71.縁日で牛串を食う奴の気が知れねえ
JKオネーサンに焼きそばを奢ってもらって、ライン交換して別れて、
「……強烈だったな」
「うん、すごくいい人達だったけどね……」
桜子達のお祭りの夜がようやくスタートしたが、正直始まる前から心身ともにお腹いっぱいになった。
ともあれ、今夜は夏休みの始まり、最初のイベントだ。若さに勝るJC、JKに押し負けてなるものか。
櫻岡神社の境内は、数日前に桜子とチーが見たのとは一転、お祭り一色に染まっている。今は万緑の桜並木の前に出店がずらりと並び、吊られた提灯が煌々と、多くの人出、ざわざわがやがや。
そこここから醤油とソース、甘い匂いも漂って、なぜかものすごく懐かしい気持ちがして胸がきゅんとなる。
スピーカーから流れる祭囃子が、CDであることはご愛敬。
縁日の夜は、異世界で、ワクワクして、その奥底でどこか物悲しい。華やいだ非日常に迷い込みつつ、桜子はそんなことを思った。
桜子達も夜店を片っ端から物色しながら参道を歩いて、何組か学校の友達グループと出会う。ひと通り出店をチェックすると、三人とも浴衣の袖を捲った。
「さあ、何からいく?」
「アタシ、金魚すくいしよっかな」
「ウチ、生き物系は母さんイヤがんだよなー」
「じゃあ、スーパーボールすくう?」
「どーすんだよ、中学生になってスーパーボールって」
「何か再放送のドラマで見たんだけどさー、スーパーボール、マンションの高いとこから投げ落とすと手元まで帰って来るらしいよ」
「マジか。ちょっと欲しくなった、スーパーボール」
「なんか食べる?」
「そう言えばさ、綿菓子屋さんの人って、的屋の偉い人なんだってさー」
「そうなん?」
「綿アメって材料ザラメと袋で、原価めっちゃ低くて儲かるらしくてさ、それで偉い人がやってるんだって」
「じゃあ、あの爺ちゃん偉い人なの」
「たぶん」
「闇が深えな」
「前にさー、りんご飴おかーさんに作ってもらったんだけど」
「桜子のお母さん、料理得意だもんな」
「姫りんご売ってなくてガチりんごで作ったから、9割りんごだった」
「ああ……」
妙な縁日トリビアが飛び交う、と……
「おお、桜子殿! 平野殿にチカ殿!」
人波の中から、のっそりとした影が手を振った。
「あー、アズマ君も来てたんだ」
「はは、火事と祭りは江戸の花でござるからな」
「やあ、こんばんわー、此花さん達」
「……お晩です」
東小橋君と西中島君、別のクラスでよく東小橋君と一緒にいるのを見るひょろっと背の高い男子と、トウモロコシの焼ける香ばしい匂いの前で出会った。
「それにしても、お三方とも今宵は実に艶やかにござるな。眼福眼福」
東小橋君はニコニコとして、三人娘の浴衣姿を称賛する。
チーは東小橋君をジロジロと見て、
「アズマこそ、浴衣似合うな」
そう言ったことには、他の二人は普段着だが、東小橋君だけは絣の浴衣に藍の男帯を堂々と着こなしている。
「デブは和服似合う」
「少しオブラートに包んで下さらんか」
「つうか、その帯に挟んでるのは何なんだよ」
サナがツッコんだのは、東小橋君が帯に差した朱房の十手である。
「ああ、これでござるか」
「東小橋氏の妖撃具“十六夜衝”……小振りに見えて、捨撃モードに移行すればこの神社の境内全てが射程圏内……」
「さ、左様か……」
もう一人の友達、蛍池君がぼそっと“設定”を語り、サナの顔がひきつった。
「てか、お前ら目立つなあ……」
西中島君は普通の恰好だが、蛍池君は黒の梵字Tシャツに黒チノ。中高生に流行りのウレタンマスクの黒で口元を覆い、まるでどこかの“コピー忍者”。実に中二病卍解、さすがは祭りの夜に“妖撃具”を持ち歩く東小橋君の友人である。
サナとチーは呆れたが、
「十手だ! アズマ君、八丁堀の旦那みたいでかっけえねえ!」
このところ黒羽織に黄八丈の定廻り同心が活躍する時代小説にハマっている桜子、東小橋君の“十六夜衝”を見て目をキラキラさせた。
「はっはっは、そうであろう」
「ほう……東小橋氏の御燈火装束が“わかる”とは、できる……」
「さすが此花さん、お祭りの夜でも油断できないんだね」
誇らしげな東小橋君、感心する蛍池君、西中島君は何かに一人納得して頷いている。サナとチーは小声で、
「わかるか、チカ?」
「わかんねえ」
わかんねえのが普通だが、数で負けると、何か自分達の方が“わかってない”ような気がしてくる。
「こいつら、修学旅行で京都とか行ったら、初日にソッコー木刀買いそうだな」
桜子は買う子。行先が北海道でも、洞爺湖で買う。
東小橋君達とはそこで別れ、桜子達はまた三人、夜店巡りに戻る。と、サナが、
「あ、柴島だ」
「うえっ?!」
桜子は思わず、サナの陰に隠れようとする。柴島君に告白された件には、一応の決着はついたものの、やっぱり顔を合わせるのが気まずい相手だ。
サナが指差した方を見ると、射的の店に、柴島君を始め四人の男子が群がって超盛り上がっていた。いずれもリア充の、ウェイウェイ系の子達だ。
「手を休めるな、全弾撃ち尽くせ!」
「左舷弾幕が薄いよ、何やってんの!」
男子達が集中砲火を浴びせる景品を見ると、どうやらウフ~ンなDVDらしい。
「ああいうのって、今時ネットとかでフツーに見られるんじゃ……」
「男子って、バカだよな」
「男の浪漫、ってやつなのかな?」
ロマン砲を撃ち続ける男子達は、背後から生温かい目で見つめる女子達の目を知らない。
だが桜子達も、柴島君達がその標的に狙いをつけた理由が、さっき高校生のお兄さん四人が仕留め損ねたのを見たからだということを知らない。
「お、ゆっきー先輩だ」
輪投げ屋の店先に桜子が見つけた後ろ姿は、紺の浴衣に黄色の帯、女子バスケ部の“鬼の主将”こと住之江有紀先輩その人だった。
「住之江先ぱー……」
「しっ! ちょっと待って」
声を掛けかけたサナを、桜子が鋭く制した。ゆっきー先輩の、あの鬼気迫る後ろ姿に、桜子は見覚えがある。
ゆっきー先輩の手にした輪、普通は縁を指で抓むものだが、先輩は五本の指を円周に掛けるように持っている。そして輪を持つ右手の甲に、左手を当てている。
「あれは……3ポイントシュート……?」
「左手は添えるだけ……!」
桜子達が息を殺して見守る中、先輩の手から輪が静かに離れた。輪っかは見事な放物線の軌跡を描いて――……
……――黒い招き猫に吸い込まれるように、入った。
「やった……!」
輪投げ屋のおっちゃんが、鉤付きの棒で輪っかをひょいとすくった。
「あー、お姉ちゃん、残念。輪っか、下まで入んないとダメなのよー」
輪っかは、招き猫の肩に襷掛けするような形で入っていた。輪投げ屋さんルールでは、これは入ったことにはならない。
「無念――……」
ゆっきー先輩ががくりと膝をついた。
残念賞で貰った、裏の板を押すとカチカチ鳴る変なブリキのセミのオモチャを、
「私もまだまだ修行が足りん……」
カチカチ鳴らしながら立ち去るゆっきー先輩に、桜子達は掛ける言葉もなかった。
正直面倒臭いし。
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あっちこっちで知り合いに会ったり、出店で遊んだり、縁日フードをお腹に詰め込んだり……あっという間に時間が過ぎて、
「7時45分かあ。どうする?」
スマホで時間を確かめてチーが言ったのは、花火大会のことだ。
櫻岡神社には、縁日をしている参道境内からもうひとつ石段を上ったところに、ちょっとした公園……といってもベンチしかないような広場がある。近くの河原から打ち上げる花火は、そこからが一番よく見え、多くの人が8時頃を前後してぞろぞろそっちへ移動する。
実質的に、そこが花火大会の会場だった。
周りの祭り客達も、どことなくソワソワと時間を気にし始めている。毎年のことで心得たもので、夜店の人々もそろそろ客足もピークだと、呼び込みの声に最後の熱が入ってくる。
祭りの夜に、そろそろクライマックスの気配が漂い始めた。
おもろうて、やがて悲しき祭りかな……桜子はまた賑わいの中に感傷的な気分があって、今日この夜を記憶に焼き付けようと周りを見回しながら歩く。
(あたしの記憶は、信用できないからなー)
コツンと頭をぶつければ、お兄ちゃんの遼太郎さえ忘れて、恋をしてしまう。今はちゃんと思い出せたけど、またいつ何時……一度全てを忘れ去った桜子は、記憶というものが儚く、だからこそ掛け替えがないという思いが常にある。
今日この夜、思ったこと、感じたこと、あたしがここにいたこと。もし、また全てを忘れてしまったとしても、また思い出せるように――……
そんなことを考えていた桜子は、ベビーカステラの匂いに、何げなく店に目を向けて、はたと足を止めた。
(…………)
その店に、桜子の目が吸い寄せられた。いや、正しくは出店が背負っている桜並木の枝ぶり、そこにあると記憶が知っているものに――……
「ちょっと早いけど、今から行ったら前の方取れるよね」
「出店もだいたい回ったしなあ。どうする、桜子?」
「……桜子?」
サナとチーが、桜子を振り返った。が、そこに桜子の姿はなかった。




