78.シスター・ハーレム
「いぇーい! 桜子ちゃんの部屋やあ!」
「って、ハルちゃん?!」
部屋に招くや否や、春菜は大声で叫び、一瞬のためらいもなくベッドにダイブして桜子の目を丸くさせた。
固まった桜子を気にもせず、枕元のぬいぐるみのクマさんを見つけ、
「あー、カワイイ! 桜子ちゃん、この子、名前何ていうん?」
「あ、赤カブト……」
「カワイないなー!」
春菜にケラケラ笑われ、クマさんがスンッとした顔をしている。
「桜子ちゃん、一人部屋ええなあ。うちは大姉が一人部屋で、ハルは小姉と一緒やねん。ちいねえ、ハルがちょっと部屋散らかしたらすぐ怒んねん」
「それは……」
「ええやんな、床にぱんつ落ちてても。そこに置いとんねん」
「チナちゃんが正しいかも……」
自身が妹である桜子、妹的なモノに振り回されるのは初体験だ。
(こ……こんなんなワケ、“妹”って……?)
天衣無縫過ぎる。桜子も“妹”だけど、さすがにここまでは。あたしは記憶を失くして、子どもっぽくなっていた時だって……
ゲームしてて、思わずお兄ちゃんの頬っぺにチューしちゃって、テンパって号泣しちゃって、自分にもチューするよう泣きながら強要して、してもらって、嬉しくなって「お兄ちゃん大しゅき」って言いながら寝オチして、ベッドまでお姫様抱っこで運ばせたことくらいしか……
「ぐふう……」
「ど、どーしたの、桜子ちゃん?!」
いきなり崩れ落ちて床に手を突いた桜子に、春菜がびっくりしてベッドから転がり下りた。改めて思い返してみると、自分こそ天覇絶槍に過ぎる。
「ハルちゃん、お兄ちゃんとかお姉ちゃんの言うこと、ちゃんと聞こう……」
「ええー? 桜子ちゃん、裏切り者やあ」
反省しきりの桜子に、春菜がぷぅと頬を膨らませた。
それから春菜は部屋のあれこれ、ファッション誌や漫画に興味を示したり、桜子の服を見たがったり、或いは自分が持ってきたモノを見せてくれたり。
「あ、カワイイ、ネコのスクイーズ。学校で流行ってるの?」
「うん。ウチらは、これな、こうやるやろ……」
言いながら、春菜はコロッと丸っこい猫のスクイーズを手のひらに乗せて、やおら力を込めてギィュウウウ……ッッ!
「え、渾身?!」
「うぬぬぬっ……ウチの学校ではッ、こないして握り潰してえッ、一回でどんだけ圧縮できるか勝負すんねん~っ!」
「ネコちゃんがあ~、カワイソウな顔になってるぅ~」
「手ぇ開いた時、オモロイ顔になってたら芸術点が加点されるんや」
小学生の流行りものはだいたい、最終的に遊び方が魔進化する。
そうやって妹組はしばし和気藹々としていたが、
「何か飲み物とかお菓子持って来ようか? あたし、コーヒーにするけど」
「ハルは、あったら炭酸がええな」
桜子が頷いて立ち上がった、とは半分は口実で、本当は千夏のことが気になっている。飲み物を取ってきがてら、様子を見てくるつもりだった。
**********
(チナちゃん、もう大丈夫かな……?)
桜子はそっと階段を下りた。まあ、遼太郎ならこういう時お茶の一杯も淹れて、うまく宥めてくれていそうと思う。それを期待して、桜子は階段の途中から斜めにリビングを窺った。
そして、遼太郎が千夏の頭を撫でている場面を、目撃した。
桜子はばっと身を沈め、階段の手すり壁に背中を押しつけた。
(な……何やっとんじゃあ、お兄ちゃん……?!)
桜子は息を殺し、そーっと手すり壁から頭を出した。
「って、これ、“兄妹”ちゃうやろ!」
「え、何が?」
二人の話し声が聞こえる。千夏は身を起こして、正座に戻ると、
「誰がカレシやれ言うた? ウチは“お兄ちゃん”して欲しい言うたんや」
この言葉と、部屋にいるハルが、何となく桜子の頭で繋がった。
(んー? これって、妹のワガママにやんなったお姉ちゃんが、お兄ちゃんに“お兄ちゃん”になってもらって、自分も“妹”をしたくなった……ってこと?)
ややこしい、が、そういうことらしい。
(それを、お兄ちゃんは……)
ドサクサに紛れて、あんな……もし桜子が銃を持っていたら今頃遼太郎をハチの巣にしているところだ。
狙撃手の潜むことを知らない二人、千夏がまじまじと遼太郎を見る。
「ちゅうか、遼ちゃん、桜子にもこんなんしよるん?」
妹の頭も撫でれば、尻も叩く……とは、遼太郎も従妹には言えない。
「いや……そんな、いつもはしねえよ」
「たまにはするんかい!」
本場のツッコみはキレがいい。
「遼ちゃんにこんなんされたら、いくら“妹”かてその気になるで」
「いや、それはならねーだろ」
千夏に上目遣いで言われ、遼太郎は呆れて肩をすくめる。
(なるわー!)
階段では桜子が、声にならない叫びを上げている。
なるよ、なっちゃうんだよ……あたしはりょーにぃの前では“妹”であると同時に“女の子”なんだから、そんなんされたら、自分でもどうしようもなくドキドキきゅんきゅんするんだよ……っ///
(けど、お兄ちゃん……)
本ッ当に、自覚ないなあ……
記憶の戻る前と今で、結構いろいろあったと思うのに、まだ桜子のキモチがちっとも伝わっていない。疑うことすらしない。
(それはそれで、お兄ちゃんオカシイんじゃねーかな?)
そのことは寂しくて、一方でホッともするんだけど……
ただ、遼太郎の“妹”というモノへの接し方、謂わば“妹観”をねじ曲げたのは桜子自信だという自覚はある。兄の歪んだ妹観では“これ”がフツウなのだ。
(って、そんなことより……)
問題は、その遼太郎が千夏の頭をポンポンしたことである。
(それはあ……“妹”だげの特権なのにい……っ!)
階段から盗み見る桜子の目に、じわっと涙が浮かぶ。悲しい、悔しい、心に溢れるその感情は……
(……嫉妬!)
いや、それよりもっと根源的な感情。“女の子”としての嫉妬心より、ずっと根深いところからくる……
「お兄ちゃんは、桜子のお兄ちゃんなんだぞっ……」
自分の口から零れた、ひどく子どもっぽい口調に、桜子はぎょっとした。その舌っ足らずなしゃべり方には覚えがある。記憶を失くしていた時、桜子の心からぽろりと外れて落ちた、“幼い妹”の頃の性格だ。
「そんなふうに千夏ちゃんに優しくしたら、桜子、悲しいです……」
と、今度は“恋する女の子”の言葉遣い……!
(な、何で出て来てんだ、お前ら……?!)
動揺のあまり、かつて記憶を失くした桜子から分裂した”桜子達“が、心配して戻って来ちゃったんだろうか……? いや、帰れよ……
「けど、アレって何やちょっとエロない?」
「うーん、お兄ちゃんにそういうつもりはナイと思うんだけど……」
「って、うっわあああああっ?!」
**********
桜子の絶叫にリビングの遼太郎と千夏が振り返り、春菜が階段の踏み板にへたんと腰を抜かした。
「何やねん! ビックリするやんか、桜子ちゃん!」
「そ、それはこっちの台詞だよ、ハルちゃん!」
「どないしたん、桜子?!」
「桜子、お前そんなとこで何やってんだ?」
思わず立ち上がった桜子に、座り込んだ春菜、目を見開いた千夏、腹立つくらいポカンとした遼太郎の視線が集中する。覗き見、嫉妬、みんなの注目でグチャグチャになった桜子の首から上が、真っ赤になって……
「何やってんだあ! この近親セクハラ野郎っ!」
「きん……っ?!」
桜子はダダダッと駆け下り、リビングに飛び込んで遼太郎に詰め寄った。
「桜子達も家にいるのにっ! 二人きりになったのをいいことに、何を堂々とチナちゃんに手ぇ出してんだ、エロ眼鏡!」
「ご、誤解だ、桜子……」
「一回でじゅうぶんだー!」
桜子のエライ剣幕に、遼太郎はタジタジと後退った。
「いや、お前、千夏は従妹だよ。そんなワケがない……」
「オメーは実妹相手でもアブネー奴だろー!」
目が点になっている従姉妹達の前で、桜子が耳をふさぎたくなることを叫ぶ。
「あたしの頬……(っぺにチューしたこともあるし)」
「待て!」
「桜子とデ……(―トで恋人のフリしたこともあるし)」
「待て!」
「いっ……(しょの布団で寝たこともあるし)」
「待て!」
「悪……(魔将軍が“超人硬度10”になったし)」
「待て!」
どれひとつ取っても、従姉妹達に聞かれたら社会的に死ぬやつじゃねえか。遼太郎は慌てて、まだ何を口走るか知れたものではない桜子を……
「いいから、ちょっと落ち着けって」
「おー……」
「わあ、大胆……」
遼太郎は桜子の背中に手を回し、軽く胸に抱き寄せた。
まだ顔中を口にしていた桜子が、ビクッと震えた。
「落ち着け、そういうんじゃないから」
「……うん、わかった」
静かに耳元で言うと、桜子は素直に、呆けたように返事をした。と、その体から急にくたっと力が抜け、遼太郎の腕をすり抜けるように、床にへたり込む。
「っと、大丈夫?」
「うん……ちょっと“愛”が漏れそうになっただけ……」
「待て」
遼太郎は一瞬焦ったが、幸い、妹のバルブはきちんと機能してくれているようだった。
遼太郎は桜子の前に膝をつき、宥め聞かせるように、
「さっきのはさ、千夏が、“お兄ちゃん”ってどんな感じなのって訊くから、ちょっと実演してただけだ。別にヤラしいことしてたワケじゃないよ」
「うん……」
「て言うか、お前らが上にいるのに、いくら俺でも、するか」
「だよね……」
桜子が落ち着いたようで、遼太郎はホッと安堵の息をつく。
兄のハグが妹を、喩えるなら怒っている女の子をイケメンがキス一発で黙らせる少女漫画的なアレで、沈静化したのだという自覚はない。
**********
が、妹の鎮火に成功した遼太郎だが、従姉妹達に新たな火種が飛んだ。
「そ……そんなんしよるんか、遼ちゃん……」
「“お兄ちゃん”て、スゴイ……」
桜子と遼太郎の、フツウじゃない兄妹のフツウを目の当たりにして、千夏と春菜の目がキラッキラに輝いていた。
「ええ~? 遼ちゃん、そんなんホンマにカレシカノジョのやつやん! “お兄ちゃ~ん”、ウチにもそれして欲しい~!」
「ちゅうか、ちいねえ! 何なん、遼兄ちゃんに“お兄ちゃん”してもらうて! ちいねえばっかズルイ! ハルもナデナデしてー!」
そうなのだ。千夏と春菜にとって遼太郎は、従兄で、しばらくぶりでカッコ良くなっていて、しかも大阪に帰ればまた当分会わない“男の子”。
ハードルは低く、安全安心な、稀有なイケメンなのだ。
だが、お宝の前には、強力な番人がいる。
「ダメ―!」
桜子が立ち上がり、遼太郎を背中に隠した。隠れきらないが。
「お兄ちゃんは、桜子のお兄ちゃんなの! ダメ!」
桜子は自分が、完全に“幼い妹の桜子”に取って代わられていることに気づいていない。とにかく“お兄ちゃん”が取られないように必死である。
春菜が突撃して桜子にしがみつく。
「ズルイー! 桜子ちゃんは、いつでもしてもらえるんやからええやんー!」
「いつでもはしてくんないもん!」
桜子が押し返して、春菜とプチ取っ組み合いみたいになる。桜子、初めての姉妹ゲンカである。
この小学生と同レベルで争う桜子に、遼太郎は覚えがある。記憶がない時にちょこちょこそうなって閉口した、“ちっちゃい版”の桜子だ。
(何で今になって出てくる……?)
記憶のない桜子は人格が二つあった、とまでは言わないが、桜子という一人の少女の全く違う一面が、妙に極端に現れる節があった。
記憶が戻るとともに、そうした混乱も治まった……と遼太郎は思っていたのだが。
少し心配になる遼太郎に向かって、千夏がニヤニヤして片目をつむった。
「ホンマ、“お兄ちゃん大好き”やなあ、この子」
いや、ソレで片付けていいものなの、この子?
困惑する遼太郎の前で、ジタバタしている妹組。強引に桜子を押し退けようとする春菜に、
「ぬぎぃ~、遼兄ちゃんにナデナデしてもらうぅ……」
「も、もう、仕方ないなあ。でも……」
さすがに年上の桜子が折れた、と思いきや……
「でも、桜子が先っ! お兄ちゃん、ナデナデしてー!」
「うわ?!」
身を翻して遼太郎に飛びついた。
「ナデナデナデナデって、お前らファービーのコピペか!」
「ブルスコファー!」
「モルスァ!」
迫りくる”妹達“の勢いに、助けを求めて振り向くと、頼みの千夏もここ一番のニッヤァ~とした笑みで雪崩に加わる。
「ウチもウチもー!」
「お前もかあ!」
「えー?! ちいねえはさっきしてもろたやろー!」
「ダメえ! 桜子が一番なのー!」
三人娘が殺到し、ぐいぐいと頭を突き出してくる。
「「「お兄ちゃーん!」」」
「ちょっとコンビニ行って来る」
遼太郎は逃げ出した。
桜子達の横をすり抜け、遼太郎はサンダルを突っ掛けると、後ろも見ずに玄関を飛び出した。途端に夏の日差しと、アスファルトの熱気に挟み焼きにされるが、シャツはとっくに別の汗でびっしょりだ。
“妹達”が追っ掛けてこないのを確かめ、遼太郎は足を緩めて息をついた。どっと気疲れが押し寄せる。
(てか、ラブコメの主人公か、俺は……)
遼太郎が嘆息するが……いや、逆に何だと思ってるんだ、お前?




