第70話 再会
僕たちが砦に着いた時、すでに馬車が表に止められていた。
フラウは光術全開で砦に戻り、僕は裏口からこっそりと砦に侵入した。
神殿からのお客様ということで、クリフ隊長とラーズ曹長が迎えに出ていた。他の兵士たちは遠巻きにして様子をうかがっている。
「アーク、どこに行ってたんだよ。曹長が呼んでたぞ」
後ろのほうでこそこそしていた僕はほかの連中に押し出された。クリフ隊長の後ろに隠れるように立っているフラウと目が合った。彼女も間に合ったようだ。
僕に気が付いたラーズが小さく後ろで手招きをした。神殿と名の付くものには近寄りたくない僕はなるべく距離をとってラーズの後ろに立った。
「……ようこそいらっしゃいました」
いつもよりは丁寧な口調で、でも、感情をこめずにクリフ隊長は名乗りを上げた。
「いやいや、わざわざ出迎えていただいてすまないねぇ」
ゆっくりと、ほんとうにゆっくりと馬車から降りてきたのは杖をついた老人だった。きれいに櫛がかけられた長いひげと幾分薄くなっている長い髪にしわくちゃの顔が隠されている。彼はぼんやりとした目を周りに向けた。こんな人を連れだして大丈夫なのだろうかと不安になる。
同時に珍しいなと僕は思う。神殿の人間というから、もっと若くて生命力にあふれた人が来るのだと思っていた。
その後ろから老人の介護をしているのは、鎧型の光衣を示威するように身にまとっている人物だった。たぶん、女性だと思う。きっちり兜まで着込んでいるので、はっきりはわからない。黒光りする艶のいい肌と、光輝く白い髪がとても印象に残った。彼女?のような兵士を神殿で見たことがある。
「こちらは、ワシの付き添いの、あー、なんというのじゃったか、け、け、ケーラ、そうそう、ケーラ・マトンじゃ」
「ケーラ・マスカです。神殿騎士の」よく響く声で彼女は訂正をした。
「デヴィン様、この度はわざわざ辺境の13砦にお越しいただきありがとうございました」
お前ら、何しに来たんだ。隊長の裏の声が聞こえてきそうな挨拶の仕方だった。
「隊長、デヴィン様はしばらくこちらに滞在して旧交を温めたいとのことでした。なんでも、昔、こちらに滞在したことがあったとか」ライクも同じく感情を押し殺した言い方で、老人を紹介する。
「リースちゃんに会いに来た」
まるで小さい子供が友達を誘うような口調で老人は要件を告げる。
「リースちゃん?」
そんな名前の老女はいただろうか? 僕らは顔を見合わせる。
「そう、リースちゃん。そこの、そう、その女の子くらいの年の子じゃ」
老人はフラウをさした。
そんな人物はいないのでは。僕も、曹長も、耄碌した老人の繰り言に振り回される予感で暗い目線を交わす。
「リースちゃんは、もうすぐ来ると思いますよ」
思いのほか優しい口調でライク准尉が請け負った。
まさか、替え玉を使うつもりでは。そんなことを僕が考えていた時、中庭に賄ばあさんが杖を振りながら現れた。
え? まさか、彼女が、リースちゃん?
婆さんは老人から少し離れたところで立ち止まると、じっと老人を見つめた。
「ひょっとして、デヴィン兄ちゃん?」
「おお? そう、ひょっとして、リースちゃん?」
二人は戸惑ったように互いに顔を突き出して相手をよくよく見る。
そして、二人とも嬉しそうに笑い出した。
「デヴィン兄ちゃん、えらく老けてしまって……」
「それをいう、リースちゃん。すっかり、婆さんじゃないか」
二人はよたよたと歩み寄ると互いにバンバンと肩を叩こうとして、老人がよろけた。おつきの騎士が慌てて老人の体を支える。
「あれからどうしてたかねぇ。ここを離れて、何年になるかね」
「お前さんこそ、どこかに行くといっていなかったかね」
旧交を温めあう二人に僕らはすっかりおいていかれた。
「誰なんですか? あの老人?」
僕は曹長にきく。
「知らねぇよ。神殿のお偉いさんらしい」
小声で曹長が説明する。
「何しにここに来たんですか?」
「リースちゃんに会いにだろ。知るかよ」
「ラーズ」珍しく隊長が曹長を注意した。
「デヴィン様」フラウは、しかし、恭しくひざを折って神官に挨拶をする。
「おや、ひょっとして、この子は。フランカ・レオン殿か?」
老人は、フラウの垂らした頭に手を置いて祝福の言葉を唱えた。
「全能なるものが、そなたとともにあらんことを」
正気に返ったのだろうか、しっかりとした言葉遣いだ。威厳すら感じる。
「ありがとうございます。私がその祝福に値するとは思いませんが、少しでも御心にかないますように」フラウは地面を見つめたまま感謝をする。
「うむ」
老人は慈愛に満ちた表情でうなずいた。
こうして偉そうにしていると、この爺さんはとても偉い人のように思えてきた。先ほどまではどこかその辺をうろついているただの老人に見えたのだが。
「フランカ・レオン殿、そなたとは後でゆっくりと話したいものだ。でも、今はリースちゃんと話さないといけないのだ」
急に途中から砕けた言葉遣いに変わった。また、目つきが怪しくなり、表情が子供じみてくる。これは長く話をさせると駄目な人間なのかもしれない。
隊長が僕とフラウに目配せをする。
「募る話もあることでしょうから、あちらで、婆さ……リース殿と語られてはいかがでしょう」
「そうじゃ。積もる話もあることだしな。うん十年分の」
いつも顔をしかめている婆さんは珍しくはしゃいでいるようだった。
「それにしても、老けたの。あんなにぴちぴちしていたのに、しわしわじゃ」
もっと早くに訪れるべきだった。ぴちぴちがしわしわ……とかなんとか老人はぶつぶつとつぶやいていた。そして、賄ばあさんと一緒に食堂のほうへよたよたと歩いていく。
そのあとを鎧を着た騎士が追いかけた。
神殿騎士が老人を支えようとするのを、彼は振り払った。
「大丈夫じゃ。わしはまだ支えなどいらん。まだ、若いんじゃ。ぴちぴち、ぴち……そう、若い者は若い者同士、仲良くすればいいんじゃ。わしらは向こうで、リースちゃんと……はて、なにをするんじゃったか?」
「ケーラ殿、部屋にご案内しましょう」すかさずライクが惑う神殿騎士に手を差し伸べた。「アーク、荷物を頼む。部屋まで運んでくれ。姫君、騎士殿の案内をお願いできますか。私は隊長に報告がある。部屋は塔の三階……二階の空き部屋はあったかな」ポナが荒らしている三階の部屋を思い出したのかライクは言い直した。
「デヴィン様の足のことを思えば、一階のほうがいいのですが」
ケーラが注文を付けた。
「一階ですか? あー」
「医務室が開いています。准尉」
フラウがすかさず、助け舟を出す。ジョイス医師が住んでいた部屋が丸々開いている。まわりにまだ怪我人が残っているが、仕方ない。神官なのだから、人助けは得意だろう。
「医務室? 先生はどこへ……まぁいい。フラウ殿。頼みます」
そうか、准尉は医者の出奔について知らなかったのか。僕はひやりとした。ライク准尉への言い訳を考えて、みんなで口裏を合わせておかなければいけないだろう。
彼らの荷物はそんなに量がなかった。二三往復すれば、僕一人で運びきれる量だ。
「おい、アーク。今度は変なじじいがきたな」
他の兵隊が荷物を馬車から降ろしている僕をからかってきた。
「おまえ、最近変人ばかり連れてくるな。あいつ、ボケてんのか?」
「あの、騎士は女か? 鎧でがちがちだったけど、中身はどうだ?」
僕にそんなことをきいてくる。
何で知らないあいつらまで僕が連れてきたことになるのだろうか。あの騎士の中身がどうのこうのと言われても、わからない。女なのはたしか、だと思うけれど。
僕はそんな与太話を無視して黙々と荷物を運んだ。
ちょうど最後の荷物を運び入れたときに、ライク准尉が元医務室に急ぎ足でやってきた。
「荷物は全部運んだか?」
「はい、これが最後です」
誰も手伝ってくれなかったな。僕はなんとなくいじけた気持ちになっていた。
部屋の中では、フラウと女騎士が穏やかに話をしていた。
フラウは僕に小さな笑みを見せた。
女も目の端で僕の動きを見て、荷物の山を確認した。
「これで全部だ。ごくろう」
彼女は僕に目も合わせずにそういうと、懐から一枚の硬貨を出して、僕のほうにはじいた。
乞食に施しをするように。
金属が床に落ちる音が響いた。
フラウが息をのみ、表情が硬くこわばる。女はそんなフラウの変化に戸惑いを見せた。
行動を起こしたのは、ライクだった。
彼は、床に落ちた硬貨を拾い、女に返した。
「ケーラ殿、彼は兵士で、わたしの直属の部下だ。だから、このようなものは必要ない」
「兵士? 彼が? しかし、彼は黒い民ではないか?」
女は初めて、僕を見た。僕のよれよれだが、一応正規の軍服を見て、きまり悪げに目を泳がせた。
「失礼した。ライク殿。てっきり、黒い民の下人…使用人かと」
「騎士殿。謝る相手が違うでしょう」フラウが鋭い声を上げた。「あなたが侮辱した相手は……」
「アーク、用事が済んだら、隊長の部屋に行け。フラウ殿。留守の間の様子がききたい。執務室までお願いします」
ライク准尉が、とっさに話に割り込む。
僕はフラウの腕をつかんで部屋を出た。




