47.オンナノコのキモチ
陳列棚の陰でガクブルしていると、ふと振り返った桜子と目が合って、サナは反射的に顔を背けた。そのままザリガニのように後退したが、左の頬に桜子の突き刺さる視線は感じている。挙句……
「お、早苗ちゃん、映画の時ぶり」
(声掛けんなよお、桜子兄!)
妹の視線を追った遼太郎に、疚しさひとつない顔で呼ばれた。見られてはそのまま立ち去りもできず、サナは買い物カゴを手に、のそのそ二人の前に出る。
「ひ、久しぶりっす、桜子兄。今日は二人で買い物?」
顔を見合わせる桜子とサナが疚しさでいっぱいなのに対し、遼太郎の顔には一点の曇りもない。つまりこの男、兄妹でさんざんラブラブしていた自覚がない。逃げ出したい気持ちの桜子&サナに、遼太郎は空気を読まず、
「うん。今日親が法事でいなくてさ。桜子がメシ作ってくれるって言うから、二人で待ち合わせて買い出しに」
(言うなああああああああああああっ!)
(言うなああああああああああああっ!)
桜子とサナの無言の絶叫も、遼太郎には聞こえない。サナは思う。
(チカの言う通り桜子兄、マジで天然の“桜子孕ませ機”か……)
サナがちょいちょいと桜子と手招きする。サナは桜子がためらいつつ近づくのを確保し、きょとんとする遼太郎にニッと笑って、缶詰とレトルト商品の通路へと引きずり込んだ。
「おい……二人きりの夜に、手料理だあ? 本気で落としに掛かってんのか?」
「そ、そーゆのではなく、最近料理に目覚めて、そこに他意はなく……」
桜子がモゴモゴ言うと、サナはジトりとした目で見つめてくる。
「料理、桜子兄のために始めたんじゃなくて?」
「それは……その……えーと……」
桜子が更に口ごもると、サナが深いため息をついた。
「桜子……今晩、桜子兄と二人きりなん?」
「う、うん。まあ、そーなんだけど……」
「友達として、マジでひとつ言っとくぞ……」
「せめて、ゴム買って帰ってくれな。マジで」
「マジでぶん殴るぞ、お前」
桜子が思わず拳を握り締めたが、すぐに力が抜けて、一瞬ぎくっとしたサナの前にうつむいた。
「あのね……あのね、サナ。サナがそういうふうに考えるのはわかるよ。あたしにそういう感情が、ないってことも、ないし……」
「でもね、今日はそういうんじゃないんだ……お兄ちゃんとあたしのこと、そういうふうに見て欲しくないんだ……」
「桜子……ゴメン、泣くなよ……」
遼太郎に背を向けて、泣きそうな顔をしている桜子に、つられてサナの目にもじわっと涙が滲む。
「あのね、あたし、自分でも自分の本当の気持ちがわからないから……だから、確かめたいんだ。サナ、こんなあたしを笑わないで……」
「笑わないよ! ゴメン、桜子ぉ……チカにも言わないし、アタシも今日のことは訊かない! 桜子の真剣なキモチ、絶対に笑ったりするもんか……!」
スーパーの店内で、中学生の少女が二人、抱え合うようにして雨模様……
渦中の朴念仁は、そんなこととはちっとも気づかない。
「二人とも、どうかした?」
「どうもしない! そうだ、桜子兄。ちょっと学校でいるもの買いたいから、桜子借りてっていい?」
「うん? ああ、全然いいよ。じゃあ、桜子。俺、ぐるっと回って最終お菓子売り場にいるから」
「わかった。すぐ戻るねー」
妹と友達は、遼太郎に背を向けたまま足早に立ち去っていった。
「まあ、JCの間にDK(ドンキーコングではない)がいても邪魔だしな」
遼太郎は自分の気配りデキるお兄ちゃんっぷりに満足して、カップ麺の新作をチェックしつつ眼鏡を光らせた。
日用品フロアのトイレで顔を洗い、サナのスポーツタオルを回して、二人は涙の跡を取り繕う。サナは顔を拭い、多少はいつものクール系女子に戻った。
「ゴメンな、桜子。アタシ、女らしくねーからさ。今まで好きな人ができたこともそんなになくて、無神経で友達泣かして、ホント情けねーよ」
いや、上っ面のサバサバさはひび割れて、そこから人一倍優しくて、恋に奥手な女の子の素顔が覗いている。
「ううん。あたしはサナのそういうとこが好きだし、サナじゃなかったら、記憶のないあたしと、無理してでもまた友達になってくれれなかったと思う」
「アズマは?」
「アズマ君は別格」
「ダメなのはあたしなんだ。サナ、ゴメンね、変な友達で」
「あはは。きっと変同士で気が合ってるのかもな、アタシら」
「チーもね。あたし、サナと友達で本当良かったな……でもね?」
と、桜子の手が伸びて、人差し指でサナの脇の下と胸の境目の、微妙なラインをすすすーっとなぞった。
「ひゃん……?! って、お前、何すんだ?!」
ばっと両手で、お腹の両サイドを抱くように庇うサナに、桜子がニヤニヤする。
「ほらあ。サナだって、ちゃんと“女の子”な感じ出るじゃん~」
「うはあ……お前、たまにチカよりタチ悪い時あるよな」
複雑な恋を抱えているコだって、男の子っぽいコだって、肉食系を気取っているコだって、ちゃんとちゃんと、オンナノコ。
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二人が食品フロアに戻ると、
「お、桜子。ポテチさ、ビッグ買う? 違う味の二つにする?」
遼太郎がポテトチップの袋を両手に呑気に出迎えた。
頭も気もよく回る遼太郎だったが、残念ながら、オンナノコが巧妙に隠してしまった“キモチ”を見抜くような色気はない。
「じゃあ、桜子兄。アタシも家で母さん待ってるし、桜子返すね」
「ああ、そう? じゃあまたね、早苗ちゃん」
何も知らない遼太郎に、気づかれないように、サナは腰の横で桜子にピースサインを出した。
(頑張れよ、桜子)
(うん、ありがとう、サナ)
サナは此花兄妹に手を振って、レジに向かった。
(何を頑張れって言ったのか、自分でもよくわかんねーけどなー)
さて、サナと別れてお菓子売り場の二人、
「ごはんの分はだいたいイイから、後はパーリィの準備だぜ、おに……遼君」
「飲み物とアイスは後で買うとして、ポテチと、チョコ系もいる? タケノコでいいかな、久々に食いたい……」
その瞬間、桜子の顔色が変わった。
「オイ……お前、今何つった……(ピキピキッ)」
「ハッ……お前、まさかキノコ派……って、何て顔してんだよ。ひと昔前のヤンキー漫画みたいになってんぞ」
「♪君をサックラコにしてやんよぉ……?」
「スーパーの店内で“不運”と“踊”っちまう気か」
あわや一触即発の場面もあったものの、この夜を満喫する用意は整った。遼太郎がさりげなく、自分の袋にばかり重い商品を入れるのを見て、桜子はまた密かにキュンキュンする。
スーパーの帰り道は他愛もないおしゃべりをしながら、つかもうとする桜子の手、逃れる遼太郎の手。夏に向かって日が長くなりゆく夕刻の帰り道、攻防する影が後ろからついてくる。
嬉しい気持ちと不安を綯い交ぜに、桜子の胸に今確かにあるのは、やっぱり遼太郎を好きだという思い。そのありったけをスパイスに……
照り焼きチキンに、愛を込めて――……




