第57話 真の名
オレの記憶の中で彼女は笑っていた。
決して聞こえないはずなのに死を覚悟した……いや、受け入れた彼女の心の声が、聞きたくない言葉なのに、渇望するほど聴きたい声でオレの頭と心に直接語りかけてきた。
《妾はもう身体を失ってしまったのじゃな? 妾の魂が天使に喰われる前に救ってくれた皆には感謝を伝えておいてくりゃれ。主殿とはもっと早くから出逢っておきたかったのじゃが、これも運命だと思って諦めるしかないかの……》
嫌だ、そんな簡単に諦めるなんてお前らしくない。
お前はもっと口煩くて、オレがヤルこと成すこと一々口出しして、お節介を焼いてくれたお前が……?
あれ? シンディはいつもオレの側で静かに笑顔を向けてくれていたはずだったよな? シンディがこれまで一度でもオレに口出しをして困らせた事なんてあったか?……いや、無かったはずだ。
オレは今初めて自分が花嫁に選んだ最初の女性を失った事で気が動転しているのか……いや、まだ彼女を失っていないはずだ。だって、まだ声が聞こえるだろ?
記憶の混濁か? いやシンディとオレが知り合ったのは数日前の事だ。それなのにオレと知り合う前から彼女と話していた会話の内容が次々と頭の中で再生され続ける。
《嬉しいのぅ主殿。お主の失われておるはずの記憶の一部が感情と共に蘇って来ておるのじゃな? 今だからこそ妾から其方へ明かせられる話があるのじゃ》
シンディが言うには彼女がここで失われるのは、オレがこの異世界へ来た時から定められた運命だったと教えられた。
そしてオレとシンディはここでオレと別れる事によって二千年後に再会する未来へと進む事が可能となるらしいが、それでもオレはこの先一秒とて彼女から離れるつもりは無かった。
シンディがここで失われる運命だったのなら、その伴侶であるオレもここで共に滅んでも良いのではないか? だがその考えは、余りにも後に残された配下の者たちを哀れに思うし、何より無責任だと感じた。
もしかしてオレが元居た世界で世界大戦を生き延びた後も、親しい仲魔を作らずにひっそりと隠れ住んできたのは、オレの心が仲魔との別れを受け入れられなくなったからだったのだろう。今なら判る。
完全なる不死者として元居た世界で永遠とも呼べる生を受けて、これまで二千年以上もの時間を人間たちの世界で暮らしてきた事が、オレの心をこんなにも弱くしていたんだな。
《じゃから妾は死ぬのでは無いと言うておるじゃろう。これから生まれ変わって主殿がくれた、この指輪を羅針盤とし必ずお主の元まで戻って参るからの。だから泣くでない。主殿は妾がその伴侶と認めた男子ぞ? じゃから笑顔で送りだしてくりゃれ、妾から最後のお願いじゃ》
漆黒の球体の中でシンディの魂が掻き消えて行く。
それを見届けたオレは俯き力を失った姿のままガックリと肩を落とし、ヘナヘナと地上へと墜落して行く。
(あと二千年も待てと言うのか……)
「マイロード様、お気を確かにアル!」
配下の誰かがオレを受け止めて、ゆっくりと地面へと横たえオレの頭を膝にのせて大切そうに抱えてくれているのを感じる。
この暖かくて柔らかい大きな二つの感触はフェイリンのものだろうか? まだ出逢ったばかりの彼女だが今後も付き合いが続いて情が移ってしまえば、いずれやって来るかも知れない別れの時、オレはまたこんなに弱くて無様な醜態を晒してしまうのだろう。
……だから仲魔なんて持つんじゃなかった。
以前のオレなら配下は配下として厳しく支配していたはずなのに、どうしてこんな風に弱くなってしまったのだろう。
オレが戦いを放棄して寝ているこの瞬間も、配下の者たちはオレの復活を信じて今も戦ってくれていると言うのに、オレの脳と身体は全く動こうとしない。
「マイロード様はもうこれまで十分に戦って来られたとショコラ姉さまから聞いてるアル。だから今はみんなでマイロード様をお守りするのだと頑張ってるアルよ。もしマイロード様が復活されなくても、みんな最後まで自分の運命と向き合う覚悟アルよ。マイロード様のお心が望んだものが滅びだと言うのなら、皆それに従う覚悟アル」
オレに語りかけてくれているのはフェイリンか。
みんなはオレが戻って来ればクソ天使どもを全て薙ぎ倒してハッピーエンドが待ってると思ってるようだが、今更オレが戦ってもあの忌々しいクソ大天使をどうする事も出来はしない。
「次ハ聖女ノ番ダ、今度コソ肉体ノミナラズ、ソノ魂マデ犯シ尽クシテヤルカラ覚悟シテオクノデアルナw」
勇者の力を持つリンでさえ光と闇の二属性を同時に使用する死天使が相手では、その潜在能力を十分に引き出す事が出来ない。それに12体の下位天使どもが寄ってたかって襲いかかって来るから、なかなかディアーネの近くまで近づけない状況だ。
あれからドロシーのブラックホールは生み出されていない所を見ると、彼女が居るエルフの村でも何か困った事態になってるのかも知れない。
「ディア! 早く目を覚まして! ディア!」
リンが持つ聖剣からホーリーレイが絶えず撃ち込まれて天使どものボディを焦がすが、それだけで撃墜されるほど弱な敵ではない。
そんな中……。
《マスターお待たせしました。これで全ての準備が整いました》
「ん……全ての準備とは何だ?」
《マスターがシンディ様をその手に取り戻し、あのクソったれな天使どもを残らず駆逐する為の準備です!》
「それならオレも考えたが、対天使兵器を失った今の状況では抵抗するだけムダだ。オレはこれからディアーネの身柄を確保して皆に撤退命令を出そうと思ってる。みんな良く戦ってくれたが今回はさすがに相手が悪かった。これ以上もう誰も失う訳にはいかん」
《マスター、もし私を信じて頂けるなら、もう一度だけ幻血召喚を試みては頂けないでしょうか?》
「マイロード様、魔力の込もった血が必要でしたら是非私の血を使って欲しいアル!」
今のオレの身体の中には先ほど無理して行った配下の一括大召喚によって幻血召喚に使用出来るほどの血量が残ってはいなかったが、するもしないもオレが戦えるだけのエネルギーを補充するには結局誰かの魔力が込もった血を分けて貰うしかない。だから今はそれがフェイリンだったとしても良いだろう。
「あぁ、ちょっとくすぐったいぞ」
「ぅあぁ……」
オレの初めての吸血によって恍惚状態となり、膝から下の力が全て抜けてしまったフェイリンの身体が崩れ落ちてしまわないように優しく抱き止める。初めての吸血なのに加減を怠り少しだけ多く血を吸ってしまったせいか、フェイリンが意識を失い今度はオレが彼女の身体を足元の地面に優しく横たわらせる。
「いいだろう、お前がそうまで言うなら、もう一回だけやってみよう」
オレは目を閉じて幻血召喚を念じる。
「古き血の盟約において我が幻血を捧げし、古の盟友たる存在の召喚をここに命じる! 死を与えし暗黒の大剣よ、我が呼びかけに応えここに顕現せよ!」
オレの身体の周囲に闇の魔力が集まり、それが剣の形へと凝縮して行くが今度はそこから先へと進まない。
いつもならデス子は目の前の空間を突き破って出てくるから、目の前に湧いて出た剣の形をした魔力が実物となり顕現していないのは儀式の失敗を意味する。
《マスター、その暗黒剣の名前はご存知でしょうか?》
当たり前だ、勿論知っているとも。
アイツとはショコラと知り合う前から、それも二千年以上も前からの付き合いなんだからな。
忘れもしない、その友の名は『デスブリンガー』
オレが極東の島国を目指して旅を続けていた途中で古代の遺跡に残されていた剣の残骸を見つけたのだが、刃が砕けていたその剣を見た途端に何故かそのまま打ち捨てる事が出来ず、文字通りオレの心血を注ぎ込んで鍛え直した『生あるモノ全てを斬り裂く』呪われた死の魔剣だ。
「オレの元へ戻って来いデスブリンガー!」
《マスター、その二千年もの長い時間を共に苦難の道を歩んで来た友の名ですが、最初から本当にその様な御名でしたでしょうか? その剣の名は剣の力を恐れた敵が名付けたもので本当の名前は別にあったのでは? よく思い出して下さい》
オレがそれほど大切な相棒とも呼べる存在の名前を、例え核の炎でこの身を焼かれたとしても忘れる事など無い。
《マスターが古代の遺跡で見つけた埃と灰に塗れたその剣の残骸は、本当にデスブリンガーと言う名前だったのでしょうか?》
ショコラはオレが忘れてしまった過去の記憶をスキャンでもしながら話しているのか? 何故なら、それを聞いたオレがその瞬間の記憶を呼び覚ますかのように、色鮮やかな映像として脳裏に思い描く事が可能だったからだ。
その剣は言葉を話した。
聞いてみれば彼女は無機生命体で、今は剣の形をしているがれっきとした生物だと言う話だった。以前の所有者が殺されて彼女自身も一度は砕け散ったのだが、気がつけば遺跡の柩の中で眠っていたのだと言う。
だがオレの血を注いで鍛え直したその剣が強過ぎて、いつしか敵から恐れられるようになり、その頃からオレもこの剣をデスブリンガーと呼ぶ様になった。
それならまだ知り合ったばかりの頃、オレはコイツを何という名前で呼んでいたのだろうか?
《ここからはマスターご自身が思い出さねば彼女の契約者に成る事が出来ません。どうかお早く、あの方をここへ呼び戻して差し上げて下さい》
出逢ったばかりの頃は埃と灰に塗れて刃が折れてひび割れており、剣としては全く使い物にならなかった彼女だが、その話し方が古風でどこかのお姫様みたいだと思ったオレは、まだその当時の世界には『存在していないはずの童話』から彼女に名前を与えた。
オレが知ってるその童話のお姫様の名前は確か『灰被りさん』と呼ばれていて、古代遺跡の中で埃だらけだった彼女を見てそれをそのまま名付けたのだった。何故こんなに大切な名前を今まで思い出す事が出来なかったのだろう。
ごめんな『灰被りさん』




