48.桜子より愛を込めて
家に帰るとすぐさま部屋着に召し替え、桜子はキッチンでエプロンを装着した。気合も愛情もじゅうぶん、桜子クッキングのスタートだ。
「ふっふっふ……桜子ちゃんの手料理で、お兄ちゃんをイチコロにしてやんよ」
「いや、食っても死なないモノ作ってくれ」
自分もジャージ姿になって下りて来た遼太郎が、妹の独り言に物申す。
桜子は遼太郎を振り向き、ニコッと笑った。
「りょーにぃはできるまで、ゲームでもしてていーよ?」
「それじゃ悪い。言ってくれたら手伝うぞ」
「いいのいいの。運ぶのとかは手伝って欲しいけど、それまでゆっくりしてて」
そう言われて、遼太郎は少々気が引けながらソファに腰を下ろす。桜子があんまり健気で可愛いことを言うので、どこか落ち着かない気分である。
(何つーか……同棲とかってこんな感じなのかな……)
って、妹相手に思うことではない。遼太郎は慌ててゲームの電源を入れる。
一方桜子の頭の中の方では、
(うーん、あたし達ってば、もう完全に新婚さん……///)
妄想お付き合いは兄のひと足先を疾走していた。
そこでふと桜子は思いついて、
「そうだ、お兄ちゃん」
「着てろ」
ゲーム画面を見たままの遼太郎に、ズバリ看破され、桜子はビクッと震えた。
「は……裸エプロンはおキライですか?」
「男のロマンではあるが、実妹にそれさせたら、一生モノの業を背負うわ」
「せめて、下だけでもぱんイチに……?」
「“ぱんイチエプロン妹”とか、もはや新ジャンルだろ、それ」
遼太郎に断られてしまったが、まあ、「やれ」と言われても実際困る。照りチキ焼く時の油跳ねを考えれば、裸エプロンで臨むと、放置型の自動お独りSMプレイが完成しかねない。
(これはりょーにぃには黙っておこう……)
下手に“S”の部分を刺激すると、本当に「やれ」と言いかねない気がした。
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さて、そんな桜子の料理の腕は、おかーさんの薫陶を受けて、この半月で経験値メタルスライム2匹分はレベルアップしている。
半身にした鶏もも肉を合わせタレに漬け込む間に、圧力鍋にゴロッと切った人参・玉葱・キャベツにベーコンを放り込み、トマトジュースで仕立てるミネストローネ風ポトフに火を入れる。
さすがにおかーさんみたいに、調理と片づけを同時進行まではできなくて、シンクに皿やボウルが積み上がっていくけれど、料理自体は結構手際良くパッパパッパと進めていく。
「♪サンキュー、サンキュー、サンキューチキン! ありがとう、産んでくれて……『だが今日食われるのはお前自身だあー!』『なにーっ?!』」
「いや、お前が何なんだよ」
さて、下味の染みたチキンを焼く段になり、桜子はふと考える。
(うーん、ただ焼くだけじゃ面白くないよね)
よく……でもないが、好きな人に食べてもらう料理に、“自らの体液、もしくは体組織の一部”をあしらうという調理法も聞く。
(いや、それはさすがに)
発想が猟奇的というか、狂気の領域で、桜子もフツウに引く。でも折角の遼太郎への手料理だから、何か桜子の“特別”を込めたい。
桜子は思案の末、胸の前で指でハートを作り、
(美味しくなーれ、萌え萌えきゅーん)
鶏肉に”何か“を撃ち込んでみた……うーん、弱いな。そこで今度は、
(届け、あたしのラブっ!)
唇に指を当て、チュッと投げキッスを飛ばしてみる。
「さっきから何入れてんだ、人の晩メシに」
「ひいやああああああっ?!」
顔を上げると、遼太郎がキッチンカウンターに腕を乗せて桜子を眺めていた。
「あの、その……愛情の隠し味を」
「隠しきれていないぞ」
遼太郎の真顔に、桜子の首から上が真っ赤になる。
(これ、相手に見られたら、めっちゃ恥ずかしいやつやんけ……)
「み、見るな、りょーにぃのエッチ! あっち行かないと、“ぱんイチ白靴下エプロン妹”を見せるぞ」
「ヤメろ、照れを隠してカラダ隠さず的発想」
遼太郎がフッと笑いながら、リビングに戻って行く。
(くっ……この敗北感……!)
遼太郎の分のチキンに密かに、桜子の中指がぐりぐりと突き立てられた。
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何はともあれ、奮闘2時間。
桜子は照りチキを焼き、煮崩れないよう圧を掛けた後のスープにジャガイモを追加し、カットサラダに粉チーズを振り、余力で一品、マカロニと瓶詰刻みニンニクと鷹の爪で“なんちゃってペペロンチーノ”まで仕上げて、7時過ぎには夕食の支度を整えてしまった。
遼太郎は、桜子がひょいひょいと、次から次にカウンターに乗せる料理を運びながら、目を丸くしている。
「すげえな。何か、誕生日かクリスマスみたいだ」
確かに桜子のメニューは、チキンとトマトポトフ、サラダにショートパスタと、季節外れのクリスマスディナー感がある。
「えへへ、桜子ちゃん、ちょっと気合入れてみました」
「入り過ぎだろ。でも、マジ旨そう」
「ま、褒めるのはお味を見てからにしてよ。上手くできてるといいけど」
自分は半身でじゅうぶんだけど、男の子の遼太郎の皿にはチキン二切れがっつりと乗っけてある。味も量も、満足してくれたらいいな///
遼太郎の目が輝いていて、桜子の方は食事の前から胸いっぱいになる。
(それと、料理ってしてる間になぜかちょっとお腹大きくなるんだよね)
味見とかそんなにしてないのに、何でなんだろう?
照れたようで自慢げな妹に、遼太郎は笑いながら、
「これでメシ炊き忘れてるとかなけりゃ、完璧だな」
「……あ……」
「……え?」
遼太郎の軽口に、桜子がぴたりと固まった。真顔にほんの僅かに笑みの混じるこの表情は、いわゆる……
「やっちゃった?」
桜子がそっと開けた炊飯器の中を、カウンター越しに覗くと、はたして水に浸かった米がある。英語では稲も米もご飯も同じく“rice”だが、日本人にとってその状態の違いは由々しき問題だった。
さあっと青くなる桜子に、遼太郎は慌てて、
「大丈夫。パスタあるし、メシなくてもこのボリュームだし」
そうフォローしたが、桜子の顔にはショックがありありと浮かんでいる。
「ダメ……照り焼き、ごはんに合う味付けにしたから、ごはんがないと……お兄ちゃんにごはんと一緒に食べて欲しくて、あたし……」
見る間に、桜子の表情がくしゃくしゃになると、
「お兄ちゃん、ゴメンなさいー! 桜子、また失敗しちゃったあ! お兄ちゃんに、美味しいよって言ってもらいたかったのにー!」
突っ立ったまま、手放しで泣き出した。
(って、これは……)
久しぶりに遼太郎、“幼い妹”モードの桜子との再会だ。
驚くと同時に、遼太郎の胸が痛む。桜子が買い物から料理まで、ものすごく張り切ってくれたのを、目の前で見ている。
(そりゃ、完璧に仕上げたかったよな)
本当に遼太郎からすれば、メシがなくても今の料理でじゅうぶんだし、正直冷める前にとっとと食いたい。
(けど、俺がそう言ったところで……)
慰めにならないと、それもわかる。こんなに頑張った妹が泣いていると、遼太郎も辛くなる。今日の桜子には、頑張った分だけ笑顔になって欲しい……
そこでふと、遼太郎はカウンターを回ってキッチンに入った。泣きじゃくる桜子はとりあえず置き、冷蔵庫の冷凍室をゴソゴソすると、
「桜子、あったぞ。冷凍のごはん」
母さんが、残りご飯をラップに包んでジップロックしてるのを思い出し、奥から引っ張り出した。
真っ赤にした目を見開く桜子に、努めて軽い調子で、
「よし、レンチンしてメシにしよーぜ。お兄ちゃん腹減ったし、桜子の愛情たっぷりが冷めたらもったいねーよ」
桜子も全身から力が抜けるほどホッとして、
「よ……かったあ! もう、一瞬ホントに絶望したよ」
「大げさだって。こっちは俺がやるから、お茶注いで」
桜子に笑顔が戻り、遼太郎は内心胸を撫で下ろした。
(母さん、マジで助かったよ……)
遠く離れていても、母さんはやっぱり子ども達を見守ってくれている。
ああ、母の愛は偉大です――……
**********
「あ、旨い」
愛情|(&中指)入魂の照り焼きをひと切れ口に運んだ遼太郎の声は、桜子の経験上、かなり素の時のトーンで、
(これは……お世辞や優しさではないよね)
確かな手応えに、桜子は思わずガッツポーズになった。
「うん……あまり甘い味にしてないんだな」
「りょーにぃはそっちの方が好きかなって、ちょっとお醤油が勝つ感じで、料理酒じゃなく赤ワイン使ったんだけど……どう? 口に合う?」
桜子がおずおず窺う間にも、遼太郎はチキンをガッと白飯で追っ掛ける。言葉より明快な答えだ。
「いい。メシ進むし、好きな味だ、これ」
「なあ、桜子……割とマジで、俺の嫁に来てくれよ」
「割とマジで妹に求婚するな、バカ兄」
それは冗談でも、男子高校生、メシの食い方にウソはつけない。遼太郎は物を食べながら口の中を見せずに明瞭に喋る、という妙な特技を持つが、そうしながらも結構な勢いで皿の料理が減っていく。
「何かさ、メシが旨いと、ちょっと笑いが出る時ない?」
器用にも、食べながら含み笑いまでしている。
「ゴメンね。ホントはごはんも炊き立て食べて欲しかったんだけど」
「じゅーぶん、じゅーぶん。てか、メシは足りねえ」
照り焼きがよほどお気に召したようで、遼太郎はいそいそキッチンに立ち、冷凍ごはんを電子レンジに放り込み、ターンテーブルの回転をじっと見つめている。
そんな遼太郎に、桜子の背中をゾクゾクする感覚が駆け下りた。
(何だこれ……何だこれ、あたし……?)
自分の作った料理を、お兄ちゃんが夢中で食べている。それだけのことが何で、こんなにも、泣きたくなるくらい嬉しいんだろう?
お兄ちゃんが笑うと、あたしも嬉しい。
それも、記憶のない時の“あたし”が残した幻?
(違うよ。これは、“今”のあたしのキモチだ……!)
お兄ちゃんに美味しいものを食べて欲しくて、失敗したと思った時はどうしようもなく悲しくて、笑っているお兄ちゃんを見てると、温かくて、胸の奥が本当に温かくて。このキモチは……
あたしのものだよ。誰のものでもない、あたしのなんだよ。
そうして遼太郎を見つめている桜子だったが、遼太郎の方も、忙しく箸を止めないまま桜子のことを見ていた。
さっきの、大泣きした桜子。あれは記憶を失くしている時の、しばしば子ども返りをする桜子のようだった。もしかして今の桜子にも、あの時のちっさかった頃みたいな桜子が、幾らか消えずに残ってるんじゃないのか?
(じゃあ……)
あの、妙に悪戯っぽく、ドギマギさせられた、知らない女の子のような桜子ももしかしてまだそこに……?
そこで遼太郎は我に返り、
(いや……いるとして何なんだよ?)
自分を誤魔化すように、ポトフをスープ皿からグイっといって……
「……こふっ」
「やーもう、汚い! 何してんのさー!」
噴いた。桜子が口では文句を言いながら、すっ飛んでってキッチンペーパーを取ってきて、甲斐甲斐しく口元を拭いてくれる。
「もう、遼君? お行儀が悪いわよ?」
「ん……ゴメンなさい」
妹の中には、どうやら“母さん”もいて、その口真似で叱られると勝てない。
「チキン半分残ってるから、明日の朝はそれ、照りチキサンドにしたげるね」
「何それ絶対旨いヤツじゃん。俺、お前が妹でマジで良かったよ」
遼太郎には珍しい無邪気な笑顔を、カワイイと思う桜子。実は――……
今から二十年くらい前でしょうか。
これと似たような感じで胃袋をつかまれた男、つかんだ男の笑顔に心をつかまれた女がおりまして。それが全てではないでしょうが、兄妹のルーツのひとつであることは間違いないのですが……
ま、それはまた別のお話。




