80.絶対チョコミント食べるハルナちゃん
ぐに……ぐに……右頬を押される感覚に、遼太郎は目を覚ました。しばしの混濁を経て、自分がリビングで寝ていること、従姉妹達が遊びに来ていることをゆっくりと思い出す。
(……また、あいつらか)
今何時だ?と思いながら、遼太郎は薄っすら目を開ける。
視界の端に、桜子の真っ赤な顔が超至近距離であった。
「あ、起きたで」
「桜子ちゃんの負け~」
「うう……」
「……何やってんだ?」
パジャマ姿の遼太郎を囲むのは、既に着替えを済ませた膝丈サマーワンピの桜子、ショートパンツにTシャツを合わせた千夏と、チュニックシャツを合わせた春菜だ。
遼太郎の当然の疑問に、従姉妹達は当然のような顔で、
「遼ちゃん危機一髪」
「チューして遼兄ちゃんが起きたら負けや」
寝起き早々、平穏な一日は終わりを告げたらしい。
首を動かすと、妹と歯磨き粉が匂う距離で正面合う。
「で、お前が負けた、と」
「……うん……二週目で……」
「一周はやられ済みなのか」
遼太郎は右の頬に触れ、ため息をついた。
「昨日からめちゃくちゃ実妹にチューされてるな」
桜子が真っ赤なままでうなだれた。
「何か、チナちゃんとハルちゃんといて……何がダメで何がダメじゃないのか、わかんなくなってきた……」
「そうか……」
遼太郎は嘆息し、思った――……
俺の名前は此花遼太郎、ちょっとオタクで平凡な高校生だ。ところがひょんなことから高校生・中学生・小学生の従姉妹と実妹に取り囲まれ、俺の平和な日常はドタバタなラブコメ状態に……
(うん、俺には無理。早晩死ぬわ)
漫画やアニメではうらやましく思えるハーレム主人公も、我が身に降り掛かるとけっしていいモンじゃなかった。本編18巻、続編18巻に渡って“トラブル”に巻き込まれ続けた“アイツ”なんか、どんだけ強靭な精神力だよ、と思う。
若干壊れ気味の妹、やりたい放題の従姉妹達に囲まれ、
「……顔洗ってくる……」
遼太郎はとりあえず、眠気と疲れと、頬っぺたのチューを洗い流すことにした。
しかしこの日の“トラブル”は、遼太郎の思いとは別の方向からやって来る。いや、全く懸念していなかったわけではないが……
**********
「くっ……メテオ! 遼ちゃん、貴様このゲームやり込んでいるなッ!」
「答える必要はない」
「あ、あれ? あたしのキャラどこ?」
「今、めっちゃ独りでステージから落ちてったけど……」
今日も今日とて予定もなく、リビングでまったり“大乱闘”だ。
「くそ、遼ちゃん強いな。よし、こうなったら袋叩きや! ガイア! オルテガ! マッシュ! ジェットストリームアタックを掛けるで!」
「いや、お前は誰やねん」
画面のカービィに、三体の敵が一斉に襲い掛かる(内一名戦力外)。しかも場外乱闘で、三本の足が遼太郎本体をぐいぐい攻撃する。が……
「ちいッ、効いとらへん!」
遼太郎のコントローラー捌きは一切乱れない。焦った千夏は、
「なら奥の手や、食らえ、遼ちゃん!」
またも千夏のキス(上・必殺技)が遼太郎の頬にヒットする。が、
「小細工に堕したか」
遼太郎は動じることなく、三人を順番にステージから叩き落とした。
「これも効かんやと~?!」
「ちいねえ、めっちゃ楽しんどんなあ」
悔しがる千夏に、早くも3撃墜を喫した桜子がコントローラーを置いた。
「お兄ちゃんって一度受けた攻撃、二度は通じなくなる特性があるんだよ」
「マジか……聖闘士みたいなやっちゃな」
つまるところ、慣れるのだ。
桜子にも覚えがあるが、遼太郎の恐ろしさは戦いの中でどんどん進化して、耐性を身につけていくことにある。一度や二度はうろたえさせた攻撃も、すぐに利かなくなるのだ。
当人は否定したが、割とハーレム主人公に適性があるようにも思える。
千夏は「うーん」と唸り、
「かくなる上は、パンツでも見せるしかあらへんか」
と、遼太郎がコントローラーを置いて、振り返った。
「千夏」
「そこまでやったら、俺も本当に怒るぞ?」
遼太郎の静かな声に、千夏の顔から笑いが滑り落ち、桜子と春奈もビクッとなって首をすくめた。
「ゴ、ゴメン、遼ちゃん……」
これにはさすがの千夏も謝ったが、遼太郎の真顔をじっと見つめて、
「けど、遼ちゃん……そういう優しいて厳しい感じこそ、ウチの求めとった“お兄ちゃん”かもしれへん……」
遼太郎はフッと笑うと、前髪をかき上げ、その手で千夏の顎をすっと押し上げた。
「あっ……?」
「だったら、ちゃんと“お兄ちゃん”の言うことを聞けよ」
「は……はいぃ……///」
(出た……お兄ちゃんの“俺様”モード……!)
桜子はごくっと息を飲んだ。自分以外にされるのはイヤな反面、客観的に眺めるのもそれはそれでイケる気がして、複雑な心境だ。
さて、遼太郎の“俺様”に少しぽうっとなった千夏だが、
「いや! せやからこれ、“お兄ちゃん”ちゃうやろ!」
ハッと我に返り、ツッコんだ。
「すんのんか、これ、桜子に?!」
桜子と遼太郎が顔を見合わせる。
「まあ、たまに?」
「っても時々だよね?」
「すんのかい! オカシイやろ、自分ら兄妹! いや、よその兄妹知らんけど!」
第三者的意見に、二人は困惑した。桜子の方は、自分がオカシイのは自覚している。遼太郎は、妹のオカシサに慣れて「まあ、こんなもんなのかな」と思っている。二人だって、よその兄妹は知らない。
母・桃恵は、この一部始終を何とも言えない思いで傍観している。
(遼ちゃんがモテモテだわ……モテてもしようのないところで)
おかーさんの息子への評価が、“残念なイケメン”から“無駄なイケメン”に昇格した。
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その後の一連の出来事は、いわばドミノ倒しのようなものだったけれど、起点はおかーさんの何てことのないひと言だったかもしれない。
テレビゲームをやって、またドンジャラもやって、そういうところマメな遼太郎が用意していた“ラブレター”というカードゲームでも盛り上がって、その日の午前は楽しく過ぎていった。
「そろそろお昼よー」
そう言っておかーさんが用意したお昼ごはんは、鍋物用の土鍋にサッポロ一番の味噌ラーメンを5袋ぶっ込み、そこへ卵入りの野菜炒めを山盛り叩き込む“簡単だけど絶対美味いやつ”だった。
「すご。やっぱ男の子のおるん家のゴハンてちゃうなあ、ちいねえ」
「なあ。あ、“お姐さん”、七味ありますう?」
「味噌はマヨ足しても合うぞ」
「桜子はごま油のひと垂らしを推します」
鍋料理のように取り分けながら、思い思いに薬味や調味料でアレンジして、大量のラーメンは瞬く間に子どもたちのお腹に収まった。
その後だった。おかーさんが、
「お粗末様、食後にアイスでも食べる?」
最初のドミノをつんと突いたのは。
「わーい」と他愛もなく、妹組が冷蔵庫に走って行った。遼太郎と千夏はダイニングテーブルで、「何がある?」と妹達に物色を任せている。
「えっとねえ……ハーゲンダッツのマカデミアとー、バニラとー、クリスピーのヤツでしょー? それと、スーパーカップの高いヤツー」
桜子が冷凍庫を掻き回しながら答える。冷蔵庫がピピッピピッと不満声を上げ、
「ちょっと、桜子。中身が溶けるから、開けっ放しにしないで」
おかーさんの小言が飛ぶ。桜子は一旦引き出し冷凍庫を閉めて、
「ハルちゃんは何が良かった?」
そう言って振り向いて、春菜の微妙な表情に気づいた。
「あれ? 食べたいのなかった?」
「うん……今、ハルな……」
「チョコミントの口やねん」
「そう来た……?」
桜子が振り向くと、おかーさんが困った顔をした。
「あらー、チョコミントは買ってなかったわねえ」
まあ、好き嫌いの分かれる“攻め”のフレーバーだ。おかーさん世代は、あまりこういう時のチョイスには加えないだろう。
春菜はわかりやすく不満顔で、
「えー? 桜子ちゃんはチョコミント嫌い?」
「うーん、あたしはあんまりかな……」
遼太郎は割と好きらしいが、桜子はスースー系はちょっと苦手だ。
「わかってへんなあ。ハルがチョコミントの良さを教えたるわ。蒼く爽やかな香りで、幸せに導く神の御菓子、故に“最 of the 高”や!」
「……せやな~(理解)」
桜子は春奈の力説に苦笑しながら、関西弁を真似してみたが、そこへ千夏の声が飛んできた。
「ちょう、ハル。自分ホンマいい加減にしいや」
昨日からの積み重ねもあってか、千夏の口調はかなりキツ目だ。
「折角叔母さんが買うてきてくれたはるのに、文句言うとか、自分ナンボほどワガママやねん」
「別に……文句言うてるワケやないし……」
春菜は唇を尖らせて、姉から目を逸らす。
拗ねた春菜と、言葉静かながら怒り気配の千夏に、
「気にしなくていいのよ、その時食べたい味ってあるわよね」
お母さんが取りなし、桜子も慌てて、
「じゃ、じゃあ、一緒にコンビニまで買いに行こっか?」
「ホンマ? やったあ!」
春菜は顔をぱっと明るくして笑ったが、千夏の冷ややかな視線が桜子に移る。
「叔母さんも桜子も、あんましこの子甘やかさんといてくれます?」
「ご、ごめん……」
怒られた桜子は首をすくめて……
こういう時、当然のように助けを求める目を向けられ、遼太郎はため息をついて口を開いた。
「まあ、言い出したことだし、桜子、ハルちゃんと行ってやれ」
「うん……」
どうすべきか迷っていた桜子がホッとすると、遼太郎は続けて、
「それと、次からは先に千夏にお伺い立てた方がいいな」
「……ん、わかった」
「千夏も、それでいいかな」
「うん、まあ……」
千夏がやや納得のいかないふうに、微かに頷いた。なるほど遼太郎の仲裁は妥当だが、結果的に春奈の我が通った形になる。
そこは遼太郎もわかっていて、
「じゃあ、俺らは二人でゲームでもして待ってるか」
何げないふうに気に遣ったが、千夏は少し考え、首を振った。
「いや……ウチも行く」
千夏がそう言うのを聞いて、
「ちいねえも来るん?」
「アンタのワガママやのに、桜子だけ行かせられへんやろ」
春菜は一瞬ホワッと頬を緩めたが、すぐに素っ気ない口ぶりを作って、
「別に、ハルは桜子ちゃんと二人でええねんけどー」
姉のため息に憎まれ口を返しながら、ちらっちらっと顔色を窺っている。
遼太郎が椅子から立ち上がり、尻ポケットに財布が入ってるのを確かめる。
「じゃ、みんなで行くか、散歩がてら」
春菜はニッと笑った。結局、みんな自分の思い通りにしてくれて、お姉ちゃんも怒ったみたいだったけど、春菜のことをもう許してくれた。いつもみたいに。
妹はすっかり元気になって、いそいそと玄関へ走っていく。でも……
姉の方は、いつもよりちょっと本気で、妹に腹を立てていた。




