情報収集①
果歩の記憶を取り戻したグレイがまず始めようと決めたのが、この世界に対する情報収集である。
何せ自分自身が置かれた世界をシンデレラの世界であると仮定しているのだ。
時に、シンデレラの世界にも原作小説なんてものが存在する。果歩はその小説を小学生の頃に一度だけ読んだことがある……つまりはうろ覚えである。
ただ、知識として知っていることは、シンデレラ原作小説は大きく分けて二種類あるということだ。
それはシャルル・ペローが著者であるものとグリム童話がもとになっているものである。
どちらも起源をたどれば同じものであるのかもしれないし、第一に日本の古文の時代にも“落窪物語”というシンデレラストーリーが残っているほどなのだ。不遇な立場の女性がかっこよくて身分の高い男の人に助け出される、という夢物語は、万国共通、どの国の女性も夢見るものなのかもしれない。
だが、シャルル原作のものとグリム童話原作のものでは大きく違う部分もある。シャルル原作のシンデレラは不遇なシンデレラの元に魔法使いがやってきてかぼちゃを馬車に変え、12時の鐘で魔法が溶けるといった有名なものであるが、グリム童話のシンデレラには魔法なんてメルヘンなものは登場しない。それどころか母の墓の前で拾ったドレスを纏い夜会に参加し、ガラスの靴のサイズが合わない義姉はサイズを合わせるために足の小指をそぎ落とし、シンデレラと結婚する王子はシンデレラをいじめた罰として義母や義姉の目を鳥に突かせてつぶしてスッキリしたと言いながら笑顔を浮かべる。巷で本当は怖い童話なんて呼ばれているものの一つであるだけある。血みどろである。
つまり、メルヘンな魔法世界であるのか、本当は怖いおとぎ話といわれている世界であるのか、見極めないまま下手に邸宅内で問題行動を起こしでもしたら、最悪の場合私は義母や義姉や使用人に殺されるであろう、というのが果歩の記憶を持ったグレイが導きだした結論である。可能であるならばメルヘンな世界観であってくれと切に願う。
それに加えて、果歩の記憶にはシンデレラの知識が絵本レベルでしか残っていなかった。昔々あるところに――から始まり、とある村か領地か分からないが、どこかで暮らしているシンデレラ。義母や義姉にいじめられ数年が経ち、ある日お城で開かれる夜会に参加し、後日使いの者がガラスの靴を持ってやってくる……。なんてものだ。
果歩が元居た世界で読んでいた異世界転生もののネット小説では、敵が3日後に攻めてくるだとか、どこの領地で反乱が起きるだとか、原作ストーリーが5年後に始まるだとか、原作知識をフル活用して生き残っていく物語なんてものも多くあったが、果歩の持っている知識は要約するといつか夜会に参加して王子に一目ぼれされて結婚する、程度のものである。それに加えて嘆かわしいことに原作はもう始まっている。せめて父が義母と結婚する前に記憶を取り戻したかった。そうすれば再婚を断固拒否できたものを。亡くなった父に文句を言っても仕方がないけれど。
果歩の過去の記憶の中の情報は現状打破にはみじんもかけらも役に立たない上に、欲している、今が何年である、だとか夜会に向かうことになるのがいつ、だとか肝心な情報は何一つないのだ。
ましてや、数年後王子が迎えに来るといわれて、はいそうですか、とはならないだろう。いったいそれまで何年間陰湿ないじめに耐える必要があるのだろうか、冗談じゃない。しかもそれが、一度しか会ったことがない女の子を、部下に命じて国中を探させ、Noを言えない求婚をしてくる執着系の王子であるならなおのことだ。
おとぎ話だったから許せたかっこいい王子様も、現実として差し迫ってきたら怖すぎる。
また、いじめを受けている現在のグレイに学が備わっているはずもなかった。まともに教育を受けていないのだから当然ではある。それに、現代日本に生まれ箸で食事をし、楽な洋服で過ごしていた果歩にドレス着てナイフとフォークで食事をし、夜会で社交ダンスを踊るなんて知識も技量もあるはずがない。継ぎはぎだらけのボロボロの服で掃除をしているグレイも同様である。
夜会云々はどうでもいいものの、グレイは生まれてこの方お金を触ったことがなかった。また、この国での貴族以外の人たちの暮らしも知らなければ、肝心の王子のいる王宮の事情すら知らない。この屋敷から逃げ出したとて生きていく術すらないのだ。
このままではこの国がどういうものであるかも知らずに、ある日突然王子に求婚されて国の象徴ともいえる王妃の椅子に座るのだ。怖すぎる。原作のシンデレラも同様であったならどうやって王宮で生きていったのだろうか。シンデレラをいじめた義母達の目を物理的に潰して笑うメンヘラ王子の部下や侍女たちが、学がないからとシンデレラをいじめたとも思えないけれども。
「いじめに落ち込んでる場合じゃないわ……自立しよう」
ハッピーエンドの物語、シンデレラ。それはあくまで原作のシンデレラにとってのハッピーエンドであり、グレイにとっては原作ストーリーの通りに進むこと、それすなわちバッドエンドと同じであると考えを改めた。
そして、そんなバッドエンドを避けることを神様が手助けしてくれるかのように、学びの機会がやってきたのである。
「シンデレラ、どこにいるの!こちらへ来なさい!」
義母は派手だが似合っていない紫のきらびやかなドレスで、品なく高いヒールを鳴らして歩いてきた。豪華絢爛な宝石だらけの羽扇子で口元を隠すさまは、いかにもあくどい貴族のそれである。
コンプレックスを隠すように分厚い化粧で顔を塗りたくっており、一緒に暮らして長くなるグレイも彼女のすっぴんは見たことがなかった。どうして父はこんな女と再婚したのだろうか。
義母は赤い髪と赤い目をした女で普通に美人ではあるが、あくまで普通の範疇を出ない。その事実を本人も自覚しているようで、嫉妬から容姿の美しいシンデレラをいじめているとも思っている。グレイの周りに鏡などないため実際に自分自身の見た目を詳しくは知らないのだが、本当にシンデレラに転生しているのなら、絶世の美女なのであろうという確信がある。そしてこの義母は、グレイの名前を呼んだことなど一度もなく、「灰かぶり」という蔑称で呼び続けてくるが、シンデレラという童話のお姫様のイメージが果歩の記憶のおかげで得られたグレイには、もう蔑称としては聞こえなかった。
そんな高慢ちきな義母に呼び出されたグレイは突然髪を鷲掴みにされ、あまりの痛さに子どもらしい悲鳴を上げてしまう。
「お義母様、痛いっ、放してください、歩きますから……!お願いします……!」
なんて懇願するグレイの言葉を煩わしいものかのように無視し、義母に引き摺るようにしながら連れてこられたのは、亡くなった父の書斎であった。父が亡くなって三年間、使用人すら踏み入らず掃除のされていないその部屋は、グレイの住む屋根裏部屋と変わらないほど埃っぽい。
金目のものは置いておらず、本になど微塵も興味を示さない義母と義姉達が放置していたその部屋には、驚くほど多くもないが少なくもない、一万冊ほどの革表紙の分厚い蔵書がひっそりと埃を被っていたのであった。
「貴方の大好きなお父様の書庫の本を掃除するのよ、シンデレラ。埃がなくなるまで丁寧に掃除し終わるまではこの部屋から出ることは許しませんからね。」
義母からすれば、グレイに無き父の姿を無理やり思い出させ、父がいないのだという実感を押し付け、本が読めないくせに掃除だけさせられているグレイの学のなさを馬鹿にし、さらには埃まみれのグレイを馬鹿にするという最上級の嫌がらせであったに違いない。
乱暴に書斎の床に投げつけるようにされたグレイの周りには埃が舞い、思わずむせこんだ。そんなグレイの姿を満足そうに見た義母は鼻で笑ってその場を離れていったが、内心ほくそえんでいたのはグレイの方だった。
これで書斎に入る口実ができた。元々この場所は、この世界に関する情報収集のために入りたいと思っていた場所で、どのような言い訳をして立ち入ろうか考えていたところだったのだ。グレイはその場から立ち上がると服と髪についた埃を軽く払い、一番近くにあった本に手をかける。そうしてパラパラと中身を見て、パタンと本を閉じた。そして、小さくガッツポーズをする。
予想の範疇ではあったが、問題なく文字が読めるのである。転生に伴ってのボーナスだろう。記載されている言語は日本語ではなかったものの、日本語として問題なく認識することができた。それは、実母や父の墓標の文字を問題なく読めていたので予想はついていたのだが。
チャンスは訪れた。後はいかに義母や義姉や使用人の目を欺きながら本から情報を得るかだ。何故ならば、学のない“シンデレラ”は文字が読めないはずなのである。
それもあって、本人は読めもしない重い蔵書を拭く必要がある肉体労働を、十歳の、それも栄養状態すら芳しくない少女に命じる、なんて悪魔のような所業を思いつくに至ったのだろうけど。
なんにせよ、この機会を逃す手はない。
そんなことを思ったグレイは小声で「はい、お義母様」なんて返事をすると、ウキウキと書庫の掃除を始めたのである。




