87.交友関係ライン混線中
「ねー、いいでしょー? サナ達と海いー」
「ダーメ」
「…………」
ひとゲーム終えてソファでカフェタイムの遼太郎は、果てしなく続く妹と母の平行線を横目に見ていた。
「いいじゃんー、折角の夏休みなんだしさー」
「いけません」
桜子は必死に食い下がるが、おかーさんの返事はにべもない。
早苗ちゃんと千佳ちゃんと、海に遊びに行くのを許して欲しい。桜子はそう主張しているようだが、母さんは首を縦に振らない。
(つうか、小学生じゃないんだから……)
行きたきゃ黙って勝手に行けばいいのに。まず親の許可が要る、という発想になるところからして、桜子は根本的にいい子で幼い。
兄はそう思ったが、余計な口は出さなかった。
おかーさんはしつこい娘に、「はあ」とひとつ、ため息をついた。
「うーん、プールだったらねえ、別にかまわないんだけど。やっぱり、中学生の女の子だけで海はねえ。お母さん、心配だわ」
「大丈夫だよ。小さい子じゃないんだし」
桜子は安心させるように胸を張ってみせたが、おかーさんは顔を曇らせ、
「だってあなた、学校行く途中で記憶喪失になる子じゃない」
「うぐう」
反論の余地もない言葉の矢が、桜子の額を撃ち抜いた。
それでも諦めきれず、
「じゃあ……じゃあ……」
何とか説得のネタをひねり出そうとしている桜子に、ふと遼太郎は不穏な雲行きを感じた。退散しようとそっとソファを立つ……が、時既に遅し。
振り向いた桜子の頭上に、ピコンと電球が光るのを遼太郎は見た。
「じゃあ、りょーにぃが一緒だったら?!」
はい、最悪の展開きましたー。
それを聞いた母さんの方も、ちょっと首を傾げて、
「そうね、それだったら……」
水の事故、それと夏の解放感。ウチの娘がそのいずれにもあっさり流されていくことは容易に想像できるが、しっかり者の息子がいれば安心かもしれない。
一筋の光に目を輝かせる妹と、検討を始めた母。これはマズい。早いとこ自己主張しとかないと、
「俺はヤだぞ」
こいつらは自分の意志を無視して、話を進めてしまう。
当然、桜子は頬を膨らませた。
「ええーっ、何でえっ?! 何でそんなイジワル言うのさー!」
「ヤだよ俺、中二女子三人のお守りなんて」
遼太郎がそう言うのも、それなりに無理のないことだった。
夏休みの始め、大阪から従妹が遊びに来た。妹を含む年下三人にさんざっぱらブン回されたことは、遼太郎の記憶に新しい。
ゴメンだ、ひと夏にアレもっかいやんの。
しかし桜子も、やっと目の前に希望がチラついたのだ。ここで引き下がるワケにはいくものか。
「兄よ、桜子はこの糸は離さないよ! たとえ、下から登ってくる奴らを蹴落としてでもね!」
「切れる糸だぞ、それ」
「いーじゃん、いーじゃん! りょーにぃ! どうせ暇だろー!」
「失敬な。PSストアのサマーセールで買ったゲームが山積みに」
「いつでもできるだろ、ゲームなんて! 可愛い妹の頼みじゃん!」
「この此花遼太郎が最も好きなことのひとつは、自分で可愛いと……」
「“だが断る”なあ!」
スンッとした遼太郎に、桜子は片手を頭の後ろに、片手を腰に置いて、ぐっと胸を反らして強調してみせた。
「桜子ちゃん、新しい水着買っちゃおっかなあ?」
「何で自分の水着姿が兄に対して訴求力があると思ってんだ?」
せくしーぽーずを披露したのに、遼太郎は微動だにしない。
「つうか、前にも言ったと思うが、兄は中二は対象外だ」
そもそも“妹”がまず対象に入らない。桜子は「うぬぬ」と唸り……
「けど、チーは結構おっぱい大きいよ?」
「えッ…………いや、行かない。俺は行かない」
「豚まんっ!」
「ヤメなさい」
遼太郎が一瞬動揺したことに勢いを得て、桜子は、
「お兄ちゃあん! 桜子と海行ってくんなきゃヤ~ダ~!」
「お、おお?」
両手の拳を握り締めて、舌っ足らずに甘ったれた声を出したかと思うと、
「遼太郎さん……桜子、遼太郎さんと海に行きたいです///」
「あ……うム、そのようなアレは困る……」
両手の指を組んで唇に当て、頬を赤らめてみせる。
“見覚え”のある仕草と表情に、遼太郎は虚を突かれ、少し焦った。
「持てる力を全解放するなよ……」
くるっと“妹”、くるりと“女の子”。この際手段を選ばない、桜子による桜子のための、桜子総動員。
遼太郎は真剣な顔を作って、額をぐいっと腕で拭った。
「貴様……いつの間に自らの意志でフォームチェンジを……?」
「どう? これが最終形態桜子よ……!」
いや、別に本当に“自分の中の自分”を呼び出したワケではなく、ただのセルフモノマネだけど。
遼太郎はもう、妹を前に真面目な表情を保てない。
「……わかった、負けたよ」
「ホント?! やったあ!」
根負けして、気が抜けたとも苦笑ともつかない吐息を漏らした遼太郎に、桜子が満面の笑顔で飛びついた。
「やっぱり桜子、お兄ちゃんだーい好き!」
「……知ってる」
桜子はどさくさに紛れて遼太郎の胸に存分に額を擦りつけてから、満面の笑顔でおかーさんを振り返った。
「お兄ちゃんが一緒だったらいいんだよね、おかーさん?!」
「そうねえ……遼君が一緒なら、まあ」
おかーさんは笑いを噛み殺して、頷いた。
結局こうなることは、薄々……いや、厚々“知ってた”。遼太郎も、桜子も、大騒ぎの兄妹を微笑んで見つめるおかーさんも。
所詮遼太郎に、妹渾身のおねだりを断り切れるはずがないのだ。
**********
予定調和に呑まれた遼太郎を尻目に、
「じゃあそういうことで、サナとチーにも言っとくね!」
「ああ……好きにしてくれ……」
桜子は喜び勇んでさっそくラインを打とうとする。
と、ぐたっと肩を落とした遼太郎が、ふと顔を上げた。
「なあ……こっちも助っ人呼んでいいか?」
「すけっと? ダンス?」
キョトンとする桜子に、遼太郎は頷いた。
「正直桜子さん、兄も一人で女子三人の相手するのは懲りてるのよ」
「あ、あはは……」
そう言われては、千夏達との三日間には桜子も身に覚えアリアリで、笑って誤魔化すしかない。
それでも確認しとかなきゃならないのは、
「お兄ちゃんの友達って、男子?」
「そりゃそうだろ。妹連れて遊びに行くのに、女友達誘うとか、ハードル高過ぎて棒高跳びだわ」
確かに、それはさすがの桜子もドン引きする。
「あ、もしかして“まーちん”さん達?」
桜子は夏祭りで会った、遼太郎の中学生の時の男友達を思い出したが、
「いや、今回は高校の友達」
「ふぅん……」
そう言えば、“女友達”の枚方さんや上牧さん達、元気してるかな。
(けど、男の人かあ……)
もし女友達を呼ぶと言っていたら、
「……お兄ちゃん刺してたかもだけど……」
「ちょっと待って。今何て?」
「あ、ホンのこちら言」
「そちら言がえらく物騒だったような……」
りょーにぃだったら、サナとチーも昔から知ってるから大丈夫だと思うけど、知らない高校生の男の子かあ……
「ちょっとチー達に確認していい?」
「じゃあ俺の方はそっちの返事待ちにしよう」
「まあ、りょーにぃの友達だったら、そんなヘンな人じゃないと思うけどさ」
「……うん、まあな……」
スマホをポチポチしながら桜子がそう言い、遼太郎は少し口ごもった。自分の頭の中の人選、「どうかなあ……」という懸念は多分にあるのだ。
考え込んだ遼太郎をよそに、桜子がグループラインを飛ばす。
『桜子:海なんだけどさあ』
『桜子:りょーにぃが一緒ならいいって、おかーさんが』
ピロン♪ ピロン、ピロン、ピロン、ピロン♪
『サナ:(ハートのスタンプ)』
『チー:(動くハートのスタンプ)』
『サナ:(「まあ!」って感じのスタンプ)』
『チー:(ニヤニヤ笑いのスタンプ)』
『チー:(ジト目で睨んでくるスタンプ)』
ピロン♪ ピロン、ピロン、ピロン、ピロン♪
「うっせ! 何が起きてんだ、お前らのライン?」
「はわわ……スタンプ爆撃が止まらねえ!」
大好きなお兄ちゃんが一緒、サナとチーからすれば、そりゃあもうフルボッコにしてくるのは当然であった。そりゃあもう、自分だって……
海に行く……お兄ちゃんも一緒に。
桜子は手段と目的がコペルニクス的転回しかけているのをひしひしと感じて、
(ち、違うぞ……今回は、あくまでりょーにぃを利用するだけなんだから)
そう自分に言い聞かせ……ている時点でダメなことも、自覚していた。




