貧乏生活からもおさらば、か
「私は自分が無能で、無価値で、無意味であることを証明したいのです。協力してくれますよね?」
「はぁ?」
わたしがコイツと出会った時、コイツはそんな風にのたまって、とんでもない計画の片棒を担がされる破目になった。
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わたし、ジュリーはそこそこ栄えた王国の中心地、王都の一角で生まれ育った。決して裕福じゃなかったし、むしろ貧乏で明日の食い扶持にも困るほどだった。
もちろんオシャレとかとは無縁だったし、文字だって読めやしなかった。服だって何年も使いまわしているせいで袖が短いものばかりだし。
わたしの家族は母と妹と弟の四人暮らし。母は夜に仕事をするせいで昼夜逆転する生活を送っていた。そのせいで幼い頃から妹と弟の面倒はわたしが見なきゃいけなくて、自然と家事一般は覚えたし、我慢強さを養ったものだ。
娘のわたしが言うのも何だけれど、母は美人の分類に入るんじゃないかと思う。やんごとなき方の寵愛を受けているといつも言っていたっけ。おかげで母は自分の美を磨くことに執着して、中々給料を家計に回してくれなかった。
いつかその愛人が必ず迎えに来てくれる夢ばっか見ていた母にいつも言いたかった。少しは今を、現実を見てくれ、と。
一度だけ連れていってもらったけれど、母が勤める仕事場はこの世のものとは思えないぐらいとても賑やかで華やかだった。
客達はわたしが何年もゴミ漁りしていいものをガラクタ屋に売っぱらったって決して買えやしない豪華な服だったり指輪だったりを着けてた。髪も髭も整ってたし、臭くないし。
けれどわたしは客達なんてちっとも羨ましくなかった。
きらびやかな服だって洗うの大変だろうなーぐらいしか思わないし、宝石なんて綺麗なだけでそこらの石ころと何が違うのさ。きっと食べたらほっぺたが落ちるぐらいおいしい食べ物を毎日口にしてるんだろうし、貧民街じゃ見かけないような美人の奥さんとか婚約者がいるんでしょうよ。
そんな連中が母たちを求めて夜のお店に足を運ぶのは、落とした飴にたかる蟻を思い起こさせた。
妹は母に感化されたのか、物心付いた頃からオシャレに目覚めてしまった。事あるごとに自分もどこかの貴族の目に留まって玉の輿に乗りたい、と言う始末。
母が夜の町の成功者になるまでどれだけ血の滲む思いをしてきたかも理解せずに上辺だけに憧れる妹に苛立ちを覚えたけれど、妹は妹でわたしはわたしだ。わたしの迷惑にならなきゃ好きにすればいいさ。
弟も弟で母に妙なことを吹き込まれたらしい。いずれ自分は王国でも有数の名門貴族の跡取りになるんだとさ。
はっ、弟が名門貴族の当主になるならわたしは王妃にだってなれるさ。生まれた時からもう格付けは済んじまってるんだよ。ま、そんな現実を思い知るまでは夢を見ていればいいよ。
とまあ、そんな毎日を過ごしていたんだけれど、突然終わりを迎えた。
なんとある日、母の愛人……もとい、母を愛人にしていた貴族様が母とわたし達を迎えに来たんだ。
貴族様は満面の笑顔で母に抱きついて、母もまた貴族様に愛を囁いた。貴族様が言うには妻が先立って邪魔者がいなくなったから、母を本妻として迎えたいんだってさ。
妹と弟もとっても喜んでいた。こんな惨めな生活とはおさらばだし、お姫様王子様みたいな豊かな生活が出来るんだ、ってね。
どうも二人は何度か貴族様と会ったことがあるらしく、とても可愛がられたんだってね。それで今日という日が来るのを待ち望んでたとか何とか。
そんなわたしは母の妄言が真実だったのも驚きだったし、貴族様が母に本気だったのも信じられなかった。
「あの、貴族様。そのお誘いは嬉しいんですけど、わたし達が行ったら迷惑がかかるんじゃあ……」
「はははっ、問題ない。何故ならお前達にも尊き青い血が流れているのだからな」
「……! まさか、じゃあわたし達のお父さんって……」
「何を隠そう、この私だ!」
何より、わたしが貴族様の娘だったなんて。
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母や妹、弟は貧民街での生活に全く未練は無かったらしく、家からは何一つ持ち出さなかった。
わたしは別に極貧生活が恋しいわけでもなかったけれど、流石に思い出深い私物は箱一つに詰め込んだ。母からは嫌悪感丸出しにされて貴族様からは理解出来ないと肩をすくめられたのが印象深い。
家に残された衣服とか家具は残らずゴミとして処分するらしい。貧民街からわたし達が過ごした形跡は片付けられて、もう後戻りは出来なかった。
貴族様に連れてこられたのはお城なんじゃないかってぐらい凄いお屋敷だった。詳しく説明したくても日々生きるのが精一杯だったわたしは、これを説明出来るような言葉が思い浮かばない。とにかく大きくて立派で……とても息苦しくて疲れる空間だった。
玄関で大勢の出迎えを受けた先で出会ったのは、あーこの娘を世間一般ではお姫様って言うんだろうなー、とか思うぐらい可愛らしい子だった。プラチナブロンドの髪とかシミ一つ無い肌とか、本当に同じ人間かよって疑いたくなるぐらい魅力的だった。
「ミッシェル。紹介しよう。今日から私の妻になるシャロンだ。こちらはお前の姉にあたるジュリーで、こっちは妹のポーラ、弟のフレディだ」
は? 姉? わたしがこの子の?
色々なことが頭に思い浮かんだけれど、その場では目の前の出来事の状況整理に専念することにした。
出迎えから晩餐を経て分かったことが幾つかある。母もわたし達もこの家にとっては招かれざる存在だ、と、貴族様が軽蔑されている、と、一番敬われているのは新しく妹になったミッシェルだということだ。
貴族様はどうもミッシェルが気に入らないらしく、彼女には冷たく厳しい言葉を浴びせるばかり。更には前妻のことを愛嬌がないだの抱きがいがなかっただの口出しばかりでうるさかったなどと、こき下ろし放題。逆に母やわたし達を褒めちぎる有様。貴族様も今日という日が来るのを待ちわびていたのが分かった。
おかしかった。貴族様がこの家で一番偉い筈なのにどうしてこうまで屋敷で働く人達から不満を抱かれるんだろうか、と。
とはいえぞんざいに扱われることはなく、晩餐を終えるとわたし達は自分達にあてがわれる部屋へと案内された。わたしの部屋を案内したのは他でもないミッシェルで、彼女はわたし達がつい先日まで住んでた家よりもずっと広い部屋について色々と説明してくれた。正直家具がどこぞの有名な工房で作ったとか、飾られた絵画を描いたのは誰それとか全く興味無かったから聞き流したけれどさ。
「ところでお姉様。せっかくこうしてお会いしたんだもの。今晩は私とお話しない?」
で、一周した辺りでミッシェルはそんなことを言い出して自分の護衛や侍女を下がらせた。愛人の娘と二人きりになんか出来ない、って不満が隠しきれていなかったけれど、ミッシェルの命令に素直に従った形だ。
部屋の中に残されたわたしはミッシェルに促されて窓際の椅子に腰を落ち着ける。居心地が悪いわたしをミッシェルはじっと見つめてきた。まるでこっちが丸裸にされそうで、怖さすら感じた。
「ねえお姉様」
「ジュリーで構いませんよ。わたし、ミッシェル様と年は一つも違わないらしいですし」
「では私のことも敬称をつけないで。お互い、親しくしましょう」
「……変わったヤツ」
少し緊張が和らいで思いっきり姿勢を崩した。手を組んで足を組んで、わたしは目の前にいる理解出来ない女を睨みつける。
「周りには誰もいないんだし、腹を割って話し合おうじゃないか」
「そうね。貴女となら気が合いそうだし、望むところよ」
「ミッシェルは馬鹿なのか? いきなり連れてきた愛人とその息子娘を歓迎する奴がどこにいるんだ? ここの使用人達だって貴族様の常識を疑ってたじゃないか。なのに出迎えた時からずっとにこにこしやがって。あの貴族様にそうしろって言われたのか?」
「それを説明する前にまずはジュリーが関わる当家の事情を知ってほしいの。明日以降お父様からも色々言われるかもしれないけれど、正確には伝えてこないでしょうからね」
そこからされたミッシェルの説明によれば、なんとここは王国でも指を折る程度しかない公爵家なんだそうだ。つい先月に女公爵様がお亡くなりになって、一昨日まで喪に服していて、終わった途端にわたし達を連れてきたらしい。
「ちょっと待ってくれ。女公爵様?」
「ええ、そうよ。私のお母様ね」
「じゃああの貴族様は今の公爵様なのか?」
「いえ。公爵家はお母様の家系が継いできたから、お父様は公爵にはなれないわ。私が成人するまでの後見人ってところかしら」
頭が痛くなってきた。じゃあ何だ、貴族様は後見人の分際で母を後妻として連れてきたってこと? 母が貴族様の正式な妻になったとして、貴族様は公爵家の直系じゃないんだから、つまり母もわたし達も公爵家の一員にはなれないってことじゃないの。
とか呆れ果てていたら貴族様は公爵一族の分家筋の出だって補足された。だから何だって話なんだけどさ。爵位継承順から言うとミッシェルの後は先代の兄弟やその子供になるだろうし、あたし達なんざ下も下だろ。
「ミッシェルさ、よくわたし達を受け入れてくれたな。普通だったらわたし達どころか貴族様をこの屋敷から叩き出したって良かっただろ」
「私が「お父様の命令に沿ってあげて」ってお願いしたから」
「理解出来ないなー。何が目的さ? まさか姉妹が欲しかった、とか言わないでよ」
「そんなんじゃあないわよ。それに答える前に一つ、質問に答えてもらうわ」
なおも微笑を湛えるミッシェルだったけれど、その目は決して笑ってなかった。貧民街でたまに見かける覚悟の決まった奴が見せるものだ。それも、その晩には強盗だの殺人だのに踏み切る、ヤバい覚悟を持った輩のな。
「ねえジュリー。貴女、せっかく公爵家の娘になったんだもの。何をしたい?」
「はぁ? 貴族様が後見人でしかないって言っておいて、その質問意味ある?」
「問題無いわ。本来の後継者である私が一筆認めればいいだけだもの」
「そこまでされても見返りが怖いだけなんだけど」
「何でもやりたい放題よ。貧民街で過ごしてて腹が立った人に野盗をけしかけられるし、この部屋をより豪奢にだって出来るわ。この国の王子の婚約者になることも夢じゃないもの。さあ、何を望む?」
「別に。強いて言うなら、勉強したいってぐらいかな」
そうだ。わたしは勉強をしたい。文字を覚えて色々な本を読みたい。賢くなればあくどい奴に騙されないし金儲けだって思いのままだ。文官にまで上り詰めれば将来は安泰だろう。貧民のままじゃあ時間も金も足りやしない。せっかく与えられた環境なんだし、意地張って突っぱねるのはただの馬鹿だろう。最大限有効活用しなくちゃね。
「公爵家の娘としての教養が欲しいってこと?」
「そんなもの要らないよ。アヒルの子をどう飾ったって白鳥にはなれやしないだろ。この屋敷を出た後もまともに暮らしていけるだけの仕事にありつける頭が欲しいってことだよ」
「女性の自立が出来るほどまだこの国では進んでいないわ」
「でも全くいないわけじゃないよな? 知ってるんだよ」
「……公爵家の娘として認知されたらやんごとなき殿方の伴侶にだってなれるのに?」
「かーっ、馬脚を現す、とか言うんだったか? そんなヘマしたくないよ」
本音を明かしたわたしが気に入ったのか、ミッシェルは盛大に笑った。それはこれまでの顔に貼り付けた上辺だけのものじゃなく、心の底から笑ったのだ。
ようやく落ち着いた彼女は自分の目元をハンカチで拭って、再びわたしを見据える。
「いいわね。やっぱり私の目に狂いはなかった。いいでしょう、ジュリーの願いはこの私が必ず叶えてあげる」
「貴族様にお伺いはたてなくていいのか?」
「その辺りは気にしなくていいの。その代わり、ジュリーには私の願いを叶えてほしいの」
「わたしに出来る範囲だったら、ね」
ミッシェルは目を爛々と輝かせて、興奮混じりにとんでもないことを口走った。
「私は自分が無能で、無価値で、無意味であることを証明したいのです。協力してくれますよね?」