第66話 心配
まだ眠っているエマも、医者も、サラも、フラウも、その場にいなかったかのように消えた。あとには静まり返った遺跡の廊下が何事もなかったように広がっていた。
みんなは無事に地下についただろうか。
僕は何度も道具に手を置いて無事を確かめた。かすかな魔力の流れだけが、フラウと連絡を取る手段だった。それも、ある時を境に全く感じられなくなる。
彼らは生きているのだろうか?
一人で、残った荷物を見えない穴に投げ入れながら、僕は何度も考えた。
彼らは無事だろうか?
いなくなってみると、あの忌々しい医者ですらその身を案じられた。
この計画は無謀だった。頭が覚めてくるにつれて、僕はそう思い始める。普段なら、こんなことをやろうとは考えてもみなかっただろう。
エマが殺されるかもしれないという衝撃が、合理性も何もかも飛び越えた決断を僕にさせ、それにみんなを巻き込んだのだ。
もしも、何かあったら……
それは僕のせいだ。
少なくとも、フラウとサラを巻き込むべきではなかったと僕は思っている。
止めても、自分から穴に飛び込みそうな坊ちゃまと変態医師はともかくとして。
荷物をすべて送って、僕はのろのろと来た道を引き返した。
なぜ、僕はこんなことをしているのだろうか?
僕の、わがままだ。
もし、何かあったなら……
僕はだれも乗っていないポナ車を運転して、出口の穴があったあたりに向かった。
約束の場所はそこから少し離れたところだった。
フラウが光版のつながりが悪いとぼやいていたあたりだ。人目の付きにくい藪の陰に車を止める。なるべく人に見られないほうがいい。そう思っていた。
もし、逃げたことがジーナに知られたら、確実に追ってくる。ポナの自動車は真っ先に目を付けられるだろう。
車体を“迷彩模様”に塗ればよかったなと思った。そうすれば、もっとうまく車を隠せたかもしれない。
僕には、フラウを待つしかなかった。
彼女は必ず帰ってくる。そう思いたかった。相変わらず、魔力の流れは断たれていた。彼らは無事にあの“研究所”にたどり着けたのだろうか。
砦ではそろそろラーズ曹長が僕たちの不在に気が付いているはずだ。きちんと書置きを見てくれればいいのだけれど。彼も事情は分かってくれるはずだ。
フラウさえいっしょにもどることができたなら、だ。
フラウなしで戻るくらいなら、ここで飢え死にしたほうがましかもしれない。
あれこれ、悩んでいるうちに運転席でうとうとしてしまったようだ。
周りはすっかり暗くなっていた。
フラウはまだだろうか?
僕は、魔道具に手を当てて安堵した。
魔力の反応がある。フラウの魔力はいっぱいで、むしろ僕のほうに力が流れてくるほどだった。ああ、彼女は魔石を使っているのだ。それが分かって僕はほっとした。
おかえり、フラウ。
僕はいそいそと車の中を片付けることにした。
「あれぇ。アーク。寝てないんだ」
サラは僕が起きているのに不満なようだった。
「それで、どうだった?」
さらに次に車に乗り込んできたフラウは肩をすくめた。
「もう、大変だったわよ。坊ちゃまが興奮しまくって。なんでも、キオクソウチのスペアが見つかったとか、何とかで。こちらの頭が痛くなったから、早めに戻ってきたわ」
いつものフラウだった。まるでずっと車に乗っていたかのようだ。
「それで、エマは?」
「あそこは本当に魔力が通じにくいの。ほとんど使えないといったほうがいいかも。特に研究室あたりはひどいわ。でも、エマちゃんにとっては理想みたいよ。ここよりも楽に過ごせると先生がいっていたわ」
「おいおい、今、エマの世話をしているのは坊ちゃまと変態じゃないか。なあ。今度は僕が潜ってもいいかな」
フラウが首を振る。
「だめよ。あなたは兵士でしょ。砦に戻らないといけないわ。脱走罪の刑罰は重いわよ」
フラウは渡された認識票を身に着けながらいう。
「本当にカホゴなんだから。あたしがちゃんと見張っているから大丈夫だよ」
サラが胸を張る。
「サラ、おまえ、あそこに戻るつもりなのか? いや、それ以前に、戻れるのか?」
僕とフラウが苦労して抜け出した道のりを思い出して、僕は思わずきいた。
「当たり前でしょ。連絡係が行ったり来たり出来なくてどうするの?」
「連絡係って、おまえなぁ」
サラに何かあったら、リリ姐さんに何と言えばいいのか。リリ姐さんだけではない。ケガでもさせようなら、あそこの女たち全員を敵に回す。砦は洗濯女たちを敵に回して、生き残れる環境ではないのだ。
「サラちゃんなら大丈夫。サラちゃん、すごいの。わたしよりも体力はあるし、すばやく移動できるの」
「そりゃぁ、猿だからなぁ」
「なんかいった?」
「でもなぁ、空気が悪いところがあっただろう? あそこはどうするんだよ。というよりも、どうやってあそこを抜けてきたんだ?」
それを聞くとフラウが微妙な顔をした。
「それがね。空気がきれいになっていたの」
「え?」
「だから、空気のよどんだところはほとんどなくなっていたのよ。それだけじゃなくて……」
フラウが言いよどんだ。
僕の頭の中に、丸い勝手に動く機械が浮かぶ。床をぐるぐる回りながら、掃除をする機械だ。
「きれいになっていたんだね」まるで誰かが掃除したみたいに。
「そうなの。どうして、それが分かったの?」フラウが驚いて聞き返す。
「いや、なんとなく」
そうか、僕やフラウが訪れることによって、なんらかの“しすてむ”が働いたのか? “自動制御”とか“人工知能”とか“僕”の知識の断片がぐるぐると頭を回った。
「いや、ほら、内地では掃除も修理も光術でできるんだろ? それと同じように、古代人も自動でなんでもできるように光術とは違う方法で……いや、前読んだ本にね。そんな話が載っていたから。そう、空想の、夢の話だよ」
フラウがじっと僕を見つめている。サラは逆に目をキラキラさせていた。
「へぇ、古代人ってすごいな」
「いや、だから、これは推測だから」
「アーク、その話はやめましょう」フラウがきっぱりと話を遮った。「とにかく、今は道のほとんどは安全なの。だから、サラちゃんが行き来しても大丈夫なの」
なら、逆に侵入者の警戒もしなければいけないな。僕はぼんやりとそう感じる。
まただ。僕の意志と違うところで、頭が働いていた。
これは“僕”の思考なのか? 僕が“僕”の行動を見ているように、“僕”も僕を観察しているか?
「ちょっと休んだら、戻るね。エマちゃん、そろそろ目を覚ますと思うんだ」
「……エマのことを頼む」
「だから、そんなに心配しなくても。先生が言ってた。ここだったら、元気になるかもしれないって。ポナ坊ちゃまなんか、大騒ぎしている」
「研究所を爆発させないでくれ、と伝えてくれ」
そんなことを言っても聞き入れる坊ちゃまではないと思うけれど。
二人の表情がとても明るいことが救いだった。エマをあそこに送り込んで正解だったのだろうか? それとも、ただの時間稼ぎに過ぎないのだろうか?




