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96.Darn That Dream

挿絵(By みてみん)

終章【Sister Cherry(1/3)】

 ありきたりな物語には、ありきたりな結末が相応しいだろ?

 カワイイ妹が、カッコイイお兄ちゃんに恋をして、イチャイチャラブラブな毎日を過ごすなんて夢物語には、さあ?


 何にだって終わりがある。どんな物語にも結末はやって来る。この“世界”には魔法なんてないのさ。君だって知ってるだろ、ねえ?



 どんなに幸せな夢だって、いつかは覚めるんだ。違うかい?




 *******************


 その日桜子は、いつものように学校に行って、いつものように帰ってきて、ごはんを食べて、お風呂に入って、いつもと同じようにお兄ちゃんが大好きだった。


 いつもと違ったのは、その日が桜子の夢に答えが出る日だったこと……



 桜子の恋が、ひとつの結末を迎える日だったってことだ――……




 **********


 いつもと同じように、桜子はお風呂上りに遼太郎の部屋をノックした。手にはアイスとスプーンが二つずつ。

 お風呂の順番によっては遼太郎の部屋だったり桜子の方だったり、他愛もないおしゃべりをして過ごすのは、だいぶ前から二人の日課になっている。桜子の毎日の何てことのない、幸せな時間だった。

「りょーにぃ、今日はハーゲンダッツがあったー」

「でかした、入れー」


 ドーンと突入すると、遼太郎が机から椅子ごと振り返った。桜子はガラステーブルの前にぺたんとお尻を落とす。好きな人でもされど兄妹、お互い無防備なパジャマ姿であることは、桜子は別に気しない。

「お、今日はちょっと贅沢な時間」

「お兄ちゃん、クッキー&クリームと季節限定、どっち?」

「俺は甘過ぎるのはパス。季節限定、何味?」

「えっとねえ……」

そんなことを言いながら、桜子は知っている。結局お兄ちゃんは桜子が食べたい方を譲ってくれるし、どうせ食べさせ合いっこして半分ずつになるんだ。


 お兄ちゃんは嫌々なフリをしても、いつだって桜子の言うことを聞いてくれる。だから桜子はお兄ちゃんが大好きなんだ///



 今夜は桜子がクッキー&クリームを、遼太郎が限定フレーバーを取った。デスクで食べているお兄ちゃんを、見上げて食うアイスのオツなことよ。

「ねー、りょーにぃ」

「んー?」

「映画館行った時さー、スタバであたしの鼻についたクリーム、指で取って舐めたこと覚えてる?」

「あー……あったっけな、そんなこと」

「その時さー、あたしの胸に溶けたアイスとか垂れたら、お兄ちゃん舐めちゃうんじゃないのとか言ったけど……」


 桜子はニッと笑って、襟元を指で引き下げ、鎖骨の辺りまでチラ見せした。

「折角お高いアイスだし、してみるぅ?」

「お前はまたそういうことを……」

遼太郎は肩をすくめたが、ふとアイスを置くと椅子を立つ。



 遼太郎は前屈みでテーブルに手をつき、桜子の頬から耳の後ろにすっと片手を沿わせた。

「もし俺がしようって言ったら、どうする?」

「はえっ?!」

自分から仕掛けた桜子だったが、眼鏡の奥から切れ長の目に見つめられると、

「え、えーと、あたしは、その……」

両手の指をモジモジと合わせながら、真っ赤になって目を逸らす。


「お、お兄ちゃんだったら、別に、そんなにイヤじゃない……かも……?」

「OK、今日も桜子の勝ちだ」


 遼太郎が椅子に戻って、笑って降参のポーズをした。それを見た桜子の気分は複雑だ。チェッ……冗談だけど、本気で言ってんのにさ、バカ。



 桜子はひと匙はむっとくわえた。この頃カウンター食らうことの方が多いな。

 ドキドキの照れ隠しに、桜子は立ち上がって遼太郎のデスクを覗き込んだ。

「て言うかさ、りょーにぃ、すっごい勉強してない? 高校生ってもうテストの期間なの?」

「いや、そうじゃないけど」

そう言った遼太郎の机には、参考書や問題集がまあまあ積んである。

「つっても来年は受験生だからな。ま、それなりに」


 桜子はスプーン片手に、「ほえー」という顔をした。それを言うなら、あたしだってそーなのだ。今のところ、実感全くないけど。

(まあ、一回“自分史”失くした桜子ちゃんには、世界史くらい余裕でしょ)

自分のことはその程度にしか思わないけど、お兄ちゃんは大学入試かあ。そりゃあ高校受験とはまた重みが違うよなあ。



 桜子がそんなふうに感心してると、遼太郎は何か考えている様子でしばらく黙っていたが、やがて意を決したように口を開いた。

「なあ、桜子」


「お兄ちゃんな、大学は東京の学校を受けようと思ってるんだ」




 **********


 桜子はきょとんとして、またひと口アイスを食べたが、そこでようやく遼太郎の言葉が脳に達し、にわかに慌てふためいた。

「えっ、な、何で東京っ? 近くの学校じゃダメなの?」

「うん、まあ、実はお兄ちゃん、これでも将来やりたいことがあってさ。いろいろ調べたら、その学校に入るのが目標への一番の近道なんだよな」


 お兄ちゃんの、“やりたいこと”? 何それ、あたし知らない。


 そう言えば、この前お兄ちゃん宛てに学校名の入った封書が届いていた。デスクで問題集の下敷きになっている学校案内が、それだと思う。

 こんなに一緒にいて、恋心以外は何でも話せて、仲良し兄妹なのに、自分は遼太郎の夢のことなんて聞いたことがない。桜子にとってそれはショックだった。


(あれ? もしかして、あたしお兄ちゃんのこと、全然知らない……?)



 記憶を失くしてひと目惚れして、いつも事故って、それでもお兄ちゃんは桜子のことを大切にしてくれて。

 記憶が戻って、前よりもずっと好きになって、一緒の時間を過ごして、距離もどんどん縮まって……だけど、桜子は遼太郎と将来とかそういう話をしたことはなかった。



 でも、お兄ちゃんがそういうつもりでいるなら、

「あたしも、東京の高校調べないと……」

「何でだよ」

桜子は、またきょとんと首を傾げた。

「え? だって、引っ越したらあたしも東京(あっち)の学校に通うんだし」

「いや、通わないぞ?」


「落ち着け。東京(あっち)に行くのは俺だけだ」


 ガツンッ……と殴られたような衝撃を、桜子は受けた。



 考えてみれば、そりゃそうだ。息子が大学に通うのに、揃って引っ越す家庭がどこにある? 当然、遼太郎が家を出て一人暮らしするのだ。

「ま、それも合格してからつーか、まだ受験も始まってねーんだから、どんだけ気が早いんだよって話だけど……」

遼太郎が笑いながら鼻と口の間を擦ると、

「ダ、ダメだよ!」

桜子が真っ赤な顔で叫んで、遼太郎を驚かせた。


 目を丸くした遼太郎に、桜子は大慌てになって言う。

「だって、家族が離れ離れに暮らすなんて、そんなの良くないって」

「うーん、そうは言っても。俺もお前もいつかは家を出るんだしな。それに東京っつっても新幹線なら1時間ってとこだし」

「じゃあ、お兄ちゃん家にいて新幹線で通学しよう」

「無茶言うな」

と言ったが遼太郎、それはそれで面白そうな気もする。


 だが苦笑で紛らわせようとした遼太郎を、桜子は口をへの字に睨んでくる。

「第一、おとーさんとおかーさんは知ってるの?」

「ああ。まあ、そういう考えがあるって話した程度だけど……」

その途端――……



「何であたしには言ってくれなかったのっ!」



 遼太郎は桜子の手から、握り潰す前にアイスのカップを取ってやり、ガラステーブルに置いた。

「だから、今言ってるじゃないか」

「何でおかーさんとおとーさんの後なの?!」

「そりゃお前、進路の相談とか、普通まず親に話さない?」

桜子はぐっと言葉に詰まる。

 それも、考えてみれば当たり前だろう。進学ってのの実際問題は、スポンサーに伺いを立てないことには二進も三進もいかない。


 わかるよ、それはわかる……


 けれど桜子には、遼太郎がまず考えたのが“桜子の気持ち”でなかったことが、どうしようもなく悔しかった。



 わかるよ、わかる。けど、遠くの大学に行くってことは、あたしと離れ離れになるってことなんだよ?

 お兄ちゃんにとって、あたしといることは、一番大切なことではないんだね……




 **********


 頭の中で、混乱した思いがぐるぐる回っている。けれど桜子は組んだ指を口元に当て、平気なふうを装った。遼太郎の顔は、まともに見れないけど。

「で、でもさ。独り暮らしとか、だらしないお兄ちゃんにできるかなあ? あたしがお世話したげなくちゃ、1週間くらいで死んじゃうんじゃない?」

「金魚か何かか俺は。まー、そこはどうとでもなるだろ」


 苦笑する遼太郎に、

「近くの学校じゃダメなの? 勉強なんて、別にやろうと思えばどこでだってできるし、桜子と一緒にいる方がお兄ちゃんだって楽しいでしょ? それにほら、大学生になったら服とか、またあたしが見てあげなきゃだし」


 桜子が言いつのったが、遼太郎は笑いながら首を振った。

「さっきも言ったけど、俺にはやりたいことがあって、まずはこの学校を目指すとこから始めようと思ってる。だから……」

そこで冷静でいようとした桜子の頭に、カッと血が昇った。



「あたしといることより、そのやりたいことの方が大事なのかよっ!」



 ぎょっとした遼太郎の前で、桜子は“幼い妹”の部分が久しぶりに顔を出したように、顔を赤くして涙ぐんだ。

「ヤだよ、お兄ちゃん……桜子は、お兄ちゃんがいなくなっちゃヤだあ。お兄ちゃんが大好きだから、いなくなったら寂しいよお……」

「いや、お前、だからまだ先の話で……」

「先の話でもヤなの! 桜子はずっとお兄ちゃんと一緒にいたいの!」


「ねえ、お兄ちゃん……ずっと、桜子と一緒にいよ……?」


 そう、お兄ちゃんはいつだって、最後には桜子の言うことを聞いてくれる。お兄ちゃんは桜子を悲しませることは絶対にしない。だから、今度だって……



 けれど、遼太郎は今度は、桜子の“お願い”に首を縦に振ってくれなかった。

「桜子。俺達はずっと一緒にはいられないよ」

その言葉は、桜子の心の深いところに突き刺さった。


 ……――知っていた。


 それは、心の奥では最初からわかっていたこと。心の奥底に押し込めて、知らないふりをして。

 あたしは“妹”で、あなたは“お兄ちゃん”、二人がずっと一緒にはいられないのは、そんなのわかり切っていることなんだ。


 それでも、あたしはお兄ちゃん(あなた)のことが――……



 遼太郎はふうと息をついて、膝の上で手を組んだ。その眼鏡が光るのは、遼太郎が兄として妹を説き落そうとする時のお決まりだ。

「桜子、俺達は仲のいい兄妹だよ。たぶん、フツウよりもな」


「俺だって桜子と一緒にいると楽しい。お前が俺のこと好きだって言ってくれるのも嬉しい。俺も桜子が大好きだよ。けどさ……」


(言わないで!)


 桜子の心が悲鳴を上げ、両手で耳を塞ぎたくなる。遼太郎はあくまでも優しく、“お兄ちゃん”として“妹”をなだめる。

「ずっと一緒にはいられないだろ? いつか、それぞれ大人になって、別々の道を歩んでいくもんだろう」


兄妹(・・)ってのは、そういうもんなんじゃないか?」



 遼太郎の優しい言葉のひとつひとつは、しかし桜子を傷つけた。

 これまでどんなケガをしても、ツラいことがあっても、記憶を失くしたことでさえ、今ほど痛くはなかった。

 りょーにぃの言うことは、正しい。けど、そんな当たり前の理屈で、どっかから借りてきたような言葉で、あたしの、ずっと大切にしてきた気持ちを語るなっ!


「ヤだよ……」


 悔しいっ……悔しい悔しいっ! あたしの“思い”は、そんな正論で片づくようなものじゃないんだ!

 桜子は気づく。自分の中で“お兄ちゃんが大好きな妹”を、“遼太郎に恋をする女の子”がぐっと押しのけたことに。

「ヤだ……あたしは、ずっとお兄ちゃんと一緒にいる……」

「桜子、ちょっと落ち着けよ。何で、そんな――……」



「“何で”っ?!」



 桜子の足が、叫びながら遼太郎に詰め寄らされた(・・・・・・・)。ヤバい……桜子は、桜子の中の“妹”や旧桜子(あいつ)も、慌てて“女の子”を抱き締め、捕まえようとした。

 けれど“女の子”は、“桜子達”の腕をするりとすり抜けた。



「あたしは、お兄ちゃんのことが好き(・・)なのっ!」



 胸の奥から溢れた言葉を、桜子は止められなかった。その瞬間、桜子の周りで世界が空気を変えたような気がした。

 お兄ちゃんが好き。今までも、何度も口にした台詞だった。それはいつも冗談に紛らせて、或いは“妹”として、ホントの気持ちを包み隠しながら、何度も遼太郎に言ったことのある言葉だった。


 ホントの本気で、告白したのは初めてだった。



 ……――桜子がいて、お兄ちゃんがいて、笑って、時々困らせて。


 そんな居心地のいい世界が、いつまでも続くと思っていた。ずっと変わることがないと信じていた。その世界は、幸せで心地よいけれど、その先に進むことは許されない場所、だから……なのに……


 あたしは“妹”で、あなたは“お兄ちゃん”で、だから――……



 けれど、桜子の“女の子”の気持ちが、桜子を振り切って、その世界の一歩外へ踏み出してしまった。守り続けた均衡を、桜子は今、その手で突き崩した。もう、あの優しい場所へ戻ることはできない。



 ガラステーブルのアイスクリームは、とっくに溶けてしまっていた。




挿絵(By みてみん)

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