74.此花家家系図
縁日の夜のことを思い出すと、桜子は何度もベッドに突っ伏して足をバタバタしてしまう。
「うっせえ!」 ドン!
「うひゃあ?!」
とうとう隣室の遼太郎から壁ドンされた。少女漫画的な意味では、されたことがあったけど。
(だって……だってさあ///)
遼太郎と二人きりで、手を繋いで、夏祭りの花火を見た。思い出の場所だった稲荷堂裏の小さな空き地を、二人の秘密の場所のまま思い出の中に残して、春になったら桜を見に来る約束した。
サナとチー、遼太郎の旧友のオニーサン・オネーサン達、当のお兄ちゃんにだってすっげえ迷惑を掛けてしまったけど、桜子は幸せだった。
(反省はしている。後悔はしていない)
愛されてる、と感じた。二人の距離が、これまでよりもっと近づいた。あの時繋いだ手は、きっと今も離れていない。もうほんのちょっと手を伸ばせば、遼太郎に届くんじゃないかとさえ思えた。
(と、届いちゃったらどうすんのさ?! ひゃああああっ!)
「うっせえって!」 ドン!
笑い混じりの怒鳴り声が飛んできて、桜子はベッドの上でビクリと跳ねた。知らない内にまた、バタ足金魚になっていたらしい。
隣から笑い混じりの「ごめーん」が返ってきて、遼太郎も苦笑する。
遼太郎の胸にも、桜子と同じ思いがある。祭りの夜あの場所で、振り返った桜子に幼い頃の面影を見て、遼太郎は桜子が自分にとってどれだけ大切な存在か、改めて確かめられた。
ただ、一点で桜子と遼太郎の思いに、大きなズレがある。
遼太郎が桜子を大事に思う、それは兄として“妹”を、だ。桜子を必死に探し回り、見つけた時、遼太郎の胸に迫ったのは、
「何かあったら、俺が“妹”を守らないと……」
という責任感だった。あの夜、桜子の様子はどこかおかしかった。それも保護者的な感情を強くする。
つまり遼太郎が桜子を大切に思うほど、むしろ恋愛感情とは真逆の方向へと遠ざかる。当然だが、遼太郎は桜子を“異性”としては見ていない。妹が自分に恋愛感情を持ってるとは夢にも思わない。
そりゃあ、桜子はことあるごとに、暗にも直球でも、思わせぶりな態度を仕掛けてくる。しかし遼太郎は、生意気な妹がモテない兄をからかっているのだ、と解釈している。
そんな、ズレ。
遼太郎は善良なシスコンの道を歩んでいる。それはそれでどうだとも思われる。桜子は邪悪なブラコンである。片や健全、片や不適切な関係を目指している。だから二人の行く道はどこまでも平行線で、交わらない。
交わっちゃったらレイティング上がるし。
ともあれ血の繋がりは、桜子と遼太郎を強く結びつけている一方で、恋愛的には最大の壁でもある。
今のままでは、桜子の望む未来はけっして訪れない。さりとてこの世に血の繋がりを断つ方法なんてない。さて……
そんな二人の下に遠く西の方から二人、血縁をたどってやって来る。
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「そうそう。哲二から連絡があってなあ」
晩酌をしていた父・照一郎がふと思い出したようにそう言った。夏休みに入ってから、おとーさんの一人遅い夕食タイムに、子ども達がよくリビングにいてくつろいでいる。父は口には出さずとも、悪い気はしていない。
此花家は一般的に見て、子ども達の歳の割に家族仲が近い。ところで……
“遼太郎”という名は父方に因んでいて、慣習というほど大仰な話ではないが、此花家の男には“〇〇郎”と名付けることが多い(例:黙れドン太郎)。
“桜子”は母の桃恵に合わせ、名に“花”が入る。苗字も“花”だからでもないだろうが、母娘ともに華のある性格で、基本物静かな男性陣は自ずと受け太刀にならざるを得ない。そして……
父の言う“哲二”とは“哲二郎”、桜子達が“大阪の哲二郎おじさん”と呼んでいる照一郎の弟のことである。
おつまみの炙った味醂干しをテーブルに出して、
「あら、哲二さんから?」
おかーさんが話の続きを促した。
「うむ。この前の時、春菜ちゃんが桜子達に会いたがっていたろう」
おとーさんが干物に手を伸ばし、ベタッと味醂が熱かったようで、慌てて引っ込めた指を擦り合わせた。
“春菜ちゃん”とは哲二郎おじさんのとこの末っ子、確か小学校四年になる、桜子と遼太郎の従妹の女の子だ。
夏休み前、おとーさんとおかーさんは夫婦で、親戚の法事で四国へ行った。その際、哲二郎おじさんの招きで大阪を訪ねている。桜子と遼太郎が二人きりでどう過ごしていたかは、【ふたりぼっちのお留守番】の章に詳しい。
おとーさんはようやく味醂干しをつまみ上げるのに成功し、ひと口かじって、話を続けた。
「それで、夏休み中にこっちに来たいって言っているらしくてね。春菜ちゃんと千夏ちゃんの二人なんだが、みんなの都合はどうだろう?」
ここで少し親戚関係を整理すると、哲二郎おじさんには三姉妹の娘がいる。結婚はおとーさんより弟のおじさんの方が早くて、従姉妹達と順に並ぶと、向こうの長女の美雪が高校三年、遼太郎が高二で、次女の千夏がひとつ下の高一。桜子が中二で、最後が少し離れて小学四年生の末っ子、春菜だ。
イトコの中では、遼太郎が唯一の男ということになる。
姪っ子達は自分の身内だが、もてなすのは妻で相手をするのは子ども達。こういう場合に勝手な安請け合いをしないのが、おとーさんの性格で、いいところだ。
「美雪ちゃんは来ないの?」
おかーさんがそう言うと、
「美雪ちゃんは大学受験だからねえ。今回は千夏ちゃんと春奈ちゃんだけ頼みたいと言ってきている」
おかーさんは首を傾げた。
「どこにお布団敷こうかしら」
既に決定事項で進んでいる。これがおかーさんの性格で、いいところだ。
おとーさんはリビングの遼太郎と桜子に話を向けて、
「お前達も、千夏ちゃん達が遊びに来てかまわないか?」
「じゃあ、ハルちゃんとはあたしが寝るよ」
桜子の中でも、二人が来ることは決まっている。やはり母と娘は似ている。
桜子と遼太郎が従姉妹達に会うのは、いつ以来か。
昔は夏休みなどに行き来があった覚えがあるけど、今では冠婚葬祭でもないとそう顔を合わせない。今回の法事も参列したのは親達だけだったから、
(お兄ちゃんが中学生になってからは、会ってないことになるのか)
桜子は記憶の中にある、従姉妹達の顔を思い浮かべた。
一番年上の美雪お姉ちゃんはおっとりと女の子女の子していて、よく遊んでいたのは遼太郎と千夏と桜子の三人だった。小さい春菜が、そこへ仲間に加えてもらっているという形だ。
「関西ではなー、こういう子、“ごまめ”言うんやで」
千夏がニッと笑ってそう言っていたのを、桜子を思い出す。遊びの輪の中で特別扱いしてもらう小さい子、といった意味だったと思う。
記憶の中で笑う千夏は、真っ黒に日焼けした、女の子か男の子かわからないような少女だった。さすがにもう高校生ともなれば、
(チナちゃんも、変わってるとは思うけど……)
桜子の目に浮かぶのは、走れば年上で男の子の遼太郎も追いつけない、あの頃の千夏の姿だった。
不思議なもので、千夏を“チナちゃん”と呼び、自分が“さあちゃん”とか“さあ”と呼ばれていたことも、糸で引っ張るようにするすると思い出された。
ちょっと“サナとチー”に紛らわしいかな、と桜子は微笑んだ。
遼太郎も従妹が遊びに来ることに異存はないらしく、
「じゃあ、高校生同士、千夏とは俺が一緒に寝るかな」
しれっと軽口を叩く。桜子はギョッとして、
「ダ、ダメだよ! だって、お兄ちゃん、朝は“悪魔将軍”が……」
「冗談! 冗談に決まっているだろ!」
妹が親の前であらぬことを口走りかけ、遼太郎は慌てて遮った。桜子の言う“悪魔将軍”が何を指すかは、【ふたりぼっちのお留守番】のお話に(以下略)。
こうして家族の間、おとーさんと哲二おじさんの間で話はとんとん拍子にまとまって、8月に入るとすぐに……
西の方から“夏”と“春”、二人の従姉妹がやって来た。




