46.桜子の“愛情たっぷり”
来てと願っても、来ないでと祈っても、その日は急ぎも遠慮もせずに近づいてくる。桜子が人知れぬ思いに揺れている間に、あれよあれよと、気づけば木曜日の晩ごはんも食べてしまい、お風呂を出た頃にはおとーさんが帰って来た。
桜子と遼太郎が寝て起きて、明日学校に行くと、その間におかーさんは四国へと発ち、おとーさんも仕事終わりに直行する予定だ。家族が顔を合わせる時間も、この次は日曜日の夜ということになる。
父・照一郎はいつもは一人の遅い夕食を、妻・桃恵のご相伴で済ませるのが常だったが、今夜は息子と娘もリビングでアイスなんかを手にしている。
おとーさんは普段あんまり感情を顔に出すタイプではなかったが、桜子がグラスにビールを注いであげると、
「こら。今時女の子がお酌なんかするもんじゃない」
口ではそうたしなめつつ、
「でもまあ、桜子が注いでくれたビールは、格別に美味い気がするな」
「父さん……」
あながち満更でもない様子に、遼太郎が呆れる。
明日から留守ということで、おかーさんから幾つか業務連絡があり、おとーさんからは訓示があった。まあ、基本的に両親とも、
「ま、遼太郎がいれば大丈夫だろう」
と長男に絶大な信用がある。
桜子の見る限り、遼太郎は第一子であるからか、思春期を迎えても割と両親と距離を置くことはなく、と言って親離れできてない感じでもない。
兄に対してさえ反抗期のあった桜子には、遼太郎のそういう家族へのバランス感覚と距離感は、ひとつの才能だと思える。
自分は……信用されていないわけじゃないだろうけど、多分に危なっかしいところがあるのは、この1か月で思いっきり証明してしまったからなー。
両親不在時のあれこれを、桜子が感心している間に済ませた遼太郎、振り返って妹に問いを投げた。
「ところで、明日どうする? 桜子、何か食いに行きたいものある?」
そう言えば、遼太郎と二人で外で食べるのは映画に行った時ぶりだ。
(うーん、それも魅力的だけど……)
実は桜子には、ひとつ計画があった。
「ね? 良かったら、土曜日あたしが作ろっか?」
二人きりで過ごす夜に、あたしの腕に縒りを掛けた手料理。何かそれって、すっごく恋人っぽいって言うか、ラブラブな感じがしない?
(べ、別に、りょーにぃとラブラブがしたいってワケじゃ、ないけどさ)
一応心の中でツンを出しておいたが、我ながら説得力がない。
提案を受けて遼太郎、少々疑わしげに桜子を見る。
「お前、料理とかできんの?」
「失敬な。最近おかーさんに料理教わってて、りょーにぃとおとーさんのお弁当に時々あたしの作ったのが入ってるんだぞ」
そう言われれば……遼太郎にも心当たりがある。
半月ほど前から弁当に、母さんが作ったにしては味が濃かったり薄かったり、見栄えの悪いのが混じるのには気づいていた。
(あれ、桜子の料理だったか)
母の料理の腕は娘に受け継がれていたようで、ほどなく、おかずは味も見てくれも安定したが、やはり母の味付けとは違うと思っていたのだ。
(良かった。桜子の前で旨いの不味いの言わなくて……)
と、遼太郎が回避していた地雷を……
「ほう。あのちょっと歪な出汁巻き卵は、桜子が作ってくれたのか」
(親父ッ!)
空気を読まない父が軽やかなステップで踏み抜いた。
案の定、桜子の顔からすうっと表情がなくなった。
「おとーさんの分は、もう作らない」
愛娘の真顔に父は慌てて、
「いや、そんなつもりで言ったんじゃない。見てくれはちょっと悪かったが、美味しかったし、父さんは桜子の気持ちが……」
(親父ェ……)
スンッとした妹と弁解しきりの父という情けない構図に、遼太郎は兄として息子としてそっと助け船で出航する。
「確かに……実際、始めの頃は味も見た目もちょい微妙だったな」
「お兄ちゃんまで!」
桜子はショックを受けたようだったが、遼太郎はしれっとして、
「けど、上手くなるの早かったな。今日のカレー味のチキンカツ、お前?」
「う、うん。そーだよ!」
「アレ旨かったよ。明日も作ってくれるなら、桜子の手料理食べたいかな」
こう言うと、桜子は目に見えて機嫌を直した。
「わかった! 桜子の愛情をたっぷり込めてあげる!」
「じゃあ、ああ言わずにこれからも父さんの分も作ったげろな」
「うん! おとーさん、お兄ちゃんに免じて赦してあげる」
娘の“愛情たっぷり”を失わずに済み、おとーさんは遼太郎に感謝の眼差しを向けた。ああ、無言で通じ合う父と息子の固い絆がそこにあった。
後で父さんは、遼太郎に小遣い三千円くれた。
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金曜日の学校帰り、駅前の大型スーパーマーケット前。そわそわきょろきょろ、行き交う人の流れを落ち着かなく見回していた桜子が、ぱっと顔を明るくして手を振った。
駅の方角から歩いて来た遼太郎が、軽く手を上げて応える。
放課後待ち合わせて買い物をしよう。桜子たっての希望で、そう約束していた。メシを作ってもらうんだから、荷物運びくらい吝かではない。そういうところは至って気安く身の軽い遼太郎である。
目の前に来た遼太郎に、桜子は嬉しそうに笑って、
「じゃ、行こっか、お兄ちゃん」
すっと手を取り、スーパーの入り口に歩き出す。
「ああ」
遼太郎もそのまま、二三歩、桜子に手を引かれるがままにしていたが……
「おうい!」
急に遼太郎に立ち止まられて、桜子は引き戻される形になる。
「きゃ。危ないよ、りょーにい」
「だから、オカシイだろ。制服姿の兄妹が、手ぇつないで買い物してたら」
遼太郎にツッコまれ、桜子は少し不満げな顔をしたが、
「しょうがないなあ、わかったよ……」
「今から買い物終わるまで、“兄妹”じゃないから、遼君」
「ん、なら良し」
それでいいのか、遼太郎。まさかの”恋人ゲームROUND2“だ。
幸い、店内に入ると遼太郎がカートを押し、兄妹の手は離れた。
「で、今日は何を食わせてくれんだ?」
遼太郎がそう訊くと、
「遼君は何食べたい?」
桜子は可愛らしく微笑んで、実の兄を上目遣いで見る。
「お肉? お魚? それとも、あ・た・し?」
「肉」
こういう妹と1か月もいて、遼太郎のスルースキルも上がっている。
「じゃあ、照りチキにしよっかな。鶏肉だったら材料費節約できるし。それとスープにサラダでいい?」
「上等だけど、別に金は気にする必要ないぞ」
おかーさんはちょっと多めに、二日外食できるくらいは置いてってくれている。
すると桜子はニヤリそして、立てた指をチッチッチと振った。
「あたしが何で自炊しようって言ったと思ってんのさ? 夕食代ケチったら、その分お菓子とかジュースが買えるのだよ、遼君」
「おー。なかなか策士だな」
感心する遼太郎に、ドヤ顔を返す桜子。
「あ、サラダパック買おう。玉葱サラダと大根サラダ、どっちがいい?」
「どっちでもいいけど、そういうのって割高なんじゃないの」
「それはそうなんだけど、二人分だと、何種類も野菜買うこと考えると安く済むんだ。切る手間と洗う手間、省けるし」
言いながらカゴに商品を入れる妹の顔を、遼太郎がまじまじと見た。
「桜子って、時々目線が主婦だよな」
前に服の一式を揃えてもらった時も思ったが、着回しとか長く着れるとか、買い物となると桜子は妙にシッカリしてるのだ。
桜子は更に得意顔になって、
「最近お弁当作るのに、おかーさんとよく買い物にも来るからさ。レシピだけじゃなくて、材料選ぶのも手間考えるのも、料理の内だっておかーさんが」
そう言うのに、遼太郎はますます感心する。
「そうかあ。桜子はきっと、いいお嫁さんになるなー」
「ふえっ?!」
この不意打ちに、桜子のドヤ顔がぴしっと固まった。
(な、何を恥ずかしげもなく、恥ずかしい褒め方してんだ……)
遼太郎は妹を子ども扱いしている分、平気でそういうことを言う。平気でないのは言われる方だ。桜子はちょっと赤くなりながら、
「お嫁さんとか、あたしなんか、まず彼氏もいないしー」
目を逸らしてトボケてみたものの……
「桜子くらい可愛かったら、その気になりゃすぐできんだろ」
「うぐっ!」
「何なら、お兄ちゃんのお嫁さんになってくれる?」
「ぐふっ?!」
遼太郎の悪意のない刃が、桜子を滅多刺しにする。
(ウボァー)
(前にも思ったことあるけど、改めて何なのこの人? 何で無自覚にあたしを殺しにくるの? 生まれながらの殺人者なの?)
桜子も、ちょっと思ってたのだ。二人で待ち合わせして買い物とか、
(恋人っぽくていいなあ///)
と提案したものの、実際こうしていると、何か同棲カップルみたいと言うか……
(し、し、新婚さん……ぽくない……?)
そんな気がしているんだ。
桜子は動揺を押し隠し、努めて軽~く言い返す。
「何だよう? りょーにぃ、あたしをお嫁さんにしたいのー?」
「まあ、お嫁さんは置いといても、桜子とは映画観てもゲームしても楽しいし、ずっと仲良くしてられたらいいなと思うよ」
「プロポーズじゃん、それ~。何、妹口説いてんだよー///」
「桜子さん、俺と同じ苗字になって、一緒に暮らしてください」
「現状~」
桜子は遼太郎の冗談が嬉しくて、冗談なのがちょっぴり切なくて、本当に、本当に幸せな“今”を噛み締める。自分の、“本当の気持ち”を探しながら……
そんなナチュラルな仲良し兄妹を――……
(Oops……クソラヴラヴじゃねーか、此花兄妹……!)
お母さんに頼まれた特売お一人様1パック限定の卵と、明日の朝のパンを買いに来た部活帰りの目撃者が、陳列棚に隠れるようにして震えていた。




