石投げ令嬢〜婚約破棄してる王子を気絶させたら、王弟殿下が婿入りすることになった〜【連載版を始めました】
「ルイーゼ、そなたとの婚約を破棄する」
学生たちがダンスを楽しむ会場で、大きな声が響いた。
ミュリエルは驚いた。あれはヨアヒム第一王子殿下の声ではないか? ミュリエルは壁沿いをスルスルと進み、声の発生源に近づく。
「ルイーゼ、そなたは私の愛がアナレナに移ったことに憤り、アナレナに数々の無体な仕打ちをしたな」
ミュリエルは見やすい場所にたどりついた。やはりヨアヒム殿下だ。ヨアヒム殿下が、婚約者のルイーゼ公爵令嬢を糾弾している。ヨアヒム殿下には、かわいらしい感じの少女がぺったりと引っついている。
「無体な仕打ちとはどういったものでしょう?」
ルイーゼが冷静に問いかけた。
「アナレナの礼儀がなってないと人前でののしった」
「わたくしは、身分の高いものに突然話しかけてはなりませんと、注意しただけですわ」
「学園内では身分制度はない」
「それはあくまでも建前です」
(なんだこの茶番は)
ミュリエルは意味が分からない。なぜこんな衆人環視の中で、こんなバカげた言い合いをしている? そんなものは三人で話し合えばいいじゃないか。
(どうして誰も止めないんだろう)
ミュリエルは、ヨアヒム殿下の周囲を注意深く観察した。
なるほど、あのアナレナという少女は悪い気を放っている。さては魔女か。
そして、ヨアヒム殿下を止めるべき側近は……アナレナの顔をボケーっと見ているな。
ははーん、これは魔女にたぶらかされた、ヨアヒム殿下のご乱心だ。そして側近も魔女の手に落ちていると見てよさそうだ。
ミュリエルは急いで、父に叩きこまれた『王都で気を付けるべき十か条』を頭の中で暗唱する。
『上の立場の言うことには従うべし。ただし、その指示が納得できない場合は、その限りではない。上位の者を正しい道に向かせるのも忠臣の役割である』
よし、これだな。ヨアヒム殿下は魔女のせいで正気を失っている。こんな学生たちが見ている中で、痴話げんかをするべきではない。ミュリエルは決心すると、すぐさま行動に移した。
腕飾りのガラス玉をバラバラにすると、手の平に置いて無造作に指先ではじく。長年、田舎領地で狩りをしてきたミュリエルにとって、棒立ちのヨアヒムに当てることなど造作もない。
ガラス玉はヨアヒムのこめかみを打ち、ヨアヒムは声もなく昏倒した。
(よし、仕留めた)
ミュリエルは瞬時に次のガラス玉を手に置くと、魔女アナレナを落とす。
ヨアヒムに続き、アナレナが倒れたところで、場内は騒然となった。ミュリエルは混乱をしり目に何食わぬ顔で会場をあとにした。
「あ~あー、今日も婿をつかまえられなかった」
ミュリエルは食べすぎてぽっこり膨れたお腹をさすりながら、早歩きで帰る。馬車なんてそんな贅沢なものはない。お世話になってる老夫婦の家まで、徒歩である。
***
ミュリエル・ゴンザーラは弱小領地の男爵令嬢だ。年は十五歳。有能な婿を捕獲し、領地に連れ帰るのが使命だ。
父から言われている優先順位は、医学、法律、測量、土木などの知識を持つ健康な男子だ。持参金はなるべく多いに越したことはない。
「いやいや、父さん。ねえ、現実を見てよ。目をよーくおっぴろげて見てよ。こんなたいした顔でもなく、薄っぺらい体で色気のない私だよ。そんな有能な男がつかまえられると思う?」
「思わん」
「ですよねー」
「だが、なんとかしろ」
「そんな無茶な」
父は少しも譲歩しない。
「お前の婿の持参金で、農耕馬を買おうと思っている。そうすれば翌年の収穫が期待できる。ひもじい思いをする民が減るな」
「ええー」
「今年の税収は治水事業できれいさっぱりなくなった。お前の婿の持参金で、城壁を修理できれば、魔物の侵入が防げる。民の命が救えるな」
「ううー」
「もしお前の婿が医学に通じていれば、病気で苦しむ民が減るな」
「まーねー」
「お前の姉、マリーナは優秀な税理士をつかまえたぞ。おかげで私の書類仕事が大幅に減った」
「だってマリー姉さんは美人だし、胸も大きいし、ねえ。私じゃ無理無理」
父が奥の手を出してきた。
「いいか、村のばあさん連中がな、お前に特別な秘技を授けてくれるらしい。門外不出の媚薬もくれるらしいぞ。とにかく、どんな手段を使ってもいいから、技術と金を持ってる健康な男をつかまえてくるんだ」
それが親の言うことですか、ミュリエルは懸命に反論したけれど、父はがんとして譲らなかった。領民たちの期待を一身に受け、ミュリエルは最低限の荷物で王都にやってきた。
「姫さまー、金持ちをお願いしまーす」
「医者、医者がいいでーす」
「寄せて上げるアレ、必ず使ってねー」
「できれば複数人連れてきてくださーい。わたしの分もー」
領民はまったくもって遠慮がない。好き勝手言われながら、盛大に見送られたのだ。
残念ながら、ばあさん連中からの媚薬はまだ出番がない。まさか授業中に隣の男子に飲ませるわけにいかないでしょう。飲ませるまでの段階にたどり着きませーん。
もちろん、ミュリエルだって領地のために有望な男をつかまえたい。情報収集には余念がない。学園で医学を学んでいる男子生徒はとっくに調査済みだ。その中でも、婚約者のいない男子は順番に尾行している。
「やっぱり、危ない目にあってるところを、颯爽と現れて助けるのがいいと思うんだよね」
小さいときから、男女関係なく狩りをする領地で育ったミュリエルは、思考が男だった。
「フランツ・マッケンゼン男爵子息。四男。持参金は期待できそうにないけど、それなりに健康だし、いいかもしれない」
今日の獲物、フランツが図書館で医学書を借りて帰るところを追いかける。フランツは本を読みすぎて目が悪いのだろう、大きなメガネをかけている。おっと、フランツが本を落とした。本を拾おうとしているぞ。あっ馬車が――。
ミュリエルはフランツを抱えて道路脇に転がった。
「大丈夫ですか? 怪我はない? さあ、立ってください」
ミュリエルはフランツのずれたメガネをかけなおし、とびっきりの笑みを見せた。ばあさん直伝の色気ほとばしる笑顔だ。
「あ、ありがとうございます。服が汚れてしまっています。弁償させてください」
「それは……」
たいへんありがたい、と思ったが、ここで欲をかいてはいけない。ミュリエルは自制した。
「洗えば大丈夫ですから、お気になさらず。では失礼します」
ミュリエルはわざとゆっくり歩きだす。
「あ。あの……」
(よしっ)
「帽子忘れてますよ」
「あ、ありがとう」
なにごともなく別れて、ミュリエルはがっかりする。
(せめて名前ぐらい聞かんかい。ヘタレか)
「いや、助けてもらっても名前聞きたくないぐらいに、私に魅力がないってことか」
ミュリエルはさらに落ち込んだ。部屋に帰って、婿候補一覧からフランツの名前を消した。
***
「ねえねえ、聞いた?」
学園に着くなり友達のイローナにつかまる。
「ヨアヒム殿下、謹慎させられてるんだって」
「ふーん」
「ふーんて。もっと驚きなさいよー」
「いやーだってさ、夜会であんな醜態さらしたら、そら怒られるよね」
「まあねー、家でやれやってみんな思ったもんねー」
イローナがうんうんと同意する。
「殿下とアナレナさんがいきなり倒れた理由は調査中だって」
「へ、へー」
ミュリエルの目が少し泳いだ。
「あのアナレナさんはどうなったの?」
「アナレナさんも自宅で謹慎中だって。男爵令嬢があんなに目立っちゃまずいよね」
「そうね。私も貧乏領地の娘として、集団に埋没して生きていくよ」
「賛成」
イローナもしがない男爵令嬢なのだ。とはいえ、イローナのお父さんは金で爵位を買ったクチなので、イローナの実家はお金持ちだ。イローナの一か月のお小遣いは、ミュリエルの一年分のお小遣いより多い。
ミュリエルの両親はとてもとてもケチだ。
「お前の小遣いは領民の税金から出ている。硬貨一枚が領民の血液だと思って使いなさい」
幼い時からそう言われて育ってきた。そんなこと言われたら、無駄遣いなんてできるわけがない。そんな事情を、イローナはよく理解してくれている。イローナの前では無駄なミエを張る必要もない。ミュリエルはよい友を得たのだ。
「それで、夜会でもいい男つかまえられなかったけど、どうすんの?」
「どうしよう……」
「食べてる場合じゃなかったんだよ、もっとグイグイいかなきゃ」
「そんなこと今更言われても。あんな洗練された都会の料理見せられたら、一年分食べなきゃってなるじゃない」
「色気より食い気の間は男なんてつかまえられないんじゃない」
「なによー、ちょっと自分が婚約者いるからってさー」
「まあね、アタシは金で婚約者買ったようなもんだけどね」
イローナが得意げに巻き毛を揺らす。
「そこに愛はないの?」
「愛ー? 金がある間は愛もあるんじゃないのー」
イローナはとても現実的だ。実家が商家だけあって、打算的と言ってもいいかもしれない。
「いざとなったら、うちの兄貴のどれかあげるよ」
「ありがとうございます! イローナさま。持参金をはずんでください」
「うむ、よいぞ」
「やった!」
ミュリエルは小さく拳を握った。
「でもうちの兄貴たち、都会育ちで弱っちいよ。虫見たら叫ぶよ」
「大丈夫、金さえあればなんとかする」
「ははは」
「失礼ですが、ミュリエル・ゴンザーラ男爵令嬢でいらっしゃいますか?」
とってもスッとした感じの紳士が声をかけてきた。
(キターーー)
「はい、そうですが?」
内心の大騒ぎをぐっと押し込めて、ミュリエルはよそ行きの顔を作った。ばあさんたちに何度もダメ出しをされたうえで作り上げた、汗と涙の結晶である。右側の方がキレイというばあさんたちの意見に従って、やや顔を左に傾け、斜め上に紳士を見上げる。
(ドヤァ)
紳士は穏やかな表情を変えずに、ミュリエルに手を出す。
(これは……これがホンモノのエスコート)
ほわほわーんとなりながら、ミュリエルはイローナに、あとでねっと目線で伝えた。
「あの、どちらへ?」
「王城へご案内いたします。陛下がお待ちでいらっしゃいます」
紳士は小声でささやいた。
「えっ、どうしてですか?」
「私の口からは申し上げられません」
(なんですとっ)
ミュリエルの頭は忙しく回転し始めた。どうしよう。
紳士を気絶させて領地まで逃げるか? いや、ダメだ。名前がバレてるからすぐつかまる。
ぐるぐるぐるぐる結論の出ないまま考え続け、なにもいい案が浮かばないまま王城に着いてしまった。最悪である。
謁見の間に連れていかれる。強そうな騎士たちがミュリエルを見つめている。
どこまで進んでいいか分からないミュリエルだったが、紳士がしかるべき場所で立ち止まってくれた。言われるままに跪く。
(私、死ぬのかな。こんなことなら、もっと王都のお菓子食べておけばよかった)
節約せずにパパーっとお小遣い使っておけばよかった。ミュリエルは後悔した。
「ミュリエル・ゴンザーラ男爵令嬢、おもてを上げなさい」
紳士に言われてミュリエルは顔を上げた。陛下、ヨアヒム殿下によく似てるな。
そんなのんきなことを考えていたら、紳士に爆弾投げられた。
「こちらのガラス玉、あなたの物ですよね?」
(なんでー、バレてるー)
「……はい」
ミュリエルは諦めた。これは処刑だ、間違いない。父さん、母さん、姉さん、たくさんの弟たちよ、さようなら。ミュリエルは立派に散ります。
「王家の影が、すんでのところでそなたを殺すところであった」
突然、陛下に声をかけられてミュリエルは身がすくんだ。
「すぐ、ヨアヒムが気を失っているだけと気づいたのでよかったが。なぜあのようなことをした」
「はい。ヨアヒム殿下がご乱心だと思ったからです」
「ふむ。考えは間違っておらんが、手段が悪かったな」
王は眼光するどくミュリエルを見つめる
「だがまあ、ヨアヒムを止めてくれたのはありがたかった。あれ以上醜態をさらしておれば、廃嫡にせねばならんところであった」
王は鋭い視線を少しだけやわらげた。
「よって不問といたす」
(父さん、母さん、姉弟たちよ。なんか首の皮一枚で生き残ったっぽいよ)
ミュリエルは深く息を吐いて吸った。
「そなた、なかなかいい腕をしているが、騎士団で働いてみるか?」
とっても心惹かれる提案だが、ミュリエルの将来は父によって既に決められている。
「私は領地に戻って、領民に尽くすと決めております」
「そうか。では何か褒美をつかわそう。望みのものはあるか?」
(お金がいいです!)
喉元まで出かかったが、あまりに無礼だろうとミュリエルは呑み込んだ。
「金品もつかわすが、それ以外で何かあれば言ってみよ」
(マジかよ)
ミュリエルは領地で覚えた『王都で気を付けるべき十か条』を必死で頭の中で唱える。
『王家には絶対服従。ただし命が危ない場合は逃げてよし』
(絶対服従ということは、望みを言っていいってことよね)
ミュリエルは覚悟を決めた。
「医学、法律、測量、土木などの知識を持つ健康な婿を望みます。持参金はなるべく多くいただきたいです」
謁見の間に沈黙が流れた。王はわずかに口をゆがめる。
「探してみよう」
こうして、ミュリエルは理想の婿を手に入れる機会を得た。しかし、まさかそれが王弟であるとは夢にも思わなかった。どうしてこうなった。
***
「のどかでいいところじゃないか、ミリー」
「そうですか、アルフレッド殿下」
「アルでいいって言ってるのに」
アルフレッド王弟殿下は、ヨアヒム殿下に代わって王位を継ぐか、ミュリエルに婿入りするかを王に選ばされたらしい。
「そりゃあ、めんどくさい王の座より、若くてイキのいいミリーの婿の座の方がいいに決まってるよ」
「そうですか」
ミュリエルはまだ事態がよく呑み込めてない。よく分からないから、父に説明してもらおうと思っている。
馬車が領地の城壁内に入ると、静かな領民たちに出迎えられた。ミュリエルが旅立つときの大騒ぎとは大違いだ。皆、ミュリエルが連れてきた婿があまりに大物すぎて、どうしていいか分からないようだ。
それはミュリエルも一緒なので、どうしようもない。
街の一番高い場所にある、質素な屋敷に着いた。カチンコチンの家族が出迎える。
うん、なんか、ごめんね。ミュリエルはそっと心の中で謝った。
家族総出でアルフレッドを一番いい客室に押し込み、家族会議をする。
「それで、ミリー、いったいどういうことだ」
「わっかんない。なんでか知らないけど、こうなった」
「最初から全部話しなさい」
ヨアヒム殿下を気絶させたら、なぜかアルフレッド王弟殿下の婿入りが決まったことをかいつまんで話す。話すうちに家族の顔が暗くなる。
「さっぱり分からん。アルフレッド殿下は、この領地を治めるのだろうか。しかし、こんな弱小領地を? あり得るのか?」
「分かんない」
家族誰もが見当もつかない。
「じゃあ、父さん、あとで殿下に聞いてみて」
もう父に丸投げだ。父は青ざめた顔で頷いた。
ゴンザーラ男爵家にある最も質の良い銀食器に、苦心の跡がうかがえる料理が盛りつけられている。銀食器はミュリエルから連絡が届いてすぐ、皆で手分けして磨いたらしい。
アルフレッドは皆の心配をよそに、美味しそうに料理を食べる。朗らかに笑いながら、次々とグラスを空ける。緊張していた家族は、次第に自然に話せるようになった。
アルフレッドはひととおり料理が終わると、真面目な顔で切り出した。
「皆さんご心配でしょうから、先に言っておきますね。僕はこの領地を継ぐつもりはありません。持参金はきちんとお持ちします。ミリーと結婚してしばらくしたら、適当な王家直轄地に移って、そこを治めるつもりです」
アルフレッドはミュリエルを見て笑いかける。
「もちろんミリーの意見を尊重するよ。ミリーがずっとここにいたいなら、ここでもいいし」
ミュリエルはポカンとした。突然増えた人生の選択肢に頭が追いつかない。
「いずれにしても、数年はこちらでお世話になります。領政を学び、領民とのつき合いを実地で身につけたい。王都は民との距離が遠いですからね」
そんなうまい話があるだろうか、家族は思ったが、誰も口には出さなかった。
とりあえず顔合わせに来ただけで、すぐ王都に戻るであろうと思っていたが、アルフレッドは、そのままここに住むつもりらしい。家族は大慌てだ。
「新しい屋敷を作った方がいいよね」
「そうだな、いつまでも客室にいていただくわけには」
「でも、時間かかるよ」
家族の心配をよそに、アルフレッドは客室で十分という。
えええー気を遣ってくつろげない。皆の心の声が漏れている。
「もしくは適当な空き家があればそこでいいですよ。野営に比べればなんてことはない」
実に話の分かる王族である。すみやかに、それなりの空き家を突貫工事で整えた。
「でも、食事はここで一緒にさせてください」
アルフレッドの言葉は当然のこととして受け止められる。ドタバタしながらも、アルフレッドのいる風景が普通になってきた頃、事件が起こった。
アルフレッドが高級そうな手紙を読んで、顔をしかめる。
「ええー、隣国の王女が来る!? ここに? どうして??」
「うーん、僕がミリーと婚約するのを邪魔しに来るみたい」
「え?」
「子どもの頃からしつこくてね。僕は好きじゃないって何度も言ってるんだけど、信じてくれないんだ」
「えーっと、よく分からない。私と政略結婚するより、その王女の方がいいのでは?」
「いやだなミリー。僕は誰とだって政略結婚できる立場だよ。僕が望みさえすればね」
「はあ」
「僕はねぇ、ずっと退屈だったんだ。ミリーがヨアヒムを昏倒させたって話を聞いたとき、ゾクゾクしたんだ。何かおもしろいことが始まるぞってね」
「ええっ、意味が分からない」
ミュリエルは頭を抱えた。
「どこの貴族令嬢が自国の王子を気絶させる? あり得ないよね。頭おかしいじゃないか」
「う、ごめんなさい」
「褒めてるから。そういうことで、面倒なことになる前に、手続き済ませてしまおう」
「え?」
「ほら、とりあえずここに署名して。ひとまず書類上は夫婦になってしまおう。そうすればあのうっとうしい王女もすぐ諦めるよ」
「はあ」
ミュリエルは流されて署名しようとして、慌てて思いとどまる。
「いやいやいや、なんかおかしいでしょ、この流れ」
「ミリーよく考えて。ミリーは婿が必要なんだろう?」
「うん」
「医学、法律、測量、土木などの知識を持つ健康な男がいいんだよねぇ? 僕以上にこの条件を満たせる男はどこにもいないよ」
「ホントに?」
「退屈しのぎに色々学んだからね。それに、僕の持参金は領地の年間予算の十倍だよ」
「お願いします!」
「よし、素直なのはいいことだ。ここ、さあ、ここに」
ミュリエルは金に転んだ。コロコロだ。なんだかよく分からないうちに結婚してしまった。
「念の為、同じ書類を五部作っておこう。さあ、ここにも署名を」
アルフレッドは一部を移動中の王女に送った。『もう結婚した。来ても手遅れだ』という手紙と共に。仮にも一国の王女に、この態度は許されるのだろうか。
我に返って父に報告したところ、父は遠い目をしたが、持参金の額を聞いてすぐ立ち直った。
「でかした!」
過去最高に褒められた。
***
「アル、静かに。ほら、あそこに白鳥がいるでしょう。去年ヒナたちが独り立ちしたから、今年は産むと思ったんだ。あ、見えた? 卵あたためてるでしょ。六個あったね、楽しみだね」
ミュリエルはいかに白鳥のヒナがかわいいか力説する。
「灰色なのよ、それでフワフワなのよ。親鳥の背中に乗って湖を移動するの。すぐ泳げるようになるんだけどね。今年は何羽生き残れるかなあ。毎年、何羽かはキツネとかに食べられちゃうんだ」
アルフレッドは優しい目でミュリエルと白鳥を眺める。
「二年ぐらい親と一緒に暮らして、羽がほとんど白色になったら親と別れてどこかに飛び立つの。親鳥はずっとここに住んでるの」
ふたりはのんびり湖岸を歩く。
「あ、雁がいるね。あれは渡りの雁だから、食べよう」
「えっ?」
ミュリエルは拳大の石を拾うと、ふたつ続けて投げる。石は首と胴体の境に当たり、二羽の雁が倒れた。群れは一斉に飛び立つ。
「よしっ」
ミュリエルは飛び跳ねる。
「一羽は丸焼き、もう一羽は腹に詰め物して焼こう。どっちもおいしいよ。羽毛はアルの掛け布団にしようね」
アルフレッドがお腹を抱えて笑う。
「ど、どうしたのよ、急に」
「いや、ははは。ミリーは最高だよ。僕も石で狩りができるようになれるかなあ。教えてくれる?」
「いいよ。あ、でも白鳥は狩っちゃダメだよ。領民に愛されてるからね」
「分かった。ははは、ミリーといると、楽しみが尽きないよ」
アルフレッドはミュリエルを抱きしめた。
「僕の最高の奥さん。僕のこと、早く好きになってね」
「う、うん。もう割と好きなんだけど」
アルフレッドは美しい顔いっぱいに笑みを浮かべて、ミュリエルにキスをする。
<完>
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