72.桜子のかくれんぼ
しゃべりながら歩いていて、振り返ると桜子がいなかった。サナとチーはきょとんとし、それからプッと吹き出した。
「ちょお……何で秒ではぐれてんだ、アイツ?」
「ウソでしょ、あの子。おーい、桜子―」
笑いながら、人波の間や近くの出店をきょろきょろ見回す。が、いない。
来た道を少し戻ってみたが、桜子の姿はなかった。
「あ、あれ…?」
「マジでどこ行ったんだ?」
チーがスマホでライン通話を掛けてみた。
「どう?」
「出ない……」
さすがに二人とも、ちょっと焦り始める。
と、そこへ遼太郎達が向こうから歩いて来るのが目に入った。花火大会へ行くところらしく、枚方さんと上牧さんとも合流して、男女六人組になっている。
「おー、妹ちゃん達―」
手を振りながらまーちんさん近づいてきて、二人を見た。
「あれ、妹ちゃんは?」
「それが……」
サナとチーが事情を話すと、みんな顔色が変わった。
遼太郎は人差し指で鼻の下を擦って、
「まったく、あのアホは……」
呆れたふうに言ったが、目は口ほど呑気ではなかった。
「りょーちん、手分けして探すか?」
「此花、ワタシらも探すよ」
ツルケンさんと枚方さんがそう言った。だが遼太郎は首を振る。
「いいや、みんなは先に花火行っといてくれる?」
「や、でも、りょーちん」「遠慮すんなし」
まーちんさん達も枚方さん達も口々に言うが、遼太郎は軽い調子で、
「いい、いい。あいつも小さい子じゃないから、千佳ちゃん達見つからないと思ったら、花火の方に回るくらいの頭使うだろ。だから、千佳ちゃんと早苗ちゃんもみんなと一緒に先行っておいて」
「桜子兄は……?」
「一応境内ひと回りしてみる。この時間からは人減ってくから、こっちに残ってりゃたぶん行き会うさ。ここは俺一人でいいよ」
サナとチー、それと枚方さんがまだ物言いたげにしたが、
「わかった。じゃあ、妹ちゃん見つけたら追っ掛けて来いよ」
「ああ、悪ぃな」
まーちんにそう言われて、遼太郎はホッとしたように頷いた。
小学生からの付き合いでまーちん達は、遼太郎のこういう時ちょっと水臭いくらい人を巻き込みたがらない性格をよく知っている。
遼太郎はスマホを取り出して、
「千佳ちゃん、早苗ちゃん、桜子にライン送っといてくれる? 俺もあいつ見つけたらみんなにラインするから」
「わかった。桜子兄、桜子をお願いね」
まだ心配そうな女子達を促して行きつつ、ふとまーちんが遼太郎を振り返る。
「そう言やあさァ、何か小学生の時にもこんなことなかったっけ?」
まーちんの言葉に、遼太郎より先に反応したのはチーだった。
「えっ? もしかして、かくれんぼの時のことッスか?」
奇しくも数日前、桜子とその話をしたところだった。言われてみれば、サナも薄っすらそんなこともあったと思い出す。
「じゃあ、まーちんさんはリョータロー兄と桜子探してくれたお兄さん?」
「お? てことは、友達ちゃん達、あの時一緒にいた子達かあ」
まーちんさんはチーとサナをまじまじと見て、
「うーん、小っちゃい子が何人かいたなあって覚えしかねえ」
しかしニヤッと笑って、
「けど、こんだけカワイクなるんだったら、仲良くなっときゃ良かったネ」
と、そのお尻を上牧さんが浴衣の裾を膝上まで割って、蹴った。がっしりしたまーちんも二三歩つんのめる。
「ちょ、何すんの?」
「何すんのじゃねーよ。関目みたいてーなゴリ系が、チーちんみたいなロリロリ中学生に手ぇ出そうなんざ、児ポだろ、児ポだろ!」
「お巡りさーん、こっちでーす!」
枚方さんが声を張り上げる。
まーちんがムッとする方の意味で憮然とした。
「ちょっと、お前らヒドくない?」
「ロリロリとか児ポとか、姉貴、私にもヒドくない?」
チーも憮然とした。
「それと、チーちんも何かヤダ」
こんな時だが、サナも少し笑う。
上牧さんと枚方さんが、しらっとしてまーちんを見る。
「仲良くなっとけばって、そん時、あんたら幾つと幾つよ?」
まーちんとチーがお互いに顔を見合わせた。
「あれは俺らが小六だから……」
「……私達は小三か」
「再逮捕―!」
「お巡りさーん、お触りマンです!」
「人聞きの悪過ぎること言うな」
遼太郎が静かに振り返った。
「お前ら……」
「うるせえから、さっさと行けよ」
遼太郎にぴしりと言われ、全員が首をすくめる。ただ一人、枚方さんが、
「此花、良かったら私も一緒に下で妹ちゃん探すよ」
そう申し出たが、
「折角の花火、枚方もみんなと楽しんでくれよ。自分の妹のことだ、俺一人でじゅうぶん。俺も見つけたらすぐそっち行くから」
「そう……そっか。妹ちゃん、早く見つけたげなよ」
枚方さんが、ちょっと翳りのある笑顔でそう言った。
「ああ。見つけたら、尻ひっ叩いて連れてくわ」
遼太郎が笑い返すと、枚方さんがすっと真顔になった。
「中学生の妹のお尻叩いちゃダメだろ」
「お巡りさーん、お触りマンです!」
遼太郎はぐっと言葉に詰まり、みんなから目をそらした。
「いや……もちろん冗談だよ、冗談……」
実際は、叩いたことがある。というか割とよく叩く……らしい。自覚はないのだが、桜子からは「お兄ちゃんはドS」と指摘されたこともある。
(ダメなのか……いや、そりゃダメだな……)
妹のお尻を叩く兄と、兄に叩かれるのをあまり嫌がるふうでもない妹。自分達兄妹はちょっとズレてるかもしれないと、遼太郎は今更ながらに思った。
ともあれ遼太郎は、中高生混合の一行を花火大会へ見送り、笑顔を引っ込めると、まだそこそこ人気の残る縁日の境内を見渡した。
「さて……あのバカ、何やってやがんだ……」
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境内から高台への人の流れの中で、まーちんさん達、枚方さんと上牧さん、サナとチーが石段を上がっていく。チーはそっと枚方さんの横顔を窺う。軽く唇を噛んでいるようだった枚方さんは、チーの視線に気づき、にいっと笑った。
「はは……オネーサン、またフラレちったみたいだ」
「姉貴……」
両側から木立の迫る石段で、枚方さんは独り言のように呟いた。
「此花、カッコ良くなってたなあ……」
「あいつ、中学ん時はめっちゃモサモサでさ、アニメとかゲームの好きなオタクだったんだけど、話すと面白くて、よく見たら顔も悪くなくてさ。私、あいつの良さがわかんの、自分だけだと思ってたなあ……」
枚方さんが、くしゃっとした笑顔をチーに向けた。
「けど、あんだけカッコ良くなっちゃったら、誰もほっとなかいよね」
チーとサナは、ぐっと胸が詰まった。いや、アレは見た目は変わっても中身は相変わらずのガッカリなイケメンだと、桜子のことがなければ言ってあげたい気がした。
「鈍感なんだな。昔っから、桜子兄は」
「姉貴、アイツ、クソっすよ」
「クソ?!」
かつての、いや、今も片思いの相手をクソ呼ばわりされて、枚方さんは笑った。
「チーちん、サナちん。今日は二人がオネーサンを慰めてね」
「児ポの胸でよかったら、好きなだけ貸しますよー」
枚方さんの手がすっと伸びた。
「……意外とある」
「いや、何の衒いもなく揉むな。あんたがお触りマンか」
「おーい、お前ら、早く来いよー」
石段の上から、声が掛かった。木立を抜け、火の華を待つ星空が頭上に開けた。
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鳥居から石段の下を確かめ、拝殿まで戻って遼太郎は参道を振り返った。
「どこ行ったんだ、あいつ……」
高台の方へ人が移り、境内は一時より人がまばらになっている。しかし、遼太郎は桜子を見つけられていない。
(上の方に行ったのか? それならいいんだけど……)
スマホはずっと手に握っている。まーちん達からの連絡はまだない。
上でみんなに会えていないだけか、それともまだ下にいるのか。
(森の方には入ってないよな……?)
櫻岡神社には本殿を囲んで、子ども達が“森”と呼んでいるちょっとした木立がある。いわゆる鎮守の杜だ。まさに小学生の桜子がかくれんぼをしていた遊び場である。
(いや、まさかな……)
浴衣木履下駄で入り込める場所ではないし、入り込む理由もない。しかしもし桜子がフラフラと迷い込んだとしたら、縁日の赤々とした灯りも森の奥には届かず、探すのは厄介だった。
かくれんぼを、目隠し鬼でやるようなものだ。
不安げに森を横目にして、遼太郎は再び参道をたどり、サナ達が桜子とはぐれたという辺りで立ち止まった。
右手のクジ屋は客も途切れてひと段落の気配で、向かいのベビーカステラも店先に赤い袋を並べたのを最後に、今は焼いていない。
(……ん?)
遼太郎は、そのベビーカステラの店の何かが気に掛かった。
しばらく考えて、遼太郎が思い出したのはあの日、かくれんぼをしていた桜子が迷子になった時のことだった。




