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53.この世界で一番幸せな場所

挿絵(By みてみん)

【二人ぼっちのお留守番(9/14)】

 ソロライブinトイレ前を終え、二人は桜子の部屋に戻る。布団を運ぶと言ってもマットレスなので、夜中のちょっとしたひと仕事だ。

「結構大事(おおごと)になってきたぞ、これ」

「ゴメンね、とは言わないからね」

マットを持ち上げる兄に、今夜は散々苛められた桜子が冷たい。


「足元、何もない?」

「画鋲撒いとこうか?」

「俺の部屋に先行って、テーブル端に寄せといて」

「わかった」


 こうしてやっと桜子の寝る場所が整った。何だか遠回りをした気がする。ひと騒ぎやって、そもそもの怖さもちょっと薄れつつある気もする。

(まあ、折角だしここで寝るけど)



 遼太郎は、桜子がデスクに移動させておいた、すっかり冷めたコーヒーをひと息に飲んでしまうと、

「……俺ももう寝よう」

「もうちょっと起きてるんじゃなかったの?」

抽斗(ひきだし)からミントタブレットを取り上げ、ケースをカラカラと振った。

「もういいんだ。夜中に力仕事して、お兄ちゃんは疲れたよ、パトラッシュ」

「だったらベッドに入れてくれたら良かったのに」

「そういうワケにもいかないでしょっ……と」


 遼太郎は外した眼鏡をデスクに置き、桜子の座ったマットを大股で越えて、自分のベッドに転がった。

「お兄ちゃん、歯磨いた?」

「もーメンドいから、これで済ます」

遼太郎はそう言って、握っていたミントのドライフレーバーを三粒ばかり口に放り込んだ。

「それは歯を磨いたことにはならないでしょ……」

「いいんだ、息はスッキリするし」

「テキトーだなあ」


 呆れる桜子にかまわず、遼太郎は枕元の照明リモコンを取り上げた。

「もう消していいか?」

「うん……あ、お兄ちゃん」

「ん?」

ごろりと顔を向けた遼太郎に、ほわっと微笑み掛けて、

「メガネ外してもカッコいいね///」

「……そりゃどうも」

遼太郎は真顔で会釈して、仰向けに戻った。桜子もマットに身を横たえ、タオルケットを引っ張り上げて、

「おやすみっ、お兄ちゃん///」

「あー、おやすみ……」


(やっぱり、ちょっとドキドキするなあ……///)



 鼻までケットに潜って、にやけてしまう桜子に気づかず遼太郎が、シーリングを撃ち落すようにリモコンを向ける。部屋の灯りが消えた。




 **********


「待って待って、お兄ちゃん、ちょっと待って」


 すぐ電気が点いて、桜子、遼太郎と身を起こした。

「何だよ? 何か尊いモノを見たツイートか?」

「部屋真っ暗にするの? 豆球は?」

桜子の言うのはナツメ球、シーリングの常夜灯のことだ。

「俺は暗くしないと寝れないんだけど」

「あ、あたしは真っ暗だと寝れないよ!」


「それに全部消すと、お兄ちゃんが見えなくて怖い……」


 そうなのだ、そもそもが怖くて独りで寝れらない、という騒ぎなのだ。

「それとね、できれば寝るとこ変わって欲しいんだけど……」

「……何で?」

桜子はきゅっと身を縮めて、上目使いをする。

「下からだと、お兄ちゃんのこと見えないの」

これは……7割くらいは遼太郎が蒔いた種だが、何という大豊作。マットを運ぶまではまだしも、電気とか寝る場所とか、正直そろそろわずらわしい。



 そこで遼太郎はため息をついて、ベッドで壁側に体をずらし、掛け布団の端をめくった。

「もういいから来い」

「え?」


「面倒だ、一緒に寝ろ」

「うええっ?」



 一緒のベッドは否定的、かと思われた遼太郎からのまさかのお誘いに、

「え、いいの? 何で?」

桜子は嬉しいよりも、ぽかんとする。だが遼太郎は、

「何か、別にどうでもいいような、大した問題ではないような気がしてきた……」


「未だ世界には紛争が絶えず、貧困や差別がなくならないことを考えると、妹と一緒に寝るくらい、取るに足りないことのような気が……」

「そのスケールで?」


 どうやらいろいろなことがあった今日一日、ついに遼太郎の思考と判断力がメルトダウンを始めたようだ。

「何だったの、この30分くらい……?」

「知らん。お兄ちゃん疲れた……オレ、ネル。オマエ、スキニスル」

「考えるの止めないで~!」

「オレ、ニンゲン、クウ……」

「帰って来て~」



 桜子の呼び掛けも空しく、ばたっと仰向けに倒れた遼太郎の目の光が濁り、知性の光が失われていく。

(お兄ちゃん……っ! お兄ちゃんはもう、あたしの声の届かない場所に行ってしまうんだね……!)


(お兄ちゃん、明日になったら、また人間だった頃の優じいお兄ぢゃんに戻っでぐだざい……っ!)


 だから、せめて今夜だけは安らかに――……




 **********


 が、桜子が安らかに眠れるかと言えば、かなり無理そうだった。

「お、お邪魔しまーす……」

「んん……」

緊張しつつベッドの端に腰掛けると、二人分の重みでマットレスが沈み、寝転んでいる遼太郎の体が揺れた。些細なことに、桜子はドキッとする。


 自分の動きが伝わるのが何だか恥ずかしく、桜子がそろそろと横になろうとすると、それを見上げる遼太郎がポツリと、

「こうして見ると、やっぱりデカいよな……」

桜子は反射的に、胸の前で腕を交差した。

「なっ……? ど、どこ見てんのさ?!」

「そこじゃねえよ……」

赤くなった桜子に、ツッコむ遼太郎の声はますます鈍い。

「背だよ、背……つうか全体つうか年齢な。改めて一緒に寝るのはオカシイよなあって……まあ、いいけど……」


「つうか、そこ(・・)は言うほどデカくねーだろ……」

「オイ。お前、今何て言った?」



 ぼんやりはしていても、失言には気づき、遼太郎はごろんと壁際に転がって背を向けた。追及したいものの、桜子はぐっと堪える。

(一緒に寝ていいって、許してくれたんだもんね……)

「ウェルカム!」ではないけれど、「いいぞ」ではあるワケで、嬉しい一方でどこか不安なような気持ちの桜子は、シーツとケットの間に身を滑り込ませる。


(ベッドイン……)


「電気、消すぞ……」

「う、うん。何かちょっとエロいね、その言い方」


 精一杯の軽口の、声が上擦っているのに気づかれただろうか。

(わかってるんだ……)

別に、遼太郎の掛け布団に潜り込まなくても、タオルケットくらい自分の使えばいいってことくらい。わかってないワケないじゃないか。



 再び電気が消えて、遼太郎は気配だけの存在になった。



 自分の輪郭さえわからなくなる闇の中で、大好きな人がすぐそこにいる。二人の輪郭も、曖昧に溶けてしまいそうで。

(いろんなことが、曖昧になって、しまいそう……)

二人が、兄妹であること、とか……

 桜子の中にある、“今の自分”と“以前の自”分、”妹“と”女の子“の感情が、ふわふわふわ……真っ暗なここにあるのは、桜子のキモチと二人の体温だけで。


 ……すごく近くて……

(手を伸ばせば、届く距離にいるのに……)

だけど、あたしとお兄ちゃんの間には、無限の距離があって……


 でも、このタオルケットの中なら許される、かも――……



 そして桜子は、無限の距離を飛び越えて、遼太郎の背中に体を押し付けた。


 間に、自分の手のひらをしっかりと挟んで。遼太郎が身じろぎし、振り返ろうとした気配があったが、何も言わず元の体勢に戻った。

 本当は遼太郎の背中にぎゅっと抱きつきたかったが、言い逃れのできなさを怖れる気持ちが真っ暗闇の中、怖がり(・・・)の桜子を押しとどめた。

(……あ)

その時だった。桜子の胸から、不意にドキドキが消えたのは。


 代わりにやって来たのは、鼻の奥がツンとするような懐かしさだった。

(この感じ、昔のまんまだ……)

思わず、クスッと笑いが漏れた。



 小学生の頃までは、遼太郎とお風呂はもちろん、こうやっていつも一緒に寝ていたのだ。大好きなお兄ちゃんにひっついて、布団の中でいつまでもおしゃべりしていて、様子を見に来たおかーさんやおとーさんに、

「いい加減に寝なさい」

と叱られて、二人で抱き合って慌てて目をつむるのがいつもだった。


 そんなことを思い出すと、桜子の中にあった“そーゆードキドキ”は、温かな思い出へと溶けて消えていく。

(あたしの中で、お兄ちゃんと一緒に寝たいのは)

恋する“女の子”のキモチじゃなかった。お兄ちゃんが大好きで、昔みたいに仲良しでいたい、“妹”の方のキモチなんだ。

(なあんだ……あたし、バカみたいじゃん///)

きっと、お風呂だって同じなんだろう。



 あたし、エッチくなかった。



 まあ……完全にゼロではないとも思うけど。お兄ちゃんだって、あたし相手でも“そうなる”かもって言ってたし……

(……って、ヤメよう)

今夜は邪念は捨てて、この純粋な気持ちとタオルケットに包まれて寝よう。


 桜子は遼太郎の背中に額をこつんと当てた。

(ゴメンね、お兄ちゃん。安眠妨害)

でも、幸せだなあ。もうお化けなんか、ちっとも怖くないよ。こんなに安心できる場所、世界中探してもどこにもないよ。


 なぜならここは、本来思い出の中にしかない特別な場所なんだから。



 お兄ちゃんへの恋愛感情は、やっぱりあると思う。


 けれどそれは、実の兄を会ったことのない人だと“勘違い”して始まった。傍にいてドキドキするキモチもまた、何かの“勘違い”でもおかしくない。桜子の心の8割は、バグとエラーからできている。だけど案外恋なんて……


 誰だってそう、みんなだってそうなのかも。



 桜子は微笑んで、眠りに落ちていく。自分の“本当の気持ち”の在り処と形が、ほんの少しわかったように思えた。


(お兄ちゃん。お休みなさい。大好き――……




挿絵(By みてみん)

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