存在証明は曖昧な0と1
さほど混んでいないファーストフード店で宵宮は早めの夕食を乗せたトレーを空いていたテーブルに置いて席につき詩南穂を待つ。広く開けられたガラスからは行き急ぐ通行人が右往左往しているのが否応なしに見える。まるで水族館だ、と宵宮は漠然と思った。それはただ単に大きなガラスから連想したに過ぎないし、通行人を眺めたところで大きな水槽の中を泳ぐ魚を見た時のような高揚感などは微塵も感じられない。
「お待たせー。」
少しして詩南穂が同じくトレーを持って宵宮の向かいに座る。宵宮のトレーにハンバーガー、ジュース、フライドポテトが乗っているのに対し、詩南穂のトレーには今お試し期間と称して売っているサラダとSサイズの飲み物だけだった。恐らく中身はお茶が何かなのだろう。
「それしか食べないの。」
呆れ気味の宵宮に「今ダイエット中だから」と詩南穂は返す。ならどうしてカロリーの塊とも言えるファーストフード店なんかに来るのかと宵宮は思ったが口にはしなかった。今更言ったところで意味はない。
「そういえばさ、まだ捕まってないんだって。」
「何が?」
「銀行強盗の犯人。なんかお父さんは帰りが遅いしお母さんはピリピリしてるし。無駄に気を使っちゃって息が詰まるよ。」
「公務員の娘は辛いねえ。」
おおよそ女子高生が食事をしながらするような話題ではないが、そもそも何が女子高生らしいのかよく分からない宵宮はそのままハンバーガーを咀嚼する。オレンジジュースで飲み下すと、詩南穂が宵宮のポテトに手を伸ばしていた。
「ダイエットじゃなかったっけ。」
「やっぱりサラダだけじゃお腹膨れないわー。」
「食事制限だけだとすぐリバウンドするよ。痩せてもケーキとか食べたらアウトだし。」
「よし、ダイエットは明日からにする。」
詩南穂は容赦なくポテトを口に運ぶ。宵宮は食べ終えたハンバーガーの包み紙を几帳面に畳んでトレーに置く。その頃にはポテトはほとんど詩南穂の胃袋に消えていた。
「ねえ宵宮、お金の為に人を殺すのってどう思う?」
「え、いけないことだし、許されないことだと思うけど。」
「だよねえ。」
詩南穂は頬杖をついて先ほどの宵宮のようにガラスの向こうに視線を投げている。宵宮もなんとなく同じ方向に目をやる。稀に通行人が店内を一瞥して去っていく。もしここが水族館なら水槽の中にいるのは自分達の方か、と思った。宵宮は詩南穂に視線を戻す。
「誰か殺したの。」
疑問でもなく、咎めるでも軽蔑でもなく、決定事項を無意味に反芻するようにただそう呟いた。詩南穂はいや、とだけ答えて同様に宵宮に視線を移した。必然的に互いを見つめ合う形になる。二人は付き合いたての恋人同士でも、それに似たような感情も持ち合わせていない。だから恥じらいなんてものは微塵もなかったし、そんな雰囲気をかもしだす話題でもない。
「でも、実際はお金欲しさに人を殺すのも、親の財布から盗み出すのも同じことかもね。代償に差があるだけでさ。結局は汚れたお金で生かされてるんだよ、私達。」
「宵宮ってさ、なんか見てる世界が違うよね。達観してるっていうか。」
「そんなんじゃないよ。ひねくれてるだけ。」
じゃあ、詩南穂にはこの世界はどう見えてるの。咽まで出かかった言葉を宵宮はほとんど水の味しかしない残り僅かなオレンジジュースで無理矢理飲み込んだ。
ゴミとトレーを片付けて宵宮は詩南穂と店の前でそのまま別れた。まだ充分明るいというのにどこかしこの店先でもネオンがうざったいくらいに点滅している。勿体無いなあ、とネオンから目を逸らして空を見る。何が勿体無いのかは浮かんでこなかった。
鍵を開けて薄暗い玄関に入る。そういえばこういう無防備な時が狙われやすいんだっけ、と玄関を閉めて施錠する。錠の下りる音がやけに大きく聞こえた。
宵宮の両親は共働きで謀ったように二人とも帰りは遅い。そのためか宵宮はよくあのファーストフード店で夕食を取る。栄養が偏るとは分かっていても、自分一人のために時間をかけて料理する気にもなれなかった。
自室に入り、パソコンを起動する間に制服から普段着に着替える。パソコンが立ち上がるとすぐさまネットに繋ぎ、自分のブログサイトに今日の記事をアップする。他愛ない内容だが、これじゃあまるで観察日記だ、と宵宮は自嘲気味に笑う。自分で自分の観察日記を不特定多数に公開して何になる。その内の何人と出会い、知り合うというのか。
『宵宮ってさ、なんか見てる世界が違うよね。』
不意に詩南穂の言葉が頭をよぎる。確かテレビだか本だかで一人一人見える世界は違うと言っていた。宵宮はその意見に反感に近い感情を覚えた。一人一人違う世界を見ているなら私は今どこにいるのか、どこに生きているのか。何故か宵宮という存在を否定された気になったのだ。それは宵宮の思い込みに過ぎず、宵宮もそれを百も承知している。それでも宵宮の奥底で何かが煮え切らなかったのだ。
サイトを閉じ、パソコンをスリープ状態にする。なんとなくリビングに下り、テレビを点ける。映りだした画面では先日の銀行強盗の犯人が逮捕されたというニュースが報道されていた。銀行と同じ区画に住む二人組の男らしかった。空が明るいので中継だろう。
「嘘ばっかり。」
犯人は顔を隠していた筈なのにどうして彼らだと分かるのか、盗まれた程度の金額を持つ人は他にもいるのに近くに住んでいるというだけで犯罪者になるのか。そんな素人以下の考えだけで逮捕に踏み切ったのではないことくらい、分かっている。きっと動かぬ証拠があったのだ。
本当にそうだろうか、と宵宮は勘ぐる。一般市民の未成年として認識される宵宮にとって大半の情報は媒体となる何かを通してしか知る術はないし、踏み込めば踏み込むほど規制され、それらですら削ぎ落とされたものでしかない。
だからいくら勘ぐろうとも確かめることは出来ないし、それが出来ない間はただの女子高生の妄想なのだ。どんなにその情報がねじ曲げられていても多くの人間が疑わない時点で真実になってしまうのだ。
「結局は全部仮想じゃない。」
そうだ、全部仮想なんだ、と宵宮は反芻する。直接見聞きしたって、それを伝えるにしたって通る媒体が多すぎる。必ずどこかで歪む。いきなりテレビの電源が落ち、宵宮は肩をビクンと震わせた。無意識にリモコンの電源ボタンを押したらしかった。
今自分の存在を証明出来るものはさっき更新したブログだけだ。それも何らかの手を加えてデータを消してしまえば塵すら残らない。存在証明が曖昧な0と1に委ねるしかないとはなんと情けないことか。
私はここで確かに息をしているというのに。