂から貴族様が入婿で後妻は昔からの愛人だとは知ってたみたいだけれど、それを表立って口にする者はいなかった。むしろ大量解雇の件があって貴族様に逆らわない方針のようで、貴族様が寵愛する母の命令にも大人しく従うことになる。
これ以降、公爵家におけるミッシェルの扱いは悪くなる一方となった。
貴族様は中々したたかなもので、気に食わない女の娘であるミッシェルを決して虐待しようとはしなかった。冷遇こそするものの教育の一環に収まる程度に留め、新しい使用人達がミッシェルを小馬鹿にするようなら厳重に注意した。母が不満を口にしたこともあったけれど、貴族様は「アレには使い所がある」と一蹴した。
わたしもそれなりに使用人達と交流を持つようになり、気さくに会話できる人も増えてきた。貴族様が母や愛娘のために揃えただけあって元貧民だろうと見下されたりはしない。そして公爵令嬢だからと畏まらずに世間話が出来る関係を築けた。
「そういえば、前までこのお屋敷で雇われてた人達ですけど、何人か不幸に見舞われたらしいですね」
「え、不幸?」
「え、あ、はい。わたしも仲間から聞いた話なんですけどー……」
そこから聞いた話をそのまんまミッシェルに伝えた。彼女は一切表情を変化させずに「そう」とだけつぶやきながら優雅にお茶に口をつけた。わたしにはそれがあまりにも理解できず、怒るとかより前に困惑するしかなかった。
「ミッシェルの世話をしてた侍女さん、人さらいにあったらしいよ。捜索も行き詰まってるんだって。もしかしたら国外に連れて行かれたかも」
「まだ女性が気軽に動き回れるほどこの国は治安が整っていないのにね。ちょっと気が緩んでいたのかしらね」
「このお屋敷で料理を賄ってた料理長、多額の借金を背負わされたって聞いた。風の噂だと劣悪な環境の鉱山に連れて行かれたとか」
「散財する恥さらしな親戚がいるとは聞いてたけれど、保証人にでもされてたかしら?」
「執事さん、強盗に襲われたんだって。身ぐるみ剥がされて全身ボコボコにされて、裸で路傍に打ち捨てられてたらしいよ」
「彼に一番多く退職金を持たせたから、狙われたのかもね」
そう、例に挙げた三人以外にも不幸とやらは起こったそうな。それも、どれもこれも屋敷から出てわりとすぐに。
それぞれが違う要素なのだけれど、偶然にしてはあまりにも時期が近すぎる。かと言って母や貴族様は屋敷から追い出せばそれで良しって感じだったから、あの人達が旧使用人の始末まで踏み切るとは思えない。
結果として、屋敷を離れてもなおミッシェルを支援しようとしていた執事達は退場した。そう、ミッシェルは味方を失った形になったわけだ。これから先、彼女の周りは母達の色に染められていくことになるでしょう。
「……まさか、ミッシェルがやったの?」
「あら、どうして?」
「いえ、あまりにも動じていないようだったから」
「私から言えるのは、彼らが頭を垂れる相手は公爵家の次期当主であり、お母様こと前公爵の娘であり、私ではなかった、ってことだけよ」
そしてその状況を招いているのが他ならないミッシェル本人か、この時点のわたしには分かりかねた。