66.恋心、ウソとホント
最後に東小橋君にいいとこ全部持っていかれたような気がしつつ、サナがもう潜める必要もないのに小声で囁く。
「アズマ、さっき桜子といた人だけど……」
「遼太郎殿? 桜子殿の兄上でござろう。聞いてござるよ」
東小橋君は、桜子と遼太郎との打ち合わせた内容を、遼太郎への心服を大いに交えつつ二人に披露した。
ことの顛末の空白が埋まって、チーとサナも深々と嘆息した。
「さっすがリョータロー兄だねー」
「なあ。桜子兄が出張ってくれてなかったら、絶対モメてたな」
あれこれ中学生なりに考えてみたんだけど、やっぱり高校生から見れば、自分達はコドモなんだなあ。
東小橋君は我がことのように満足げに、
「まっこと、お若いに似合わず懐の深い御方にござったよ」
年上の遼太郎を捕まえて、そう言ってウンウンと頷いた。
「いやあ……もし拙者が桜子殿で、遼太郎殿が近所のお兄さんであったなら、憧れてもおかしくはござらぬと思い申したな。はは、は……」
屈託なく大きな肩を揺らす東小橋君に、サナとチーは複雑である。
遼太郎の引いた絵図面、東小橋君の他意のない冗談。桜子からすれば、それは全て全て、“本当の気持ち”だった。
そんなこととは夢にも思わないからこそ、遼太郎が描いた“嘘”を、桜子はどんな気持ちで眺めたのだろう。桜子の“本当の気持ち”を知るサナとチーの胸に、少し固いものが残る。
とは言え、この騒ぎは東小橋君のいう通り、とりあえず一件落着した。チーは気を取り直して、二ッと笑うと、
「にしてもアズマー、今回のMVPは間違いなくお前だよ。アズマいなかったら桜子も私らも、もっとマズいことになってた。マジ、サンキュな」
「おお、もったいなきお言葉」
そう言う表情と口調に、サナはここ何日か、らしくなかったチーがやっといつもの調子に戻ったと感じた。が、チーは“いつも”に戻り過ぎたらしく……
「そんなアズマに、ご褒美だ。フードコートで可愛い女の子二人にアイスクリームを奢る栄誉を与えてやる」
「ありがたき幸せ」
いかにもチーらしい、奔放な言葉を吐く。それに逡巡なく臣下の礼をとる東小橋君もまた“いつもの”で、サナは呆れるしかない。
チーは数日ぶりの無邪気な勝手さで、
「よし、サナも行こ! 桜子の代わりってのは気に入らないけど、この忍者に一生に一度の両手に花を味わわせてやろー」
ここしばらくの屈託の反動からか、むやみにはしゃいで見える。
サナはそんなチーをじっと見てから、
「アタシ、ちょっと用があるんだ。二人で行ってくれば?」
そう言ってみると、チーは大きな目をくりくり動かして、
「そっか。じゃあ、しゃあないな」
アッサリそう言い、サナを引き留めることをしなかった。
「アズマー、キレイドコロがまた一人減ったぞ。不満か?」
「滅相もござらぬ。都島殿だけでもお付き合いくださるなら、この東小橋、骨を折った甲斐があったというものでござるよ」
まるで本当にワガママなお姫さんと、付き従う爺といった風情の二人に手を振って、サナは踵を返した。
ホント、他人の世話を焼いている場合じゃないな、と思う。
(恋愛かあ……いや、実のお兄ちゃん好きになるとか、そういうハードモードなのは、アタシは勘弁だけど……)
やっぱり、恋をしている毎日って、嬉しいこともツライこともひっくるめて、ドキドキワクワクするんだろうな、とサナは思う。
(まあ……アタシの場合、誰かを好きになるとこからなんだけど……)
ボーイッシュでサバサバしているようで、恋愛には怖がりだった。サナはちょっと悔しい気分で、独りきりのモールを足早に抜けていった。
**********
駅前からの帰途を遼太郎と歩くのは、二人きりの留守番の時の、買い物と夕食以来で久しぶりだった。
桜子は遼太郎と並びながら、今回のことをいろいろ考えていた。「ねえ」と遼太郎に声を掛ける。
「りょーにぃがあたしの好きな人ってあれ、咄嗟に思いついたの?」
聞いた時は慌ても呆れもしたが、考えてみれば見事な機転だった。
遼太郎は横顔でフッと笑った。
「いや。お前の話を聞いて、ちょっと考えてみたのさ」
「えっ……」
桜子は驚いて遼太郎を見上げた。
(じゃあ、りょーにぃ、あたしを心配して、いろいろ考えてくれてたんだ……)
床に転がり、拗ねた格好をしながらも。桜子の胸に温かいものが込み上げた。遼太郎は桜子に、少し照れたような顔を向ける。
「お兄ちゃん、実はな……」
「妹的な年下の女の子に密かに憧れられている幼馴染のお兄さん、というのを一回やってみたかったんだ」
「実の妹にやらせることか」
桜子の兄への尊敬が、幾分薄れた。
「言えばそれくらい、いつでもやったげんのに。お兄ちゃん、だーい好きぃ///」
「それこそ、実の妹にやらせても普段と変わらん」
桜子が人差し指を両頬に当てて小首を傾げると、遼太郎は肩をすくめた。
しかし考えてみると、
(記憶のない時のあたしとお兄ちゃんが、ちょうどそんな感じだったんじゃないのかなあ……?)
遼太郎はあの冗談のような1か月を、楽しんでいたのだろうか。それとも、やっぱり実の妹が相手では物足りなかったのだろうか。
血の繋がり……いつだって悩みは、そこへ帰って来る。
桜子にとって、遼太郎と兄妹だということは、心から大切な一方で、最大の障害でもある。本当の兄妹じゃなかったら、血が繋がってなかったらとは、何度思ったか知れなかった。
桜子は考え込み、黙ったまま遼太郎と肩を並べて行く。
遼太郎のことが好きで、好きで、雲の上を歩くような毎日を送る桜子だった。しかし初めて人から好きになられて、桜子の恋にこれまでと違う方向からライトが当たった。
(もしかして、人を好きになるのって、すごく自分勝手なことなのかな……)
好きじゃない柴島君に迫られて、桜子は困った。だけど我が身を振り返ってみれば、遼太郎は好きじゃないどころか、絶対に好きになっちゃいけない相手から恋をされているのだ。
(メイワク……だよね。ゴメンね、お兄ちゃん……)
この恋は桜子には切実な思いだったが、だからこそ、兄と妹という関係にとって始末が悪いとも言えた。
盗み見るように窺った遼太郎の姿が、不意にぼやけた。
(……泣いちゃダメだ。お兄ちゃんがビックリする)
慌てて涙を拭おうとした、が、その前に、水彩画フィルターを掛けたような遼太郎の滲む姿が、振り向いた。
「どした、桜子?」
表情は涙でよくわからないが、声は軽い調子だった。
桜子はぼんやり滲んだ遼太郎の影に向かって言った。
「お兄ちゃん、あたしはやっぱり、好きじゃない相手から好きになられるのって、どっちも傷つくことだと思う……」
桜子の涙の理由、言葉の意味をどう解釈したか、遼太郎はただ、
「そうか」
優しくそう言った。すっと目元にタオル地が押し当てられ、涙が拭われると、遼太郎の笑顔もまた優しげだった。
それから二人は、家までの道をあまり多くの言葉を交わさずに歩いた。黙っていても、気まずい思いはちっともしなかった。
桜子はそんな遼太郎の隣の居心地の良さが、ほんの少し、寂しかった。
**********
桜子の“本当”の恋心は混迷を深めるばかりだったが、学校での柴島君との騒動の方は、幸いスッキリと始末がついた。
桜子と東小橋君が付き合ってることに驚愕させられたクラスのみんなは、それが柴島君をお断りする方便だったと知ると、「あ、やっぱり」と、逆に安心した。
モテキャラの柴島君をアッサリ袖にして、クラス中にウソをついた形の桜子は、ともすれば何かしら反感を買っていたかもしれない。それを救ったのは、
「いやあ、俺がしつこくしたのが悪かったんだよ」
柴島君の見せたカラッとした男らしさでもあったが、最大の助けは、何と言っても東小橋君のキャラクター性である。
学校生活に自ら作り上げたキャラクターを走らせる東小橋君は、周りにもある種の”非現実の存在“感を与えている。
東小橋君が一枚噛んだことで、恋愛のリアルさがほど良く緩和され、今回のこともどこか、此花さんが”ユルキャラか何か“と恋人のフリをした的なホノボノ感をもって周囲に迎えられた。
これを人徳と言っていいのか、とにかく東小橋君様々であった。
そんな東小橋君に、柴島君は一目を置いたらしく、漫画を借りたりお勧めのゲームを訊いたり、陽キャと陰キャに思いがけない親交が生まれたようだった。結果的に概ねいいカタチに収まり、やれやれだ。
さて、当の東小橋君。
「やあ、一時はどうなることかと思えども、無事一件落着、重畳重畳。柴島殿があれで存外根のいい御仁で、助かり申したな」
昼休みに桜子組に体を向けて、弁当箱片手に、
「それもこれも遼太郎殿の機知の賜物。いやはや、拙者、心服致したよ。ともあれ桜子殿も、チカ殿も平野殿も、ご無事で何より」
大きな体を揺すって笑っているのだから、お前こそ根っからのいい奴だ。
あの後、東小橋君とチーは、二人で駅前モールのフードコートでアイスクリームで祝杯を上げた。東小橋君のチーの呼び方が変わったことに、桜子は気づいていない。サナは気づいている。
こうして、桜子の片思われには一応の決着がついた。
桜子の遼太郎への思いを包む季節は、夏へ移ろうとしている。




