86.東小橋君という男
夏休みの昼下がり、クーラーの効いたリビングでスマホをイジっていると、
「折角の夏休みに、昼間っからソシャゲかよ。終わってんな、デブ」
背後から高校生の姉に、身も蓋もない罵声を浴びせられた。
大きな体ごと振り返った東小橋君は、
「それが可愛い弟への言葉かね、ねーちゃん」
「お姉様のありがてーお言葉だよ。つうか、可愛い弟ってどこいんだ? 私には出荷前のブタしか見えねーぞ?」
「言うよねー」
姉の暴言をやんわりたしなめたが、倍返ってきたのはもはや単なる悪口だった。しかし軽く受け流す。東小橋君は動じない。
つうか、それよりフツウにしゃべってる?
根来忍者の末裔というキャラを、東小橋君は家では演っていない。あれは外向けの“設定”だ。何故それを外に向けてしまったのか……
少年は如何にして忍者になったのか――……
始まりはネットで見たコピペのオタキャラのマネだった。
東小橋君は小学生の頃、あまり目立つ方ではなかった。中学生になるにあたり、東小橋君は地味キャラを返上しようと一念発起、小太りでオタク気味な自分に陽キャはムリだから、いっちょ“面白キャラ”を目指そうと決意した。
そして東小橋君まさかの選択、中学忍者デビュー。
残念ながら彼の斬新なイメチェンは、凡人の理解は得られなかった。
しかし東小橋君は慌ててキャラを撤回することはしなかった、一度やらかしてしまった以上、引っ込みがつかない。それもある。だがそれ以上に彼は……
(……面白うござるのに)
自身のキャラを自身だけが、すっかり気に入っていたのである。
東小橋君は他人からどう思われようが気にしない……ことはないが、自分が面白いと思ったモノは誰が何と言おうと面白い、それこそオタク気質の真骨頂。
この男は一見人が好さそうで、内に尋常ならざる太々しさを飼う。
それに……
「君……面白いな」
「東小橋氏、と呼んで宜しいかな?」
「“いいですとも!”」
同じ匂いのする友達が、何かめっちゃできた。オタの友釣り、どうやら東小橋君のキャラは、同種のみを超食いつかせるルアーであったらしい。そして……
かくして貫き通した東小橋君の“己”は、今やすっかりクラスでの市民権を確立した……わけではないが、ある意味認められた。
目指した場所とは、少々違った気はするが、“面白キャラ”になるという目標は達成された。
そのキャラのおかげで、クラスで一二の可愛い女子と仲良くなるとは、さすがに東小橋君も予想だにしなかったが、ともあれ……
これが忍者・東小橋博之の“起源”である。
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が、姉からの評価は極限まで低い。
東小橋君のねーちゃんは心底見下げるような目で、
「夏休みも半ばだっつーのに、ゲーム→ソシャゲ→ゲーム→ソシャゲ……ったく、暗え青春だな、オタクデブ」
夏休みでソシャゲのイベントも来ていて、自分なりに充実した毎日を送る弟に対して放言の限りを尽くす。
(自分だって、高校デビューのクセに……)
茶髪もメイクもいまいち板についてない感の姉に、しかし、東小橋君はそうは口に出さない。侍であればいざ知らず、争いは避けて通るが忍びの道というものだ。ただ……
何だろう? 姉のこの、言葉はキツイながら、悪意はまるで感じないイジリ。近頃身に覚えのあるような、どこか心地いいような……?
弟が黙っているのをいいことに、ねーちゃんはますますカサに懸かる。
「どーせそのスマホ、女子の連絡先一件も入ってねーんだろ?」
小馬鹿にした口調でそう言われ、さすがに東小橋君もムッとする。
(何の……この自分のためなら命投げ打って戦う“女子”が、何十人と入ってるんだぞ)
オタ友には羨望されるSSRも、姉には価値が理解されないどころか、むしろバカする燃料を与えるだけだろう。
とはいえ、あまりに言われっぱなしも癪だ。
「入ってるよ、女子の連絡先くらい」
東小橋君がボソボソと反論すると……
ねーちゃんはここぞとばかり、底意地の悪いニヤニヤを浮かべた。
「ほお~? 何件だ?」
「……3件」
自慢できる件数ではなく、更に小声になる。
が、ねーちゃんはバカにした笑いをちょっと引っ込めた。
「……リアルな件数出してきたな」
弟が10件とか言ったら、からかい倒してやろうと思っていたけど、
「ホントに? ちょっと見してみ」
「う、うん、いいけど……」
東小橋君がスマホの画面をねーちゃんに向けた、その時――……
ピロン♪ あり得ないタイミングで、ライン着信音が鳴った。
『チー:よお、アズマー。生きてるか?』
『チー:ところでさ、桜子とサナと海行く約束してんだけど、アズマも来ねえ?』
『チー:つうか、お前、海とか超似合わねえけどな』
『チー:大丈夫か? 太陽光浴びたら溶けて死なねえ?』
『チー:(指差してゲラゲラ笑うスタンプ)』
『チー:つうか、来い。命令な』
『チー:これ着るから。見てーだろ?』
『チー:(床に置いた水着の写真)』
「…………」
「…………」
チーこと都島千佳殿からの、奔放極まりないラインだった。如何に動じない東小橋君も、チーの暴虐っぷりを姉に見られ変な汗をかく。
当然ながら、ねーちゃんはスマホの画面を凝視し、
「マジか……」
それから何とイジるつもりか、冷や汗の東小橋君をじろじろと見つめて――……
「でかした!」
「イテッ」
遠慮会釈なく、東小橋君の太ましい肩をぱしんと叩いた。
「何だよー。ゲームの女の子にしか相手されねークソオタかと思ってたら、遊びに誘ってくる女友達いんのかよ。案外リア充じゃねーか!」
いつもは口を開けばバカにしかしない姉が、今は何だか嬉しそうだ。
まあ、興味津々の追及は免れない。陰キャオタクと思っていた弟の、まさかの女っ気。無理はないとは当人も思う。
「このチーって子の写メねーのか?」
「うん、まあ、一応あるよ……」
東小橋君は姉の性格を知っている。ないと言ったらスマホを奪われて、触られたくない隅々まで引っ繰り返されるだろう。
観念した方が被害は軽微で済む。東小橋君は写真を開き、姉に向けた。
例の桜子殿と柴島殿の告白騒ぎの後、打ち上げしたフードコートのアイスクリーム店で撮らされ、チカ殿が爆笑しながらラインで送ってきた一枚。
にいっと笑うチカ殿と、肩を組まれて焦り、確かに面白い顔になっている拙者の二人が写る自撮り写真……
ねーちゃんは穴の開くほど画面を見つめ、また東小橋君の顔を見つめた。
「マジか、めちゃくちゃカワイイじゃねーか……つうより、何お前、こんな写真撮るくらいこの子と仲いいワケ……?」
「ああ、いや、この子は肉食系小動物と言うか、単にオタクをからかって面白がっているだけでござる……」
動揺した東小橋君、思わず忍者が出る。
こちらも衝撃のお姉ちゃん、東小橋君の“ござる”には気づかない。
「お前、このチーって子、好きなの?」
「うえあ?! い、い、いや、そういうワケでは……」
当然と言えば当然のツッコみに狼狽する東小橋君に、
「じゃあ、桜子かサナって子?」
ここは奉行所のお白洲か、姉上の吟味は留まることを知らない。
東小橋君はコホンと咳払いをし、何とか態勢を立て直す。
「ねーちゃん、モテない男をナメちゃいけない」
「僕みたいな陰キャ、口利いた女子だいたい好きになるぞ!」
「あ、わかる。説得力すげえ」
“モテない男あるある”をモテない代表みたいな弟に説かれ、ねーちゃんは納得しきりに落ち着いた。東小橋君は指の第二関節で眼鏡を押し上げる。
「ま、言ってもそんな程度だよ。そりゃ全く気にならないとは言わないけど、何せ僕だよ? 相手にされないって」
ねーちゃんは首をひねって、
「そおかなあ? 遊びにも誘われてっし、ワンチャンあんじゃね?」
「ないない。ねーちゃんも言ってたじゃん。出荷前のブタですよ、フヒッ」
東小橋君は鋼の自虐と低自己評価で、全身を鎧のように包んでいる。
弟の堂々とした卑屈さに、さすがに姉も少々反省した。
「言ったけど……お前だってもーちっと痩せりゃ別にそこまで悪かねえと、ねーちゃんは思うんだけどな。それと、オタクキャラ何とかすれば」
そこはアイデンティティゆえ、何ともなり申さぬ。
東小橋君のお姉ちゃんはまじまじと弟の顔を見て、ふと首を傾げた。
「つーか、ヒロさあ。お前、最近ちょっと痩せた?」




