51.恐怖の夜の訪れ
ゾンビが襲ってくる度、肩と肩のぴったりくっついた桜子から、ビクッビクッといい反応が伝わってくる。桜子は既に三回ほど心停止しかけていたが、
(ゲームと桜子は面白いけど、そこまで怖くねーな、これ……)
コントローラーを握る遼太郎は平静だった。
ゲーマー歴も長いと、画面の敵はゾンビもモンスターもある意味“標的”、下手すると“素材”でしかなくなってくる。ホラーゲームやってもイマイチ恐怖を感じられない。倒せる相手は怖くないのだ。
(お、そうだ)
そこで遼太郎はふと思いつき……
隣で恐怖を真っ当に楽しんでいる桜子に、コントローラーが差し出された。
「なあ、ちょっとやってみない?」
「あ、あたし?」
桜子はそれがまるで実弾の入った銃であるかのように、触らないようホールド・アップのポーズになった。
「でもあたし、見てるばっかでゲームしたことないし、すぐ死んじゃうよ」
「セーブ取ってあるし、死んでも大丈夫だから。武器も一番強いのにして、桜子も一回くらいやってみろよ」
そう言いつつ遼太郎はこっそりほくそ笑む。横で見ているだけであれだけビビリまくりの桜子、さぞ面白いことになるに違いない。
一方「お兄ちゃん優しい」と受け取った桜子は、意を決し、真剣な表情で遼太郎からコントローラーを受け取ると、テレビ画面を睨みつけた。
しかし悲しいかな、桜子はゲーム初心者も初心者。ゾンビを撃つ以前にまず移動からがままならない。壁に額を擦りつけている操作キャラの背後から、ゾンビが迫る。
「ああっ、ああっ、来てる来てるっ! ゾンビゾンビゾンビっ!」
「Rボタン! それで敵に照準が合うから!」
「R、どれっ?! どのボタンっ?! ああっ、来てるう!」
「右っ! お箸持つ方の、人差し指で押すやつ! 早く!」
「二つあるー!」
「上の方―!」
桜子のポンコツプレイだと、ゆっくり向かってくるだけの最弱ゾンビにもいいように噛まれるが、コントローラーから手を離した遼太郎になすすべはない。そのもどかしさは、新鮮に怖い。
「あーっ! 噛まれひゃあああん?! コントローラーぶるぶるするっ!」
「Rボタン! そんで□で撃つ!」
「止めて止めて! このぶるぶる怖い!」
「後で設定してやるから、とりあえずソイツ倒せって」
「ぎゃー、噛まれてる! 死んじゃう!」
「ふええ……イヤだって言ってるのにお兄ちゃんがバイブ止めてくれないから、桜子もう死んじゃうよお……」
「いや、語弊」
一度攻撃されると、連動して振動するコントローラーに意識を全部持っていかれて、そのままゾンビの群れに呑み込まれて……
『Sakurako is dead――……』
桜子はぶるぶるを握りしめたまま、ゲームオーバーになる。コントローラーを膝に投げ出し、桜子はぐったり遼太郎の肩にもたれ掛かった。
「やっぱりすぐ死んだあ……」
「一発すら撃てなかったな」
「あたしがやると、一般市民以下だよ。自分からゾンビに向かっていく分、むしろケータリングサービスだよ。やっぱりあたし、自分でするより見てる方がいいなあ。何もできずにやられるの、すごく焦るし怖いし」
「横で見てるのも焦って怖いぞ、手出しできないし。続けようぜ、これ下手すりゃ自分でやるより面白い。悲惨で」
遼太郎の言葉に、桜子はムッとして、
「実妹をバイブでイジメた上に、今度は恥ずかしいプレイを強要とは、りょーにぃはとんだゲームの達人だな」
「うん、口を慎もう」
「何かあたし、ずっと怖がりっぱなしで、ちょっとくたびれちゃったよ」
桜子は「んっ」と背伸びして、テーブルのスマホに目を落とす。
気がつけば時刻はもうすぐ真夜中になろうとしていた。
てことは、もう映画1本分くらいゲームをしている計算になる。その間ずっと神経を磨り減らされ続けたからか、桜子は何だかちょっと眠たくなってきた。
「あんまりお菓子も食べなかったね」
人間、怖がりながらモノを食べられるもんではない。今夜は楽しかったけど、何だかストイックに過ごす結果になったようだ。
「お兄ちゃん、あたし、そろそろ寝ようかな」
「え、もう? 今日は夜中までダラダラするかと思ってたけど」
「うーん、あたしもそのつもりだったけど、ちょっと疲れたかも」
「今夜は寝かせないぜ、ベイビー?」
遼太郎はキメ顔を作り、桜子の顎をくいっと指で持ち上げたが、
「うふふっ、ダメだよー、遼君。また明日、遊んであげるからねー」
さらっとオトナの対応で逃げられてしまった。む……これじゃまるで、俺の方が子どもみたいだ。
「まだ金曜だしな。残ったお菓子は明日に回せばいいか」
「うん。ゴメンね、お兄ちゃん」
気を取り直そうとした遼太郎の頭は、立ち上がった桜子にぽんぽん撫でられ……
そのまま、フカッ、と抱かれた。
遼太郎の頭を解放すると、
「ふあ~あ。また明日ねー……」
桜子はあくびをしながら背を向けて、洗面所へ。ゲーム疲れのせいで、今のハグは半ば無意識のものだった。
(お兄ちゃんてば、もっとあたしと遊びたかったのかな……?)
ちょっと残念そうな遼太郎が、桜子は嬉しくもあり、カワイイと思う。
そのお兄ちゃんは、“フカッ”、のせいでまだリビングで固まっていた。
「お兄ちゃんはまだ寝ないのー?」
「あー、ちょっとアイテムだけ集めてから……」
「ほどほどにねー」
歯を磨いて、桜子はリビングでまだゲームをしている遼太郎に声を掛ける。
「おやすみ、お兄ちゃん」
「ああ、お休み。それと、ごちそうさまでした」
「?」
桜子はきょとんとしたが、
(ああ、晩ごはんのことか)
そう納得して、ひらっと手を振って階段を上がる。
ううん、晩ごはんのことじゃなかった。
**********
とんとんとん、と二階に上がり、部屋のドアに手を掛けて、ふと、桜子はゲームの“開いちゃいけない扉”を連想して、ヒクッと頬がひきつった。
(いやいや……自分の家で何をビビッてんだ、あたし)
苦笑して、ドアを開く、と――……
部屋の中、窓際で“何か”がぶわっと動いた。
「ひっ……?!」
思わず悲鳴を上げそうになって口を両手でふさぐと、何のことはない、それはレースのカーテンだ。
(そ、そうだ。ちょっと暑いから窓開けてたんだった……)
ドアを開けたから風が抜けて、カーテンがふわっと膨らんだ、それだけのことだ。
(ゾンビのゲームやってたからって、怖がり過ぎよ、桜子ちゃん)
桜子は苦笑して、もう閉めようと窓に近づく。
が、桜子は部屋の真ん中で立ち止まった。
(カーテンの向こうに、何かいたらどうしよう?)
窓を閉めようとした手が、いきなりガッ!とつかまれたら。それとも、網戸に誰かがへばりついてて、顔を突き合せたら……
「う……うええ……?」
もし外の通りに、ゾンビの群れがうようよしていたら……! 次から次に浮かぶイヤな連想に、桜子は立ちすくんだが、窓が開いていて、しかもレースのカーテンしかしてなくて外が薄っすら見えていて、
(それって、外からも中が見えるってことだ……!)
バカね、桜子。ここは二階なんだから、外から覗けるわけがないじゃん。
(だから、覗いてたらヤバいんじゃん!)
自分にツッコみ、ツッコまれ、桜子は慌てて窓に駆け寄って、目をつぶってカーテンを乱暴に引いて、
(誰もいない何もいない誰もいない何もいない……っ!)
脱兎のごとく部屋の真ん中に逃げ戻った。
そこでしばし呆然と、胸の前で指をきゅっと組む“桜子ポーズ”でオロオロと部屋を見回す。いつものあたしの部屋だけど、誰も……何もいないよね……?
(いないよっ!……って叫びながら、クローゼットから出てきたらどうしよう)
たぶんあたし、ご町内の電力が賄えるくらいの悲鳴を上げちゃう……!
桜子はベッドに飛び乗って、壁に背中をぴたりと預け、枕元からヌイグルミのクマさんを取ってぎゅっと抱き締めた。
(えーと、えーと、このクマさんは小さい頃から一緒に寝てるから、お守りのパワーがあって、それからベッドの上は安全地帯だから、大丈夫、安全っ!)
意味不明な設定をこしらえて、ようやく少しだけ落ち着いた。クマさんのウエストは抱き締められ過ぎて、可哀そうなくらいひしゃげてしまっている。
そこで、桜子はふと考えた。
(って、あたしってこんなに怖がりなんだっけ……?)
……――思い出したよ。怖がりなんだ、あたしは。
普段は意識してなくて、そういう状況に直面して初めて、
「あー、自分ってこういうところあるよなー」
と改めて気づくアレコレ。一回記憶を失くしている桜子には、思い出したけど埋もれたままになっている“自分”がまだまだ幾つもあるのだ。
そして今しも、そのひとつが掘り起こされた。
そうだ、自分は小さい時から、ホラー映画やゲームなんてもっての外。アニメのホラーギャグ回でさえ、遼太郎の背中に隠れて目をつむって、見ないようにしていたくらいの怖がりなんだった。
中学生になった今も怖いのがダメなのはそのままで、チーなどは面白がって、ネットで怪談を仕入れては、耳をふさいで逃げる桜子を追い掛け回すのだ。
(……ネット、怪談……)
と、ここで桜子は、自分が一番怖いと思っている怪談を思い出してしまった。
**********
深夜――……テレビを観ていて、放送が終わり、画面が砂嵐になる。それでもそれを眺めていると、不意に、画面が切り替わる。
『NNN臨時放送です』
映っているのはゴミ集積所の静止画で、暗い感じのクラシックが流れ、テロップで二列に箇条書きになった人の氏名と年齢を、延々ナレーターが抑揚なく読み上げる。それが淡々と5分ほど続き、最後にこういうナレーションがあって終わる。
『明日の犠牲者は、以上の方々です。おやすみなさい』
**********
「ひいっ……うああああああ……」
ぞっ、ぞっ、ぞぞぞっ……っと背中を包むような悪寒に襲われた。
(さ……最悪だ……)
思い出してはならないやつを、思い出してしまった。いつもの自分の部屋が、空気が、どこか普通ではなくなった気配を感じる。
そこで桜子は、ふと怖ろしいことに思い至った。
(い……今からあたし、一人で寝ないといけないんだ……!)
はい、無理―。まず電気消せないー。
とりあえず桜子はパジャマのポケットからスマホを出し、底抜けに頭の悪い系のJ-POPを流す。部屋の張り詰めた空気に、僅かにでも明るさを投げ掛ける。
(電気点けっぱ、音楽掛けっぱで寝ようか……けど……)
ベッドに入った途端、急に電気とスマホが消えたらどうしよう……?
「ヤーメーろよお! 怖いこと考えるなよお!」
何だよお! 何であたしん中、“旧桜子”と“幼い妹”と“女の子”の他に、“稲川さん”がいるんだよう?!
「やだなー、怖いなー」
じゃねえんだよお!
(ていうか、“桜子達”みんな呼べないかな? え、どーやんの?)
ぎしっ――……
物音がして、桜子はベッドで飛び上がった。慌ててクマさんをぎゅうっと太ももの間に押しつける。
(あ……っぶねえ……っ!)
辛うじて致命的な生理現象は回避され、桜子の尊厳は守られた。
部屋の外、階段を、ぎし……ぎし……上がって来るのはもちろん遼太郎だ。家には二人しかいないし、お化けなんてないし、寝ぼけた人が見間違えたんだし、だけどちょっと、だけどちょっと……
お兄ちゃんじゃなかったらどうしよう……
「うええええええん……イヤだあ……」
桜子は半泣きになって、ベッドで小さくなって、ゾンビがドアを破って飛び込んで来ると半ば本気で信じた。
が、足音は廊下の奥まで進むことなく、開いたのは隣の部屋のドアだった。
(お、お兄ちゃんだった……)
当たり前だが、桜子は心底安堵し、目から涙が零れたが、力が抜けて下の方から流出するのはギリで止める。
さすがにそこから漏れだす液を、“愛”とは形容できない。
再び此花家はしんと静まり返り、桜子は自らの心の生み出す異様な空気に怯える。ダメだ、これは寝れません。かと言って、ずっと起きていたら朝までに間違いなくあたしの精神は崩壊する。全身の穴という穴から”愛“が漏れる。
こうなっては、選択肢はひとつしか残されていなかった。
桜子は手を伸ばし、枕をクマさんとともに胸に抱き込むと、安全地帯から無防備な足を床に下ろす。幸い、ベッドの下から足首をつかむ手はなかった。
全身を縮こめて部屋を横切り、ありったけの勇気を振り絞ってドアを開けると、桜子は真っ暗な廊下に足を踏み出した。
「うええ……うああ……あえいおうー……」
とりあえず何か声を発していないと、余計なことを考えてしまう。
桜子は崖を跳び越す思いで、自分の部屋から隣のドアへの数歩を走る。二度ノックして、返事も待たずドアを開く。待ってられる状況じゃない。
「お……お兄ちゃん、もう寝る……?」




