61.裏表のあるラバーズ
翌日、桜子が教室に入ると、東小橋君、サナとチー、それに柴島君も既に登校していた。学校だから当然だけど、いきなり役者が揃ってしまう。
東小橋君と目が合う。お互いちょっと赤くなる。教室を横切る桜子は、突き刺さる三つばかりの視線を痛いほど感じている。
「お、おはよー、アズマく……ヒロ君」
「おはようでござ……“ヒロ君”?!」
なるべく自然に振る舞おうとした東小橋君に、桜子“思い付きの不意打ち”が襲い掛かった。
(ま……まあ、“付き合っているフリ”ならば、下の名前呼びは自然か……)
しかし東小橋君、三次元の女子に下の名前で呼ばれるのは初めての経験だ。
できればそーゆーの、前もって打ち合わせて欲しいでござる。
机にカバンを置いた桜子に、東小橋君は小声で囁いた。
「桜子殿。本当に拙者などと付き合ってるってコトで、いいのでござるか?」
「う、うん。ゴメンね、アズマ君を変なことに巻き込んじゃって」
桜子が周りから見えない位置で手を合わせると、
「まあ、拙者は狂言であっても、女子と付き合えるなら大勝利にござるが……さりとてフリと申しても、どうすれば良いのやら?」
リアルの恋愛経験皆無の東小橋君は気弱く笑う。
「ま、まあ、柴島君から見てそれらしく見えればいいと思うんだけど」
そう言って、桜子はおずおずと軽く両手を広げた。
「とりあえず、ハグ……?」
「ぶふぉっ!」
恋愛シミュレーションは極めているものの、生身の女の子には触れたこともない東小橋君、吹き出して真っ赤になった。
「そ、それは願ってもござらんが、柴島殿が諦める前に職員室に呼ばれてしまおうよ。取り返しがつき申さぬ」
「だっ、だよね……!」
東小橋君の狼狽っぷりに、桜子も慌てた。
「さ、差し当たっては、仲良げに話でもしていればよいのでござらぬか?」
「そ、そうだね。何話そう?!」
いきなり話すと言っても、女子と男子、リア充とオタク、美女と野獣。なかなか共通の話題は……
「ヒロ君、一番好きなスタンドは?」
「極悪中隊」
あった。桜子の唐突な振りに、東小橋君が見事に即答した。
「シブイねぇ……まったく、おたくシブイぜ」
「桜子殿は?」
「あたしはACT2。あれ、使ってみたい。カワイイし」
二人とも、同じ漫画が好きなことを思い出したのだ。
「ヒロ君が自分のスタンドにするとしたら?」
「うーん……逆に桜子殿、拙者には何がいいと思うでござるか?」
「ハーヴェスト|(収穫)?」
「見た目でござろう? 何気にヒドうござるな」
普通に盛り上がって、声を上げて笑う桜子を、自分の席から眺めるサナが、
「おー、結構それっぽくやってるみてーだな」
傍に立っているチーに向かって言う。
「あれなら、バカオタカップルで何とかなるんじゃん?」
「あー、そだね」
チーはアズマ君の肩をぱしぱし叩いている桜子、教室の前の方からその様子を睨むようにしている柴島君を、交互に見ながら、気のなさそうに答えた。
サナは、険のある声音のチーの顔を窺って、
「チー……何かちょっと機嫌悪い?」
「別にー」
そっと訊いてみたが、返事は素っ気ない。
「フラレた奴がシツコイせいで、メンド臭えなーって思ってるだけ」
そうは言うが、チーの態度はどこか刺々しいと、サナは首を傾げた。
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と、その柴島君が動いた。サナの耳に、チーの舌打ちが届く。
「アイツ、またみんなの前で……」
二人は顔を見合わせ、サナがガタッと席を立つ。
柴島君はつかつかと、漫画話で楽しそうな二人に近づくと、
「東小橋」
会話に割って入った。教室中の注目が、東小橋君と柴島君に集まる。朝から妙に此花さんと親しげに話している東小橋君、そこへカットインした柴島君。どうにも修羅場の予感だ。
柴島君はサッカー部の、絵に描いたような陽キャ。対する東小橋君は、一休噺の屏風に描かれた虎の絵が現実に抜け出てきたような、陰キャ筆頭。
誰が見ても、力関係は歴然としている。
しかし柴島君を見上げる東小橋君の目元は、天下人・太閤秀吉に対峙した前田慶次朗の如く、いかにも涼やかであった。
「何でござろう?」
古来より、陽キャが光であれば、陰キャは影。光が差せば、影は薄れて消えるもの。だが、それが影でなく闇だとすればどうだろう?
ゲーテ曰く、「光が強ければ、影もまた濃い」――……
ゾーマ曰く、「光ある限り闇もまた、ある」――……
これ、下手すると柴島と東小橋が対消滅するんじゃないか……?
濃さで言えば漆黒の陰キャである東小橋君に、柴島君は険しい視線をぶつける。そして、その口から飛び出した、信じられない言葉。
「お前、本当に此花さんと付き合ってるのか?」
これにはクラス中がざわついた。柴島君が陽キャなら、此花さんはこの教室では天照大神階級の憧れの的。それが、あの闇の化身と? まさか?
東小橋君は、クラスの動揺、柴島君の剣呑、そして桜子の困惑を見回した。そして机に手をついて立ち上がる。そうすると、東小橋君の身長は柴島君を上回る。まあ、横幅も。東小橋君は、クラスでもかなり大柄な方なのだ。
「柴島殿……人前で女子に恥ずかしい思いをさせてはいかぬな」
男気を見せた東小橋君だが、その表情、立ち姿がいっぱいいっぱいであるのは、真横の桜子、近づくサナとチーにもよくわかった。
桜子は咄嗟に、アズマ君を助けること以外考えられず、その腕にぎゅっと抱きついた。
「そうだよ! 言ったじゃん、あたし、ヒロ君と付き合ってるって!」
此花さんの核爆弾発言に、クラスがまたどよめいた。
助けに入ろうとしていたサナは、足がもつれて転びそうになる。
(あのバカ、また盛大に自爆しやがって)
口走ったものの真っ赤になって目を回している桜子に、サナは心中、物も言えないくらい呆れた。急ぐふうもなくついてくるチーは、無表情でその心中は窺えない。
クラスメートの心中は驚愕で停止しているし、柴島君の心中は悔しさで占められていることだろう。
そして東小橋君の心中と言えば、
(お……おぱーい……!)
♪やーわらか戦車の心はひとつ……桜子にしがみつかれた左肘に全ての意識が集中するのは無理からぬことであった。
ともあれ、桜子のスタンド能力は“時間停止”であったようだ。そして時は動き出す……と、柴島君は桜子に詰め寄った。
「て言うか、そんなオタクのどこがいいワケ?」
この物言いに桜子はムカッとする。遼太郎がオタクであるがゆえに、桜子はオタクに肯定的、色眼鏡がない。
「は? オタクの何がいけないの? ヒロ君は優しいし、頼りになるし」
「それに、あたしは忍者が好きなの!」
(此花さんのポイントそこ?!)
クラスメートは桜子の発言にまた驚き、何人かの男子はこの日から、小学生の頃以来に八代目火影を目指すべく修行を始めた。
真剣なのかふざけてるのかわからない桜子に、柴島君がまた口を開く前に、
「そりゃアズマの方がマシだろー。フラレたのにしつけえ奴よりは」
肉食系小動物の言葉の牙が喉笛に食らいついた。
「……都島は関係ないだろ」
「関係あるよ、親友が困ってんだからさ」
柴島君が睨むのを、チーが負けずに睨み返す。
桜子と東小橋君を蚊帳の外に、険悪な空気のチーと柴島君に、サナも間に入りそこねてオロオロしている。
そこへ、救いの手を差し伸べるように予鈴がなった。
それでも二人は、チャイムが鳴っている間いっぱい無言で睨み合っていたが、
「……チッ」
「……フン」
柴島君は舌打ちして背を向け、チーは鼻を鳴らした。一触即発の緊張が破れ、教室はホッとした空気が漂う。桜子も胸を撫で下ろしながら、
「ありがと、チー」
そう声を掛けたが、振り返ったチーの目は険しかった。
「桜子、考えなしもいい加減にしなよ」
「あ……ご、ごめん……」
いつにない本気トーンに桜子は身がすくんだが、チーはそれ以上何も言わずに席に戻って行った。サナは桜子とチーの間で視線を振り子にしていたが、声に出さずに、「バカ」と口を動かし、チーの後を追った。
いつもはゆるーいおふざけキャラで、ムードメーカーのチーを怒らせてしまって、桜子はかなり落ち込んだ。東小橋君はそんな桜子に、
「そう気になさるな。平野殿は桜子殿を心配しているのでござる」
「ヒロ君……そうだね、ありがとう」
その気遣いに、桜子は微かに微笑みながら、思う。
自分は何の因果か、実のお兄ちゃんの遼太郎を好きになってしまった。
けど、もしそうじゃなかったとして……アズマ君は話してて面白いし、見た目だってちょっと太めだけど、本人が自虐するほど悪くもないと思う。何より、今も大きな背中で柴島君から庇ってくれたように、本当に優しい。もし、あたしがりょーにぃのことを好きになっていなかったら……
(まるっきり、ナシってわけでも……)
なくはない、ような気もする。間違いなく、柴島君よりはいい。けど……桜子は、東小橋君は自分のことを“そういう意味で好きではない”、それもわかっている。
(ちぇっ、どーせあたしは、いつだって片思いですよーだ)
東小橋君の視線の先を追いながら、桜子は自分の身勝手な女心に小さく舌を出した。




