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82.チナちゃんは“可愛く”ない

挿絵(By みてみん)

【西からやって来た“夏”と“春”(9/12)】

 いつだって、真夏の太陽のようにその子は笑っていた。向日葵のように、伸び伸びと顔を上げていた。その子はその名の通り、夏を思わせる少女だった。


 しかし、夏の空は時に激しい夕立に見舞われる。


 今の千夏は、晴れ渡っていた夏空が、一転真っ黒な雷雲に覆われるように、内から激しい感情を覗かせていた。


 或いは、隠していた素顔を露わにした、のかもしれない。



 桜子は戸惑い、自分の千夏への腹立ちをきれいに忘れた。突然走り去った千夏に驚いたのも、心配したのも、その態度にカチンときたのも、すっかりと。こと、忘れるのと事故るのは、桜子の専売特許だ。

「え……可愛くない?」

桜子は、千夏の絞り出した言葉にきょとんとした。可愛くない、と千夏は自分を言ったが、桜子は全然そうは思わない。

 確かに、雰囲気は変わらずボーイッシュであるけれど、久しぶりに会った千夏は本当に女の子っぽくなっていた。桜子の目には、黄緑色の太陽みたいな向日葵の大きな蕾が、金色に花開いたように眩しく映っていた。


「そんなことないよ? チナちゃん、ちゃんと可愛いよ?」


 桜子はぽかんとした口振りで、そう言った。宥めるのでも、お世辞でもなく、素で言った。



 しかし夏の雨は少女の頬にぽろっぽろっと伝う。

「可愛いんはハルや。だから、みんなあの子にばっかり優しいねん。お(ねえ)ばっか可愛がられんねん……」

「チナちゃん……?」


桜子(さあ)には、ウチの気持ちはわからへんわ!」


 千夏は今止めどなく、誰にも言わずにいた思いを、桜子にぶつけた。

「何やねん! 桜子(さあ)は可愛いて、女の子らしいて、優しいお兄ちゃんもいて! 桜子(さあ)みたい可愛かったら、欲しいもん何でも手に入るやろ! ウチなんかの気持ちわからんクセに、ええ加減なこと言うなやあっ!」


 千夏の叫びが、雷光のように二人の間を切り裂いた。



 桜子は、うつむいて黙り込んだ。雷鳴が尾を引くように、沈黙が張り詰めた。やがて、桜子が口を開いた。

「チナちゃんこそ、何も知らないクセに……」

「……何?」

桜子は顔を上げて、千夏をキッと睨んだ。


 千夏の抱える感情は、桜子のとはまた別の種類のモノだ。だけど、何でも欲しいモノが手に入る、そう言われるのだけは心外だった。桜子には桜子で、誰にも言えない気持ちが胸の中にあるのだ。

「あたしだって、何でもなんか、手に入らないよ! あたしが本当に好きな人は、絶対にあたしを好きにはなってくれない人なんだから!」

桜子は溢れそうになる気持ちと涙を、ぐっと堪えて、千夏に向かって叫んだ。


「チナこそ、あたしの気持ちなんか知らないのに、勝手なこと言うなあっ!」

桜子(さあ)……」



 千夏は桜子に勢い負けしたようで、怒りの表情が薄れ、困惑して言った。

「ちょ……桜子(さあ)、泣くなや……」

「泣いてないでじょー!」

桜子は一生懸命涙を我慢して、千夏に向き合った……つもりだったが、

「あだっしっだっで! うっ、ひぐっ、好ぎなひどっ! うぐうっ!」


 実際にはこの有り様で、涙腺決壊してました。



 顔を真っ赤にして、口をへの字に曲げた桜子を見て、千夏の怒らせた肩からがくっと力が抜けた。

「自分……泣き方、ハルと一緒やんか」

結局、こんなふうに感情をぶつけ合ったら、より派手に破裂させた方が勝つ。言い換えれば、

「泣いたモン勝ちかい……」

つまり千夏に染みついている“姉”が、桜子の“妹”に属性負けした。



 カッとなっても、積もり積もった不満が爆発しても、やっぱり自分には“妹”の手は振り払えない。泣くのを我慢しようとしている桜子|(失敗)に、春菜の顔が重なって、千夏はそう思い知らされた。

「かなんなあ……」


 けれど、“妹”(さくらこ)“姉”(じぶん)を必死に追い掛けてきた。千夏はぐいっと涙を擦った桜子の腕の、公園の茂みを突き抜けた時の擦り傷を見つめた。

(アホちゃうか……)

どんだけ必死やねん。


 それに、泣き止もうと「うー」ってなってる顔。

「いつまでも泣いとったら、お姉ちゃん、ハルのことキライなるで」

千夏がそう言った時、春菜がするのと同じ顔。



 そういうふうに思えたのは、桜子が自分の“妹”ではないからだろう。桜子を通して、春菜が見えて、ちょっと冷静になれたのかもしれない。


「かなんなあ……」


 遼ちゃんも大変やなあ。まだしゃっくりの止められない桜子から、遠い空へ目を移す。

 湧き立つ入道雲、アホみたいにデッカい雲の塊は、近づいてくることもなく消えることもなく、ただ夏の空を背に千夏を見返していた。




 **********


 公園の腰の高さのコンクリ―ト柵に、桜子と千夏が並んで座っている。木陰が日差しを遮り、吹き抜ける風は幾分爽やかである。


「その……ゴメン、チナちゃん……」

「いやあ、ウチも悪かったわー」


 例によって失態を晒した桜子は、頬を赤くして首をすくめた。

(追いついたとこまでは、良かったんだけどな)

カッとなるとワケわかんなくなっちゃうのは、記憶喪失を経験したせいだと思うんだけど、いい加減何とかしなくちゃなあ。


 桜子はちらっと、千夏の横顔を窺った。



 いつもの千夏に、戻ったように見えた。目つきと眉、口元を歪めていた険のようなモノが、落ちたみたいだった。

「ハルとはこうやって、たまにケンカもすんねんけど、桜子(さあ)と遼ちゃんビックリさせたなあ。悪いことしたわー」

明るくって、裏表がなさそうで、けれどどこか翳りがあるように、桜子は感じた。


 そこで桜子は、おずおずと口を開いた。

「その……チナちゃんは久しぶりに会って、すっごくキレイになったよ」

「はあ?」

意を決して言った桜子に、千夏はポカンとした。

「だって、さっき……あたしは、チナちゃんのこと、可愛いと思うよ」

「え……あ、ああ、あれか……///」



『ウチが、可愛(かわ)いないんが……そんなにアカンのか……』



 自分が思わず口走った台詞を思い出し、千夏は赤面しながら笑った。

「あれは、えっと、“見た目”のことやのうてね? いや、別に、自信があるワケやないけど、そこまでブサイクやとも思ってへんちゅうか……」

ゴニョゴニョと口ごもる千夏に、今度は桜子の方がきょとんとする。


 千夏はしゃべりながら赤くなっていき、やがて爪先に視線を落とした。

「ウチが言うたんは、何ちゅうたらええんかな……そう、つまり“可愛げ”ちゅうヤツのことやねん」

「可愛げ?」

桜子が聞き返すと、

「そうそう」

千夏は振り向いてニッと笑った。寂しそうな笑顔だと、桜子は思った。

「ウチて女三人でさあ、美雪(おねえ)は昔っからフワーとしてホワーとして、お人形(にんぎょ)さんみたいやろ。そんで、ハルは“あんなん”やん? せやから、ちょっと甘えたりとか、ワガママ言うたりとか……」


「今回桜子(さあ)とこ来たんかて、春菜が言い出して、一人で行かされへんちゅうから、ウチがついてくことなってん。あ、別に来たなかったワケやないで?」


 千夏はひらひらと手を振って言い足した。

「来たら来たで楽しいし、桜子(さあ)と遼ちゃんと会えて良かったし」

それから、独り言のように、もうひと言。

「けど、やっぱりそれは、“ハルのしたかったこと”や」



 千夏はちょっと言葉を切って、桜子の目を覗き込んだ。

「ちょっと変な言い方するけど、誤解せんとってな?」


「おねえとハルはな、そういう“オンナ”使うんが上手いねん。もちろんヘンな意味やないし、二人がワザとやってるとも思てへん。けど、お(とう)に物買うて欲しい時とか、二人ともめっちゃ上手に甘えよんでー」


 千夏がケラケラ笑い、遼太郎やおとーさんに対して身に覚えのある桜子、姿勢を正して汗をかく。千夏は桜子の様子には気づかず、ぽつりと言った。

「ウチは、ようせえへんけど……」



 千夏はそう呟き、桜子の表情を見て慌てたように言った。

「あ、いやいや! こんなん言うたけど、ウチは別に家でシンデレラになっとうワケやあらへんよ?」


「おねえとハルとも普通に仲ええし。お(とう)は二人が何かねだったら、ちゃんとウチにも欲しいもんないか訊いてくれるし。お(かあ)が作ってくれるオカズのリクエストも、ちゃんと三人ローテーションやし……ハルはたまに順番抜かししようとしよるけど」


 そこまで一気に早口で言って、千夏は、ふうとひとつ息をついた。

「ただ……たまにやで? 自分が自分の性格のせいで、ちょっとだけ損してるなあって思うことが、ホンのたまーに、あるだけ」



 二人の間に沈黙が下りて、公園で子ども達の遊んでいる声、頭の上から降る蝉しぐれが耳についた。

「よくは、わからないけど」

しばらくしてから、桜子が言った。

「あたしは、二人兄妹だし、下の子だし、だからチナちゃんの気持ちがわかるとは言えないけど……チナちゃん、我慢し過ぎなんじゃないかなあ?」

千夏は桜子を見ずに微笑んだ。実際、その通りなのだと思う。自分は、いつもちょっと先回りして、勝手に一歩引いてるんだと。でも……


 千夏は微笑のまま、桜子に僅かに顔を向けた。

「なあ、桜子(さあ)、知っとう……?」



「人ってなあ、気ぃ良うくれるんて、“二つ”だけなんや」




挿絵(By みてみん)

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