93.お兄ちゃんは、ちょっと……
午前中こそ全員全開で海に臨んだが、ひと休みを挟んでひと落ち着き。
すぐさま波に挑む全力少年&少女、砂浜や波打ち際に留まる者、パラソルの下でのんびりを決め込んだりの三々五々の午後になる。
元気が余ってるのはやっぱり中学生組……より元気な親友が、また一直線に浮き台を目指すタフさを、遼太郎はある種尊敬する。
思い思いに集まったりバラけたりしながら、遼太郎は桜子に、心なし距離を置かれている気がしている。話し掛けてみても、
「うん、そだね」
返事は二言三言で、会話が続かない。
(……何か桜子が冷たい)
人間不思議なもので、桜子がぐいぐい仕掛けてくる時は面倒臭く、閉口している遼太郎なのに、いざ離れていかれそうになると、
(……お兄ちゃんは寂しい)
この有り様である。
妙な焦りを抱きつつ、時間は過ぎて――……
「んー……あたし、ちょっとひと休みー」
桜子がぐっと背伸びをして、浮き輪片手に海を上がっていった。それを見送りながら、遼太郎が周りを見回すと……
「よっし。遼ちん、サナちん。また浮き台まで勝負しねえ?」
「お。ケン兄、アタシも泳ぎには自身あるぜ。絶対手加減すんなよ?」
ケンタローが体育会系に火を点けたようで。
遼太郎は軽く手を振り、
「あー、俺はもうギブだわ。一騎打ちしてくれ」
「何だよー、体力ねえなー」
ケンタローとサナが抜き手を切って泳ぎ去る後には、
「なー、あの足に履いて水の上歩けるやつ持ってないの?」
「水蜘蛛でござるか、今日は持ち合わせてござらぬなあ。息吸う竹筒なら、どこかその辺で調達して参ろうか?」
「水に顔浸けるのがイヤなんだよなあ……」
チーが、東小橋君に泳ぎをレクチャーしてもらっている。
そして遼太郎は――……
少しためらってから、太陽と水平線に背を向けて、砂浜の方へと歩き出した。
**********
「桜子」
パラソルの下で体育座り、呼ばれて顔を上げた桜子は、遼太郎が両手に持っている物を見て、
「あっ、かき氷! え、買って来てくれたの?」
ぱあっと顔を輝かせた。
「しかもレモンミルク! お兄ちゃん、わかってる!」
「桜子、昔からコレだから」
妹の好みを覚えているのも「キモい」だろうかと、ちょっとビクビクしたが、今は“いつもの桜子”で呼び方も“お兄ちゃん”でホッとする。
遼太郎は自分の氷イチゴを手に、桜子の隣に腰を下ろした。
「かき氷だけは、イチゴじゃないんだよな」
「そうなんだよねー……冷たっ、美味しい~///」
スプーンストローではむっとひと口、全身で喜びを表現する姿に、今日のよそよそしい雰囲気はない。遼太郎はその横顔を盗み見ながら……
「桜子、その……何か怒ってる?」
振り向いた桜子は、きょとんとしていた。
「へ? 何が?」
ストローをくわえ、完全なポカン顔だ。
「いや……お前今日、何となく素っ気ないし、俺のこと避けてるっぽいし……俺、何か怒らせるようなこと、した?」
遼太郎がそう言うと、桜子はサナやチー達の方をチラッと見て、
「え、ええ? いやそれは、友達の前であんまり兄妹仲良くしてたら、ヘンに思われると思ったから……」
ますます困惑の桜子に対し、遼太郎の表情が明るくなった。
「あ、それだけか?」
「それだけ、って……」
「うん、水着褒めたのとか、ああいうのヤだったのかなって思ってたんだけど……そっか、怒ってたんじゃなかったんだ」
「そーだけど……え、コレもしかしてご機嫌取り的な?」
桜子は氷レモンをまじまじと見て……
「妹大好きかー!」
さすがにナチュラルのツッコミが出た。
「え、フツウ隠そうとしない? 何で人前で妹とイチャイチャしたがるの?」
遼太郎はタジタジになって、
「いや、イチャイチャっつうか、普段通りの……」
「あたし達の普段通り、外でやったらフツウじゃないよ! 何なの、お兄ちゃんは見せたがる系のヘンタイさんなの?」
「人聞きが悪い」
てか、待って。俺達の普段通り、外でやったらヘンタイになるの?
桜子は呆れ顔でため息をついた。
「もおっ、人の苦労も知らないで……」
「あのさ、いい? あたしはお兄ちゃん大好きだよ? けど、あたし達ってちょっと兄妹で仲良過ぎって言うか、たぶん人から見たら割とヘンだと思うんだ」
「やっぱり……?」
「フツウの妹はお兄ちゃんにチューしたり、お風呂一緒に入ろうとはしないよ」
「自覚はあるんだ……」
遼太郎とて、自分達兄妹は“ちょっとヘン”だとは思う。そのヘンの部分は主に桜子が担当してると思ってたんだけど……
自覚がない分、自分の方がダメな気がしてきた。
そんな遼太郎に、なぜか桜子は嬉しそうで、
「でもね、それがあたしとお兄ちゃんの“フツウ”でいいと思うんだ」
「……ダメくない?」
「いいの! 二人の時は仲良過ぎでも!」
桜子はそう主張して、横目で遼太郎を睨んだ。
「ダメなのは、お兄ちゃんがお家と外をわきまえないことなんだから」
「ホント、お兄ちゃんはお外系ヘンタイだよ」
「だから、違うっつってんだろ」
謂れのない誹謗中傷に反論すると、桜子がすっと目を逸らした。
「だって……この前お兄ちゃんの部屋に入ったらね、ベッドの上に“マジックミラーの車”のDVDが出しっ放しに……」
「えッ?!」
「もうね、二重に露出してた」
このタイミングで、妹から衝撃的なのをポロリされた。
桜子は少し赤くなった頬をなでながら、
「まったく、ケンタローさんもいるから、やらかしちゃったら後でお兄ちゃんが困ると思って気をつけてたのに、今日に限ってお兄ちゃんからグイグイ……」
「それは、桜子が冷たいから、つい……」
この件に関しては桜子さんの仰る通り。遼太郎は肩をすぼめることしきりだ。
すると、桜子が目を細めてニコォっと笑った。
「……遼君ってば、桜子ちゃんが冷たいって、寂しかったのぉ?」
「ぐ……それは……」
「……まあ、ちょっと」
「もお/// どんだけあたしが好きなんだよー///」
あたしに相手されなくて、寂しくなっちゃったお兄ちゃん。
(きゃわわ/// お兄ちゃん、きゃわわっ///)
萌え死ぬ。こんなことを聞かされたら、もう、桜子ちゃんも限界ですよ?
だって、あたしも寂しかったんだよ、お兄ちゃん……
もちろん、みんなで遊んですっごく楽しいんだ。けど、折角お兄ちゃんと海に来たのに、今日は我慢しなきゃ、我慢しなくちゃって……
それをそっちから、ちょいちょい刺激してくるから、
(もしかしてアウトドア系“ドS”プレイなのかと)
コイツ、ワザとやってんじゃねーかと疑っていましたよ。
けど、お兄ちゃんも同じ気持ちだったんだ。
もちろんそれは、その“好き”は、あたしが欲しい“好き”じゃないけど、あたしの気持ちは、少しずつ、一方通行じゃなくなってる?
お兄ちゃんも、あたしといたい? ずっと一緒にいたい? ねえ……?
それと、ひとつ学んだ。
(迫ったら逃げられるけど、素っ気なくすると追い掛けてくるんだなあ)
人間だもの、りょうたろを。
桜子は緩む口元を抑えながら、遼太郎にもたれ掛かった。
「しょーがないなあ、遼君は///」
素肌の肩と肩が、ぴたっと触れ合う。
「どうする? パラソルの陰でチューしちゃう?」
「何で実妹とラブコメの水着回みたいなマネせんとならんのだ」
「……岩陰行く?」
「何で実妹とエロ漫画の肌色回みたいな……(自粛)」
グイグイと迫ったら、やっぱり逃げられた。どうやら学んだ成果、実践失敗。
「いいからかき氷食っちまえよ。溶けるぞ」
「ちぇっ。じゃあ、そういう“ピンク”は諦めるけど、そっちの氷イチゴはひと口ちょーだい」
あーんと口を開いた“いつもの桜子”に遼太郎は、呆れつつ、ホッとしつつ、
「ったく、しょーがねーな」
スプーンストローで、溶けかけの桜色の氷をすくって――……
「あの二人、仲いいなー」
サナと浮き台から戻り、チー達に合流したケンタローが小手をかざしていた。
「妹と兄ちゃんって、やっぱあんなんなんだなー。羨ましいぜ」
「こうして見ると、まるでカレカノのようにござるなあ」
「それなー」
ケンタローと東小橋君の言葉に、サナとチーが目と目で通じ合う。
(桜子、ずっと頑張ってたんだけどなぁ)
(二人になった途端、即堕ち2コマだったね)
誰も見てないと思って、ここぞとばかりお兄ちゃんにくっつき、ボディタッチもやたら多い。サナとチーは「あちゃー」と言うよりない。でも……桜子はしかし、本日一番最ッ高の笑顔だ。
チーが見合わせた目をマジメに保てなくなり、サナも呆れ顔で吹き出した。
「ったく、ニコニコしちゃって、まあ」
「うーん、ずっと見てたいわー。けど……」
「おーい! いつまで休んでんだー、二人ともー!」
「え……ひ、ひゃあああっ?!」
そろそろ止めてやらないと。叫んだチーを振り向いた桜子は、みんなの視線が集まっていることにやっと気づき、慌てて遼太郎から身を離した。
「……チューしてるとこ見せつける?」
「う、うるさい! りょーにぃのバカっ!」
からかった遼太郎は桜子に、日に焼けてヒリヒリする肩をイヤというほどひっ叩かれた。ツンとしてそっぽを向く桜子に、苦笑する遼太郎。
今は、それくらいが、兄妹の“正しい距離感”……“今”は、ね。




