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母は異母妹のことを想っているらしい

 目的を達成出来なかったミッシェル共々公爵邸に連れ戻されたわたしは、母の部屋に直行させられた。内装は一時期よりも派手さや豪華さが鳴りを潜めて機能性と生活面の快適さが強く押し出されていて、私生活では無駄遣いをしない母らしさが戻った、と思わず顔がほころんだ。


 夜も更けた時間帯、部屋の中にはわたし達三人だけ。母は立ったまま腕を組んでミッシェルを見下ろし、ミッシェルとわたしは二人して縮こまるばかり。これも公爵邸に招かれてから久しい説教時間だったもので、懐かしいとさえ感じた。


「それで、ミッシェルはあの店で男娼を買おうとしてた。それは合っているかしら?」

「はい」

「言葉を交わし、飲み物を飲んで、触れ合う。それだけで済ますつもりはなかった?」

「はい」

「今日一線を踏み越えるつもりだった。違う?」

「はい」


 純潔を尊ぶ貴族界隈でそんな真似をしたらどうなるかなんて、ミッシェルが一番よく分かっていたはずだ。火遊びなんてものでは済まされない。そして三馬鹿共と違ってミッシェルは女。一度が致命的になり、存在価値は失われる。


 何故、どうして、と困惑もしたが、同時に納得する自分もいた。これまでのミッシェルの選択、言動から見えてきた動機がより鮮明になってきた。そして、それはわたしにとっては信じたくない、なのに初めてミッシェルという妹が分かった気がした。


 母は目尻に指を強く押し当てて揉むと、深くため息をついでソファーに腰を下ろした。行儀などお構いなしの全体重を放り投げる感じに。暫くの間目元に手をおいて天井を仰ぎ、やがてミッシェルを憮然とした面持ちで見据える。


「男女の営みを学びたい、ではないわね。もしそうならしかるべき夜伽の教育を受ければいいだけだもの。男娼という存在に興味が湧いた、でもないわね。であれば秘密裏に屋敷に招くべきよ。わざわざ店舗に足を運んで男を買おうとするのはあまりに危険。だって誰かに見られたら醜態としてさらされて評価は地に落ちるもの。それは承知の上での決断かしら?」

「はい」

「何のために?」

「黙秘します」

「欲求不満を解消したいだけならこの私が相手してあげてもいいのよ。危ない橋を渡りたい貴族のお嬢さんだって何度も抱いてきたもの。でもそれでは目的を達成できず意味が無い。違うかしら?」

「はい」


 静寂が部屋の中を支配する。緊張で高鳴る脈動がうるさいほどだ。汗が額と首筋を流れて気持ち悪い。蛇に睨まれた蛙、とはどの国の諺だったか。渇いた喉を潤そうとテーブルの上に置かれた水を一気に煽るように飲んだ。これで不安も飲み込めればいいのに。


「ミッシェル、貴女は出禁よ。私が出資する店全てに通達するから」

「それは困りました。然るべき時までにこの身体は汚れていないといけないのに」


 ミッシェルの口からとんでもない一言が放たれた直後だった。

 部屋の中に大きな音が鳴った。

 聞き慣れない、もう二度と聞きたくない、けれど時には必要な儀式のようなもの。


 ミッシェルは強く打たれた頬を手で押さえ、呆然と母を見上げるだけだった。一方の打った母は息を荒げて悲痛な表情でミッシェルを睨む。

 やがて母は赤くなった手のひらを押さえながらソファーに座り直した。その時には既に怒りよりも後悔の念が強く出ていた。


「ミッシェルが何を企んでいるかは大体察したわ。そしてこの愚行がどれほどの意味を持つかも何となく分かる。それを踏まえて宣言すると、私は賛成出来ないわ」

「どうしてですか? 私がどう勝手にしようとお義母様には関係無いでしょう」

「自分の身体は大切にしなさいって言ってるのよ、この馬鹿! 夜の町に君臨したこの私が何も分かってない小娘に忠告してるの!」

「っ……!」


 母がテーブルを思いっきり叩いたため、ミッシェルもわたしも思わず身をすくませた。


「貴女の選択は身体が汚れるだけじゃなく、心が深い傷を負うのよ。悲鳴をあげ続けて涙を流す心とずっと向き合っていく覚悟が貴女にあるの?」

「それ、は……」

「何より、そんな多大な犠牲を払う価値なんて無いでしょう。貴女の目的には」

「……! お義母様に何が分かるというのですか!」


 今度はミッシェルが怒鳴り声を上げて立ち上がる。こんなに怒りを顕に……いえ、そもそも感情を表に出すミッシェルなんて初めて見た。それだけミッシェルにとって目的とやらは大事なものなのだろう。己の全てをかけてまで。


「私が理不尽な目に遭い、私が虐げられ蔑まれ、私が誰からも見捨てられ、そして私が破滅する。それがどうしても必要なんです!」

「ミッシェルの目的は公爵令嬢としての貴女の価値の否定であって、決して我が身を犠牲にしてまで叶えたい悲願ではないでしょう。全てが終わった後、ミッシェル個人は報われるのか、って聞いてるのよ」

「……。そこまでの覚悟がなければ私は呪縛から解き放たれません」

「そうかしら? 私からしたらあんな奴はそこまで完璧だとは思えないのだけれど」


 母はミッシェルに座るように促した後、ハンカチを取り出してからテーブルの上の水差しを使って濡らし、平手打ちして赤く腫れたミッシェルの頬に当てた。その行為にミッシェルは目を丸くして母を見つめ、母はこれまでに無いほど優しく微笑んでみせた。


「あんな奴のために人生を捨てたら駄目よ。そこまでしなくたって代わりにやってくれる人はいくらでもいるでしょう」

「……! それは、まさか――」

「物事はミッシェルが思うほど単純ではない、ってこと。それを踏まえて計画は練り直しなさい。私の目が黒いうちは自分から汚されに行く真似は絶対に許しませんからね」

「は、い……」


 母はうつむくミッシェルの頭を撫でる。ミッシェルは恥ずかしそうにするもののまんざらでもなさそうで、女の子らしい一面が見られて嬉しい反面、久しく母からそこまで可愛がられていないので妬ましくも思う。


 もう夜遅いから寝なさい、と退室を促されたわたし達は大人しく母の部屋から出た。ミッシェルは叩かれた頬に濡れたハンカチを当てながらうつむく。まさかのお叱りに大変衝撃を受けたのは間違いなさそうだ。


「叩かれた。お母様にもぶたれたことないのに……」

「殴られないで一人前になった人なんてどこにもいやしないって。悪いことは悪いことだって教わって子供は大人になるんだから」


 悪ガキは痛い目を見て反省して成長する。説教だけされたって聞かない奴は聞かないのだから。ミッシェルはなまじ優秀だっただけに殴られた蹴られたといった経験は無いだろう。あったところでせいぜい教鞭で打たれるぐらいで、顔に傷が残るかもしれない平手打ちはさすがにね。


「……聞かないのね」

「何を?」

「どうして私が男娼を買おうとしたかを」

「母さんとミッシェルのやり取りから大体察したから。むしろごめん、今まで手がかりが散りばめられていたのに思い至らなくて」

「別に……。賛同も同情も要らなかったから」


 どうしてミッシェルは実の父親が母親が亡くなってそう時間も置かないうちに愛人一家を連れてきても受け入れたか、妹に私物を奪われても平気だったか、母からいびられても顔色一つ変えなかったか。そして婚約者になった相手が他の女と親しくするのを認めたのか。そのどれもが自分を貶めるためだとしたら頷ける。


 だからと別にミッシェルははるか東方の僧侶のように苦行を積んで悟りを開きたいわけではなく、自傷行為で快感を覚えたいわけでもない。あくまでも自分を追い込むことは彼女にとってやはり苦痛であり、それを我慢してでも何かを成し遂げるための手段に過ぎない。


 では何かとは何か?

 何となく見えてきたミッシェルの目的、それは多分……アノ存在への復讐だろう。


「私もお義母様が本当の母親だったら良かったのに……羨ましい」


 ミッシェルのつぶやきが何よりもそれを物語っていた。


 どうしてミッシェルがそれを成そうとするかまでは分からない。それをミッシェル本人が打ち明けてくれるまで問いただそうとは思わない。


 けれど、わたしはミッシェルの味方でありたい。

 わたしにとってミッシェルは友人であり妹であり、大切な人だから。


「それで、自分の体を傷物にするのは母さんに止められたけれど、支障は無いの?」

「その分ジュリーやポーラに頑張ってもらうしかないわね」

「げ、わたしもミッシェルの計画に組み込まれてるのかー。それより、ミッシェルってまさかポーラともグルだったりするの?」

「まさか。あの娘はあの娘なりに動いているわよ。単なる成り上がりとは全く別の思惑があるようだけれどね」


 わたしに婚約を急かしたのもその一端か。その相手がピーターだったのはミッシェルのお眼鏡に適ったらしい。婚約者の弟があの頭でっかちなクリフォードな辺り、彼のような存在もまたミッシェルにとって否定すべき輩なのかもしれない。


 更に、ミッシェルはポーラが王太子に接近するのは単に彼の気を惹きたいからではない、とも語った。確かにチヤホヤされたいとか愛されたい、といった理由では三馬鹿共に道を踏み外させた意味が分からない。


「お義母様があれほど大口を叩いたんだもの。このままで済むわけがないわ。大人しく待つことにしましょう」

「出来れば大騒動にはなってほしくないんだけれど、ポーラのことだから無理かなぁ」


 わたしのささやかな願いも虚しく、ミッシェルや母の意に沿うかのように、事態は更に混迷を深めていくのだった。

 王太子までもが道を踏み外したことによって。

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