62.徐々に奇妙な放言
不測の事態があれば、義務のように“事故る”。それが此花桜子というヒロインだ。桜子と東小橋君のニセ恋は、告知不要でクラス中の知るところとなった。
その日一日、桜子と東小橋君はクラスメートからは遠巻きにされ、サナとチーも、柴島君も視線は送ってくるものの近づいては来ない。二人にできることと言えば、“仲良さげに話でもしている”を続けるくらいのものだ。
「……波紋入りの薔薇は痛かろう……」
「“う”……“う”……ウソをついてる『味』だぜ」
「絶っ~~~対に負けんのだァァァ」
「それは“だ”? それとも“あ”でござるか?」
それも昼休みには、とうとう話題がしりとりになった。
そして、放課後――……
部活に下校に、三々五々に散る教室を、やっとサナとチーが近づいてきた。
「あの……チー……」
朝のこともあり、少し身を固くする桜子だったが、チーの方は少なくとも引きずった素振りは見せなかった。
「まあ、しゃあなかったな。まさかみんなの前でブチ撒けるとは思わねーし」
そう言ってくれて、桜子をホッとさせる。
サナとチーが来てくれて気が抜けたか、東小橋君が大きな体を机に突っ伏せ、肺の空気を全て吐き出した。
「ま……まさか昨日の今日でクラス中に“狂言”が知れ渡るとは……拙者、明日からどうすればいいのか……」
これにはチーも同情的な目になりながら、口振りは厳しく、
「オタオタすんなあ!」
「拙者の存在、全否定せんでくだされ」
顔を上げない東小橋君を叱咤する。
「アズマ、桜子と付き合うと、これぐれーは日常チャーハンだ!」
「茶飯事な、“サハン”。“チャハンジ”じゃねーぞ、チカ」
「マジか!」
サナがきちんとツッコみ役を務め、東小橋君も身を起こして少し笑った。
この恋人ゴッコ、多少のリークはしょうがないとして、自分達と柴島君の間で完結する話だと想定してたのだが……
サナは少し思うところもあって、呆れ半分、困り半分で嘆息した。
「でも、告ったこととかフラレたこととか、みんなの前で言う、フツウ? アタシはムリだわ。モテる奴って、そういうん平気なのかなあ?」
ボーイッシュでサバサバ系に見えるサナだが、恋愛方面は苦手分野である。
「激情型つうか、劇場型つうか、アタシには信じらんないよ」
「映画版の仮面ライダーのような御仁にござるな」
東小橋君もため息を追加すると、チーが腕組みをして言った。
「たぶん、友達には告るって宣言してたんじゃん? アッチはアッチでテンパってんだろーな」
「チカは、どうしたらいいと思う?」
サナがチーにお伺いを立てた。天然にオタクに奥手……この面子の中では、肉食系の意見が一番説得力がある。
三人の視線を集めて、チーは二つ括りの髪の端をきゅっきゅっと広げ、留めゴムの位置を整えながら言った。
「ま、アズマはどーでもいいとして、桜子のこと考えると、早めに片づけたいとこではあるよなあ」
「ちょ、殺生なことを申されるな」
どーでもいい扱いの東小橋君が不服を言うと、チーはジロリと見返して、
「ああ? カワイイ桜子に頼られてんだから、アズマは鼻の下伸ばしてりゃいいだろ、このエレファント・カシマシが」
「マンと言わなかったところに、平野殿の良識を感じるでござるな」
何となく、どことなく、チーの東小橋君への当たりの強さを感じつつ、桜子は胸の前で手に手を重ねて、
「片づけるって、どうやって?」
チーは肩をすくめると、
「そりゃ、相手の出方次第だけど、そーだな……」
「桜子、アズマ。今日は手でも繋いで、仲良く一緒に帰ってみなよ」
言われた通り、繋がないまでもでも揃って校門を出た桜子と東小橋君を、チーは桜子の席で、窓から見下ろしている。クラスメートはとっくに捌けて、教室に残ったのはサナとチーの二人だ。
「ったく、相変わらずの“桜子”だな」
軽く笑ってみたが、チーは窓から振り向かない。
(うーん、何か最近アタシ、気を遣わされてばっかな気がするぞ……)
少々納得いかないサナに、チーが外を眺めたまま言った。
「サナって、明日も部活?」
「うん、あるけど……」
サナは陸上部で、短距離では二年の代表に選ばれる実力がある。
「できたら、明日も付き合ってくれると助かる。後で桜子に何か奢らせるからさ」
チーは、校門を抜けた桜子と東小橋君、その後からさっと走り、適当な距離を置いて歩き出した柴島君から振り返って、サナに手を合わせた。
ちなみにさすがのチーも、更にその後を何気なく追った西中島君|(此花さんが学園の平和を守っている件を探る男)にまでは、気づいてはいなかった。
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次の日の昼休み――……チーは桜子にサナ、東小橋君にお弁当を持たせて、いつもの旧校舎中庭に率いて行った。
そこで桜子と東小橋君は、チーに放課後駅前のモールに寄ってけと命じられ、開いた弁当箱の蓋を手にしたままきょとんとする。
「へ? 何で?」
「だから、放課後デートっぽいフリしろって言ってんのさ」
そう言って、チーは周りに誰もいないのを確かめて潜めた。
「二人とも、昨日の帰りに柴島が後ろからついてってたの、気づいてた?」
桜子と東小橋君は目を丸くして、顔を見合わせた。
「……無論」
「ウソをつけ、落第忍者」
東小橋君はしれっと嘯いて、チーに睨まれる。
だがチーは東小橋君により、柴島君に対してもっと呆れている。
「意外と粘着質だよ。けど、それならそれで、こっちにも考えがあるさ」
「と、申されると?」
「そーゆーことすんなって、キチっとフリ直せば手っ取り早いじゃん」
「逆に考えるんだ、『尾けられたっていいさ』と考えるんだ……!」
「ジョースター卿……!」
桜子と東小橋君のボケは、チーとサナにはよく伝わらなかった。
東小橋君が、得心しつつも少し顔を曇らせることには、
「なるほど、あえて誘い込み、待ち伏せて討つ”仕掛け“にござるか。妙案なれど、柴島殿にはちと酷な気もするでござるな」
「けどまあ、変にストーカーみたいになる前に、バッサリいっといた方がお互いにいいんじゃないか?」
というのはサナの意見。
いつの間にか旗振りの成り行きのチーは、
「うーん、昨日だけだったら、アズマと桜子が一緒のとこ見て、思わず追っ掛ける気持ちもわかるけど。でも今日もやるようなら、サナの言う通り、早めに片つけた方がいいと思うな」
らしからぬ真面目な口ぶりで、東小橋君を見る。
「だからアズマ、今日の帰りはそれとなく後ろを注意して、柴島が尾けて来るようなら……」
「すかさずマキビシを撒いて」
「そうそう、足止めを……すんな。おびき寄せろって言ってんだ。私らも後からついてくけど、桜子の傍にいるのはお前だ。もしケンカになったら……」
「斬って捨てても止むを得ずと」
「うんうん、文字通りバッサリと……バカヤロウ。ともかく、私とサナが助けに入るまでは、桜子のこと頼むからな。オイ、桜子」
チーとアズマ君の、餅の搗き手と返し手のような掛け合いを、少しぼんやり部外者のように眺めていた桜子は、急に呼ばれてビクッとした。
「ふぁ、ふぁいっ?!」
「おい、一番の当事者。お前がボケっとしててどーする?」
チーがそう言いながら、桜子の左右の頬っぺたをぎゅっと指で挟んだ。
「さーくーらーこー! オメー、わかってんのかあ? アズマも私らも、だーれーのーたーめーに、必死こいてんだー?」
「ひゅいまへん……かんひゃひてまふ……」
涙目の桜子の頬を、安倍川餅のようにひねり回すチーを、サナも東小橋君も止められず、見守るよりない。
黙して見守りつつ、東小橋君はチーの案を頭の中で反芻して、
「なるほど、まず手筈はわかり申した。柴島殿は我らを追う、その柴島殿を都島殿達が追う……桜子殿ッ! 君の意見を聞こうッ!」
そう叫ばれ、桜子は首を振ってチーの指から逃れた。
「チー達は追いながらヤツと闘う……私達は逃げながらヤツと闘う」
「つまり、挟み討ちの形になるな」
「Exactly(そのとおりでございます)」
桜子と東小橋君のボケは、やっぱりチーとサナには伝わらなかった。
それでも作戦は決まった。これで柴島君が追っ掛けて来なかったら、本当はその方がいいんだけど……
三度目の正直、今日は忘れず弁当を食べ切ることができた。四人が教室に戻ると、クラスのみんなが一瞬しんとして、視線が集まる。
(あー……やっぱ、告白のこと、気にされてんだなー)
桜子はそう思ったが、それは半分で、この面子が旧校舎に行くことに、みんなが“別の関心”を持っているとは知らない。
と、“別の関心”を持つこと代表の西中島君が、サナとチーから離れ、席に戻る桜子と東小橋君に近づいた。
「オバセ君、此花さんと付き合ってたんだね」
「む、西の。まあ、実は」
もごもご口ごもる東小橋君に、西中島君はさっと顔を寄せて囁く。
「やっぱり、共に死線を潜り抜けると、惹かれ合うようになるものなのかな?」
「???」
意味のわからない桜子、東小橋君は吹き出すのを何とか堪えた。
「まあ……お傍にいた方が、お守りし易いゆえ」
「そっか。いや、詳しくは訊かないよ」
神妙にそう言った西中島君に、東小橋君は笑いを噛み殺す。
“此花さんは何か強大な力から、学園の平和を守っているらしい”。
それはクラスの一部に流布している都市伝説で、西中島君は信じている筆頭だった。前に東小橋君は、西中島君に“噂の真相”について訊かれ、誤解を解いてあげるどころか面白がって煽った経緯がある。
そのツケが回ってきた……と東小橋君が内心苦笑していると、西中島君はチラッと周囲を見回して、また小声で言った。
「昨日偶然見掛けたんだけど、オバセ君達を、柴島君が尾けていたみたいだよ」
「もしかして、柴島君は“敵”の……」
物問いたげな桜子に焦りつつ、顔には出さず、東小橋君は静かに言った。
「無論、心得てござるよ。だが、安心召されい。柴島殿は悪心があって桜子殿に近づいたに非ず、ただの色恋にござる。のう、桜子殿?」
「え?! ああ、うん、そうだよ」
桜子がわけもわからないまま頷くと、西中島君はホッと安堵の表情で、自分の席に戻っていった。
それを見送りつつ、桜子は東小橋君に肩を押しつけて、
(ちょっと……説明してくれる、アズマ君?)
(だが断る)
身をかわしながら東小橋君は、あまり調子に乗ってテキトーなこと言うもんじゃねえなとか、今日はネタが偏ってるなあとか、いろいろ反省した。




