79.元気娘のウラオモテ
恐る恐る帰宅した遼太郎を、玄関で桜子・千夏・春菜がうなだれて迎えた。
「りょーにぃ……その、ゴメン……」
「ウチら、ちょっと調子乗り過ぎたわ。カンニンな?」
「怒ってへん、遼兄ちゃん……?」
殊勝な様子の“妹達”に遼太郎はホッとしつつ、コンビニの袋を差し出した。
「別に怒ったワケじゃないから。ほら、アイス買ってきた」
わっと歓声が上がり、瞬く間にコンビニ袋がひったくられる。どうやら、嵐は過ぎ去ったらしい。今のところ、一旦は。
しかし……
その日の夕食は、おかーさんが腕を揮い、おとーさんも早めに帰宅し、テーブルの上も周りもいつにもまして賑やかである。
足りない椅子は、桜子と遼太郎が部屋からそれぞれのデスクチェアを下ろしてきた。食卓にはちとチグハグだ。
「大阪弁の女の子って可愛いわねえ」
食事中、小鳥のさえずるようにしゃべる春菜に、おかーさんがおっとり微笑む。
「哲二の奴も、今やネイティブに大阪弁だからなあ」
お父さんが大皿の唐揚げに箸を伸ばしながら言った。
これを聞いた千夏が、ちょっと意外そうな顔をする。
「そっか。お父て、生まれ大阪やないんやな」
哲二郎おじさんは大学を出て関西で就職し、そっちで結婚して家庭を持った。
20年近く向こうで暮らすおじさんは、桜子達どころか娘から見ても、完全に“ナニワのオッサン”である。
「まあ、哲二は昔から語学が得意だったらなあ」
「大阪弁って語学力なの?」
「英語に、フランス語も少々話せたはずだぞ」
「似合わねえ!」
遼太郎と桜子が目を丸くしたのも、失礼だが、あの熊みたいな叔父が「ボンソワール、マドモアゼル」とか言うの?
わあ、似合わない。むしろ「ん~、セシボ~ン」って感じだ。
そんなふうに、此花家の夕餉はお客を交えて和やかだった、けど……
食事が終わると、また春菜が無邪気に桜子に迫った。
「桜子ちゃーん、一緒にお風呂は入れへん?」
「うえっ?」
突然のお誘いに、桜子が困惑する。
すると遼太郎が先手を打つ前に、千夏はニヤッと笑って、
「ほな、遼ちゃんはウチと入るぅ?」
「言うと思った」
「期待してたん?」
「バカを言え」
苦い顔をする遼太郎に、千夏がしなを作ってウインクする。
黙っていないのは妹組だ。
「えー?! じゃあハルが遼兄ちゃんと入る!」
「ダ、ダメだよ!」
屈託なく挙手した春菜に、桜子が真っ赤な顔して叫び、遼太郎を振り向く。
「だったら、あたしがお兄ちゃんと……」
「ダメだっての」
「じゃあ、ウチが!」
春菜に続いて千夏がビシッと手を上げ、
「じゃあ、ハルが!」
桜子もおずおずプチョヘンザ。
「じゃあ、あたしが……」
そこへ台所から、
「じゃあ、お母さんが」
「「「どうぞ、どうぞ!」」」
「ヤダよ。参戦すんなよ」
本気でイヤそうにする遼太郎から、女四人の視線がリビングに向けられた。食後の湯呑を取り上げていた父・照一郎が、それに気づき、しばし躊躇してから、
「じゃ……じゃあ、私が?」
「「「「どうぞ、どうぞ!」」」」
「いや、父さん、無理すんな」
「う、うむ……」
「赤くなるな、親父……」
照れるイケオジに、息子が呆れ、女衆が涌く。
結局、「じゃあ、もういっそ四人で入ろか」という千夏を遼太郎がグーパンで沈め、桜子と春菜、千夏、当然遼太郎は一人で風呂に入った。
(四人……まあ、うん……)
正直、多少は心が揺れたのを、遼太郎は否定できないし、誰も非難できない。
そんなこんなで兄妹と従姉妹は、主に遼太郎の犠牲の上で、久しぶりの楽しい時間を過ごしている。けれど、桜子と遼太郎が気になるのが……
(ねえ、お兄ちゃん……チナちゃんとハルちゃんさ……)
桜子と遼太郎が小声で言い交わす。春菜は桜子達にうるさいくらい話し掛け、千夏も軽口を叩くけど、心なし二人の間に言葉が少ないように思う。
(うん……やっぱまだちょっと、昼のこと引きずってんのかな)
千夏にすれば、ほんの僅かに遼太郎の前で気を緩めるのを、妹が邪魔をした形だ。それが少し、わだかまりを残しているのかもしれない。
**********
「ええ? エエのん、自分の部屋にウチを独りきりにして?」
部屋に通した千夏が、ワルい顔で遼太郎を見る。春菜は桜子の部屋で寝ることになっているが、遼太郎と千夏が同室というわけにもいかない。
そこで遼太郎は千夏に部屋を明け渡し、自分はリビングに布団を敷く段取りになっていた。
「テッテー的に漁り倒すで?」
「ヤメろ。廊下で寝かせんぞ」
「例えば、こんなベッドの下にアヤシイもんがっ!」
「ああっ?!」
ベッドに向かってヘッドスライディングする千夏に、後ろからついて来ていた桜子が思わず叫んだ。桜子はまさにその場所から、エッチな漫画を発見したことがあるのだ。
が、遼太郎は落ち着き払って、
「ねえわ。よしんば持ってても、お前を部屋を入れるのに残しておくか」
「信用あらへんなあ」
「どの口が言う」
実際、周到な遼太郎は二日前、その手のモノをビニール袋に二重に収め、ナップサックに入れて、何と櫻岡神社の稲荷堂の下に押し込んでいた。
“思い出の場所”がまさかそんなふうに汚されてるとは、桜子は夢にも思わない。
ケラケラと笑う千夏は、もういつもの千夏に戻っているように見える。内心のところは、わからないけれど。
「まあ、その手のもんは出てこないけど、大事なもんはあるからな。あんまり漁るのはカンベンしてくれ」
遼太郎は棚のフィギュアやコミックなどコレクションを、不安げに眺めた。
「安心し。冗談言うたけど、ウチは人の大事なもんに勝手に触ってええか悪いかくらいは、ちゃんとわかってる」
そう笑って口にした言葉の含みが、桜子と春奈には伝わらなかったけど、どこへ向けられているものか遼太郎には感じられた。
遼太郎が見つめると、千夏はすっと視線を逸らした。遼太郎はそのことについては触れずに、
「そっか。じゃ、千夏を信用して、俺は下で寝るわ」
「遼ちゃん……」
遼太郎に戻す千夏の目には、また悪戯っぽい光があった。
「2時くらいまでやったら、ウチ、待ってるから」
「うん、寝てくれていいから」
「お兄ちゃん、こっちの部屋に来るんだったら、あたし寝ててもおか……起こしていいからね?」
「お前、今どエライ言い間違いしかけなかった?」
「ハルは……えーと……よくわからないけど、待ってる!」
「うん、いい子だから早く寝よう」
またも騒ぎ出す”妹達“に、遼太郎はさっさと逃げ出すことに決めた。
「つうか、お前らこそリビングに来るなよ?」
「遼ちゃん……それ、またダチョウ倶楽部?」
「絶対押すなよ的な?」
「マジでもう休ませて……」
**********
リビングに下りた遼太郎は、既にテーブルを端に寄せて敷いてある布団にどさりと身を投げた。ソファでニュースを見ていた父さんが、
「もう寝るのか? テレビ、消した方がいいかな?」
「テレビ点いてても、電気点いてても、今日は寝れそう……」
「ゴメンね、遼ちゃん。朝もうるさくて目が覚めるかもしれないけど」
「大丈夫……二階のが百倍うるさい……」
遼太郎はぐったり疲れていた。
いつもからして桜子に振り回され加減のところ、今日一日は三人掛かりでブン回された具合だ。
そんな遼太郎に、父さんはのん気に、
「しかし、“娘”が三人もいると華やかでいいもんだなあ」
「それ、哲二郎おじさんの前で言える?」
布団から横目で見上げた遼太郎に、父さんは眉根を寄せた。この前会った時、娘達の間で大柄な体躯を縮めていた弟を思い出す。
「……父さんは、お前が息子で良かったよ」
自分はあの立場はご免だな、と照一郎は思った。
と、ようやく平穏のひと時を迎えたと思った遼太郎の耳に、ドタドタと階段を下りてくる足音が届く。遼太郎の頬が露骨にひきつる。
春菜を先頭に、千夏、桜子がリビングに雪崩れ込んできた。
「遼兄ちゃん!」「遼ちゃん!」
「何しにきた……?」
桜子を見ると、多少は申し訳なさそうに首をすくめる。
「遼兄ちゃんに『おやすみ』言うてなかった!」
「ああ、そう……おやすみ……これでいい?」
そう言った遼太郎に、ぽーんと全幅の信頼で春菜が飛びついた。
慌てて受け止めた遼太郎の頬に、小さな唇が押しつけられる。
「な……?」
と、驚く間もなく、反対側で千夏が腰を折り、チュと音を立てる。
「おやすみのチューやー! 遼兄ちゃん!」
「こらエエ夢見られるなあ、遼ちゃん。て、ヤラシイ夢見たアカンでえ?」
無邪気な笑顔の春菜、千夏は小悪魔のように笑って、振り返る。
「ほら、桜子も」
遼太郎がギクッとすると、桜子が胸の前で指を組んで顔を赤くしている。
「いや、お前はいいだろ……」
思わずそう言ったのが、逆効果だった。
桜子はムッとした表情になり、ずんずんと遼太郎に迫り、布団の上に膝をつく。
「何、桜子はいいって?! 桜子もするもん!」
そう言って、頬に押し当てられる妹のチュー。
「きゃー!」
「イエー!」
騒ぐ従姉妹達。いや、ホントもう寝かしてくれ。
ゲンナリしていると、桜子は火照って目を回しつつ、遼太郎を睨む。
「み、みんながしろって言ったからしただけで、別にお兄ちゃんにチューしたかったワケじゃないからねっ!」
「いや、いらねえよ、妹のツンデレ……」
その言葉が、更なる逆効果を招く。
桜子の顔に、遼太郎も知っている“ヤバイ表情”が浮かぶ。桜子は遼太郎の頭をがしっとつかむと、再び口を頬に近づけて……ベロッ。
「この味は! ウソをついてる『味』だぜ……」
「うあっ?! お前、マジで何考えてんだ!」
たぶん、何も考えていない。今の桜子は近接自動操縦型スタンドだ。
千夏と春奈はまたキャーキャー言ってから、
「なあ、オッちゃん。オッちゃんにもしよか、おやすみのチュー?」
「遠慮せんでもええで、オッちゃん」
不意におとーさんに矛先を変えた。照一郎は虚を突かれ、
「い、いや……オッちゃんは、いい……」
思わず腰を浮かせて、姪っ子達に笑われる。息子と娘は各々にフリーズしている。
「ほな、おやすみなー」
騒々しく千夏と春奈が退散する後ろで、遼太郎と桜子の視線がしばし絡み合う。二人の頭にあるのは、二人で留守番したあの時、こっそりお酒を飲み、酔って、“おやすみのチュー”と称して口と口でキスをしたことだった。
けれどお互いに、お互いが、酔って覚えていないと思っているから、視線はそっと解けた。それは良太郎と桜子の間の、互いに自分だけのものだと思っている秘密なのだった。
夜分の嵐が過ぎ去って、リビングには父と息子が残される。
「……モテモテだな、遼太郎」
「“娘”が三人もいると華やか?」
「いや……うむ……」
照一郎が唸った。どうやら、両手に余る花は、傍から見るほどいいものでもないようだ。
ほどなく父さんも母さんもリビングを引き払い、遼太郎は独り、我が家ながらあまり見慣れない天井を見つめている。
(ひと晩寝て、元に戻ってりゃいいけど……)
ぼんやり考えるのは、千夏と春奈の間のギクシャクとした空気だ。
やがて遼太郎は目を閉じ、夢も見ない眠りに落ちていった。
遼太郎の懸念が的中するのは、明けて次の日のことだった。




