64.肉食系小動物VS陽キャ暴走車
東小橋君に倣い、桜子も身を低くした。東小橋君と違い、桜子はそれほど屈まなくても棚の陰に隠れてしまうが、こちらも柴島君の姿は見えていない。
「どうしよう?」
相手がどこにいるのかわからず、東小橋君の頬に口を寄せるように囁くと、
「狭い店の中でやり合うのは避けとうござる。見つかる前に抜け出そう」
事態は本当にステルスゲームの様相を呈してきた。
しかしさすがの忍者も、透視チートは使えない。スマホを取り出して本棚に見立てると、
「柴島殿はおそらく通路を奥まで行こうから、我々はあちらが棚を曲がるタイミングで抜けるでござるよ」
画面の長辺と短辺を指でなぞる。桜子は神妙に頷く。
東小橋君は通路のこちら側に桜子を促しつつ、
「或いは、後ろから隙を突いて首をひねる、という手もござる。桜子殿が『やれ』と仰せなら、色恋沙汰ともども、一挙に片をつけても良うござるが」
桜子は振り返った東小橋君を、じっと見ていたが……
「やれ」
「御意」
即答した東小橋君に、桜子は慌てた。
「じょ、冗談だよ、アズマ君」
「いや、拙者も冗談にござるが」
「アズマ君、本当にやりそうな目をするから」
「やるか。拙者を何だとお思いか」
アズマ君は苦笑しつつ、棚の陰からカメラ起動したスマホをすっと差し出す。
「……曲がった。今にござる」
「何、その技……アズマ君、本当に忍者みたい」
目を見張る桜子に合図して、東小橋君は小太りに似合わない軽快さで、身を屈めたままレジ前を抜ける。
脱出クエスト、無事コンプリートだ。
同じ姿勢で続く桜子は、柴島君には見つからなかったが、店員さんや他のお客さんからは、さぞ怪しいアホの中学生に見えることだろうと思った。
**********
本屋の外で東小橋君が周りに目を配ると、斜向かいのドラッグストアから、チーとサナが手を振った。東小橋君はすっとそっちに駆け寄ると、
「フードコートに向かうでござる」
「わかった」
立ち止まらずに言い捨て、さっさと歩いて行く。
桜子はちょっと足を止めて、
「今、アズマ君、本屋さんで柴島君を暗殺するとこだった」
「そ、そうか……」
サナを何とも言えない顔にして、東小橋君を追っ掛けて行った。
チーとサナは二人が行ってしまうと、再びドラッグストア店内に戻って、
「……暗殺?」
「まあ、桜子の言うことだから」
こっちは本屋に残された柴島君を待つ。
ところが、肝心の柴島君が本屋から出て来ない。
「まだ二人を探してんのかな?」
「トロくせーな、早くしろっての」
先に行った桜子達を見失われても、それはそれで予定が狂う。ヤキモキしたチーが棚から首を伸ばす、と……
「……都島?」
間の悪いことに、本屋さんから出て来た柴島君と目が合ってしまった。
これは頂けない。季節商品の棚の後ろでサナが「あちゃー」という顔をする。桜子達の前に、自分達が見つかってどーすんだ。
柴島君の一瞬驚いた顔も、すぐ状況を察して、険しくなる。
「そこ、平野もいるだろ。何してんだよ、お前ら」
サナは首をすくめたが、チーは悪びれもせず店先に出て行った。
「ん? 仲良し二人組で買い物だけど? 女子的な?」
「ふざけんな。お前ら、俺のこと尾けてたんだろ?」
空とぼけたチーを、柴島君が睨んだ。
が、それしきで怯む肉食系小動物ではない。
「尾けてた? そりゃどっかの誰かさんの方じゃないの?」
「は? どういう意味だよ?」
図星を突かれ、バツの悪さを隠そうと、柴島君が肩をそびやかす。
普段は男勝りのサナだが、男子が強い態度に出ると、内心結構焦る。
(うわ……チカ、何で平気な顔してられんだ……?)
自分と比べてもちっこい友人は、頭ひとつ分違う柴島君にも負けていない……ようにサナには見える。
(いや、お前らが場外乱闘してもしょうがないだろ)
険悪に睨み合うチーと柴島君に、サナは途方に暮れて、桜子達の方へ目を向ける。と――……
「あ……“本命”」
思わずそう言って、口を押さえる。サナの呟きを耳にして、チーと柴島君も振り返る。その視線の先には、桜子と東小橋君、そして向こうの方から歩いて来る高校生の男の子の姿があった。
「おー……」
それまで平静を保っていたチーも、頬をひきつらせた。柴島君は二人の様子に気勢をそがれ、困惑している。
思い掛けない登場は誰あろう、ある意味この状況の元凶とも言える、“桜子兄ちゃん”――……此花遼太郎その人であった。
三人の見ている前で、遼太郎が桜子と東小橋君に声を掛けた。何やら話しているようだが、ここまで声は届かない。
やがて東小橋君が桜子達から離れ、まっすぐこちらへ歩いて来る。
一人戻って来た小橋君に、サナとチーが目を見交わす。桜子達が何を話し、どうしてアズマだけが引き返して来たのかわからないが、柴島君の前で余計なことを言われると困るし、さりとて自分達も下手なことが言えない。
東小橋君は二人の心配をよそに、
「や、柴島殿」
当たり前のように手を振って、柴島君は更に毒気を抜かれた。
「東小橋……え、誰、あの人?」
困惑しながら当然の疑問を口にする。サナとチーはちょっと身を固くしたが、東小橋君はそれとなく二人に目配せして、さらりとこう言った。
「ああ、あれは、桜子殿の”近所のお兄さん“でござるよ」
**********
「りょーにぃ?!」
学生カバンを肩に掛け、目の前で立ち止まった高校生に、桜子は大声を出した。“りょーにぃ”さんと呼ばれた高校生は、桜子に二ッと笑って見せ、
「君がアズマ君?」
東小橋君にフレンドリーに話し掛ける。
「アズマ君、この人、あたしのお兄ちゃん」
見知らぬ相手に少し警戒を抱いていた東小橋君に、桜子が耳打ちした。
これを聞くと東小橋君、逆に慌て、緊張してしまう。
「あ、その、僕は桜……此花さんのクラスメートの、東小橋といいます」
お兄さんの手前、桜子からさりげなく身を離す。
と、桜子が驚愕して叫んだ。
「アズマ君がフツウにしゃべったあ?!」
「そりゃ普通にしゃべるよ、初対面の人の前じゃ。僕を何だと思ってるの?」
「“僕”とか言ってるし……」
東小橋君の“忍者”は素ではなく作りだ。クラスメートの女子のお兄さんの前で貫き通す度胸はない。しかし桜子はアズマ君の“ござる”に慣れ、違和感があり過ぎて逆に違和感がなくなって、普通に話される方が変な感じだった。
桜子さんのお兄さんは、そんな二人を笑いながら見ていたが、
「桜子の兄の遼太郎だよ。よろしく。アズマ君のことは妹から聞いてる。根来衆なんだって? 伊賀甲賀を外す辺り、中学生らしくていいねー」
そう言うと、周りからはそれとわからないように、軽く頭を下げた。
「ごめんな、妹が妙なことに巻き込んだらしくて」
なるほど、遼太郎殿は桜子殿の兄上に相応しく、漫画やアニメでいう知的クール先輩タイプの人だった。
(ううむ、眼鏡系の最上位クラスのようなお方だな)
同じ眼鏡系の東小橋君にとって遼太郎は、言わばスライムにとってのゴールデンスライムに位置する存在で、一発で好感を持てた。
もしほんのちょっと前の“未改造””進化前”の遼太郎を見ていれば、東小橋君はより一層の親しみを抱いたに違いない。
一方の桜子は、遼太郎を前にして、向こうに片思いされている男子、ここに彼氏のフリをしている男子というこの状況は、まさしく修羅場だ。
「て言うか、何でりょーにぃがここにいるのさ!」
赤くなって詰め寄ると、遼太郎はいつものクセで鼻の下を擦りつつ、
「それな。さっき駅を出たとこで、お前を見掛けてさ」
桜子を押し返した。
電車通学の遼太郎、駅の改札を出たところで遠目に妹を見掛け、
「そしたら早苗ちゃん達二人も、離れて後から来るだろ。それでン?と思ってよく見ると怪しい男子が一人、間にいる……」
そこで遼太郎は少し笑って、東小橋君を見た。
「いや、二人か」
「これは手厳しい」
笑った東小橋君、僅かに口調が戻っている。
「あ、これはロクでもないことしでかしそうだなって、お兄ちゃん過保護だとは思ったけど、老婆心ながらついて来ちゃったってワケさ」
どうやら尾行は二重ではなく三重になっていたらしい。
これを聞いた桜子、途端にふにゃっと頬が緩んだ。
「何だよー。お兄ちゃん、桜子が心配でついて来ちゃったのかー。どんだけ“妹大好き兄”なんだよう///」
嬉しそうに兄に絡む桜子が子どもっぽく、しかも自分を名前呼びして、東小橋君の目を丸くさせる。
友達になって、案外天然なところがあるとは思うようになったが、それでも桜子殿のイメージは“落ち着いたしっかり者”。こんなふうにお兄ちゃんに甘々する妹キャラを見せられると、正直驚くし、萌える。
「桜子殿、お兄さんの前ではキャラ変わるね?」
「ふえっ?!」
アズマ君の指摘に、桜子は我に返った。ヤベえ、りょーにぃが来てくれて嬉しくなって、今めっちゃ素の“桜子”が出ていた。
赤くなる桜子、面白がる東小橋君。あまりピンときていないのが、見た目は変わっても変わらない、遼太郎クオリティ。だが、しかし……
「もしかして自分達、その柴島君が後を尾けてるとこ押さえて、吊るし上げみたいに桜子のことを諦めさせようとかしてない?」
状況推理の方は大方で当たっていて、桜子と東小橋君が顔を見合わせた。
遼太郎が小さくため息をついた。
「やっぱりか……うーん、それはどうかな? 余計に話がこじれそうだと、お兄さんは思うけど」
桜子と東小橋君がお互いを見る。そう言われてみると、柴島君を傷つけるばかりの作戦であるような気がしてくる。
と、遼太郎が肩越しにチラッと振り返り、
「お、千佳ちゃん達が柴島君と接触したようだぞ」
桜子と東小橋君が見ると、チーと柴島君が胸を反らせて向かい合い、サナがおろおろとしている様子だった。
東小橋君が「ヤバ……」と呟き、桜子がキッと遼太郎を振り向いた。
「遼太郎ッ! 君の意見を聞こうッ!」
「そうだな……」
遼太郎は桜子の小ボケを流して、少し考えてから訊いた。
「柴島君は小学校一緒?」
「ううん、別」
桜子の中学校、遼太郎にとっての母校には、校区に四つの小学校がある。
「なら、バレないか……」
遼太郎は独りで納得したように頷いて……
「桜子、“俺”ってことにしよう」
桜子がきょとんと首を傾げた。
「何が?」
「お前が“好きな人”」
桜子は目をぱちくりして、遼太郎の顔を見つめて、
「え……えええええっ?!」
胸の中でどきんと心臓が跳ね上がり、否応なく頬が染められるのを感じた。
それって、みんなの前で“本当のこと”を告白しろってことですか?!




