50.開けてはいけない禁断の扉
湯船に身を沈めて、
「ふはあ~」
桜子は顔を緩めて吐息をついた。前ほど思い切りは叩かれなかったが、それでもお尻がじんわりとお湯に熱い。
(……フツウ、もうちょっと加減しねーかな)
普段はすっごく優しいのに、時折垣間見せるドSの片鱗。
(あっちがお兄ちゃんの本性だったらどうしよう……)
やっぱりあたしなのかな。お兄ちゃんの、開けてはいけない扉を開いたのは?
まあ、そんなお兄ちゃんもキライじゃないけど。
それでも、お兄ちゃんはいつも桜子のことを考え、いざとなったらしっかり歯止めを掛けてくれる。桜子はお湯の中で反転し、バスタブに両手で寄り掛かる。
(そーだよね、お兄ちゃんだって男の子だし、“そーなる”こともあるよね……)
保健体育の知識はあるし、兄も父もいるのだから、桜子もソレを目にしたことがないワケではない。
しかし、“第二形態”は話には聞くものの、実物はもちろん、ネットの画像や映像でも検索したことはない。唯一見たと言えるとしたら、エッチな漫画でだったが、それも大まかなシルエットが描かれていたくらいなので、
(シャウエッセン……)
粗挽きウインナーまでが現在の桜子の想像力の限界であった。
深く考えずに「一緒にお風呂~」とか言っていたが、もし“そーなられた”らどーしていいかわからないし、どーにかしていいのかもわからない。
(どーにかしたらダメだな。うん、ダメだ)
思い浮かべているのがソーセージなものだから、桜子にはできて、
(熱湯シャワーで湯煎するくらいしか……!)
ダメ、お兄ちゃん死んじゃう。
まあ、漫画の知識でナニをすればいいか、何となくわからないでもなかったが、実際自分に致せるとは思えない。だって……怖い。
(コワイなあ……男の人って、ホントはコワイんだなあ……)
桜子がそう理解しただけでも、お兄ちゃんが頑張った甲斐はあった。
(でも、お兄ちゃんは怖くないなあ……)
遼太郎だって男の人で、やっぱり怖いところもあるんだろうけど、桜子に向けることは絶対にしない。
(時々、お尻はぶつけど)
優しいなあ、安心するなあ。ずっと、お兄ちゃんの傍にいたいなあ。
(お兄ちゃんを好きなのがあたしの“本当の気持ち”で、お兄ちゃんの隣が”心の在り処“……そうだったらいいのにな)
やっぱりあたし、お兄ちゃんが大好きだなあ――……
だが、桜子は知らない。
遼太郎の“本性”が、夜が深まるにつれ密かに蠢き始めていることを。開けてはならない禁断の扉が、今夜開かれてしまうことを――……
**********
身も心もほっこり温もり、桜子は洗面台で、軽くローションとミルクを使う。ウン千円の基礎化粧品を何本も駆使せずとも、プチプラコスメでぴっちぴちに潤うのが中学生のお肌の特権である。
そして桜子は一張羅のパジャマ、お気に入りのベイビーピンクのタオル地パジャマに袖を通した。名前が桜だけに、ちっちゃい頃からピンクは自分のパーソナルカラーだという思いがある。
(春の桜の“ベイビーピンク”、夏の向日葵の“サンライトイエロー”……)
その二つは、桜子が特別に好きな色だった。
これから遼太郎とお菓子タイムだ。お兄ちゃんは妹のパジャマなんて、何着てようが気にもしないだろうけど、今夜は長いのだ。少しでも可愛いカッコでいたいのが乙女心ってやつなのさ。
タオル地のショートパンツは、お尻からむき出しの脚へのラインがなかなかセクシーだ……と自分では思っている。それにフワモコ地のパジャマは厚みの分、
(ちょっとおっぱいが盛れる……!)
それも今夜このパジャマを選んだ理由のひとつだった。
桜子は入念に鏡でパジャマ姿をチェックし、
(髪は、ちょっと濡れてるくらいの方がせくすぃーかなー)
とタオルドライに止め、鏡の中の桜子にニッと笑って、バスルームを出た。後ろの鏡で“桜子”が、手を振って見送っているような気がした。
「りょーにぃ、出たよー」
「おー。風呂の後は”お楽しみの時間“だな」
リビングから出て来て擦れ違った遼太郎が、どこか含みのある言い方をしたのには気づかず、桜子は兄を待つ間いそいそとお菓子を並べている。
男の遼太郎のバスタイムは、桜子と比べると短い。ドライヤーの音も申し訳程度で、ソファでウキウキ気分で待っていると、遼太郎はリビングを素通りして二階に上がってしまう。
(ありゃ?)
桜子は首を傾げたが、足音はすぐに階段を下りてくる。
待ちきれず桜子は、リビングの戸口で遼太郎を迎えた。
「りょーにぃ、まずアイス食べようよ♪ それから、お菓子しながら何する? 録ってある映画でも観る……」
そう言いながら、ふと遼太郎の顔を見て、そこに浮かぶ思わせぶりな笑みに言葉が尻すぼみになった。
遼太郎が適当に乾かした濡れ髪をかき上げると、いつもと少し雰囲気が変わる。クスッと笑いながら、
「何する、って……?」
そして不意に、桜子の肩に手を回して軽く抱き寄せた。
「ひあっ?! お……お兄ちゃん……?」
間近で突き合わせると、やっぱり遼太郎は桜子の超好みのルックスで、切れ長の目は桜子の視線を絡め取り、不敵に笑われると気持ちまで囚われる思いがする。
遼太郎は桜子の耳元で、囁くように言う。
「決まってるじゃないか。母さんも父さんもいない二人きりの夜だ。邪魔は入らない。なら……することはひとつじゃないか、桜子?」
「え……あ……うええ……?」
遼太郎の腕の中で、桜子は両手を胸の前で重ね、消え入りそうなくらい身を固くしている。今となっては、おっぱいを盛るタオル地を選んだことを後悔しつつもある。
「な……何をするのぉ……?」
「イケナイことさ」
そう言って遼太郎が手にしていた “物”を見せられ、桜子はビクッとし、足から力が抜けた。
「ヤダ……お兄ちゃん、怖いよお……」
そして桜子は遼太郎のなすがままにソファに誘われ、抗う力もなく、すとんとお尻を落とした。
**********
「お……お兄ちゃん。あたし、怖い……」
桜子が泣きそうな声で呟くように訴えるも、
「いいから俺に任せろ。怖かったら、目を閉じててもいい」
遼太郎は優しく言い聞かせるようにしながら、その手を止めてはくれなかった。桜子は知っている。こういう時の遼太郎はいつもとは違って、少し荒っぽくて、桜子が何を言っても聞いてはくれない。
実際、今の遼太郎は優しげな口振りとは裏腹に、その指は別の生き物のように一瞬も止まることなく踊り続けている。
「ねえ、やっぱりダメだよ。あたし達、まだコドモなのに……」
「こんなの、俺達くらいの齢なら誰でもやってることさ」
「あっ、来るっ……ねえ、お兄ちゃん、もうヤメよう……?」
「ここでヤメられるわけないだろ? ほら、肩の力抜けって」
「あっ……ダメ、死んじゃう……」
ビクリと身を震わせ、必死にしがみついてくる桜子に、遼太郎も息を弾ませ、軽く片手で抱き返した。
「大丈夫。いざとなったら道具だってある」
「道具……? ねえ、もう死んじゃいそう……早く使ってえ……」
「まだだよ。ギリギリまでは使わない」
「お兄ちゃんの意地悪ぅ……」
桜子が息を喘がせるように懇願するも、主導権は遼太郎にある。桜子は可哀そうなくらい我慢に我慢を重ねていたが、やがて、その時は来た。
「じゃあ、入るからな」
遼太郎がさすがに声に緊張を滲ませ、そう言うと、桜子はその胸にすがるように、涙を目に溜めて首を振った。
「ヤメよう、お兄ちゃん? 今なら、まだ間に合うよ……」
「今更後戻りできるか。行くぞ、桜子……」
「お兄ちゃん、ダメっ! これは、開いちゃいけない扉だよっ!」
「だって、この扉を開いたら、きっと――……」
そこには……改造巨大ゾンビが……っ!
「ほらあっ! やっぱりボス戦だー!」
「イケるイケる! 桜子、俺を信じろ!」
抱きつく桜子をものともせず、遼太郎の指がコントローラーの上で踊る。プレイヤーはしがみつかれているが、画面上のキャラはつかみ掛かるゾンビを華麗にかわして、銃弾を撃ち込んでいく。
「まだ序盤のボスだし、余裕だって」
「怖えー、でも面白れー! イエー!」
飛び散る血飛沫、吹っ飛ぶ肉片。さすがはコドモはやっちゃイケないCERO“Z”指定、桜子は怖がりながらも大興奮で観戦している。
「Z指定ってお兄ちゃんじゃ買えないんじゃないの?」
「ケンタローに借りた。あいつ、兄貴がいるからな」
「映画の時も、法の目をかい潜ってあたしにR15を観せたし、娯楽に関してはお兄ちゃんって割とアウトローだよね」
隣で桜子がいちいち「わあ!」「ひゃあ!」と騒ぐのも楽しみつつ、遼太郎は初期装備の拳銃で難なくボスゾンビを倒してしまう。
「おし、ショットガンも道具も使わずいけた。後が楽になるぞ」
「すげえ、お兄ちゃん強いな。もしホントにゾンビに襲われたら、あたし、お兄ちゃんの傍を離れないでおこう」
妹の頼もしげな眼差しが心地いい。実際にゾンビパニックが発生したら、どこで物資を調達し、どのルートで逃げるか常に想定している遼太郎だ。
一人でやるのもいいが、やはりゲームはギャラリーがいると、横で見ている桜子がいると何倍も面白くなる。
「夜遅くまで菓子食いながら18禁ゲームなんて、親がいちゃできないからな」
「うん、イケナイこと、楽しいね。お兄ちゃんのお友達に感謝だね」
桜子の、会ったことのない兄の親友の株が上がった。
(実物に会ったらブラックマンデーどころか、サンダーの勢いで暴落するだろうが)
悪い奴じゃないし、黙ってりゃ彼女くらいできなくもないだろうに、あいつは女の前で口を開いたが最後だからな……
こうして楽しい時間は過ぎ、夜は更けていく……
桜子はこの後、また新しい“自分の知らない自分”と出会うことを、今夜もうひとつの“扉”が開くことを、まだ知らない。
全ての記憶は戻ったはずだったのに、意識していなかった自分の一面と向き合ったのは、桜子が独り部屋に戻った後のことだった……




