94.夏の日の忘れ物
楽しい時間は足早に過ぎて、まだ夕方には早いけれど、太陽と空の色は幾分変わりかけている。中高生男女が六人、砂浜に並んで座り、
(じゃあ、そろそろ……?)
誰が口にするでもなく、そういう空気が漂い始めている。
ケンタローが立ち上がり、何度往復したかわからない浮き台を眺めた。
「さて、と。みんな、満喫したかー?」
遊びに来て帰りを切り出すのって、ちょっとタイミングが難しい。こうやって引き受けてくれるのもまた、ケンタローという兄ちゃんだ。
メンバーはお互いの顔を見ながら、
「もう泳ぐのはじゅうぶん、クタクタだよ」
「混む前に早めに着替えて、駅前とかブラッとしてくか」
「アズマッチはどーよ? やり残したことはねえ?」
東小橋君も立って、ケンタローに並んで腕組みする。
「CGは全回収したのでござろうか?」
「それだなー」
「取り逃してる気もなー。誰かが溺れて人工呼吸とか、ポロリとか、そういうエモい系のイベント何も起きてないもんな」
ケンタローは嘆息して振り返った。
「分岐次第じゃ、岩陰でチューくらいはあったんかな、遼ちん?」
遼太郎はチラッと視線を傍らにやって、
「……あったんじゃねーかな」
「ポロリも?」
「いや、さすがにそこまでする気は……」
そう応じた側頭部に、超至近距離からビーチボールがぶつけられた。
「バカ言ってないで、りょーにぃ、さっさとそれの空気抜いて」
ぶつけた桜子の頬が、何故か赤いのにサナとチーは気づいている。
……あったのかよ、分岐次第では。
浮き輪とフロートをしぼませて、パラソルを返して、シートをたたんで荷物を肩に掛けると、今日という一日をすっかり片づけてしまったようで、少し寂しい。
サナはきらめく波や、まだ遊んでいる人達を名残惜しく見ながら、
「……できたら来年も、このみんなで来れたらいいな」
何となく、目の前にあったケンタローのTシャツの背中を引っ張った。
と、遼太郎が振り返り、
「来年か。俺達みんな受験だな」
「りょーにぃ!」
「リョータロー兄!」
「遼ちん、そういうとこだぞ?」
言葉と荷物と膝で、袋叩きにされた。
制裁を済ませたケンタローが、中学生組にニカッと笑顔を向ける。
「よし、忘れ物と心残りはもうねーな? じゃ、行くか」
**********
“忘れ物”と心残りはもうねーな?
生ぬるく勢いも微妙なシャワーを使い、更衣所でトートを開いた桜子は、
「……あ……」
「どうかしたか?」
隣でショートの髪をドライしているサナが振り向いたが、
「う、ううん、別に」
桜子は首を振り、麻くしゅワンピをぽそっと頭から被った。
脱ぐのも早けりゃ着るのも早く、身繕いもテキトーな男子達、ターバンタオルを頭に巻いた桜子達が戻って来る頃には、
「お待たせ―」
『ポン』
「った、またかよ。忍者君。鳴くねえ」
「遼太郎殿、背中が煤けてござるよ」
「♪うぇいうぇいPONうぇいPONうぇいうぇい」
既にスマホ通信の麻雀で盛り上がってた。
一行は恋之浜海水浴場を後にする。と、チーが膝丈ワンピを物ともせず、堤防の胸壁によじ登った。
「また来るぜ、“Love Beach”―ッ!」
両手をメガホンに絶叫するチーに、砂浜の人達が何人か振り返る。
サナが呆れ顔でチーを見上げ、
「何やってんだ?」
「いやあ、海の見納めに叫んどこうと思って」
「チビと煙は高いとこ好きだよな」
「それを言うならバカと煙だ、って、誰がバカじゃあ!」
「間違いなくお前だよ」
まったく、友達に奇行種しかいねえ。
お調子者のケンタローなどはニヤッとして、
「けどいいねえ、青春ぽくって」
「でしょ、でしょ? アズマー、桜子―、登ってこいよー」
「……御意、っと」
身は軽くなさそうだが上背のある忍者、ひょいっと堤防の上へ。
「ほら、桜子も早く」
「手を貸し申そうか?」
東小橋君がしゃがみ込んで手を差し出したが、桜子は頬を赤くして、
「そ、そんなアブナイことできないよ!」
慌てた様子の桜子に、東小橋君が振り返ってチーと顔を見合わせる。
「危ないって、そんな高さでもないでしょ」
「高さの問題じゃなくて……いや、高さの問題なんだけど……」
「じゃあ記念に、そこにワンピースのポーズで並んで撮ってもらう?」
渋る桜子をよそに、遼太郎がそう言い出した。
「また余計なことを……」
ジョーダンじゃないーわーよう……
結局六人は堤防に並び、後ろ向きに拳を突き上げたポーズで、通り掛かった同年代のグループに記念撮影を頼んだ。
ここにその写真がある――……おわかり頂けただろうか? (BGM映画『サイコ』のテーマ曲)
左拳を上げた桜子の、右手が、いつもよりシッカリとスカートのお尻の部分を押えていることが。
**********
車窓の風景が、田園から郊外、市街へと移っていく。ローカル線の終点、ターミナル駅までもう間もなくだ。
向こうを早めに出たのが功を奏し、混雑をかわした車内。窓際に頬杖を突く遼太郎のところに、ケンタローが顔を出した。
「楽しかったけど疲れたなあ。俺、ちょっと寝てたわ」
「めちゃくちゃ泳いでたもんな、お前」
ケンタローの顔は、今日一日でかなり焼けている。頬のヒリヒリ感からすると、自分も同様なのだろう。
「これ、確実に皮がむけるでござろうなあ」
「アズマと桜子兄、元が白いから赤くなってるもんな。インドア派」
「フッ、夏休み明けにはひと皮ムケた東小橋にござるよ」
「それ下ネタ?」
「ふぁっ!? お言葉が過ぎますぞ、チカ殿!」
二人が話していると、サナとチー、東小橋君も集まってきた。
「よう。さすがに元気な中坊組も、お疲れの顔だな」
ケンタローは三人を振り返り、また遼太郎に向き直る。
「それにしても……」
「無防備だな」
みんなの視線の先には、遼太郎に寄り掛かり、完璧に熟睡している桜子。安心しきっているのは、兄の肩に預けた寝顔と、兄の肩に染みを作るヨダレが物語る。
「ホンットお兄ちゃんっ子だなあ、桜子ちゃん」
「ふっふっふっ、可愛いだろ?」
妹の頭を肩に乗せ、窓から振り返った遼太郎が不敵に笑った。
「リョータロー兄ってさあ……」
「妹カワイイとか、フツーに言うよな……」
チーとサナが小声で囁き合った。それが“いつものフツウ”なのか、太陽を浴びて変な方向にひと皮ムケたのか、遼太郎は平然としている。
「まあ、いずれにせよ」
東小橋君が、スマホを二人に向けた。
「これが最後のCG回収でござるな」 パシャ。
しばらくして、車内アナウンスで目を覚ました桜子は、スマホのグループライン通知に気づき、
「……ふええっ?!」
添付された写真に悶絶し、笑っているみんなを睨む。
しかし後々になって、桜子は何度もこの写真を見返し、
「ふへへへ……///」
また別の悶絶をし、ほくそ笑むのだった。
ヨダレを垂らした情けない自分の寝顔と、それを見ているお兄ちゃんの優しい目が、恥ずかしかったり、嬉しかったり。
**********
「じゃ、またな。遼ちん、中坊ズ」
「うん。今日はありがとね、ケン兄さん」
「夏休み中にさ、また一回くらい遊ぼうぜ、エロ兄」
桜子達は同じ駅だが、高校は校区が広く、ケンタローが降りるのは二つ手前だった。ぽいっとホームに降り立ったケンタローは、サナの呼び掛けに立てた親指を突き出して応えた。
「おう、サナちん。この江坂健太郎、お呼びとあらばいつで」 プシュー。
言ってる途中でドアが閉まった。最後まで締まらなさでキレイに締める男だ。
動き出した車窓越しに、5人で手を振ると、
「おー、走っておられる」
「ホンっと、アホだなー」
ケンタローは結構な間電車と並走して、やがて後方へ消えていった。
**********
駅に着いて幹線道路をしばらく行くと、今度は此花兄妹とサナ、チーと東小橋君で別れる。
「そんじゃ、後でラインするね。リョータロー兄、今日はありがとー」
「ああ」
「これに懲りず、また荷物持ちにでもお声をお掛けくだされ」
東小橋君が人の好い顔で言うと、サナがしれっと、
「アズマー。暗くなってきたし、チカ、家まで送って行けよー」
「心得申した。チカ殿、拙者が道中お供で宜しゅうござるかな」
「うむ、苦しゅうない。よきに計らえ」
「アズマ殿、ご無礼なきように。何しろその御方は」
「天下の“忘れん坊将軍”、上様にござる」
「アズマ、こいつら斬れっ! 手討ちだ!」
桜子とサナに茶化され拳を振り上げたが、機嫌は良いようで、チーの当然のようにお供の東小橋君の先に立って去っていく。桜子はその背中に、
「チー!」
振り返ったチーを、桜子とサナは指差して……
「「……バレバレ」」
ぴこん、と二つ括りが跳ねて、チーは顔を真っ赤にした。
「な、なな、何がだよっ?!」
慌てふためいたチーに、東小橋君がきょとんとする。
「何の話にござる?」
「あ、アズマはいいんだよ! 控えてろっ!」
「……御意」
上様の仰せにあらば仕方なし。東小橋君、怪訝そうに桜子達を見つつも、首を縮める。
チーは親友二人を睨み、
「お前ら、覚えてろよー……」
恨みがましく言うや、東小橋君の厚みのある手をぎゅっとつかんだ。
「何ボサッとしてんだ。行くぞ、お供っ!」
「ふぁっ?! ちょ、如何なされた、チカ殿……?」
ちっさいのがズンズンとおっきいのを引っ張っていくのに、
「……そうなの?」
遼太郎が呟いた。桜子とサナも半信半疑だったが、今の様子じゃ、どうやら……
「……意外と、お似合いじゃないかな」
桜子はクスッと笑って、サイズ差のある二つの影を見送った。
**********
ほんの少し回り道をして、サナのマンションの下。
「別に送ってくれなくても大丈夫なのに」
サナが肩をすくめると、遼太郎が真面目な顔で言う。
「ダメだよ、早苗ちゃんだって女の子なんだから」
「ははっ。アタシなんてパッ見、男か女かわかんねえって」
照れたサナが言うと、遼太郎は眼鏡を押し上げて……
「このご時世、それはそれでキケンが危ない」
「桜子―、コイツちょっと殴っていいか?」 ピロン♪
妙なタイミングで、サナのスマホが鳴った。
「ケン兄からだ……んなっ?!」
桜子と遼太郎が覗き込むと、サナがケンタローのスマホから消したはずの、太ももを隠してうずくまった動画が添付されている。
「うええっ?! あたしのスク水動画も!」
「ど、どうして?! アタシ、確かに消したはず……」 ピロン♪
「……『興味ないね』……って、どういう意味だろ?」
「うん? ……あ、”クラウド”か?」
それは大作RPG“ファイナルファンタジー”のキャラの台詞。つまり、
「アイツ、早苗ちゃんに見せる前にクラウドサービスか何かに保存してたな」
「くああっ、バカのくせにバカじゃないのがバカだ!」
「あたしのスク水動画も……」
遼太郎の説明に、サナがスマホを握り締め、桜子が悲しそう。
遼太郎が鼻の下を人差し指で擦り、
「な? やっぱり早苗ちゃんを女の子と見る奴もいるから……」
話を戻そうとしてみたが……
「思ッタヨリ早ク、奴トモウ一度会ウコトニナリソウダ……」
ビキッ。引き締まったサナの腕、手の甲に血管が浮いた。
「あ、じゃあ早苗ちゃん、またねー」
「できたら、あたしの動画も消しといてー」
「任せとけ。アイツごと消してやる」
ニコッと笑ったサナに恐れをなし、此花兄妹は逃げ出した。




