59.ゴメンで済んだら忍者はいらない
「此花さん……好きです、付き合ってください!」
「え……っと、その、気持ちは嬉しいんだけど……」
「ご……ゴメンなさい……」
放課後の教室、フラフラと戻ってきた桜子を、サナとチー、それとチーに命じられて居残らされていた東小橋君が待っていた。
「どーだった?」
「そ、それが……」
サナに問われ、桜子が微妙な表情をする。チーがハアとため息をついた。
クラスメートの男子に呼び出された桜子を、待っていた三人だ(内一名強制)。相手の用件が“告白”だろうことは予想できたし、少なくともサナとチーは、桜子が応じることはないと知っている。
なのでサナの「どーだった?」は「ちゃんとゴメンナサイできたか?」と訊いている。しかし桜子は……
「ごめん……アズマ君に迷惑掛けることになっちゃった……」
「へ? 拙者?」
付き合わされた第三者、人のいいオタ系少年の東小橋君は、思い掛けない巻き込み事故の気配に、きょろきょろと女子三人の顔を見比べた。
……――ことは、今日の昼休みに端を発した。
**********
いつもと同じく桜子の席を中心にお昼にする三人組、隣の席では東小橋君が一緒なのか孤独のグルメなのか、微妙な距離感で弁当を使っている。
そこへ日常の破壊をもたらしたのが、クラスメートの柴島君だ。
「此花さん……ちょっと話があるんだけど、いい?」
「うん……?」
きょとんとした桜子に、柴島君はサナとチーの視線を無視して、
「放課後、下駄箱のとこに来て。じゃあ……!」
用意した台詞を押しつけるようにして、真っ赤な耳で、逃げるように離れて行く。
桜子はその後ろ姿を目で追いつつ、ハンバーグを口に運んだ。
(今頃、りょーにぃもあたしの手作りハンバーグ食べてるかなあ)
じゃあもしかして今、あたしとりょーにぃのお口の中、お・ん・な・じ・味? いやあん、何かちょっとエッチい……
それを言えば、同じハンバーグの入ったお弁当のおとーさんとも同じ味の可能性がある。それはちょっとイヤだ。更に言えば、お兄ちゃんとおとーさんの口が同じ味……それは何かもっとイヤだった。
と、現実逃避をする桜子に、サナ―がずいっと額を寄せた。
「な、なあ、桜子? 今のは、フツウに考えて告られんじゃねぇ?」
「うえ?! や……やっぱ、そう思う……?」
サナに指摘され、桜子は仕方なくうろたえることにした。
グループの輪に戻り、「うえーい」な感じで冷やかされている柴島君を、チーは頬杖を突いて見つめている。
「柴島かあ……」
柴島吉紀、サッカー部。ルックスもスクールカーストも上位の方、クラス女子の評価もまあまあ高い。
「なあ、アズマー」
傍らで弁当を食べ終えた東小橋君に、いきなり振る。
「アズマは、柴島どー思う?」
「柴島殿にござるか?」
アズマ君は弁当箱に蓋をしながら、少し考えた。
「そうでござるな……まあ、リア充であられるな」
お互い陰と陽の代表格のようなもので、特に対属性で反発してはいないが、あんまり絡んだこともない。あるのは“リア充”とか“陽キャ”という薄めな印象だけだ。
「女子にはモテる方であろうし、実際、自信もおありと見える」
非モテの代表のクセして、東小橋君は泰然と笑っている。
「何しろ、みなの見守る前で“この桜子殿”に宣戦布告したのだから、なかなか怖いもの知らずにござるよ」
こう言われ、桜子は目をぱちくりした。
そうなのだ。
黙ってさえいれば、内面を描写しなければ、桜子はフツウにまあまあの美少女で通用する。
男子の人気は密かに高いが、攻略難易度も高そうだと、本人の知らないところで男どもが敬遠と牽制をしているのが“此花さん”のクラスでの位置づけなのだ。
チーがフンと鼻を鳴らした。
「あーゆー自信ある系を彼氏にすると、メンド臭そう」
桜子は慌てて両手をブンブンと振って、
「や、まだ告白されると決まったわけでは……」
「されたとして、如何されるおつもりで?」」
東小橋君がさらっとツッコんで、桜子は曖昧な笑みを返した。
「ええと、あたしは、“好きな人”がいるから……」
サナとチーが、視線を交わす。二人は桜子の“好きな人”が、実の兄、遼太郎だということは百も承知だ。まさかそんなこととは思わぬ東小橋君はニヤリ、
「では、お断りになられるか……フヒヒ」
「嬉しそーだな、アズマー」
チーがジロっと見ると、アズマ君は涼しい顔で返す。
「“リア充爆発しろ”は、すべからく全オタの願い故に」
そうは言うものの、正直なところ、東小橋君には柴島君に「ざまぁ」的な気持ちは別にない。ただ自分のキャラ設定に忠実なだけだ。
お三方のお傍に侍るは至上の悦びながら、謂わば花鳥風月を愛でるが如きもの。いずれかに懸想をするなぞ、滅相もない。
(忍にとって“恋”は眺むもの、手折るものに非ず……所詮拙者は忍、否、むしろオタ……人間様に恋するなど烏滸がましくて、激おこぷんぷん丸でござるよ……ブヒヒ)
平たく言えば、恋愛感情は抜きでも女子と話せて楽しい、で済む話なのだが、東小橋君はある意味ストイックなまでに自己評価が低かった。
三人の視線が桜子に戻る。桜子はちょっと赤くなって、首をすくめる。
「じゃあ、放課後はとりあえずゴメンナサイしに行くのか」
「うん……まあ、申し訳ないけれど」
桜子的には、フラレるのもヤだけど、断るのもそれはそれで気が重い。
サナは、誰かと付き合う方が本当は桜子にとっていいんじゃないか……
(実のお兄ちゃん、好きでいるよりはなあ……)
そんな思いがないでもないが、桜子の真剣な思いを知っているだけに、口にはできない。
チーは椅子の足を浮かせて、後ろに漕ぎながら、
「ついてきはしないけど、教室で待ってるよ。サナはー?」
「アタシも気になるしなあ。部活、遅れてこうかな」
サナがそう言うと、チーは東小橋君を振り返った。
「アズマー、お前も残れ」
「御意」
当然のように命令するチー、即答する東小橋君。桜子とサナが顔を見合わせた。
**********
さて、こうした経緯で桜子待ちをしていた三人、戻って来た桜子を見るなり、
(あ、事故ったな)
とひと目で察した。明らかに困り顔の桜子を、座ったままサナが見上げる。
「振ったんじゃねぇのか?」
「うーん……そーなんだけど……」
「振り落とせなかったと言うか……」
告白されて、ゴメンナサイした。桜子としては、ここで終わって欲しかったのだが、柴島君はすぐには引き下がらなかった。
「あ……うん、そうか……えっと、理由訊いてもいい?」
引っ張ったところでどうしようもないが、諦めのつかない気持ちもわからないではない。これもいきもののサガか……
「その……あたし、好きな人がいるから」
桜子の答えはこういう場合の常套句だが、紛うことない真実。だが……
「……誰?」
「それは……柴島君の知らない人」
「違うクラスの奴? 一応教えてよ。そうすれば納得できるから」
「だあー! しつけえなあ!」
そう叫んだのは、その場の桜子ではなく、話を聞いていたチーだ。
「何かわかるわ、あいつ、そーゆー感じだわ」
チーは吐き捨てるように言った。
「半端にモテる奴あ、フラレ下手でいけねー」
「ボロカスだな」
サナが苦笑する。本人も言った通り、チーは柴島君のこと、あまり好きなタイプではないようだ。
そこで東小橋君がやれやれと頭を振る。
「常勝の兵、時に引き際を誤り、大敗を喫すものでござるな」
これを聞いたチーはニヤッと笑って、
「お、武士っぽい言うじゃん。アズマ、フラレ上手そうだもんな」
無礼にも程がある言い草に、東小橋君はスッと眼鏡を押し上げる。
「お言葉にござるが、平野殿。こう見えて拙者、負けを知らぬ男でござるよ?」
「何しろ、戦ったことがござらぬからな。不戦、これ不敗の極意……」
「腐敗してんじゃねーか、この初恋ゾンビ」
「これは異なことを。拙者、オタにあれど腐った趣味はござらぬよ」
“男の娘”であれば、アウトコースぎりッぎり打てなくもあり申さぬが。
果てしなく脱線していく二人に呆れ、サナが桜子に先を促す、
「で、どーしたんだ?」
「うん、それでね……」
桜子も、今となってはチーに同意見であったが、その時は何とかお断りして逃げることで頭がいっぱいだった。何しろ、桜子の本当に“好きな人”の名前は、口が裂けても言えない。さりとて、テキトーな相手も思いつかない。
柴島君は押しが強く、しかもなまじ多少の自信があっただけに、納得させないと逃がしてはくれそうになかった。これがチーなら、
「うっせえわ、バーカ!」
で一刀両断しそうだが、“自爆型兵器”の桜子は、己が傷つかず人を斬る刃は装備していない。思い余って口走った台詞が……
「あ、あたし、付き合っている人いるからっ!」
「え、誰?」
そう問い返したのは、その場の柴島君ではなく、話を聞いていたサナだ。
「お前、もしかして、また思いっきり事故って来てない?」
サナにじっと見られ、桜子はビクッとしてうつむいた。そして、顔を上げないまま、そろそろと人差し指を突き出した手を上げる。その先には……
「へ……拙者?」
ポカンとした東小橋君の顔を見れず、桜子は耳を赤くし、コクコクと頷いた。
東小橋君、予想外過ぎて、逆に驚けない。呆気に取られた顔をサナに、チーに向けて、再び桜子を見る。
「何故に、拙者?」
桜子はまだ顔を上げられず、失礼にも東小橋君に指を突きつけ続けている。
「その……あたし、アズマ君以外にクラスで仲のいい男子いないし、記憶ない時も助けてもらったし、優しいし……何て言うか、つい……」
「さ、左様でござるか」
確かに、記憶を失くした桜子の登校初日、親友のサナとチーより先に言葉を交わしたのが東小橋君だ。頼りにされたのだと思えば、悪い気はしないが……
平野殿は呆れ果てているし、都島殿に至っては何だかちょっと目が怖い。
まあ、桜子殿の助けになるとあらば、影武者でも生贄でも、一向構わぬが……しかし自分が桜子殿の恋人役というのは……
「ちと、無理があるのではござらぬか?」
自分で言うのも悲しいが、それで柴島殿が納得するとは思えぬ。忍者の末裔は途方に暮れて、大きな体を縮こめた。




