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王太子は一線を越えた。異母妹は笑った

「私はもう、ミッシェルが何を考えているのかが分からない……」

「お可哀想に。きっとお姉様はトレヴァー様を愛していらっしゃらないんです」

「私はこれまでミッシェルを思って色々してきたが、伝わっていないのか……?」

「あえて無視しているのかもしれません。だって、お姉様にはトレヴァー様との愛がなくても王妃としてやっていけるだけの才能がありますもの」


 このところ王太子は目に見えて落ち込んでいる。というのもミッシェルが王太子に対して塩対応……もとい、社交辞令的に接しているためだ。


 ミッシェルの名誉のために言っておくと、決して彼女の怠慢ではない。


 ミッシェルは王太子と定期的に一緒の時間を過ごし、贈り物を贈り合い、文を交わしてきた。時には市民憩いの場や繁華街にお忍びで出かけ、夜会では連れ立って参加し、想いを語り合った。二人は極めて良好に親睦を深めている、諍いなど無縁だろう、が一般的な評価だった。


 王太子も王太子教育をほとんど終えて実際に公務に携わるようになった。二人して手を取り合って仕事をこなしていく姿は評判高い。既に内政、外交面でも成果を挙げ始めている。この二人がいれば将来は安泰だ、との称賛は何度耳にしたか。


 だが、王太子にはそんな健全なお付き合いは刺激に乏しく、物足りないらしい。

 そして、ミッシェルはそんな王太子の不満を察しても解消しようとはしなかった。


「どうもこのところ王太子殿下は羽目を外したがるのよね」

「具体的にはどんなふうに?」

「市街地に行った時は私の身体に過度に触れようとなさるし。どこで覚えてきたのか私に甘く囁いてもくるし。よほど私の気を引きたいようね」

「触るって、手を組んだり肩を寄せたり?」

「腰に手を回して抱き寄せたり、私の匂いを嗅いだり、よ。さすがに変なところまでは触られなかったけれど」


 頭が痛くなってきた。貧民街とか農村ならまだしも貴族という立場にいながらそんな本能に従うなんてありえない。そういった直接的な触れ合いは婚姻してから、が貴族の常識だろう。


「それって普通は婚約関係の相手に許される行為なの?」

「そんな真似をしたら社交界では破廉恥だと思われても仕方がないわね。王太子殿下も咎めたら一応反省してくれたけれど」

「王太子ともあろうお方がどうしてそんな欲求不満になってるのさ? 外でそんな真似をしでかさないよう発散するとかさ」

「さあ? 殿下も来るべき婚姻後の初夜に向けてそれなりに教育を受けている筈だけれど、それでは物足りないのかもしれないわね」


 なんだそれは。思春期の男がそういった行為に興味を持つことは何らおかしくないけれど、国の模範とならなければならない王太子がそれでは話にならない。王族の教育とやらの質を疑いたくなってきた。


「本来ならそうした雑念を抱かないよう悪影響を受ける事象を遠ざけるのだけれど、ね」

「王太子を誑かす要素があるって? まさかポーラが?」

「そうとも言えるけれど、直接的な原因は殿下の側近かしらね。彼ら、すっかり娼婦を抱くことにのめり込んじゃったみたい」

「それの良し悪しはこの際置いておいて、それが王太子と何か関係が?」

「大有りよ。親しくなれば雑談も飛び交うでしょう。そんな時に側近達は夜どう過ごした、と自慢げに話すのよ。お若い殿下の興味を引いたっておかしくないでしょう?」

「ああ、だから元凶はポーラなのか」


 思春期の若者というのはどうしてもそっち方面に興味が出てしまうもの。田舎だと大人は子を産んで育てて働かせてこそだけど、貴族界隈では本能を理性で押さえつけて優雅に振る舞うことこそ美徳として扱われる。本来なら猥談とは無縁の筈だ。


 それをポーラが打ち壊した。夜の世界に誘って三馬鹿を堕落させた。勿論三馬鹿も馬鹿じゃないから破滅に至るまでのめり込んではいないけれど、そういった理性と色欲の境が曖昧になってしまったようだ。上辺を取り繕えても気心知れた相手には少し漏らしてしまいやすくなっていることだろう。


 とどのつまり、側近達が一足先に大人の体験をしている中で一人取り残された王太子は自分もそんな体験をしたいって欲求をつのらせたってわけだ。その結果、いずれ自分の妃となるミッシェルを求めたわけか。


「そうは言っても、王太子ともあろう方が、その……夜伽の教育を受けていないとはとても思えないのだけれど」

「どんな想像をしているのか知らないけれど、純潔と貞淑を美徳とする貴族、それも王族の方々が例え教育の一環だろうと本番行為に及ぶわけがないでしょう。やり方を教わってお預け。さぞ悶々となさっていることでしょうね」

「生殺しな。なのに堪えようとしても王太子の周りには誘惑が多すぎる、と」

「だからって「分からない」呼ばわりされるほど突き放した覚えはないのだけれど、ねぇ」


 そんなわけで王太子は段々と追い詰められ、それをポーラが慰める構図が生まれたのが現在というわけだ。王太子はミッシェルを「冷たい」だの「情がない」だの言っているけれど、わたしからしたら頭の中が桃色な状況だと気持ち悪いだけだ。


 なお、ミッシェルは相変わらず王太子との逢瀬に遅刻してポーラの好き放題にさせている。今日に至ってはわたしをまきぞえ……もとい、わたしを相手に隣室で優雅にくつろぐ有様だ。二人のやり取りを観察しながら。


「それでもお姉様はトレヴァー様に寄り添ってくださいますわ。きっとどなたよりも完璧に義務を果たし、トレヴァー様を公私共に支えてることでしょう」

「だったらどうして今苦しむ私に寄り添ってくれないのだ!」

「公爵家の娘として、トレヴァー様の婚約者として立派に責務を果たしています。逆に言えばそれ以上にもそれ以下にもなり得ません。節度をわきまえているんです」

「そんな義務感でしか接してくれないなんて、あまりにも残酷すぎる……!」


 随分と身勝手に嘆いている王太子に対して妹が投げかける言葉は、一見すると王太子を思っている。けれどじっくりと咀嚼すると、絶妙に一線を越えていないのが分かる。あくまでも自分は婚約者であるミッシェルの妹である、との立ち位置から離れていないようだ。


 あまりにも危険な綱渡り。しかしポーラならやり遂げる。そんな確信をミッシェルもわたしも抱きながらもなおポーラを止めようとしない。当事者のミッシェルがポーラの行動を計算に含めているようだし、わたしもポーラに言葉巧みに唆される男への慈悲はない。


「国王陛下にお願いして婚姻を早めてもらうのはどうですか? あともう少しなんですから、披露宴とかの正式な催しはその時にして、先に夫婦になっちゃう、みたいな」

「全ての貴族の手本となる王族、ましてや王太子の私がそんな真似をするなど許される筈がない」

「え、と。じゃあ思いの丈をお姉様に洗いざらい打ち明けて、受け入れてもらうのはどうでしょうか?」

「ミッシェルが同意してくれると思うか?」


 しないわね絶対に、と口ずさみながら目の前のミッシェルは紅茶に口をつけた。

 わたしの妹はとことん義務はあっても義理や情は無いようだ。

 少しだけ、ほんのちょっぴりだけ王太子に同情してしまった。


「私はクリフォード達のように軽々しくそのような店に行けないし、この欲求を晴らせる相手を王宮に招くわけにもいかない」

「手詰まりなんですね。お可哀想に。国の全てを手中にしながら何も出来ないなんて」

「ポーラ……私の心を分かってくれるのは君だけだ」

「光栄です、トレヴァー様」


 ここで弱みを見せる王太子にすり寄ったり甘く囁やこうものならポーラは不貞を働いたことになるのだけれど、一切そんな素振りは見せなかった。あくまでポーラは王太子を親しい友人として接している。いわば手を伸ばしても指先が触れるか触れないかの立ち位置を保ち続けている状態だ。


 煩悩に支配されつつある王太子にとってその扱いはとてももどかしく、そして劣情を増幅させるには充分すぎた。縋るように、そして切なそうにポーラに視線を向けていた彼は、次第に彼女だけに視線を注ぐようになった。


 あの目は、マズい。

 貧民街でもたまに見かけた、雄が雌を求める本能的なものだ。


「止めなきゃ……!」

「座りなさいジュリー」

「でも……!」

「そうなるよう仕向けたのは他ならぬポーラよ。分かっているでしょう?」


 思わず立ち上がったわたしをミッシェルが制止する。理路整然とわたしを諭すミッシェルだったけれど、目はそんなふうに語っていなかった。「邪魔するな」とだけわたしに訴えるばかりだった。


「ポーラ。私は君を求めたい、と言ったら軽蔑するか?」

「え? ご冗談を。トレヴァー様にはお姉様がいらっしゃるじゃあないですか」

「駄目なんだ。私は皆が考えているよりずっと愚かだったらしい。もうこの想いは止められないんだ」

「お、お止めください。お姉様がいらっしゃったらどう弁明したら……」

「その時は私が全ての責任を被ろう。ポーラ、愛している」

「トレヴァー様……」


 その後、王太子がポーラに何をしたかは語るまでもない。少し付け加えるなら、王太子が満足するまでミッシェルは一切邪魔をせず、むしろ声を押し殺して笑い続ける始末だった。その瞳に狂気を宿らせて。


「素晴らしい、完璧よポーラ! 私の目に狂いはなかったわ!」


 なるほど、確かにミッシェルが望んだ光景なのだろう。

 婚約者を寝取られた貴族令嬢などまさしく無能で、無価値で、無意味だ。

 しかし、この程度で満足するミッシェルでないのはわたしが一番良く分かっている。


「これで私の悲願は果たされる!」


 破滅の宴の準備は整いつつあった。

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