そうして始まる予定調和の婚約破棄
「ミッシェル。君との婚約はトレヴァーの名において破棄する」
そして、王太子はとうとうミッシェルに婚約破棄を言い渡した。
ミッシェルやわたし達の年代が成人を迎えるにあたって行われた式典にて、いよいよ王太子とミッシェルの婚姻が発表されるという間際、王太子は出席者一同の注目を集め、ポーラを侍らせて宣言したのだった。
表向きは二人の関係は上手くいっていただけに周囲は大いに反応し、会場内は騒然となった。ただし王太子とポーラの距離がいずれ家族になるだろう関係より近かったのは噂になっており、何割かは薄々この展開を察しているような反応を示していた。
「はて、婚約破棄ですか。私、これでも自分の時間の大半を費やして貴方様に相応しくあらんとしてきたつもりでしたが」
ただ、周りにとって奇妙なことに、婚約破棄を言い渡されたミッシェルは何の感慨もなさげなのに対し、婚約破棄を口にした本人である王太子の方が傷ついた風に悲痛な面持ちだった。これではまるでミッシェルの方が絶縁を切り出したみたいではないか。
「王太子妃、そして王妃として求める礼儀作法や知識、技能は一通り習得しましたし、殿下とは極力共に時間を過ごすようにも努めてまいりました。私の自負はうぬぼれだったのでしょうか?」
「いや。ミッシェルは王太子の伴侶として相応しい。これ以上の令嬢は歴史を紐解いても他にはいないだろう」
「では何故?」
「私は、私に寄り添ってくれる、これからずっと人生を共に生きる女性がいいんだ!」
王太子はこれまで抱えていた想いを吐き出した。
曰く、ミッシェルは自分に弱みを見せてくれなかった。
曰く、ミッシェルは心の内をさらけ出してくれなかった。
曰く、ミッシェルが自分に寄り添っていたのは義務だからで望んだからではなかった。
結論、ミッシェルはトレヴァーを必要とはしていなかった。
「どんなに辛かったかミッシェルに分かるか? 君は言われたからこなしていただけで、やりたかったからやっていたわけではなかっただろう。事務的に付き合わされる私がどれほど傷ついたか、君は理解しちゃいなかっただろうね」
「私とて鈍感ではございませんのよ。そんな素振りを少しでも出していただけたら察しましたのに」
「私は君が好きだったんだ。一目惚れだった。目を奪われて、胸が締め付けられて、熱が込み上げて。だから一緒になりたかったのに……。君はそんな私の想いを分かろうともしなかっただろう!」
「殿下が私に好意を抱いていたのは存じていましたが、それを誠意で返してはいけませんでしたか?」
いけない、とは言い切れない。貴族同士の婚約とはそういうものでもある。
「私は、ミッシェルに愛されたかったんだ!」
けれど王太子はそれ以上を望んだ。ミッシェルとは愛し愛されて幸せな家庭を築きたかった。手を取り合って先へと歩んでいく、きっとそんな明るい未来を思い描いていたんだろう。それは甘く、美しい幻想だ。
しかし、ミッシェルはそんなものは望んでいない。王太子はそれを分かろうとしていなかった。王太子はミッシェルを非難するけれど、そんなのお互い様だろう。結局のところ、王太子はミッシェルに対して一方的で独りよがりな愛を抱いていたに過ぎなかったのだ。
「こちらのポーラは私の負った深い傷を癒やしてくれた。私を思いやり、ねぎらい、笑ってくれたんだ。いつしか私はポーラに心惹かれていったんだ」
「成程。では婚約関係や能力など関係無しにポーラと添い遂げたい。そうおっしゃるのですね?」
「そうだ。もうミッシェルと関係を続けるのはうんざりだ」
結局、王太子は一貫してミッシェルが自分に寄り添わなかったことを強調した。王太子妃として相応しくないという攻め口は三馬鹿を事前に成敗したおかげで断念したようだ。
それでも情に訴えかける王太子の言葉にはとても心打たれるものがあり、その点はさすがだと認めざるを得ない。現に周りも王太子への同情を示す者も出始めており、義務的に接していたミッシェルが悪者にされる動きが出始めていた。
「でしたら婚約破棄の旨、謹んで承ります」
そんな中、ミッシェルは恭しく一礼し、快諾を宣言した。
優雅な笑みとともに、一切の無念さや惜しみもなく。
それで更に傷ついたのか、王太子の顔が悲痛に歪んだ。
「ところで、私共の婚約関係は家同士で決めた契約。国王陛下や父はご存じなのでしょうか?」
「勿論だ。父も公爵殿も認めてくださったさ」
あ、さすがに事前に根回ししてたんだ。この場のノリと勢いで押し通すことも想定していたけれど、王太子もそこまでは愚かではなかったらしい。
貴族様からの条件は「ポーラと添い遂げること」だったらしい。公爵家としてはミッシェルとポーラのどちらでも構わない、が貴族様の判断なのだろう。現に貴族様はポーラを侍らせる王太子にご満悦の様子だった。
国王からの条件は「追って申し渡す」だそうだ。そんな国王は無表情で王太子を見据えていた。隣の王妃は扇で口元を隠していたけれど、目が全く笑っていない。案の定王太子の暴走を快く思っていないようだ。
「で、私と別れたので正式にポーラと関係を結ぶ、と?」
「ああそうだ。この場の諸君にも知ってもらいたい。私、トレヴァーはこちらのポーラ嬢と婚姻を結ぶことをここに宣言する!」
ああ、言った。言ってしまった。
取り返しの付かない一歩を踏み出してしまった。
この場にいた者たちの反応は推して知るべし。王太子は言ってやったとばかりにご満悦な様子で、ポーラは喜びをあらわにして王太子に抱きつき、ミッシェルは口角が釣り上がろうとしていたのを口元ごと手で隠す。
「とうとうポーラ達、一緒になれるんですね!」
「ああ。これで私達はずっと一緒だ。愛しているよポーラ」
「嬉しいですトレヴァー様! お腹の子も喜んでくれますよ!」
「ああ、絶対に離さない。幸せな家庭を築こうじゃないか」
ポーラの口走った言葉の意味を察したのは一体何人ぐらいいただろうか?
あまりに事が動きすぎて聞き流す者が多い中、次第に動揺が走り出す。
しかし、それすらこの後の会話の前では取るに足らなかった。
「ポーラ。どうかこれからも私を支え、共に国をより良くしていこう」
「え? 嫌です」
ポーラの回答に王太子は暫くの間反応出来なかった。
やがて拒絶された、と理解すると、困惑して表情が崩れる。
「え、と……ポーラ?」
「あれ? 聞こえませんでしたか? 嫌だと言いました」
「どう、して……?」
「だって、トレヴァー様がポーラを支えてくださるんでしょう? 公爵家に婿入りして」
平然と言い放つポーラ。愕然とする王太子。
ポーラはなおも理解を拒む王太子を心底不思議そうに見つめる。
それが得体のしれなさを演出し、王太子を更に混乱させる。
「あれ? まさかトレヴァー様ったら、お姉様との婚約関係を何の非もないのに一方的に破棄しておいて、なおも王太子のままでいられると思っていたんですか? トレヴァー様も仰ったように百年に一度出るか出ないかの逸材だったお姉様を、好かれたかったからって個人的感情だけで突き放した身勝手な王子が許されるとでも?」
「……!」
「先日国王様とお話ししたんですけれど、トレヴァー様は一旦廃嫡になるんですって。でもすぐ公爵家が迎え入れますから大丈夫ですって。トレヴァー様はとても凄いですから、ポーラの代わりに公爵としてのお務めも難なくこなせますよ。これからも一緒に頑張りましょうね!」
満面の笑みをこぼすポーラは果たして皆にはどのように目に映っただろうか?
愛嬌を振りまくばかりの能天気な小娘が王太子をはめた、という現実を。
ちなみにさらっと説明したけれど、ポーラはつい数日前に国王直々に事情を問いただされた。その時にポーラは自分が王太子妃になる気はさらさら無い上に王太子に迫られて関係を持った挙げ句に子を身籠ったことを告げた。それを受けて国王は勝手な真似をした王太子をその資格なしと見做して廃嫡を決め、なら自分が貰うと宣言したポーラの発言を受け入れたんだそうだ。……どうやってその結論にこぎつけたかはあえて聞くまい。
「ごめんなさい。ポーラはトレヴァー様を案じて慰めてましたけれど、それがいけなかったのかもしれませんね。でもポーラも子供じゃありませんからちゃんと責任は取ります。でもトレヴァー様もポーラを愛した責任をきちんと取ってくださいね」
「まさか、始めからそのつもりで私に近寄ったのか……?」
「ポーラはトレヴァー様を愛していますよ。そこはお姉様と違いますから安心してください。でも、確かに打算も入ってましたね」
ポーラはその場で一回転した。浮かべたその微笑みはとても可愛らしく、しかし見た目とは裏腹にどこか魔性の魅力を伴っている印象を受けた。さながら、多くの異性を虜にし、惑わし、堕落させる類のもの、との。
「ポーラ、結構根に持つ方なんです。アイツにお母さんが馬鹿にされたことが悔しくて悔しくて。だからざまぁみろって言ってやりたくて仕方がなかったんです」
「何を言って……?」
「アイツは世間じゃ完璧だの模範だのって持て囃されてるらしいじゃないですか。だからポーラは証明してみせますよ。アイツがいなくたって上手くやれるんだ、ってね。アイツが心底見下してきた、この能も学も無いポーラでも、ってね」
それがポーラの本当の狙い。
アイツ、すなわち女公爵の評判を地に落とすこと。
ポーラは能も学も無いと自称したけれど、それは違う。ポーラには人を使う才能がある。その一点だけでポーラはあの女公爵を凌駕しようとしている。
例え、王太子を自分の手元に引きずり込んででも――。
「ポーラだけじゃ無理でもトレヴァー様がいてくださったら絶対出来ます。だって国王にもなれた人なんだもの、公爵ぐらい楽勝ですよね!」
「……――」
王太子は膝から崩れ落ちた。
王太子に同情すべきかポーラを褒め称えるべきかはともかく、一つ言えることがある。
女公爵の名声は、今日ここに終わる。
これはその序章に過ぎない。