母は愚か者に見切りをつけたようだ
「そんな馬鹿な真似が許されると思っているのか!?」
突如声を荒らげたのは他でもない、フィールディング公爵代行のデヴィットだった。
顔を真っ赤に染めて歯を食いしばり、目をひん剥くほど見開くその様は、憤怒という題材で絵の題材として後世に語り継ぐべきだろう。それでもポーラに襲いかからないでその場で激昂する程度にはまだ理性が働いているらしい。
「公爵になるだと……!? 誰の許しを得てそんな戯言を口にしている!」
「えー? お父様ったらあれだけ散々お姉様に家督を譲りたくないって言ってたのに、どうして反対するんですか?」
「王太子妃にならんなどと言ったからだ! しかも始めからそのつもりだったと……!?」
「ポーラが王太子妃に相応しいことなんて出来ないのは、お父様含めてみんな分かってくれてると思ってましたけど?」
つばを飛ばしながら叫ぶデヴィットに対して全く怯える様子が無いポーラ。さもあらん、ポーラの真骨頂は人に取り入ることでも愛嬌の良さでもなく、胆力だ。暴力に訴えられない状況下でポーラに敵うものか。
しかしそれで国母となり民や貴族の模範となり、近隣諸国と外交を行うにはあまりに知識と教養が足らなすぎる。女公爵への当てつけのためあえてその方面の能力を伸ばさなかったことを踏まえても、ポーラが王太子妃になれば国の未来は真っ暗だろう。
さも当然のように自分は失格だと語ったポーラにデヴィットはぐうの音も出ない様子。どうせデヴィットのことだ、どうせ外戚になるのなら女公爵の忘れ形見であるミッシェルが窮地に陥れば陥るほど良し、としか考えていなかったんだろう。
「それに、お父様が嫌だって言っても王様が認めてるのに。トレヴァー様ほど優秀な方が来てくださるのは賛成してくれないの?」
「私の断りもなく勝手に進めおって……! せっかく我が公爵家があの貧民街から拾ってやったのに、恩を仇で返しおって!」
「ポーラは別にお願いしてないもん。立場を与えられたからその中で一生懸命頑張っただけよ。優等生なお姉ちゃんとか天才なお姉様を超えるならこれが最善でしょ」
「生意気な小娘が……。公爵であるこの私に楯突くとは!」
この期に及んでもなお公爵であることを自負しているけれど、誰もが知っている通りデヴィットは代行に過ぎない。本来の継承者であるミッシェルが成人になるまでの繋ぎでしかない。そのミッシェルが王太子の婚約者になっていたからややこしくなっているが。
自分の思いどおりにならない苛立ちで頭をかきむしりだすデヴィット。そんな無様な男に最も冷ややかな視線を送るのは観衆でもなく、わたしやポーラでも、ミッシェルですらなく、なんと母だった。
「旦那様はあの女を恨んでいるからこそ、私共を公爵家に迎え入れたのではないのですか? であればポーラを褒めるべきでしょう。あの女の娘であるミッシェルから次期公爵の座も次期王太子妃の座も奪ったのですから」
「お前達は黙って私の言う通りにしていれば良いのだ!」
「はあ。てっきり私は旦那様を同志だと思っておりましたが、勘違いだったのですね。ならジュリーやポーラの邪魔になる敵と見做し、排除させていただきますわ」
「何……?」
母は懐から小さな化粧瓶を取り出してデヴィットに突きつけた。それは一見すると貴族が好むだろう美しい曲線を描く透明のガラス製のもので、中の液体は透明。銘柄は書かれていないが、特に何の変哲もないもののように思える。
しかし、デヴィットはそれを一目見るなり顔色を変えた。そしてそれを奪おうと手を伸ばしたものの、母は瓶を上に掲げて決して取らせない。母に襲いかかろうとしたところで周りにいた紳士達がデヴィットを抑えとどめた。
「何故、それをお前が持っている……?」
「最後の最後であの女を出し抜いたのがそんなに嬉しかったのは分かりましたが、自慢なさらずに墓の中まで抱えていくべきでしたわね。入手経路さえ分かれば同じ品を用意することはさほど難しくありませんでしたわ」
「……!?」
「あら、その様子では私の副業をご存知でなかったので? 夜の店を保護するために日頃から出資しておりますの。従業員たちは私の可愛い後輩達。彼女達は私の目であり耳でもあるのですよ」
周囲はまだ何のことを言っているのか分かりかねている様子だった。わたしとてあの場面に遭遇しなければそれぞれの事柄が結びついていなかっただろう。
だがデヴィットはようやく真相に思い至ったようで、顔色が驚愕に染まった。
「え、と。突然死として診断された前公爵閣下でしたが、彼女は当日にコレと同じものを一服盛られたんでしたよね」
「じ、事実無根だ!」
「はるか遠くの原住民族に伝わる、現代医学では検出されない毒薬、だったかしら。お医者様から突然死と告げられた時はさぞ内心でほくそ笑んでいたことでしょう」
母の言葉に会場内は騒然となった。
それもそうだ、名高い女公爵の死因が単なる不幸などではなく毒殺、しかも犯人がその夫ともなれば、国を揺るがす一大事だ。そして目の上のたんこぶを排除して最も利を得たのがデヴィットなのだから、山積みになった状況証拠の前にもはや言い逃れは不可能だろう。
母が手にする瓶の中身の成分が解明されれば未知の毒物であることが証明される。あとは母が調べた毒薬の購入履歴を追えば、かつてデヴィットが同じものを入手していたことが時間を置かずに発覚するだろう。
「それにしても旦那様ったら、後から検死をされないように前公爵閣下の遺体を火葬になさるなんて、ね」
「「「何だって!?」」」
母の一言に会場内が更にどよめく。
この国では宗教的な意味から人の遺体は土葬される。肉体の残らない火葬はよほどの重罪を犯した者にされる仕打ちであり、人の尊厳を踏みにじる最大の侮辱だ。亡くなった相手になお屈辱を与えるなど、外道の為す罪深き蛮行だろう。
「どれもこれも私の可愛い後輩達が旦那様の自慢話を聞いて報告してくれましたわ。まさかそれらがまるごとホラ話だった、とは言いませんわよね?」
「何を言い出すかと思えば……所詮は娼婦共の戯言だろう。大方私を脅して小金をせしめようと目論んでいるのではないか?」
「ええ、おっしゃるとおりですわ。だって旦那様、最後まであのクソ女の手の上で踊っていただけですもの」
「!?」
それは突然だった。母は化粧瓶の蓋を開けて、一気に飲み干したのだった。
会場内に悲鳴が響き渡る。中には青ざめて失神する婦人もいた。何名かが母のもとに駆け寄るけれど、その者達を母は瓶を持たない方の手で制し、瓶を持つ方の手の袖で口元を拭った。
「コレ、中身は果汁水ですわ」
「……は?」
「毒物ではありませんから、死ぬ心配はございません」
何の茶番だ、とは何人思っただろうか。デヴィットもそのうちの一人だったらしく、あからさまに安堵の表情を浮かべてから嘲笑を浮かべ、しかし程なくして顔がひきつり、顔を真っ白にして言葉を失った。その様子はさながら百面相だな、と思った。
「そう、旦那様が前公爵閣下を暗殺しようと企てた際に入手した品も実際は果汁水。一瓶丸々盛ろうが健康に害は無いでしょう」
「ば、馬鹿な……! 私は確かに懇意にしている商人から絶対に発覚しない毒を入手した筈だ!」
あまりにうろたえているからか、デヴィットは自分が何を口走っているのか理解していないだろう。けれどデヴィットには周囲の動揺は目に入らないようで、母が突きつけた現実を否定しようと必死だった。
「ですから、その商人とやらも前公爵閣下とぐる、というより旦那様を試す刺客だったのではないでしょうか? 旦那様はまんまと吊るされた餌に食いついた、というのが真相でしょう」
「ありえん、ありえん……! あの女は私がこの手で殺した筈だ、そんなわけが……!」
「そんな検出されない未知の毒物、なんて都合のいい代物を信じるなんて、意外と旦那様は純真なのですね。信じたくないのでしたらその御用達の商人を問い詰めてはいかがでしょうか?」
「では、何故あの女は死んだのだ……?」
自分が信じていた事実が虚像だったデヴィットは声を絞り出すように母に尋ねた。それはまるで救いを求めて母にすがるようだった。母はそんな無様な男に向けて深い溜め息を漏らす。それはかつて体を重ねた異性に向けたものとはとても思えなかった。
「お医者様が診断なさったでしょう、突然死だと。強いて誰が殺したか、と問うのでしたら、その答えは彼女自身なのでしょう」
「ど、ういう……ことだ……?」
「彼女は優秀でした。優秀過ぎました。何をやっても人一倍にこなす彼女にとっては周りの輩など誰もかれも取るに足らない存在だったのでしょうね。人に任せるより自分でやった方が遥かに効率的なんですもの。自然と何もかも自分でやるようになっていったのではないですか?」
デヴィットは母の問いかけに答えなかった。沈黙は肯定と受け止めた母は続ける。
「彼女の誤算は彼女が考えているより強くなかった、あたりなんでしょうね。休息や睡眠の時間を削ってご自分の使命に没頭し、最後は境界を見誤って溺れ死んだ。ま、これらはあくまで私の勝手な推測ですけれど」
「自業、自得……」
「ですので、旦那様は前公爵閣下の死には全く、微塵も関係していませんわ。娼館で後輩達に仰っていた自慢話も話半分。良かったですわね、罪を犯していなくて」
「そんな、では私は……」
デヴィットは膝から崩れ落ち、がっくりと項垂れた。
何故なら、デヴィットは結局女公爵の見立通りに面白おかしく踊り回った道化でしかなかったのだから。
そんな哀れな男に対し、母が向ける眼差しは冷たいままだった。怒りも悲しみも嘲りも無く、ただ軽蔑のみがこもっていた。
「暗殺未遂に死体損壊。物的証拠はあがっていませんが、旦那様の罪は明らかです。ポーラに公爵の座を明け渡して引退なさるべきかと」
「い……嫌だ! せっかくあの忌々しい女がいなくなったのに、何故私が譲らなければいけないんだ!」
「あらあら、旦那様は大変お疲れのようで。早く休んでいただきましょう」
母が目配せを送ると、会場の警備として隅に控えていた衛兵達がデヴィットを拘束する。何やら喚くデヴィットは衛兵達に連れ出され、退場していった。
おそらくだが、もうわたしが彼と会うことはないだろう。