第37話 贖罪の迷宮
SIDE:ゲルダ
この街……いいえ、この国の名は果たして何と言ったのでしょうか?
今ではもう遥か遠い昔の事で良く思い出せません。
それでもこの街が緑と人々の笑顔が溢れる幸せな場所だった事は決して忘れる事が出来ません。
あの頃も世界中で争い事はありましたが、それでも人々は手を取り合って皆で幸せに暮らせる方法を常に考え、そして行動して行きました。
しかし、そんな幸せな私たちの街にも悪い変化が訪れます。
最初は夏場の気温が上がって日照りが続き作物の不作が起こりました。それでも始めのうちは何年かに一度の割合だったのですが、それがいつの間にかほぼ毎年のように国中を襲う飢饉が発生してしまいます。
最初の飢饉の時は国に十分な蓄えがあったから、この街にも支援の食料が送られて来て、それを皆で分け合って何とか乗り越える事が出来たのですが、そんな事が二度、三度と繰り返えされるようになると国中で食べ物の奪い合いが始まり、それが殺し合いへと発展するまで、それほど時間は掛かりませんでした。
しかし悲劇はそれだけではありません。
何故なら飢饉はこの国だけでは無く、周りの諸外国でも同じ様な惨状を引き起こしていたからです。
三度目の飢饉に襲われて誰もがその年の冬を越せないと諦めかけていたその時、この国に外国の軍隊が侵攻して来たのです。
あの時は誰もが自分の耳を疑いましたが、敵兵の姿を実際に見てしまってはもう信じるしか無いと決断し皆で手にした武器を振るって必死に抵抗を行いました。
この時は敵兵たちも食料難に苦しんでいて、襲われた街や村では当然のように略奪が行われていましたから人々は逃げ惑い、奪われ、そして逆らった者たちは次々と惨殺されていきます。
飢饉はこの後も数年に渡って続く事になりますが、やがて天候が回復し安定する様になると食料生産が徐々に回復して市場に出回る量も増えて来ましたから、長年続いた戦争によって減少した人口なら何とか生き延びられるくらい見通しが立ち人の数も徐々に回復して行きます。
ですが度重なる戦争によって一度失ったお互いの国の信頼関係は決して戻らず、食料不足が解消された後になっても恨みと憎しみの連鎖が人々の心を捕まえたまま、それを手放す事はありませんでした。
こうして戦乱の世が続くようになると人々は常に殺し合いの日々を送るようになりますから、人々はこれこそが日常だと考えるように成り、平和な世の中を完全に忘れ去ってしまいました。
かつては皆が助け合って生きていた時代の事を、まるで夢物語のようだったと我が子に教えるようになっていたのです。
この世界は何より魔法による文明が栄えていましたから、魔術士たちはより強力な魔法によって敵国の兵士たちを一人でも多く殺せる方法を研究し続けて、そして最期にはこの世界の神の御名を持ち出すほど強力な魔術式を開発するようになり、この世界とは違う場所から強い力を持った者たちを呼び寄せる術式を完成するに至ったのです。
本来ならその者たちは、この世界に暗黒の魔王が降臨し生きと死行ける者たち全てを殺し尽くそうとする時、神の御名によって召喚されるはずの『勇者』と呼ばれる存在だったのですが、その強力な力を人族同士が殺し合う戦争の道具としてしまったのです。
召喚された勇者たちが、とても強大な魔力を込めた殲滅魔法一つで街や村を簡単に滅ぼしてしまいます。
それはこの世界の軍隊が、これまで殺してきた人の数を最初の一週間で上回ってしまいました。
殺されたから殺して、また殺されるから殺すという負の連鎖をどうしても断ち切る事が出来なかった私たちですが、それは皮肉にも当の勇者たちですら例外ではありませんでした。
同じ異世界からやって来た仲間を殺されて、その報復のため殺した勇者を相手の国ごと滅ぼせば、今度は国を滅ぼされた勇者が敵国に対して慈悲の心を持つなんて事はありませんでした。
そしてそれは私たちが愛したこの街でも、同様の悲劇が繰り返されます。
幸いな事に我が街の勇者様は不必要な殺戮は決して行わず、この街を攻めてきた相手に対しても出来るだけ殺さないように配慮しながら、私たちが住むこの街を守って下さいました。
周りの国からは『甘ちゃん勇者』と罵られてるようですが全く気にされた様子はありません。そんな方だったからこそ、この街の方たちは私を含めて彼の事が段々と好きになっていったのでしょうね。
何度も何度も敵兵たちが攻めて来ますが、この街の勇者様は相手が死なない程度に痛めつけてから和睦へ持ち込むのが上手だったのですが、無事に国元まで返された敵兵たちが約束を破って再び攻めて来る事も珍しくありませんでした。
勇者様が申されるには、こうしてずっと街や国を守っていれば、そのうち戦乱の世が終わって普通の毎日が戻って来るはずだから、その時になって恋人や友人そして家族を殺された者が生き残っていたら、また殺し合いの日々が続いてしまうと危惧されていました。
実際に勇者様たちが居た元の平和な世界でも戦争が続いてる国があり、そういった国のほとんどは報復の連鎖へと陥ってしまい、長い年月が経つとそこから抜け出す事が出来なくなったのだそうです。
しかし守ってばかりの戦い方では、いつか必ず限界がやってきます。
攻撃する側は失敗すればまた別の軍隊を送り込んで来ますが、守ってばかりの私たちの街には交代出来る人員など誰も居ませんでした。
それで段々と戦況が険しくなって行く中、最期は味方であったはずの市民たちの中から現在の苦しい状況に追い詰められたのは、勇者が敵を生かして返したからだと煽る者が居て、徐々にですがそれに賛同する者たちも現れ始めます。
街の外まで敵国の軍隊が迫る状況の中で、街の中でも市民同士が争ってる状況では、いくら勇者様が力を尽くしても守りきれるものではありませんでした。
敵軍から投降すれば殺さないと街の前で大きな声で叫んでいるのが聞こえて来ると、市民たちの中から敵に呼応して、味方であるはずの勇者様を後ろから襲う者が現れるようになります。
そして危機に陥ったのは屋敷に立て籠もっていた私たちも同じで、この街の太守である私の父とその家族を差し出せば市民の安全を保証すると言われて、目が血走った市民たちが押し寄せて来ていました。
そして屋敷の大きな入口の門扉が内側から開けられたのを見た父と母が、私を逃がす為に護衛の騎士たちを呼び集め、近隣の街を治める親族のところまで護衛するように命じます。
「早く行くんだ!」と言われて騎士たちに手を引かれながら館の階段を駆け降りて行きますが、やっぱり父と母を残して私だけ逃げるなんて出来ません。
それに今も屋敷の外では勇者様が戦ってくれてると思えば、どうしても足が動かなくなってしまいます。
結果として、父と母が居たはずの館から大きな爆発音と共に火の手が上がり、これで両親の生死が絶望的な状況となります。
その時、館の裏に隠れていた私は間一髪でこの爆破からは生き残れたのですが、それはこの後に起こる惨事を知っていれば、あの爆発で死んでしまった方が良かったと後悔するほどのものでした。
それでも屋敷を離れて混乱する街中を小走りに走っていると、どうしても市民たちに見つかってしまいますから、私と護衛の騎士たちは街の裏側を進む途中で破落戸たちに囲まれてしまいます。
この者たちは冒険者とか商人のフリをして街に潜入していた敵国の工作員で、市民たちの扇動と私たち太守家の者を捕らえる事を任務としていたようです。
「公女が逃げ出したぞー! こっちだ早く捕まえろ!」
屋敷を抜け出した時には7人も居た騎士たちですが、今では隊長ただ一人を残してみんな殺されてしまいました。
途中にあった小さな民家の中に私を押し込めて内側から鍵を掛けるように言われて直ぐに施錠すると、扉を閉めた隊長がその前に立ち塞がり『死んでもここを守る』と言ってくれましたが、多勢に無勢どころか孤立無援の状況では長く持ちませんでした。
こうして市民のフリをした工作員たちに捕まった私は街の外まで引きずられて行き、まだそこで戦っておられた勇者様に対する人質として利用されます。
「勇者様、私の事など構わずお逃げ下さい!」
猿轡をされていたので上手く発音が出来ませんが、それでも私の真意だけは伝わったはずです。
今から思えば、こうなる前に死んでおけばよかったと後悔の念が胸の内に広がりますが、もうどうしようもありません。勇者様お一人だけなら、この場から逃げ仰せると思いましたので私はそれを願います。
「こんな腐った異世界のどこに俺の居場所があると言うんだよ。一番ましだと思っていたこの街ですらこのザマだ。俺が守りたかったのはこの世界でもこの街でも無いんだ。俺が本当に守りたかったのは前世から逃げ出して生きる事に嫌気がさしていた俺の人生に、笑顔と信頼をくれたお前の笑顔なんだよ」
武器を捨てて投降する勇者様を、背後から近づいて来た黒尽くめの集団が滅多刺しにします。
「お前たちは神の使徒たる勇者をその手に掛けたんだ。これから千年も二千年もこの地には俺の呪いによって死が付きまとうから覚悟しておけ。それはお前たち本人とその家族、友人、恋人まで、お前達と関わる全ての者が必ず何かでその生命を落とす。俺は己の魂をこの場所へ縛りつけて未来永劫に決して解けない呪いとなり、お前達の行く末を見届けてやるからな!」
息も絶え絶えの勇者様が最後の言葉を言い放った後、地面に座り込んだまま動かなくなりますが彼の恨みを恐れた敵兵が腹いせに彼の首を斬り落としてしまいます。
すると亡くなれた勇者様の遺体に光が集まり彼の全身を眩いばかりの輝きが覆い尽くし、その光が天空へとグングン上昇して街にある時計塔よりずっと高い所で砕け散ると、街とその周辺を含む広い範囲に極小の光の粒となって降り注ぎました。
こうして勇者様の姿が消えてしまった後、私の身柄はこの街を占領した隣国の貴族のモノとなっていますが、最期まで抵抗を続けて敵軍に被害を齎した責任を取らせる為に明日の早朝には公開処刑となる事が決まっていました。
しかし私には、綺麗な身体のまま死ぬ事すら許されませんでした。
朝が来る前には必ず夜が来ますが、まだ貴族として育てられ若くて美しかった私の身体をみすみす殺してしまうのが惜しかったのでしょう……。
こうして私が処刑されて恨みと後悔に塗れてしまった汚れた魂は、このまま輪廻の輪に戻る事を望みませんでした。
この街を征服した者たちが、元から住んで居た市民たちを奴隷のようにこき使って生活をする様子は、勇者様を裏切った当然の報いとして私の目には心地よく目に写りますが、それと併せて勇者様の呪いがゆっくりと確実に、この街に住む人々の生命を蝕んで行ったのです。
勇者様の光が降り注いたこの辺りの土地では食物の収穫量が激減してしまい、とてもこの街に住む人達全員のお腹を満たす事が出来なくなって行きます。
それでも僅かに収穫出来る作物が残っているのは、それが逆に勇者様の恨みが本物だったという証なのでしょう。
少なくなった食べ物の価格が高騰し、隣街から買い入れる食料も足元を見られる価格でしか売って貰えなくなると街の中では常に食べ物を巡って争いが始まり、この状況がこの先ずっと続くようになるのですが、私にはいい気味だと思えて仕方がありませんでした。
街の運営に困窮した新しい貴族が宗主国からの援助を願い出ますが、何故かこの街に近づく度に事故や魔物の襲撃に遭遇して荷物がまともに届かず、この街の状況を好転させるまでには至りませんでした。
食料の他に薬草などの物資も軒並み不足しており、周りにあった森では獲物の数もどんどん減ってしまい、この頃になると街を捨てて逃げ出す者たちが現れるのですが、街の外に出れば必ず事故に巻き込まれて魔物や彼らを待ち構えていた盗賊たちに次々と殺されてしまいます。
こんな街ですから子供の数もどんどん減ってしまい、気がつけばこの街に住んでる女性たちのうち誰一人として子供を授かる事が無くなり、街にある診療所で不妊となった女性の身体を調べたのですが何も判りません。
この段階になってようやく街の皆が勇者様の呪いについて真面目に考えるようになったのですが、もう時は既に遅すぎたのです。
この頃になると、もう勇者様の呪いは人目を気にする事無く街のあちこちで事故や災難を引き起こすのですが、それはまるで『もうバレちゃったからコソコソしなくても良いよね!』とでも言うように市民たちの生命と財産を脅かします。
こうして最期の一人が狂い死にこの街は終わりを告げるのですが、私たちの苦しみはまだ続きます。
その最期の一人が亡くなった事でこの街に地縛された不幸な魂の数は数万を優に越えますが、この中に勇者様の魂は何処にも存在しませんでした。
市民たちの亡骸がそのまま放置されて朽ちてゆき、死者で溢れかえったこの街が大きな地震に見舞われると、街の中心にあった大きな時計塔を含む全ての建物が地面の中へと飲み込まれてしまい、そこでは新たな地下都市が姿を現します。
地下都市の中では、それまでお互いに目にする事が無かった魂の存在を目で見て認識する事が出来るようになり、よく周りを見渡せば向こうの方に私の事を最期まで守ってくれた騎士たちの姿を見つける事が出来ました。
もうあれから何百年も経ってしまいましたが、死後に強い恨みや後悔の念を残して亡くなった者たちの霊魂が、この地下都市の中で例えそれが仮初めのモノだとしても生前の姿を保ったまま存在する事が出来たのです。
もう死者となってしまった私たちには水も食料も必要有りませんから、これからはこの塔の中でゆっくりと過ごして自身の魂に深く刻まれてしまった恨みを少しずつ浄化して、再び輪廻の輪へ戻って行く為の贖罪の時間だと考えるようになりました。
しかしそんな安楽の場となった地下都市ですが、時にはS級冒険者や神の使徒を名乗るエセ勇者達が現われて土足で入り込み、私達の姿を見つけると一方的に悪霊だと決めつけて攻撃魔術や浄化魔法で消し去ろうとしてきます。
ですが浄化魔法とは、本来なら死者の声を聞き相手の悔いや悲しみを解呪する手順を踏むはずなのですが、彼らが行う浄化とは拠り所を失った魂を問答無用で一方的に消し去る攻撃魔法の類でした。
だから消されたと思った魂が一時的に霧散しても、時間が経つと元のところへより強力な悪意を持って復活してしまうのですが、その度に人間だった頃の心を少しずつ失って行き本当の悪霊へと変貌してしまうので、言ってみれば彼らが悪霊を育てているようなものです。
あのエセ勇者たちがこの塔の奥へと入って来て、その場所で何をしたのかは判りませんが最期に大きな爆裂音がして一番上の最上階へと続く階段が瓦礫で埋まってしまったのです。
その後、彼らがどうなったのかまでは知りませんが、あそこは霊体である私でさえ奥まで入れない聖域ですから、あのエセ勇者たちがどのような最後を迎えたのか伺い知る事はできません。
でもこの塔の中にさえ居れば、魂の奥底に沈んで澱となった汚れとでも呼ぶべき恨みや悲しみの念が少しずつ浄化されて消えてゆくので、今では生前と同じくらい冷静な気持ちを保てる様になっています。
そんな時でした、貴方たちがここへ現れたのは。
明らかに普通の人とは違う雰囲気を持った方たちでしたから、もしかすると私たちのような存在に救いの手を差し伸べてくれるものだと期待して声を掛けさせて頂いたのです。




