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73.桜咲くこの場所で、また……

挿絵(By みてみん)

【桜咲くあの場所で(7/7)】

 遼太郎は出店屋台の並びの切れ目から、裏手に回った。参道の縁沿いに目を走らせると、記憶の通り、下り坂に石段があった。細く、下りだということもあり、あると知っていないとちょっと見つけられない、小さな石段だ。


 遼太郎がこの石段を知っているのには理由がある。

 あのかくれんぼの日、遼太郎はこの石段の先で桜子を見つけたのだ。



 櫻岡神社には本殿と別に、小さな稲荷社があって、参道の途中から分れる下り坂から参ることができる。

 この石段は、なぜあるのか謂れは知らないが、稲荷社の裏手に下りることができる。そこは小さな空き地になっていて、遼太郎はあの日、桜子をそこで見つけたことを思い出した。


(まさか、な……)


 そうは思った。あの日と同じ神社でいなくなった桜子が、またあの日と同じ場所で見つかると、思ったわけではなかった。


 だが――……遼太郎は慎重に石段を下り始めた。



 一歩ずつ、祭りの灯りとお囃子が遠ざかっていく。と言っても、それほど段数があるわけでもない。稲荷堂の裏手は、薄明かりに沈んでいる。


 そこに、ぽつんと人影が背中を向けていた。


 足音に気づいたか、人影が振り返った。

「……お兄ちゃん……?」

「……桜子!」

最後の数段を、遼太郎は飛び降りるようにして下りた。ざっ、と地面に足が着き、遼太郎は少しよろめいた。



 その瞬間、目の前の風景が鮮やかに変わった。


 目の前に立っていたのは、今の中学生の桜子ではなく、幼いあの日の妹だった。




 **********


 真夏の、真昼の神社だった。蝉が鳴いていた。


 稲荷堂の裏手には大きな桜の古木が一本あり、周りは開け、町並みが見渡せた。淡いピンクのノースリーブを着た小さな桜子は、ちょっと泣きそうな顔で遼太郎を見つめていた。

『どうした?』


「誰も、桜子を見つけてくれないの……」


 妹の目から、ぽろぽろと涙が零れ出した。



 遼太郎は笑った。笑っているのは、今の自分なのか、過去の自分なのか。


『俺が見つけたよ』


 そう言うと、桜子も泣き止んで、

「お兄ちゃん、大好き!」

上の左側の前歯が抜けた口で、にかっと笑った。


「また桜子が見つからなくなっても、きっとお兄ちゃんが見つけてね――……




 **********


 一瞬の幻が去った。


 ぼんやりとしたように佇んでいる桜子は、もう小学生ではなく、薄紅の浴衣に身を包む今の桜子である。


 宵の口に見て白昼夢と言えるのかは知らないが、ともかくそれを振り払い、桜子に近づいた。

「お前、何やってんだ、こんなとこで」

「え?」

遼太郎にそう言われ、桜子は不意に我に返ったようだった。

「え、ここどこ?」

「稲荷社の裏んとこだよ」



 桜子は呆然と周りを見回し、お堂の裏側と桜の木を見て、ようやく自分がどこにいるのかを理解したようだった。

「あたし、何でこんなとこにいるの?」

「わからないのか?」

驚いた遼太郎以上に、桜子はびっくりした顔をしている。

 遼太郎の思いを(よぎ)ったのは、2か月前のあの事故のことだった。桜子はあの時、記憶を失くすくらい頭を強く打っている。今頃になって、その影響が出たのだろうかと、内心穏やかでなくなる。


 桜子はぎゅっと目を閉じて、

「わかんない……気がついたらここに、って言うか、お兄ちゃんが来るまで、何してたか……」


「何だか、昔の夢を見てたような気がする……昔、あたしが迷子になって、今みたいにお兄ちゃんが探しに来てくれた時の夢……」



 桜子は薄っすらとした笑みを浮かべて、遼太郎に言った。

「さっきね、お兄ちゃんを見た時、一瞬小学生の頃のお兄ちゃんに見えたんだ」

遼太郎はドキッとした。桜子を見つけた時、遼太郎もそのことを考えていた。

 遠い昔の何でもない出来事が、今夜、遼太郎に桜子を見つけさせたというのか。

(けど、確かに……)

あの時振り返ったのは、小学生の幼い桜子だったと、遼太郎には思えた。



 桜子も考え込んでいるふうだったが、ふっと顔を上げて遼太郎を見た。

「あれっ? お兄ちゃんは、どうしてここに?」

「うん、千佳ちゃんと早苗ちゃんと会ってさ……」

遼太郎は桜子を見つけるまでのことを、かいつまんで話した。


 桜子の顔がさあっと青ざめた。

「ヤ……バ。え、あたし急に消えたの? サナ達心配してるよね?」

「そりゃそうだろ。ついでに俺の友達も心配してる」

「どうしよ……?」

慌てる桜子の肩を、遼太郎はポンと叩いた。

「とにかく、お前が無事見つかったことを知らせよう」

「そ、そうか、そうだね……」

遼太郎が手にしたままのスマホを上げ、桜子も巾着袋の紐を解こうとした、ちょうどその時――……



 周囲が、不意にぱっと明るくなった。



 数秒の間隔があって、どぉん、腹に響く音が追い掛けてくる。


「……花火……」

「……と、始まっちゃったか」


 いつの間にか時刻が8時半を回ったらしく、大輪の花火が立て続けに上がった。遠くから微かに、わあっと歓声が聞こえた。思わず目を奪われた遼太郎と桜子の顔が、夜空に花が咲く度、青に、黄色に染まる。



 二人はしばし、言葉もなく次々打ち上がる花火を見ていたが、休みなく大太鼓を打つような音の合間に遼太郎が言った。

「これじゃ通話はムリだな。桜子、千佳ちゃん達にラインしとけ」

「あ、うん。わかった」


 ともあれ無事を告げる一報をみんなに飛ばすと、桜子はふっとひと息つき、それからうなだれて言った。

「お兄ちゃん、本当にゴメンね……折角久しぶりにお友達に会ってたのにさ、またあたしのせいで……」

記憶を失くす前は、あんまり考えたことがなかったけど、自分はずっとお兄ちゃんに迷惑掛けてばっかりだと、桜子は思った。

 記憶のない間も、戻ってからも……ううん、記憶を失くす前だって、あたしはワガママばっかで、もっと小さい頃は甘えてばっかで、けど、お兄ちゃんはイヤな顔をすることなんてなくて……


 じわっと涙が滲みそうになる桜子を、遼太郎はじっと見つめて――……」



「ちゃんと見つけただろ?」

「え……?」



 桜子は驚いたように、遼太郎を見返した。

「お前が無事なら、それでいい」

遼太郎はそう言って、ちょっと照れ臭かったのか、乱暴に鼻の下を擦った。


「なあ、桜子――……




 **********


 手の中でぶるるっと震えたスマホを見て、サナが顔を上げると、チーもオニーサンもオネーサン達も、みんな同じようにスマホを見ていて、同じように安堵の表情を浮かべていた。

「はあ、良かった」

一番厳つく見えるまーちんさんが、大仰に背中を丸めて息をついたのを見て、全員からどっと笑いが起こる。


「ん……りょーちん、今から上がって来ても合流できねーだろーから、下で妹ちゃんと二人で見てるってさ」

「そっか。でも、まあ、これでワタシらも、ホッとして花火見れんね」

「はあ……気ィ抜けて、ちっと腹減ったわ」

「花火の後、お好み焼き(おこのみ)でも食おーか」


 安心してワイワイ明るい空気の戻ったオニーサン達を横目に、サナがチラッとチーを見た。チーは口の端に苦笑いを浮かべる。



 こうなることを望んで、したワケではないのだろうけど……結局、桜子が一番望む形にこの夜は落ち着いてしまったようだった。




 **********


……――ここで、二人で花火見てこうか」



 遼太郎の言葉に、桜子は言葉も出ず、頷くことしかできなかった。稲荷社裏の空き地は見晴らしが良く、しかも桜子と遼太郎の他には誰もいない。花火はたった二人のためだけに夜空を染めた。

「穴場だな、ここ」

「だね。来年は、みんなでここから……」


 桜子がそう言いかけた時、ひと際大きな花火が咲いた。二人が立っている位置からは、ちょうど桜の古木の向こう側に。

「あ……」

真っ赤な花火は、夏の桜の豊かな葉々を刹那、薄紅色に染め上げた。


 まるで、満開の桜の花のようだった。



 遼太郎と二人、手をつないで舞い散る桜吹雪を見上げている――……そんな光景が桜子の脳裏に浮かんだ。

「お兄ちゃん、ここって……」

「忘れてた? 俺らの”秘密の場所“」

思い出した。あの日、遼太郎は迷子の桜子と、この神社で一番古くて立派な桜の老木のあるこの場所を見つけた。

 そして二人はこの場所を“二人だけの秘密の場所”にして、毎年桜の季節に、空を薄紅色に埋め尽くす光景を見に来ていたのだ。二人だけで。



 そうしなくなって、何年になるだろう。桜子が横顔を窺うと、遼太郎は花火を眺めたまま微笑んでいた。

「来年からは、みんなでここで花火見る?」

桜子は、そっと遼太郎の手に手を伸ばした。


「ううん……ここは、“秘密”にしとく」


 桜子の手が、ぎゅっと握り返された。



「お兄ちゃん、来年桜が咲いたら、二人でここに見に来ようね」



 どぉん――……最後の一発が打ち上げられ、夜空を流れ落ちて、誰も知らない二人だけの場所は闇と静寂に包まれた。




 **********


 参道に戻ると、人、また人でごった返していた。花火を潮に帰途につく人、遊び足りずに出店を覗く人、それを当て込んでもうひと売り、呼び込みの声がかしましい。祭りは燈火の消える前の、最後の輝きと熱気を放っている。

 その中で、遼太郎達は首尾よくみんなと再会することができた。

「ゴメンなさいー!」

平謝りで両手を合わせた桜子が、オニーサン、オネーサン、サナとチーにやいのやいのとイジられている。その後ろで遼太郎は……


 記憶喪失の影響は、まだ桜子から完全に消えたのではないのかもしれない……そのことに思いを巡らせつつ、しかし口にすることはなかった。



 みんなで最後の締めに、それぞれお好み焼きやたこ焼きの粉物、チョコバナナやらチュロスやら思い思いに堪能し……そして、祭りの夜は終わった。


 ぞろぞろ神社を後にして、辻に差し掛かる度に、

「じゃあなー、みんな」

「おー、またたまにはこの面子で集まろうぜー」

一人ずつ、また数人ずつ、集団から抜けていく。


「じゃあね、此花……あのさ、たまにはラインとかしていいかな?」

「おう、もちろん。てか、家まで送ろうか?」

「う、ううん、すぐそこだし、大丈夫。じゃ、またね……」


 枚方さんも、ぱたぱたと逃げるように去って行った。



 約束をしても、今度会うのはいつなのだろう。おもろうて、やがて悲しき……そんな祭りの後のノスタルジックな感傷が、人が一人抜けると、その場所をすっと占めるように桜子は感じた。

「じゃあねー、桜子―」

「次はプール行こうぜ、プール」

サナとチーとも別れて、道行きはとうとう桜子と遼太郎の二人になった。



 カランコロン、カランコロン、桜子のポックリの音だけが聞こえる。帰る家は同じ、二人が別れることはない。

(けど……)

いつか、桜子に背を向けて遼太郎が遠く去っていく……そんな交差点の時に、たどりつく日がくるのかもしれない。


 そんなことを考えていた桜子の手が、不意に取られた。

「……りょーにぃ?」

驚いて見た遼太郎の視線は、前を向いたままだったが、

「もう、黙って勝手にどっか行くなよ」

ぼそり、呟いた。

 桜子はぎゅうっと胸が絞めつけられる思いがしたが、

「……シスコン」

「バーカ。いちいち探すのが面倒なんだよ、迷子」

憎まれ口に、憎まれ口が返された。


「りょーにぃ。桜が咲いたら、またあの場所に行こうね」

「ああ。行こうな」


 来年になったら。春が来たら。



「♪桜咲く、あの場所で、また会いましょう――……」

「ん? それ、何の歌?」

「え、さあ? 何だったっけかな……」


 桜子はこの時、それが他愛もない、当然叶う約束だと疑いもしなかった。



「ねえ、お兄ちゃん」


「また桜子が見つからなくなっても、きっとお兄ちゃんが見つけてね」

「ああ……どこにいたって、見つけるさ」



 そんな冗談が、やがて叶えられる約束だとも、思いもしていなかった。




挿絵(By みてみん)

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