65.恋の忍術“空蝉”
桜子は最高にうろたえ、遼太郎と東小橋君を、おろおろ交互に見る。
「な、何でそういうことになるの?! あたしがお兄ちゃんのこと“好き”ってオカシイでしょ! 兄妹だよ! ヘンタイ兄妹だよ!」
真っ赤になり、再度遼太郎へ足音荒く詰め寄る。
「“だいばくはつ”過ぎるだろ! 柴島君は諦めてくれるだろうけど、学校新聞の一面になるわ! 明日からあたしのあだ名“ユウちゃん”だよ!」
「落ち着け、バカ。学校を焼け野原にしろってんじゃねえよ。誰が本当のこと言えって言った?」
騒ぐ桜子に閉口し、遼太郎は二歩三歩と後退しながら言う。
「俺のことは、そうだな、“近所のカッコイイお兄さん”とでも言え」
「“近所”の……“お兄さん”?」
桜子はポカンとして、後から、
「は? “カッコイイ”?」
と、間違って食べたカステラの紙のように面倒臭そうに吐き出した。
いくらかムッとしつつ遼太郎の言うところには、
「アズマ君だと、ずっと学校でフリしてないとダメだろ。“好きな奴”を学校の外に追い出してしまえば、そうはボロが出なくなる」
一応、筋は通って聞こえる。
「要は今、柴島君をごまかせればいい。小学校別なら俺のこと知らないし、この遠さなら顔もよくわからない。後は桜子が『あの人が本当に好きな人』って言やあ騙されるだろ。何せ実際“その人”を見てはいるんだから」
「舌先三寸で、実体のない“好きな人”の影、つまり“空蝉”を走らせる……か。桜子殿の兄上も、なかなかの策士にあられる」
感心したせいか、東小橋君に調子が戻っている。だが桜子の心中は複雑だった。
なぜなら、“密かに片思いしているカッコイイお兄さん”って、
(9割方、“本当”じゃないか……)
桜子は口を尖らせる。
「けど、お兄ちゃんだってバレたらどうするのさ。ヘンタイ兄妹の名をほしいままにしちゃうよ」
桜子の不安に、遼太郎は平気な顔で、
「その時は、本当のこと言えばいいだけだろ」
「ほ、“本当のこと”って……!」
桜子は慌てて叫びかけたが、あれ、本当のことって何だ?
遼太郎の言うそれは、兄が妹のためにひと肌脱いだ、ということか。桜子にとっての本当のこととは、実は遼太郎こそ“本当に好きな人”だってことで……
(ありゃ……?)
何が偽りで何が真実か……桜子は頭がこんがらがってきた。
遼太郎はそんな桜子にニヤッと笑って、
「まあ、その前にさっさと本物の彼氏を作ることだな」
「お、大きなお世話だよ!」
妹の心兄知らずでからかった。
「ホントに好きな奴くらい、いるんだろ?」
(オメーだよ!)
遼太郎の無神経さにムカッときた桜子は、この場でぶち撒けてやろうかと、一瞬本気で思った。
一瞬ながら絶体絶命に立たされたとは、夢にも思わない遼太郎。
「じゃあ、俺は面が割れない内に、とっととずらかるかな」
すると東小橋君が、
「桜子殿も、“憧れのお兄さん”と一緒に行かれるが良かろう。後は拙者が上手くやっとくでござるよ」
もういつもの口調を隠すこともなく、笑って言った。
桜子は指を組んで首を縮めるようにする。
「え、それは申し訳ないよ……」
しかし遼太郎は、
「いや、お前は余計なこと言いそうだ。東小橋君、コイツは俺が回収してくから、済まないけど後を頼むよ……あ、そうだ。千佳ちゃんと早苗ちゃんは、俺のこと知ってるから」
「そういうことなら、都島さんは勘がいいから、たぶん口裏合わせてくれると思います」
これを聞いて遼太郎はふっと、柔らかく優しい目になった。
「千佳ちゃんはこういう時頼りになりそうだな。アズマ君も、妹にいい友達がいてくれて嬉しいよ」
遼太郎がそう言って、桜子は親が自分の友達に声を掛けた時のような、居心地の悪いような気恥しいような気分だ。
そこで遼太郎は、すっと真剣な目を東小橋君に向けて、
「妹が記憶を失くしてた時、アズマ君が親切にしてくれたって聞いてる。こんな時だけど、兄として礼を言わせてもらうよ。本当にありがとう」
きちんと頭を下げた。そんな遼太郎に、桜子も東小橋君も、三つくらいしか離れていない高校生に不意にオトナを垣間見て、ドキッとする。
東小橋君はうろたえて、
「いや、そんな……僕みたいな陰キャと桜子さん、都島さんと平野さんまで仲良くしてくれて、逆にありがたいって言うか……」
しどろもどろになるのに、遼太郎は表情を緩める。
「はは……俺も陰キャだから、気持ちわかる。アズマ君、また今度、ゆっくりゲームの話でもしようぜ」
遼太郎の笑顔に、東小橋君は信じられないという顔をする。この“イケメンお兄さん”がまさか、数週間前まで桜子だけが魅力に気づいたモッサリお兄さんだとは思いもしない。
ただ……どこかで通い合う、同族の匂いはお互いに感じた。
「遼太郎殿……さ、後は任せて、お行きくだされ」
「かたじけない、アズマ殿」
「では、また……エル・プサイ・コングルゥ――……」
「ああ……ラ・ヨダソウ・スティアーナ――……」
男どもが熱い視線を交わし、ニヤリと笑う。二人を見直していた桜子は、ちょっとイラっとした。
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「そして、桜子殿の本当に“好きな人”にござるよ」
此花兄妹から一人離れ、サナとチー、柴島君のところへ戻ってきた東小橋君は、しれっとした顔でそう言った。サナとチーは顔を見合わせたが、もちろん一番驚いているのは柴島君だ。
「え……いや、東小橋、此花さんと付き合ってるんじゃ……?」
「ああ、スマン、ありゃウソだった」
東小橋君はキッパリそう言ったが、桜子不在で、誰もネタをわかってくれない。
東小橋君は、あの高校生が、桜子のご近所の幼馴染のお兄さんであること、桜子が密かに憧れている人であること、それを知られたくなくて東小橋君と付き合っているフリをしたこと……涼しい顔してしゃあしゃあと弁じ立てて、サナとチーを唖然とさせた。
もちろん、一番唖然としているのは柴島君である。
「えええ……ウソなのかよ、お前が此花さんと付き合ってるの……」
「騙したことは詫びるでござるよ。されど、柴島殿も片思いであれば、桜子殿もまた忍ぶ片恋をしておられるのだ」
「重ね重ねすまぬが、このことは他言無用に願えぬか」
頭を垂れた東小橋君を、柴島君がじっと見つめた。
しばらく柴島君は、そうして東小橋君に挑むような視線をぶつけていたが、
「……言わねーよ」
そう言って、乾いた笑いを漏らした。
「そんなの言いふらしたら、余計に俺がカッコ悪いじゃねーか」
ホッと肩から力の抜けたサナとチー、それから東小橋君を見て、
「それを聞いてさ、考えてみたら」
柴島君が頭を掻いた。
「何か俺、此花さんが好きなのはマジなんだけど、どっちかって言うと東小橋が相手だってことの方に納得いってなかったような気がしてきた」
「あー……」
東小橋君もチー達も、ため息ともつかない声を漏らした。
スクールカースト上位の柴島君と、もはやスクールカーストを超越した存在である東小橋君。柴島君にとって、桜子にフラレたことより、東小橋君に負けたことの方がショック、というのもわかるが割と失礼な話だった。
カーストが、ひっくり返ればストーカー。くだらない洒落のようで、陽キャの光もひとつ間違えれば闇堕ちする、という教訓だろうか。
しかし柴島君、どうにか自分を取り戻すと、
「けど、東小橋。お前、なかなかやるなー。マジ騙されたわ」
ニセ恋敵の肩を気安くぱんぱんと叩いた。
「なるほどな、お前も俺と同じくピエロだったってワケだ」
ニヤリとして結構イタいと言うか、酔ったようなセリフを吐いたが、チーでさえもツッコむのを我慢して、重々しく頷いた。
当の柴島君はスッキリしたようで、
「都島達と平野も、何かゴメンな」
主に言い合いをしたチーへ向けて謝った。チーは肩をすくめて、
「いいよ、柴島が桜子に付きまとうようなことしたから、心配しただけだから。さすがに、もうやんないでしょ?」
「しないしない。まあ、まだ此花さんを諦めもしないけどな?」
「それは好きにすればいーよ」
カッコをつける柴島君に、チーは薄い笑みを浮かべた。
いい加減、他人の色恋に振り回されるのもバカバカしくなってきた。サナも同感である。
チーの白けた思いに気づかず、柴島君は横髪を後ろに撫でて言った。
「じゃ、俺は行くわ。いろいろゴメンな。また明日学校で」
どうやら憑き物が落ちると、柴島君はカラッとしたいかにもなリア充だ。東小橋君にも二ッと笑い掛けると、
「そんなしゃべったことなかったけど、東小橋って結構面白い奴なのな。これからはピエロ同士、学校でもしゃべったりしようぜ」
「願ってもない。よろしく頼むでござるよ」
東小橋君が握手を差し出すと、パンといい音で手を打ちつけて、
「そのキャラがなきゃ、フツーの奴な気がするんだけどな……まあ、面白いからいいけど」
東小橋君を知ると誰もが抱く感想を漏らして、柴島君は去って行った。
柴島君を見送ると、東小橋君はチーとサナを振り返って、
「これにて一件コンプリート、にござるな」
笑いながら一本締めに手を鳴らした。




