45.ホントの気持ちは自分でも……
日が翳り、夜が近づくにつれ、桜子はどんどん落ち着きをなくして、とうとう自分の部屋で歩き回り始めた。やがてタンスの前に座り込み、抽斗を明けて覗き込む。ドキドキ、ソワソワ。どうにも腰の辺りがフワフワする。
(今日は、パジャマに着替えてからも一緒に過ごすよね……? だったら、一番可愛いのを着てないと……)
誰に見せるワケでもないパジャマ。けど、見せる相手がいるなら……ゴソゴソかき回すタンスのその段には、寝間着と一緒に下着もしまってある。
(……下着)
それこそ誰にも見せない布である。でも、万が一……万が一ってことが……
「あるかあっ!」
桜子は両手に1枚ずつ勝負ぱんつを握り、自分に叫んでみたものの、ツッコみに勢いがないというか、本気度が足りないというか、我ながらイタいことに、ちょっと声が弾んでいた。
(だって、今夜は……今夜はあ///)
りょうにぃと、初めて二人きりで過ごす夜……!
いや、だから別にどうだってことはないんだよ? りょーにぃとあたしは兄妹ですから? 両親が出掛けて二人で留守番するなんて、これまでもありましたし?
だが記憶を失くしてから、遼太郎を意識するようになってからでは、
(初夜だ……)
いや、初夜ではないが。ぱんつを握るのに力が入り過ぎて、右手も左手も頬にストレートパンチを見舞うことがままならない。
(だったら、その、見せる可能性がゼロであるとは言い切れないかも……)
言い切って欲しいところである。
(お兄ちゃん、どっちの柄が好きかなあ……?)
もはや、兄のぱんつの好みに思いを巡らせるほど、バカになっている。
「りょーにぃ、これ、どっちが好き?」
「ちょ、お兄ちゃんの部屋に何持ってきてんの?!」
桜子がこうもアホの子になっているのは、今週の頭、
「そう言えば、四国の叔母さんの法事に行くこと言ってたっけ?」
晩ごはんの時にお母さんがそう言い出したのがそもそもの発端だった。
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遼太郎は口に運びかけていた汁椀を止めて、
「聞いてないけど?」
「ふぁたひもー」
桜子も生姜焼きを頬張りながら答える。
四国のオバさん? 申し訳ないが、桜子には誰だかピンと来ない。記憶が戻っていないのではなく、元からそんなに覚えがないくらいの親戚なのだろう。
桜子がぱっと頭に浮かべられるのは、父方のおじーちゃん(故人)とおばーちゃん(健在)と、母方のおじーちゃんとおばーちゃん(めっちゃ元気)、おとーさんの弟の“大阪の哲二郎おじさん”一家と……だいたいそのくらいだった。
遼太郎が味噌汁をすすり、おかーさんに訊く。
「それ、俺らも行かないとダメなやつ?」
「ううん、叔母さんと言ってもお父さんの叔母だし、もう十三回忌だし、遠いし、あなた達はいいわ。お母さんとお父さんの二人だけで」
お母さんが言うのを聞いて、悪いが桜子はホッとした。あまり知らない親戚付き合いというものは、正直、中高生には楽しくないものだ。
(……って、えーと?)
桜子が何かに引っ掛かり、首を傾げる横で遼太郎が、
「今週の土日?」
「それが哲二さんところも夫婦で来るんだけど、冬美ちゃんが折角だから大阪に遊びに来なさいよって言ってくれて。金曜のお昼から出て、お父さんも会社からそのまま追い掛けてもらって、日曜日までって思ってるんだけど」
冬美ちゃん、とは哲二郎おじさんの奥さんだと、桜子は思い出した。
おかーさんはちょっと心配そうに言葉を切って、子ども達を見る。
「だから、金土の夜は二人になるけど、大丈夫かしら?」
もぐもぐ、ごっくん。お口のおかずを飲み込んで、桜子の頭におかーさんの言葉が染み渡るまで、少し時間が掛かった。
二人……? え、りょーにぃ金曜と土曜の夜、二人きり……?
入力された情報の処理の追いつかない桜子をよそに、遼太郎は肩をすくめた。
「高校生と中学生の息子と娘だぞ。二晩くらいどーとでもなるさ」
「ど、“どーとでもなった”ら大問題だよ……!」
思わず叫んだ桜子を、おかーさんと遼太層が怪訝そうに見て、赤面させる。
おかーさんは首を傾げながら、
「そりゃ、あまりハメを外しても困るけど、あなた達なら大丈夫でしょ。もしお友達とか呼びたかったら、そのくらいはかまいませんし」
「ううん、それはしないけど……」
サナとチーを呼んでのお泊り会とか、それも楽しそうではあるけれど……
こんな機会、そうそうあることじゃない。“どうとでもなる”は置いといても、やっぱりやっぱりお兄ちゃんと二人だけで過ごしたい……!
桜子が良太郎の横顔を盗み見ると、箸を持ったまま鼻と口の間を擦り、
「俺も、桜子のいるとこに男友達泊めるのはどーかと思うし……」
お兄ちゃん、本当にいつでもあたしのことを一番に考えてくれる。妹がきゅううんとなっていることなど知る由もなく、遼太郎はニヤリと笑った。
「こっちは二人でテキトーにするから、気にせず行って来なよ。こいつがハメ外さないように、俺がちゃんと見張っとくから」
「何言ってんだ、あたしがお兄ちゃんの面倒見る方でしょー」
言い返す桜子、また肩をすくめる遼太郎。
「はいはい、じゃあ遼君のお世話はお願いね、桜子」
「任せといてー」
笑って言う母に、妹が胸を張る。こうして母娘が結託した時、此花家の男子は頭を低くして粛々としているのが習いだった。
「じゃあ、母さんは哲二おじさんから小遣いもらってくるの、よろしく」
「まったく、何言ってるの、この子はもう。じゃあ、金曜の夜はお母さん何か作っておくから」
「いいよ、出てくのに。二日くらいなら桜子と外に食いに行っても、なあ?」
「あ、それいいかも!」
「そう? だったらお母さん、楽させてもらおうかしら」
こんな和やかなやり取りがありまして、おとーさんとおかーさんは夫婦で親戚の法事へ、遼太郎と桜子は兄妹で二泊三日のお留守番の運びとなったのである。
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もちろん、桜子の内心は和やかでも穏やかでもなかった。むしろ数日間、ことあるごとに、
「穏やかじゃないわね……」
と呟くのが口癖になっていて、サナとチーを「お前は初代アイカツの青髪か」と困惑させた。
以前、遼太郎と映画デートをした時も、桜子は楽しみで仕方なくて、指折り数えてその日を待ち、ちょっとバグった。しかし今回の桜子は、前のように傍目にも明らかな浮かれ上機嫌というのとは、またテンションが違う。
今の桜子は以前のように、無邪気に「遼太郎さん、大好き///」と言えるほど、自分の恋心を両手放しで肯定はできなかった。
桜子は、遼太郎と過ごすこの二日間に、自分の本当の気持ちを確かめたいと、そんな覚悟めいた思いを胸に抱いているのだ。
確かに、桜子は今も遼太郎が好きだ。一緒にいると、いや、りょーにぃのことを考えるだけで、胸がドキドキしてしまう。
(けど……これって本当に“恋”なのかな……?)
そんな疑問もまた、ある。今の桜子はどうも、”記憶のない間の自分“と”思春期の心身の変化“に気持ちが振り回されているようにも思えるのだ。
りょーにぃを異性として見てる、これは動かしようのない事実だ。
でも、桜子の感情が大きく揺れる度、記憶のない時の“桜子”達の存在を身近に感じる。彼女達はもちろん、桜子自身であるのだけど、
(どこかで、別の女の子のようにも思えて……)
他人の“恋”の身代わりを演じさせられているような、そんな気もするのだ。
加えて。
桜子は最近、ひょんなことから兄の持っていたエッチい漫画を見つけ、“そーゆーこと”の知識を中途半端に仕入れてしまった。
(もしかすると、あたしは単に……)
芽生えかけた“そーゆーこと”に対する好奇心を、恋愛にかこつけて、身近で都合のいい……いや、よくよく考えれば最悪に不都合な相手なんだけど……遼太郎へ向けているんじゃないか。そんな不安もある。
だから桜子は週末のことを、親友のサナとチーにも秘密にしている。知れば二人はきっと、キャーキャーからかいながら、応援してくれるだろう。
けれど桜子は周りから雑音を遮断して、自分の気持ちのひとつひとつと向き合いたかった。
それでもし、遼太郎への恋心がニセモノだとわかったなら、寂しいと思う反面、ホッとするような気もする。だけど、
(このままお兄ちゃんを好きでいるのは、自分とお兄ちゃんにウソをつくことだ)
それはこの恋が残酷な形で終わるより、何倍も悲しくてイヤだった。
だから、誰にも言わない。あたし一人で向き合う。
この週末は、楽しみで、嬉しくて、怖くて、ドキドキとズキズキの、踊りながら泣きたくなるような、
(できるだけゆっくり、早く来て……!)
このままだと、あなたのこと……
もっともっと好きになってしまうから。
「なあ、桜子。何かお前、今週、特に俺の傍べったりじゃない?」
「そんなことないよー? りょーにぃは、自意識過剰だなあ」




