60.遼太郎の恋愛ロジック
「好きじゃない人からさー、告白されたらどうする?」
ラグにぺたっと尻を下ろして、テーブルに顎を乗せた桜子が、デスクチェアの遼太郎にそう問い掛けた。
今日も今日とて、風呂上がりのひと時に遼太郎の部屋に転がり込んだ桜子だ。桜子が兄の部屋に入り浸っているかと言えば、遼太郎が妹の部屋をノックすることもあり、兄妹で小一時間ばかりだべるのは、このところに日課になりつつある。
遼太郎はコーヒーのカップを手に、椅子から前屈みになって、
「何、告られたの?」
「うん……」
浮かぬ顔の桜子にニヤニヤと笑い掛けた。
「おー、そりゃお赤飯だな」
桜子はジトっと遼太郎を見返す。
「何だよ、妬かねーのかよ、りょーにぃ、可愛い妹が取られてもいいん?」
「キモいだろ、そんなシスコンお兄ちゃん」
苦笑する遼太郎に、桜子はムスッとした顔をしている。
恋愛における切ないシチュエーションに、好きな人に別の恋を応援される、というのがある。想い人に仲立ちされたり、他人からのラブレターを渡されたり。つまり、“決定的に脈ナシ”事例。ことによると、
「バカ……あたしが好きなのは……!」
「え……!」
なんて展開が期待できなくもないが、桜子の場合相手は実の兄。常識で考えて、自分だけは桜子の恋愛対象外というポジションの人だ。
(はあ……所詮は”アイツは妹的なもんだから“ってやつか)
“的”も何も、そのものだという話だが。
桜子のため息の理由を知らず、遼太郎は鼻の下を擦った。
「で、それが好きじゃない奴からだったってわけか」
「うん。りょーにぃだったら、どうする?」
そう問われて、遼太郎は首を傾げて少し考えた。
「んー……そん時誰とも付き合ってなくて、相手がキライじゃなければ、とりあえずは付き合うかなあ?」
「マジか?」
遼太郎の答えは意外で、少なからず桜子を驚かせた。
「好きでもないのに?」
「嫌いじゃないんなら、だけど」
遼太郎はぎしっと椅子に背中を預けた。
「『好きです』『はい』ってったとこで、わかんないもん、実際付き合ってみなけりゃ相性とか。ダメなら別れりゃいいんだし」
「い、意外と軽い……」
オタクのクセに、と桜子は憤慨した。りょーにぃなんて、一度カノジョができたらそのまま添い遂げそうな感じかと思ったのに。
「軽くはねーだろ」と遼太郎。「結婚するわけじゃないんだし。むしろ付き合ってからでしょ、お互いのことがわかってくるのは」
「昔から言うだろ、”馬には乗ってみよ、人には添うてみよ“って」
「うわ、途端に爺むせえ。それでこそりょーにぃ」
ここで故事成語かーい、と何だかホッとして、それから桜子はすぐに悪戯っぽい笑みを遼太郎に向けた。
「じゃあさ、ずーっと一緒に暮らしてて、お互いのこと知り尽くしている桜子ちゃんなんか、りょーにぃのカノジョにピッタリなんじゃあない?」
そう仕掛けてやると、遼太郎は真面目な顔で、
「だから、お前がメシ作ってくれた時、プロポーズしたろ?」
「うあっ///」
カウンターを食らって、赤くなったのは桜子の方だった。
(な……何か、あたしの記憶が戻ってから、力関係完全に逆転してない……?)
遼太郎が強くなったのか、それとも桜子が弱体化されたのか……
ちょっとマヌケな気分で、桜子は今日の出来事を遼太郎に話した。
**********
桜子が話し終えると、遼太郎は口元を手で押さえて肩を震わせていた。
「もー、笑い事じゃないんだよー!」
桜子がプンスカすると、遼太郎は顔を取り繕って、
「悪い悪い。で、そのアズ……アズールレン君は、どんな奴なの?」
「東小橋君。あのね、すごく優しくて、いい人で、忍者」
「待って、最後の」
桜子が為人を説明すると、遼太郎の笑みが広がった。
「そりゃあ、なかなかいいキャラしてるなあ」
「うん、でも、面白くて、すごく優しいの」
桜子がその点を強調すると、
「桜子は、その忍者君が、多少なりとも好きなの?」
遼太郎に問われて、桜子は「うーん」と首をひねった。
「好きだけど、“そういう好き”ではないかなあ……」
「あー、“いい人止まり”ってやつね」
他人事じゃねえな、と遼太郎は同情した。
話に聞いたアズマ君とやらには、オタクとして親近感が涌く。記憶のない桜子に親身になってくれたことは、兄として嬉しい。ただ同じモテない男としては気の毒な。いまだ自己肯定感のイマイチ低い遼太郎はそう思った。
(お互い、いつか“いい人”超えてこうな、あずまんが君……)
気を取り直して、遼太郎は桜子の相談に話を戻した。
「忍者君は置いとくとして、その闇雲クニジマくん」
「人のクラスメート、非合法な金融業者みたいに言わないで」
顔をしかめる桜子に、遼太郎は椅子の上から身を乗り出した。
「告白の台詞で、俺がダメだと思ってるのがあるんだけど、何だと思う?」
「え? そうだなあ……」
自分だったら、あんまり言われたくないのは……
「ヤラせろ?」
「うん、それは告白ではないな」
ある意味、どストレートな求愛であるが。
遼太郎が、くいっと眼鏡を右中指で上げて、膝で指を組んだ。
「これは俺の持論だが」
眼鏡のレンズが白く光れば、それは遼太郎が一家言を披露する合図だ。
「『好きです、付き合ってください』、俺に言わせりゃこれは悪手だな」
桜子が意外そうな顔になる。それ、ずばり今日言われたやつだ。
「でも定番中の定番じゃない?」
「だな。けど、俺なら言わない」
桜子から期待通りの反応を引き出し、遼太郎はニヤリとする。
「思うに人間、元からキライな相手は別として、自分のことを好きだって人には好意持つもんじゃない? 恋愛に限った話じゃなく」
「うーん……それはそうかもだけど、恋愛は違うくない? やっぱり、自分が好きになった人が、好きな人だと思うけど」
桜子の反論に、遼太郎は反証を被せた。
「じゃあ、少女漫画でこういうのない?」
胸の前で指を組む桜子のポーズを真似て、ご丁寧に妙な裏声を出す。
「〇〇君のこと好きなアタシに、何かっていうとちょっかいを掛けるアイツ。強引で、俺様で、大ッキライだったのはずに、なぜかだんだん気になって……」
「王道! それ、100パー”アイツ“とくっつくやつだよ!」
最初に好きだったのは理想の王子様、後から出てくるのはちょっと意地悪俺様系。でも強引なアプローチと、ふと垣間見せる本気さに心が揺れた頃、王子様もヒロインのことが好きだと告白してきて……
「だいずぎぃ! あたし、それで白ごはん三杯は食べられるよ!」
「何か漫画サイトの横長バナーみたいになっちゃったけど……な? 好きだと言われれば、誰だって相手を意識する。“気になる”ってのは、桜子さん、恋愛のスタート地点なワケですよ」
「女は知らないけど、男は女子から好きって言われたら、だいたいその子のことちょっと好きになるからな」
「まあ、女だけど、わからなくはない」
「だから、『好きです』まではいいんだよ」
と、ここで遼太郎は、いかにも遼太郎らしく論調を変えた。
「例えばさ、新発売のお菓子、CMとかで知って、コンビニとかで見掛けたら、買ったりするだろ?」
「まあ、するね」
「じゃあ、これが新製品のお菓子です、買うか買わないか、今すぐ決めろって言われたら買う?」
桜子は首を傾げる。
「それは一旦スルーかなあ」
遼太郎は、我が意を得たりと頷いた。
「だろ? 深夜の通販でも、試験終了タイム直前まで問題を解いている受験生のような必死こいた気分で、商品の魅力を伝えようとする。商品を知って、興味を持って、それからなんだよ、買おうかどうか検討するのは」
「恋愛に置き換えるとさ、まだ自分のこと好きじゃない相手に、さあ付き合ってくれって迫っても、普通は買ってはもらえないと思わない?」
遼太郎が、再びくいっと眼鏡を押し上げた。
「これが『好きです、付き合ってください』が、告白の台詞として微妙な理由さ。以上証明終わり」
遼太郎の眼鏡が、今夜一番の白い輝きを放った。
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ほう、と感心した様子の桜子に、遼太郎はドヤ顔になった。
「ま、青春っぽいって面では悪くないけど、成功率という点ではいい恋愛の駆け引きではないと思うね」
遼太郎の言葉は、ロジックの遊びという気がしないでもないが、それなりに説得力はあった。桜子は感心しきりで、遼太郎を見上げる。
「りょーにぃはスゴイなあ」
「恋は盲目ってね。そんな容易なことにさえ、気づかないこともあるのさ」
どっかの胡散くさい賢者のようカッコつける遼太郎に、桜子は首を振った。
「ううん、スゴイよ。だって、りょーにぃ、カノジョもいないオタクなのに、それだけ恋愛について語れるんだから」
遼太郎の体が、椅子から滑り落ちて、ごろりと桜子に背を向けて床に転がった。
「桜子が、お兄ちゃんを死に追いやろうとしている……」
後ろ向きの遼太郎の声が、ちょっと震えていて、桜子は慌てた。
「ち、違うよ! 褒めたんだよ、お兄ちゃん!」
「偉そうに語る前に、自分がカノジョ作れって話だよなー……」
遼太郎はすっかり拗ね坊になってしまっている。
これで奮起して、遼太郎ロジックを実践されると、本当に女の子の一人二人オトして来そうで、桜子としては困るのだけれど。
遼太郎は少し首を振り返らせ、桜子に言った。
「……で、明日からどーすんの?」
桜子は二重に困って、頬を掻く。
「うん……アズマ君も、サナとチーも協力してくれるって、とりあえず明日から付き合ってるフリをすることになったんだけど」
それで柴島君が諦めてくれるんだろうか。付き合ってるフリっつたって、どうすればいいのか。そもそも、いつまでやってりゃいいんだ?
「大変だな、忍者君も」
まだ床に転がったまま、遼太郎がそう呟いた。桜子も同感だ。
本当に、明日からどうしよう……?




